5-37 支配から解き放たれたゲノム編集兵士
マーラが羅鋼兵団の拠点を襲撃して数日が経ったある日、大陸の某所にある軍事施設に所属する研究者は施設を訪れた政府や軍の高官に研究成果を説明していた。
ラボにはいくつもの巨大な培養液が並び、緑色の溶液で満たされた筒の中には人ならざる異形の怪物が目覚める時を待っていた。
「ほう、これがゲノム編集で作ったクローン兵士か。半魚人にリザードマン、オークにゴーレム、ハルピュイア……まるでファンタジー作品の怪物のようだな」
「あえて人と同じ見た目にする必要もありませんからね。我々はこの生命体をグリードと呼んでいます」
「眷族か。やがて世界を支配し神となる我々に奉仕する化け物には相応しい名前だ」
政府の高官は十分過ぎる成果にニマリと笑みを浮かべる。
生命を作り出す事はあらゆる宗教や科学で最大の禁忌とされているが、それは戦争で勝利する事よりも重要ではなかった。
彼等は全てが許される神の座を手にしたと信じていた。
それがただの傲慢による思い込みに過ぎなかったとしても死ぬまで気付く事はないのだろう。
「量産体制が整えられれば労働力や兵士不足を補うだけでなく、戦況を一気に変えるゲームチェンジャーとなるでしょう」
「素晴らしい。よくやってくれた。予算を増額した甲斐があったというものだ」
作られた生命体により少子化や戦争で減った人口を補う――彼等はそれが自分達の権力を盤石にする切り札と信じて疑っていなかったが、その先にある人類の終焉を知る由もなかった。
「ところでこの鳥の様なグリードは様々な使い道がありそうだが、例えば白い肌と羽根を持つ個体を作り出す事は可能かね?」
「もちろんです。何がしたいのかは大体わかりますが」
支配者達は真っ先に彼等の世界に存在する天使によく似た翼を持つ人間に注目する。
天使の様な見た目は戦いもさることながら奇跡を演出するのに最高に違いない。
唯一の誤算は既に別の独裁者が行っていた事だったが、不幸な事に彼等は全く把握していなかった。
「それではグリード達が実際に戦っている姿をお見せしましょう。向こうに市街地戦を想定した試験場がございますので」
「うむ」
彼等は嬉々として試験場へと移動し試験場に繋がる長い廊下を歩く。
出来れば素早く移動出来る乗り物があればいいが、それだけが唯一の不満だった。
ギィコ、ギィコ、ギィコ。
「っ、っ、っ」
「?」
移動の最中、彼等は自転車を漕ぐような奇妙な音を聞いてしまう。
しかし何かしらの機械の稼働音と考え、誰一人としてそれ以上気に留める人間はいなかった。
ギィコ、ギィコ、ギィコ。
「とんっ、とんっ、とんからとんっ」
「む?」
けれど次第に音はハッキリと聞こえる様になり違和感に気付いてしまう。
耳を澄ませると自転車の音だけではなく夢遊病者の様な鼻歌も聞こえるが、これは流石に空耳だろう。
まさか廊下で誰かが自転車で漕いでいるわけがないだろうが、音が気になってしまった政府の高官は背後を振り向いた。
ザシュッ。
だがその瞬間政府の高官の顔面は切り裂かれ、ベロンと剥落する様に顔が剥がれてしまう。
「とんっ、とんっ、とんからとんっ」
「え……」
彼等は目の前で何が起こったのか理解出来ずに唖然としてしまう。
顔を失った高官もさることながら、近代的な施設には明らかに場違いな『何か』を目の当たりにして。
「とんっ、とんっ、とんからとんっ」
全身に包帯を巻いた怪人の手には刃こぼれをした日本刀が握られていた。
彼が乗る錆びた自転車の前かごには大量の刃物や玩具が積まれており、それはヒーローごっこに興じる幼い子供が遊んでいる様にも見えた。
「とんっ、とんっ、とんからとんっ」
自転車の鍵には包帯を巻いた一昔前の子供向けアニメのヒーローのストラップが付けられていた。
おそらく怪人はこのキャラクターの真似をしているのだと、それだけは何とか理解出来たらしい。
ザシュ、ザシュ、ザシュッ――。
怪異トンカラトンは流れる様に刀を振り回し彼等を切り刻んだ。
死体を見下ろした彼は歪な笑みを浮かべていたので、きっと彼はヒーローごっこをしているつもりなのだろう。
「殺さなきゃあ。もっと殺さなきゃあ。ママに褒めてもらうんだぁ」
ギィコ、ギィコ、ギィコ。
愛と血に飢えた怪異は次なる獲物を求めて徘徊し、空間の歪みの中に消えていった。
「……ん? 何の音、」
ザシュ。
薄暗い部屋に移動した彼は培養液を眺めていた研究員を斬り捨て、周囲の物を手当たり次第に切り付けていく。
「ぎゃああ!?」
「ぐ、グリードが!? 誰か止めろッ!」
「とんっ、とんっ、とんからとんっ」
トンカラトンは鼻歌を歌いながら設備を破壊し、頑丈な容器が破壊され胎児が産み落とされる様に実験体のディーパが外に放り出された。
「シャアアア!」
「うわあああ!?」
この世に生まれ落ちたディーパはまず腹を満たすために手近にあった獲物を狩り、肉を引き裂き貪り食らう。
次々と枷から解放されたグリードは人間を糧と認識し、彼等を利用しようと考えていた人類の目論見は始まる前から脆くも崩れ去ってしまった。
「とんっ、とんっ、とんからとんっ。ママァ、どこぉ」
一通り殺戮を終えた怪人は錆びた自転車を漕ぎ、母親を探し求めて空間の歪みの中に消えていった。
「おい、大丈夫か!?」
銃を持って現場に駆け付けた警備員は急いでグリード達を制圧し、トンカラトンに斬られた研究員を救助しようと近寄る。
「っ、っ、っ」
「何が、あっ……た……?」
けれど半身を斬られ事切れているはずの研究員はむくりと身体を持ち起こし、ニタリと笑うと顔の皮がベロンと剥がれてしまう。
「とんっ、とんっ、とんからとんっ」
その姿は怪異トンカラトンと酷似しており、蘇った研究員は落ちていたメスを握り、唖然としていた警備員の首を切り裂き絶命させる。
「とんっ、とんっ、とんからとんっ」
「「とんっ、とんっ、とんからとんっ」」
「「「とんっ、とんっ、とんからとんっ」」」
やがて研究所には何体ものトンカラトンが獲物を探し求めて徘徊し、いつまでもいつまでも怪異の不気味な鼻歌が響き渡った。




