地獄絵図
ルファの中央は花畑だ。
刈り取った翌日すら咲き誇る花畑はポーションの生産を支えている。
一方でルファの市民を支えるのはルファ南部の畑だ。
ここで栽培される作物は市民の食を支え、同時に一部のポーション残渣を受け入れる。
その畑の中腹が地形を変えた。
畑に深い溝が生まれ、溝の付近は砂塵の如く地面が脆くなる。
ただ立っているだけで全身が地面の中に沈む。
何人もの傭兵が土に沈み、その大半は窒息死するだろう。
正規兵と違い身軽な装備の多い傭兵だ。それなりの数は自力で抜け出すだろうし、そもそも土に沈んだのは半数に満たない。
「お見事で御座います」
兵士長が淡々とした声で儂を賞賛する。
この程度で心から喜ばれても困るがね。
高々傭兵相手に半分も仕留められず、畑も無傷とは程遠い。
「前線の方が楽だがね。後始末を考えると燃やせん流せん吹き飛ばせんではやり難くて仕方ない。もっとも、相手が散開している以上、他の魔法でも大した被害は与えられなかっただろうがね」
魔法。便利な一方で融通性に欠け、大規模な破壊に向いている技能。
才能に大きく左右され、その才能は男系の血筋に依存する。
故に貴族であればこの程度は出来て当たり前。無論、在野の天才が居らぬ訳でもないが。
そもそも、人間による侵攻が境界側から行われる可能性は低く見積もられていた。
今回の襲撃はその隙を突かれた格好だが、他にも意識を逸らす要素が多数あった。
武神がゴブリン討伐に掛かり切りになってた事も、内部の捕物に冒険者を動員した事も、ゴブリン討伐を制限した事で近隣で活動する冒険者が減った事も、全て良くない方向へ作用した。
南部が手薄と気付いて視察に訪れていなければ危なかった。
急な視察で現場を騒がせてしまった事は申し訳ないがね。
これはどこまで先代のヤムが意図した結果なのか?
流石に、ここまでしっかりと未来を予見していたとは思わない。
策略であろうと泥の感知を掻い潜る事が出来ないと、過去の事例から分かっている。
泥を欺くには、その結果を引き起こす人間がその結果を意図していない必要がある。
先代のヤムはその条件を満たしていた可能性が高い。
今のヤムから聞き取った限りでは、先代のヤムは先見性と優柔不断を併せ持つ人物だった様だ。
消極的な策略が泥を欺き、それでいてルファに致命的な結果を引き寄せた。
泥がヤムを早々に始末していなければもっと致命的な状況になっていた可能性がある。
その意味で泥は誰よりも早く先代のヤムの悪意に勘付いた。
儂は最初にその存在を予見した際には欲しい人材だと思ったが、下手に引き入れれば今頃ルファが壊滅していた恐れもある。始末したのは正解だ。
恐らく、当人はそこまでの結果を求めていた訳ではなかろうがな。精々が上手くいけば儲け物程度に思っていたのであろう。
「引いて行きますね。本当に追撃しなくてよろしいので?」
「出来れば殲滅しておきたいが、今は畑の復旧と防衛が優先される。開拓村が幾つか滅びるかも知れんが、その程度だ。一先ずは青の狼煙を上げろ」
青の狼煙は「襲撃に備えろ」の意味だ。この状況では救援不要の意味も含まれる。
奴等の正体や襲撃の理由は気になるが、追撃は後からでも出来る。
鉄等級を動員して周辺を虱潰しに狩らせれば良い。
「別口で襲撃がある可能性も残っている。傭兵共が再度仕掛けてくる可能性もある。臨戦態勢を続けさせろ」
「はっ」
南の方角へ視線を飛ばす。
薄っすらと宙に浮かぶ魔力の模様が見えた。
儂程の魔法使いでようやく視認出来る程度の模様は、浮かべた本人には見えていないだろう。
高位魔法使いがごろごろ転がっている前線で以外では然程役に立たない魔法狼煙だが、私信に近い運用をするのであればルファにあっても有用だ。
サイがそこにいると言う事は、今のヤムもそこにいると言う事だ。
はてさて、今のヤムもルファの敵なのか、或いはただ巻き込まれただけなのか、警戒すべきは先代の予定した通りの結果なのか、腰を据えて見させて貰おうか?
ああ、今のヤムが敵だとしたら、商人気取りの女傭兵にも気を使わねばならんか。
各種ギルド関係は今は重要度は低いだろうし、ヒューズを付けるか。
◇
目の前で地獄絵図が生まれ、あっという間にそれは地面に埋まった。
「いやあ、やばかった。闇討ちが止めてくれなかったら今頃俺等は全滅でしたぜ」
「……少し予想とは違ったが、こうなるだろうと思ったからな」
馬鹿そうな面をした小柄な男がそう言って額を叩いた。
十数人程のスノウ傭兵団の残党、少なくとも事前の情報収集ではその存在を知らなかった一団と共に、ルファ南部の畑を眺める。
こいつ等は先代が支援していなかった一団だ。
お互いに名前を知らないし、俺はこいつ等の事を全く知らないが、この小柄な男は俺の事を知っているらしい。
恐らくこいつは夜襲組だったのだろう。
二つ名はともかく、俺の顔はあまり知られていない筈だからな。
実際、俺の馬車を襲った時の手際は夜襲組のそれだった。
だが、周囲でぼそぼそ話す連中の騒がしさは普通の傭兵だ。
潜んでいるつもりだろうが、夜襲組崩れでこれは有り得ない。
数人程物静かな奴がいるが、大半は普通の傭兵で、しかも下っ端だったのだろう。
だからか。何も考えずに馬車壊したのは……。
情報収集の必要がなけりゃその場で殺してやったのに。
まあ、軽く聞き出してこいつ等がここにいる理由は分かった。
問題はこの後どうするつもりなのかだ。
手を引くのか、弓を引くのか。
俺の背後で存在感を消している御者の男を意識しながら、俺は小柄な男に問い掛ける。
「で、あんた等はこれからどうするつもりだ?」
「どう、って言ってもなあ。結局どうしたら報酬を得られるかじゃないか?」
質問に対しては予想通りの、そして俺からすれば無意味な返答が帰って来た。
こいつらが夜襲組の残党だったのなら、速やかにルファから遠ざけるべきだろう。
見ての通りライン卿の魔法は強力だし、ルファの兵力は後方とは思えない程鍛えられている。
だが、夜襲は嵌ればそれ等の優位を覆しかねない。
それ以上の不安要素もある。
こいつ等から聞いた話を全て信じるのならば、今回の襲撃はヤムが仕込んでいたものだ。
スノウ傭兵団の残党それぞれに護衛の仕事を回し、少しずつ前線からルファに移動させる。
おかしいとは思っていたんだ。前線から遠く離れたルファにスノウ傭兵団の噂が届きすぎている事が。
ヤムが噂を利用して何かしようとしていた事を疑ったが、噂そのものはヤムの意図する事じゃなかったんだろう。
噂を振り撒いていたのはスノウ傭兵団の残党達。
当人達は仕事を得る為に自らを売り込んでいただけに過ぎない。
前線でなければ大きな傭兵団は珍しい。珍しいから噂になる。
そして知らぬ間にスノウ傭兵団の残党、前線で活動出来る程の戦力がルファ近隣に集まっていた。
どういった仕込みかは分からないが、どこかの貴族がグレイブヤード家にちょっかいを掛ける戦力を探し、それが今回の襲撃に繋がったらしい。
或いは、ヤムが用意したのは戦力だけなのかも知れない。
ルファ近隣に無所属の戦力だけを用意する。
そして、ルファを敵視する誰かがそれを活用してくれるのをひたすら待つ。
ヤムの好みそうな手だし、ルファを好ましく思わない勢力は王国内にも多い。
そうだとすればこいつ等を殲滅するかルファから遠ざけるかの二択だが……。
視線を畑に向けたまま背後に意識を向ける。
何の気配もしないが、あの御者はそこにいる筈だ。
あらゆる分野で有能な、グレイブヤード家から紹介された御者が。
ライン卿の執務室で感じた発信源の分からない殺気はこの御者の物だ。
あのスノウ=テイルに、スノウ傭兵団の斬り込み頭だった二つ斧に二度とあの部屋に行きたくないと言わしめた、ライン卿の護衛。
まあ、純粋な戦力だけならライン卿の方が数段上なのだろう。
護衛より強い護衛対象……。
「そういやあさ、ルファに二つ斧がいるって話は本当か?」
まあ、当然それも知っているか。特別隠してもいないし。
本人だけは信じていないが、二つ斧のスノウ=テイルは間違いなく団長の実子だ。
担ぎ上げれば団の復活は容易だろうし、何より傭兵としての実力もある。
だが、団長から娘に平穏な人生をと頼み込まれた身としてそれはさせられない。
実際本人にもその気はないのだし。
団長の死病と親馬鹿は俺だけが知っていれば良いんだ。
さて、どう返事するかだが……。
この手の生き汚なそうな傭兵は嘘に敏感だからな。事実で煙に巻くか。
「いるにはいるが、関わらない方が賢明だ。本人は商人気取りで、お貴族様に店を貰って便利使いされている」
「……へえ?」
団長の望みを叶えるのは相当な難問だったが、それはライン卿と引き合わせた事でほぼ解決している。
後は現状の環境を維持したままライン卿から引き離せればより良いのだが、それは高望みか。
「傭兵に戻る気はない様だが、適度な運動扱いでルファの中で冒険者崩れの犯罪者を狩っている。下手な接触の仕方だと嬉々として殺しに来るぞ?」
「そりゃあ何とも。……警吏に捕まらないんで?」
そうならない様に何度尻拭いをした事か……。
暴漢や強盗は即殺、泥棒すら加減が下手で良くて重症。
「お貴族様にとって有用な殺しだからな」
殺すなら現行犯か手配犯。何とかこれを教え込んだヤムには本当に感謝している。
本人は否定するだろうが、傭兵以外で生きて行ける類の精神性を持ち合わせていないんだ。
団長の望んだ平穏な人生とは少しばかりずれているが、ルファは前線に比べれば十分平和で、適度に死臭の漂う良い街だ。
……団長の望みのためにはスノウ傭兵団の残党には退場願いたい所だな。
情報収集のために接触したが、もう用無しか?
「主人殿、狼煙が上がっている」
隠しナイフに手を伸ばそうとした所で、後ろから声を掛けられて心臓が飛び出るかと思った。
小柄な男も同じだった様で、腰の後ろに手を添えて、半身で臨戦体勢になっている。
ほう。メインの武装はそこにあるのか。
小柄な男は脂汗を浮かべながら御者を凝視している。
その気持ちは良く分かる。俺も最初はその異様な存在感の薄さと死臭に恐怖したものだ。
その気なら気づかぬ間に命が刈り取られているだろうからそこまで警戒する必要はないのだが、それを教える気もないし、そう言った所で安心出来ないだろう。
幽霊の様な御者は俺と小柄な男には一瞥もくれず、仄暗い視線で街の方を見ている。
その方向に視線を向けると青い狼煙が見えた。
青は確か、各方面へ警戒を促す狼煙だったか?
増援を求める赤ではない辺り、南部はライン卿一人で片付くと言う見通しだろう。
そりゃあ、高位魔法使い対抗出来るのは同じ高位魔法使いか、奇襲と待ち伏せくらいしかないからな。
「ああ、この場合の青は襲撃撃退成功だったか?」
本当は少し違うけど、この状況であればその意味も含まれるから間違いとは言えない。
「違う。そっちじゃない。西の門から白が上がっている」
白? 今、このタイミングで白?
タイミングが悪過ぎる。いや、良過ぎる。
これも先代の仕込みか? ニミフド……程度では白は上がらないし、この近隣で起こるとしたらゴブリン? 武神が積極的に狩っているのに?
「何だ? 白は拙いのか?」
小柄な男が狼煙の意味を聞いて来る。
どう答える? 下手な回答をすればこいつ等はルファを襲いかねないぞ。
思わず御者に視線を向けると、そこに御者はいなかった。
骨が折れる音がして小柄な男の方を見ると、その首が真後ろを向いていた。
いつの間にか周囲から傭兵の話し声がしない。
「西門へ加勢に行きましょう」
幽霊の様な声で御者はそう言った。
スタンピードが発生している西門へ行きたくはなかったが、仄暗い視線に逆らえずに俺はただ頷いた。




