第6話 わたしメリーさん
「だれ、なの?」
真っ黒なメリーのシルエットは、ゆっくりと振り返って早明浦たちの方へ顔を向ける。
早明浦と招鬼の心臓の辺りにそれぞれ貼られていた、『隠』と書かれた護符が、黒くチリチリと焦げて消滅した。
「早明浦先生……ボク、もう立ってられな……ッス、おえぇっ」
とえずいている招鬼を尻目に、早明浦は正面からメリーと対峙し、涼しい表情で口を開いた。
「最近デカくなってるって聞いたが、こりゃ予想以上だ。霊気がビシビシ刺さってくらあ。にしても噂の力ってのはすげえな。大勢に認知されるほど強くなるのは、都市伝説の特権だ」
その時、メリーの身体から真っ黒いオーラの束がブワリと発生し、津波のように襲い掛かった。
早明浦は咄嗟に右手の人差し指と中指を立てて”剣印”を作り、顔の前で構える。
黒いオーラはその指に触れると雲散霧消し、綺麗に弾かれて虚空に消えた。
が、防ぎきれなかった波の一部が招鬼の身体を呑み込んだ。
「ヴッ──」
招鬼は気を失い、床に倒れた。
「チッ、だから帰れっつったんだよ……それより心配なのは寄城の方──」
「うぅ……何だ今の……」
メリーの向こうから寄城の苦しそうな声が聞こえたので、早明浦は驚いて、前髪に隠れた両目を見開いた。
「寄城お前、今の喰らって気絶してねえのか!?」
「え? いや、はい……」
「動くんじゃねえ! 振り向くなバカ!」
寄城はそれを聞いて、振り返ってはいけないという怪談の内容を思い出し、捻りかけた首を正面に戻した。
(招鬼さんの声がしなくなったな……)
どうやら招鬼は、今の霊圧に耐えられず気絶したらしい。
が、同じものを間近で受けたはずの自分は辛うじて耐えている。
(どうして俺は大丈夫なんだ? さっき社に近付いた時は、俺だけヤバかったのに)
いや、大丈夫どころではない。
寄城はメリーの放つ霊気に、どこか懐かしさのようなものさえ感じているのだった。
不思議に思っているのは、早明浦も同じであった。
(なんで寄城は大丈夫なんだ? そうか、寄城は振り向いてない……つまりメリーの姿を見ていないから威力が弱まった? いや、だとしても並の人間が、今のを至近距離で喰らって意識を保っていられるはずは無え)
そこまで考えて早明浦は、寄城が招鬼の能力で呼ばれた人材だという事を思い出した。
(……これも招鬼の力か。すげえ逸材を発掘したもんだ)
そうこう考えているうちに、メリーから発せられる霊圧がより一層強くなった。
早明浦の右手に力が入る。
「本気出してきたか、メリー」
「あなた、じゃまなの」
「お前の核は、人形か何かに宿った付喪神だな。そこに怪談としての集団認知がまとわりついて、今の怪異になった。そうだろ」
「わたし、わからないの」
「そうか……じゃあちゃんと供養して祀ってやるから、大人しくしてくれや」
早明浦は右手の剣印を顔の前に構えたまま、左手でポケットから『縛』と書かれた紙の札を取り出すと指の間に挟み、呪文を唱えた。
「唵阿謨伽尾盧左曩摩訶母捺囉麼抳鉢納麼入嚩攞鉢囉韈哆野吽」
すると、護符はひとりでに宙へ浮き上がり、メリーの方へ向かって真っすぐに飛んでいく。
「縛りの護符だ。しばらくは動けまい」
しかし、護符はメリーに命中する前に床に落ちた。
早明浦の視界には、メリーの前に立ちはだかる一つの人影が映る。
「……何のつもりだ」
護符を叩き落としたのは、他でもない寄城であった。
メリーを庇うように立ち尽くしている。
「おい寄城、自我はあるか? 無ければ殴って目を覚まさせる事になるぞ」
「さ……早明浦さん……」
「あ? 喋れんのか?」
「メリーさんは……メリーさんは……」
寄城はそれきり、何も喋らない。
ただ虚ろな目で、何か言いたそうな顔をして立っているだけである。
しかしそうしている間に、寄城の身体はメリーのオーラに呑み込まれていき、数秒もしないうちに全身が黒く覆い尽くされたのであった。