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第二章 『愛の力VS甲子園』 4

 思い立ったらすぐ行動。それが俺。

 時間は止まってはくれないからな、回り始めた恋を進展させるためには放送部に入ってグッと距離を縮めるのが一番だ。

 それに、放送部には部員が彼女一人しかいないときた。

 これは神様からのプレゼントと受け取ってもいいのだろう。

 『1+1=2』というのはこの世の常識。

 つまり、俺と先輩の二人だけ。

 放送部に入れば一年間ずっと二人っきりになる……なんと素晴らしい!

 それだけ時間があれば、好きになってもらえるチャンスも生まれるはずだ!

 ……当然のことながら、彼女は最初から俺のことを好きでいる、なんていうバカな妄想をするほど俺の頭は呆けてない。ちゃんと好きになってもらえるよう努力するつもりでいる。

 起立、礼。

『さような――』

 ビュン。

 俺は神速で駆け出した。

 放課後になった途端、一階、職員室まで走り、入部届をもらい、その場で書き込んで、嫁が待つ(まだ彼女は俺のことをしらないから待ってはいないんだが)、職員室のすぐ近くにある放送室へと直行した。

 ドアの前で立ち止まり、大きく深呼吸を始める。

 一つ壁の向こうに彼女がいると思うと少し緊張してしまう。心を落ち着かせ、俺ならいけると念じながらドアを強くノックした。

 放送室のドアは教室のものとは違い、左右ではなく前後に開かれる。ガチャ、とドアが手前に開かれ、は~い、とかわいらしいニコニコ笑顔が登場した。

 ――嫁だっ!

「わぁ~、入部希望者かな? ちょうどよかった。今みんなに説明してるとこだから、とりあえず中に入ってよ!」

 マイクを通してではなく生声! やべえよ、マジかわいいよ。

 元気いっぱいに俺を勧誘しようとする先輩の背景にはお花畑が見える。ほんと、小学生の低学年みたいだ。

 ……だが、ここでデレデレするわけにはいかない。

 ――第一印象はかなり大切なポイントだ。ここで恋の勝敗が決まると言っても過言ではない。

 俺はにこっと笑顔を見せてから、

「これを受け取ってください!」

 勢いよく入部届を突き出した。

「えっ! ……説明とかしてないけど、もう決めちゃっていいの?」

 上目遣いに俺を見上げる先輩の瞳がキラキラと眩しく輝いている。……上目遣いをされるなんて久しぶりだ! しかも、容姿は小学生みたいだけど相手は年上。いつもは見下ろされてばっかりだから、なんか、すごく気持ちがいい。

「全然大丈夫ッス。俺は心に決めてたッスから」

 テンションが上がり過ぎて体育会系っぽい挨拶をしてしまう。いかんいかん、落ち着かなければ。

 俺の言葉を聞いた先輩の顔が見る見るうちにぱあっと明るくなっていき、

「やった~! やっと、一人じゃなくなったよ~っ!」

 わ~い、と両腕を上げて全身を使って喜んでくれた。

 ドクン。

 胸の鼓動が大きく鳴った。

 ――な、なんて無邪気な人なんだぁぁぁぁ――――――っ!

 先輩はまったく穢れを知らない純真無垢な子どものようにはしゃいでいる。これだけで放送部に入ってよかったとさえ思ってしまう。

 すごい破壊力だ。見ているこっちまで幸せになってくるぜ。

 無意識のうちにときめいてしまった胸を押さえていた。

 まだ、ドキドキと聞こえてくる。

 間違いなくこの人が運命の相手だ。……そうとわかれば緊張する必要はないな。これから毎日顔を合わせることになるんだ。そうだ、見栄を張らず、いつも通りの俺でいこう。

「――いやっほ~。……あっ、言い忘れてたね~。ごめんね、一人で舞い上がっちゃって、えへへ。わたしは二年の篠山枢しのやまくるる。先輩でも篠山さんでも、なんて呼んでくれてもいいからね!」

 篠山枢、見た目と同じくかわいらしい名前だ。さて、なんと呼ぼうか。

「俺は伊丹勇雄っていいます! これからよろしくお願いします、くるるちゃん!」

「よろしくね、勇雄くん! ……って、くるるちゃんはちょっと」

「ダメですか?」

「だって……わたし先輩なんだけど……」

「心配しないでください! 俺、年の差なんて気にしませんから!」

 先輩の愛はすべて受け入れるつもりだぜ!

「えっと、少しは気にして欲しいかな……」

 困った笑顔を見せる先輩も素敵だ。なんだか先輩を見てるといじめたくなってくるな。

 視線を移して放送室の中を覗いてみた。

「他の部屋とは随分違うんですね」

「そうだね、防音とか放送の機材とかが置いてあるからね」

 放送室には二つの部屋があった。手前の部屋は多くのスイッチやマイクが付いたよくわからない機械(ここで放送するんだと思う)が置いてあった、というか、部屋と合体していた。そこに大きなCDデッキやらなんやらがコードで繋がれている。……これは難解だ、俺に理解できるだろうか。

「この学校の放送室って、少し変わってるでしょ」

「そうなんですか? 他のを見たことがないのでよくわからないんですけど」

「普通は奥が校内放送をするための防音部屋になってるはずなんだけど、うちはなぜか廊下側にあるんだよね~。――でもでもっ!  そのおかげで、奥の部屋はまったりできる遊び部屋感覚で使えるし~、防音になってるから騒いでも全然バレないよ!」

 親指を突き上げてニッと笑って見せる先輩はかわいかった。だが、今の発言を聞く限り、あまり練習はしていないようだ。

 手前の部屋からガラス越しに少しだけ奥の部屋が見える。おそらく、奥の部屋から合図を送ったりするのだろう。そういえば、先輩はみんなに説明してるって言ってたけど、どんな奴だろう。壁が邪魔で顔が見えないな、――早く撃退しないといけないのに。

 と、あるものが目に付いた。

「……それは、なんですか?」

 俺は壁に貼られた一枚の紙を指差した。

「え? あぁ、これはわたしの目標だよっ!」

「目標……ですか?」

「そう、目標。まだ全然叶わない夢の話なんだけどね~」

 そう言って、先輩は照れくさそうに笑っていた。

 じっと、紙を見る。

 その紙には確かに目標らしきものが書かれているのだが、明らかに放送部の掲げるような目標ではないような気がする。

 だって、

『目指せ、甲子園!』

 って……ここは何部だよ。

 一応言っておくが、甲子園というのは高校生の野球部が目指すところであり、決して、放送部がマイク片手にボールを投げたりバットを振ったりするような場面はない……はず。あまりスポーツに興味がないので詳しくは知らないが、今までにそんなシュールな野球を見たことがない。

「ずっと甲子園に向けて頑張ってたんだけど、全然成果がでなくて。……やっぱりわたしには無理なのかなぁ」

 先輩は目標が書かれた紙をどこか寂しそうな目をして眺めていた。その姿があまりにも悲しくて、俺の心になにかを訴えかけてきた。

 先輩のためになにかをしてあげたい……。

 ――はっ!

 俺は気づいた。

 なにを迷っているんだ伊丹勇雄! 放送部がどうとかじゃなくて彼女がどうしたいかだろうが! よくわからないが、彼女が甲子園に向けて頑張っているのなら俺も頑張らないとダメだろ! 嫁が甲子園に行きたいと言うのであれば、夫である俺が連れて行ってやるってのが道理ってもんだろ!

 多分、今年からルールが変わったんだろう。――俺の嫁が言うんだから間違いない。

「ふっふっふ、そうか。そういうことだったのか……」

「ど、どうしたの勇雄くん?」

 先輩が心配そうな目を俺に向けている。この顔を俺が笑顔にしてやるぜ!

「任せてください! 俺が必ずくるるちゃんを甲子園に連れて行って見せますから!」

 小さな手を強く握り締め、先輩の心も受け止める。

「はわっ! ……えっ? ……連れて行く?」

「はいっ! 俺、こう見えて運動は大の得意なんです!」

「えっと……、ここが放送部なのは知ってる……よね?」

「もちろん知ってますよ。ところで、先輩はマネージャーかなにかですか?」

「ううん。わたしは部長を……」

 聞き終わる前に俺は大きく仰け反った。

「キャプテンだったんですか! 見た目はちっちゃくて小学生みたいなのに意外とすごいですね!」

 最大級の褒め言葉を送る。

「小学生って……わたしは先輩なんだよっ!」

 なんでかわからないけど先輩が涙目でプンスカと怒っている。少し敬意が足りなかったか? いや、そんなはずはないな。……もしかして、これが宗次朗の言ってた乙女心ってやつなんじゃねえのか? つまり、先輩は大喜びというわけか。ふん、遂に乙女心を理解しちまったか、相変わらず俺って恐ろしい男だな。

 ――後は全力で突き進むのみだぜ!

「それじゃあ、今日は家で自主トレをします! 正式に部活が始まるまでには立派な選手になりますので――――ではっ!」

 と、ここで決め顔。――キラーン!

 俺は輝く明日に向かって全力で走り出した。

 ――俺の明日は青い春さ!

「あわわわっ! ちょ、ちょっと待ってぇ! 絶対なにか勘違い……」

 先輩の別れを惜しむ声が後ろから追いかけてきたが俺は振り向かなかった。

 俺を止めないでくれ! 俺も先輩と別れるのは寂しいが、これもすべて愛するおまえのためなんだ! この寂しさを乗り越えてこそ本物の愛が生まれるってもんだぜ!

 一度走り出した俺の愛はもう誰にも止めることができないのさ。



「ふはははは! 待っていろよ青春! 待っていろよ甲子園! 俺が両方まとめて手に入れてやるからな! ふはははは!」

 職員室前の廊下にさっきの小さな男の子の声が響いていた。あの子、意外とよく通る声をしてるよね。だけど、それよりも。

 ――先輩になるのって難しいなぁ。

 わたしは、はぁ、と小さく溜息をついた。

「入部してくれるのは嬉しいけど……明らかに勘違いしてるよね」

 一人ぼそりと呟く。

 と、そのとき、放送室の奥から声が聞こえてきた。

「くるる先輩? どうかしたんですか?」

「ううん。なんでもないよ~。それじゃあ、さっきの続きから教えようか! ……えっと~、あれ? わたしどこまで教えたっけ?」

「確か、放送コンクールの話からです」

「そうだったね。さっきも言ったように放送コンクールっていうのがあってね、それの朗読やアナウンス部門で上位入賞すると――」

 にこっと笑う。

「――春の甲子園の司会・進行役になれるんだよ!」

 これがわたしの夢だった。

 当然だけど、ボールを投げたり、打ったりなんかはしない。

「え、甲子園って野球のですか?」

「うん、それだよ! 声だけだけど、テレビに出れるよ!」

「すごいですね!」

「すごいでしょ! ……まあ、地区ですら一度も勝てたことがないんだけどね。わたしはもう諦めちゃったよ~」

「……ダメじゃないですか」

「……ダメだよね~、えへへ」

 そういえば、あの子、わたしを甲子園に連れて行くって言ってたけど……どうするのかな?

 なんだか少し楽しくなってきちゃったよ。

 わたしは、くくくと小さく笑った。


 ――伊丹勇雄の勘違いはまだまだ続く。


「うっしゃぁ! 先輩の心をガシッと掴むため、俺は今日から地獄の特訓を始めるぜ!」

 気合を入れて庭に出る。

 ブルン、ブルン、ブルン。

「ふんぬ、とりゃ、おらぁっ!」

 待っていろよ、くるるちゃん! 俺が絶対に甲子園まで連れてってやるからな! そして、いずれは先輩とハネムーン……。

 ブルン、ブルン、ブルルりぃん。

「どるぁ、ぶるぁ、うふっ……おっと、気が抜けてしまった。真剣にやらねば甲子園なんてほど遠いぞ。今はひたすら練習あるのみっ!」

 ブルン、ブルン、ブルン。

 愛は世界を救うのだ。だが、俺が救いたいのは愛しの先輩だけっ!

 そうしてバットを振り回していると、突然、誰かに話しかけられた。

「いさお~、い~さ~お~、どこにいるの~、って、なにしてんの?」

 俺の頭の中では、ウホッ、と脳内変換された。

 ――突然、不良レベル(……な、測定不能だと?)が現れる。

 身長だけでなく、全体的に成長したソイツはすごくスタイルがよく、出るとこは出て、締まるとこはきっちりと締まっているという無駄にナイスバディな体をしていた。この綺麗な体のどこにあんなパワーが隠れているのだろうか。

「おう。メスゴ……姉貴か。見ての通り、俺はバットを振っているんだが。姉貴にはこれがアイスを食っているように見えるのか?」

「えっと、あたしをバカにしてる?」

「気のせいだ。……だから、指を鳴らすのをやめてくれ。俺にはキャプテンを甲子園に連れて行くという使命があるんだ。だから、まだ死ぬわけにはいかねえんだ」

 そう、愛のために生きる男、それが俺だからな。

「……まっ、どうでもいいけど。いさお、野球部に入ったんだ」

「いいや、俺は放送部に入った」

「……? やっぱり、あたしをバカにしてる?」

「違う、今のはバカにしてないぞ! 今のは! って、なんで怖い顔してんだよ……」

 ひゅん、ドス。

 ――な、金属バットが通用しないだとっ!

 今日の姉は上機嫌なようで、俺を一発殴るだけで許してくれた。

 これで助かったと思ってしまう俺はなかなか重症なのかもしれない。こんな姉を持ったせいで先輩のような小さい人に憧れるんだろうな。――といっても、俺は姉のことが嫌いじゃない。綺麗だし、守ってくれるし、恋の相談だけは乗ってくれるし、乱暴なところ以外は悪い姉じゃないのだ。……まあ、常時乱暴なのが問題なんだがな。

 しばらくの間、姉はリビングからぼけーっとしながらバットを振り続ける俺を眺めていた。

 ……なんだかとても居心地が悪い。

「なに?」

 姉からのプレッシャーに耐えかねて、聞かなくてもいいことを聞いてしまった。

 ――これが、今日の失敗。

「アイス」

「姉貴~、愛すだなんて、俺らは家族なんだぜ? そんな禁断の愛はよくないと思うな!」

 完璧だ。これで姉の罠をうまく回避したぜ!

「さっき、その愛するべき家族に向かって本気で金属バットを振り下ろしたのは誰だっけ?」

 あれ? すでに罠にはまっている……だと?

「ち、違う! あ、あれは……そう、蚊がいたんだ! 姉貴の頭に蚊が止まっていたから、血を吸われたらかわいそうだな~っていう 弟のすばらしく優しくダンディーな心遣いあぁなんて素晴らしいんだろうこれからはかわいい弟を大事にしないとな!」

 ゆっくりと近づいてくる姉に対して早口で弁解する。くそっ、なんて乱暴なメスゴリラなんだ! 俺はなにもしていないというのに、またしても殴られなければならないというのか!

「ちょっといさお~、あんたにも蚊が止まってるわよ~。とりあえずそのバットを貸してくれな~い?」

「いや、手を使おうよ! って手もダメだから! 姉貴がやると蚊だけじゃなくて愛する弟まで失うことになりかねないからっ! い や、目がマジなのはなぜだ! やめろ! 血を吸われるどころか、死神に魂を吸われてしまうじゃないか! だ、だから死ぬって、ほんと、危ないって。……いい加減、マジやめろやメスゴリ――」

 バァコーン。

 俺の頭に鋭い衝撃が走る。――なんと、優しい姉は俺から奪い取った金属バットを使わずに自分の手で殴ってくれた。……殴ってくれたって言うと、俺が殴られたかったみたいに聞こえるが、もちろんそういうわけじゃないんだぜ。

「今日はこれで許してあげるわ」

「誠に失礼しました!」

 綺麗な土下座。……今の俺、輝いてるよ!

「その代わり、この前のアイス買って来てね~、駅前の~。よろしくっ!」

 優しい姉は俺をパシリに使おうという魂胆らしい。

 ……なるほど、そのために生かしてくれたわけか。

 俺は甲子園への夢を一度ストップして、三百円を握り締めた。

 よし、素早く行って、素早く買って、素早く帰ってから再び野球の練習だ!

『アァン?』

 その後、俺は普通に不良に絡まれて……。

 ――実に理不尽だ。俺はいつも通りまったく悪いことをしていないのに。

 し……してない、よね?

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