第四章 『レオナルドVSチャーミングな妹』 3
宗次朗が膝立ちというきつい体勢から名演技を見せてくれたのには驚いた。
元彼女を無理やり自分のものにしようとする悪役だったのだが、それがぴったりとはまっていた。なんというか、優しい宗次朗には悪役が似合っているように思う。――なぜだろう?
そして……、
「終わった~~~~っ!」
すべてを終えた瞬間に俺は大声で叫んだ。
やっと痒さから解放されるという安心感もあるが、今はなによりも嬉しかった。やっぱり、みんなで真剣になってなにかを作り上げるというのは気持ちがいいものだな。
「やったな! 春乃!」
「……うん、まあね。やっとあんたの恋人役じゃなくなると思うととっても嬉しいわ!」
「三秒以内に謝れば、一発で許してやる」
「ちょっと、ちょっと。いさりんもハルピョンもこんなときに喧嘩はやめようよ~」
「「うっさい、デカ物!」」
春乃と声がシンクロした。これまで恋人の役をやっていた俺たちのシンクロ率はマックスだ。どうせなら、先輩とシンクロしたかったんだが。
俺はハイテンションで先輩に声をかけた。
「やりましたね! くるるちゃん!」
「……そうだね」
あれ? 一番喜んでもいいはずの先輩に元気がない。
「あの、どうかしたんですか?」
「あぁ、別になんでもないんだけどね。……この後、わたしには仕事が残ってるから……」
仕事? というのは……。
「……なるほど」
納得。
先輩は人手が足りないのでサブキャラとしても活躍したが、本来の仕事は編集担当。つまり、ここから本当の戦いが始まるのだ。
「……今夜は眠れないなぁ」
先輩が虚ろな目をしていたが、こればっかりはどうしようもない。俺ができることと言えば優しく応援することぐらいだ。
「がんばってくださいね! 俺、家からくるるちゃんを応援しますから!」
「うん、ありがと」
「家で必死にカタカタとパソコンを触る小さい姿をがんばって妄想しますから!」
「……それはがんばらなくてもいいと思う」
「あぁ、かわいいなぁ、先輩」
「……だから、がんばらなくてもいいよ」
「もちろん、先輩の服装は水色の園児服に黄色い帽子ですよっ!」
「だから、わたしは先輩なの!」
プンスカと怒っている先輩はいつも通りかわいかった。――幸せだ。隣で二名の人物にドン引きされているのを除けばの話だが……。
まったく、人をロリコンを見るような目で見ないで欲しいな。俺はこんなにも妹思いの優しい一般人だというのに、心外だぜ。
先輩は慣れた手つきで録音した音声を一度パソコンに取り込み、USBメモリに保存して、自分の鞄の中に大切にしまう。
これで、後は編集するだけで終わる。どうせなら、校内で流す前に一度聞いておきたかったが、これだけギリギリじゃあ無理だろうな。
「これで終わりっと。もう時間も遅いし、わたしたちも急いで帰らないとね」
壁にかかった時計を見ると、もう七時半過ぎ。窓の外はもう真っ暗だった。
まるで世界を黒く塗りつぶしたような暗闇が広がっている。それに、春乃と初めて出会ったときと同じくらいの時刻だった。
なんとなく気になって、そっと春乃の横顔を盗み見た。やっぱり窓の外を眺めてむすっとしている。
だけど、以前ほどは怯えていない。
今でも俺は春乃と一緒に帰っているが、前みたいにくっ付くことはなくなった。が、決して、残念だなどとは思わない。……いや、少し残念だが、そうは思わないようにしている。
――だって、それはいいことだから。
本来、そうなるべきなんだから。
闇を恐れなくなってきている。
春乃は着実にいい方向へと向かっていた。
あのとき不良に絡まれた、不幸な出来事の恐怖を乗り越えようと、あるいは、忘れようとがんばっている。
だけどまだ怖いのか(俺が好きだという可能性もまだ残っている……はず!)、春乃は必ず俺と一緒に帰ろうとする。
もしかしたら、今日イライラしていたのはそのせいかもしれない。あんまり夜遅くなると不良に出会う確率が高くなるから、それを恐れて焦っていたのかもしれない。
まあ、本当のことはよくわからないんだけど。
春乃はまったく教えてくれないんだけど。そろそろ、髪型を変えて眼鏡を付ける意味ぐらいは教えてもらいたいんだけど、『うっさい、バカ』と暴言を吐くだけで真面目に答えようとしてくれない。
それどころか、夜は白く優しかったはずなのに、最近の春乃は夜も黒く乱暴になってきている。今はちょうどグレーと言うところか。朝でも夜でも罵ってくるのは勘弁してもらいたい。そのうち、夜も真っ黒になるのかなぁ、なんて思うとなんだか泣きたくなってくる。
「昔はあんなにかわいかったのに……」
「え? カマオ、なんか言った?」
「……よく考えるとその呼び方からおかしいな。とりあえず、勇雄さま、もしくは勇雄お兄ちゃんと呼んでもらおうか」
「気持ち悪いからあたしの半径一億キロメートル以内には近寄らないでくれる?」
「俺に地球から出ろと? そしたら百万人のファンが泣くじゃねえか」
「へぇ~、カマキリみたいな顔ってよく言われるのにねぇ~」
「ふっ、カマキリ顔にも需要があるのさ!」
――キリッ! (カマキリだけにな!)
最近ではこんな高度な掛け合いもできるようになってきている。春乃も冗談で言っているということがわかるから安心だ。……冗談、だよね?
「ほらほら勇雄くんも春乃ちゃんも、早く帰るよ~」
先輩が廊下から手招きしていた。さすがに遅いし、俺も不良に会いたくないからな。
急いで放送室を出る。春乃も同じく素早く出てきて、「先に帰ります」ペコリと頭を下げていつものようにどこかに走って行った。
先輩が部室の鍵を閉めて、ロリコンそうな顧問の先生に鍵を返しに行く。俺もそれに付き添おうとしたところで、
「いさりん、ちょっと待って」
ニヤニヤ顔に腕を掴まれた。やはり、体がデカいだけあって腕力も強かった。
「どうした?」
「いや、別にたいした話じゃないんだけどさ~。……いさりんって、ハルピョンと付き合ってるの?」
「えっ!?」
突然の意味不明な言葉に俺は大きく仰け反った。
――俺が、春乃と付き合ってる? いやいや、あるわけねえよ、そんなこと。
「バカじゃねえの? そんなはずがないだろうが」
「だよね~、ところでハルピョンは告白されるのが嫌いなのかな?」
「ころころ話が変わる奴だな。おまえは女子なのか?」
「そういう差別はいけないよ! 今の時代、ジェンダーなんだから。男女平等が叫ばれるような世界になってきてるんだよ~っ!」
「……わかったから話を進めろ。世界とかどうでもいいから」
――おまえは全国の女子代表か! ……やっぱり、心はオンナ……。
これだからいさりんは……とぶつぶつ呟いていたものの、宗次朗はすぐに話を戻した。
「なんとなくなんだけど~、最後のいさりんが告白するシーンのとき、ハルピョンの表情が少し歪んだ気がしたんだよね~」
「おまえってときどきすごいよな」
「そこはいつもと言って欲しいな」
照れる宗次朗に思わず感心してしまう。たくさんの情報を掴もうとする宗次朗は人一倍他人の心情や表情の変化に敏感なのだ。他人の微妙な変化に気づけなければ情報を得ることはできないのだそうだ。
「だけど、それは違うと思うぞ。告白されるのが嫌なんじゃなくて、恋愛そのものが嫌いなんだと思うぜ。ラブストーリーが嫌いみたいだったし」
「そうなの? なんでぇ?」
「俺が知るかよ。……見た目はかわいいのに、もったいねえよな」
そんなことを呟いていると、宗次朗のニヤニヤ顔がさらに崩れて妙な笑顔に変わる。目なんか、いつも以上に開いているのかわからないほどに半円の形になっている。
「いさりん、もしかしてハルピョンに惚れた?」
そして、この顔である。人をバカにするような、あざ笑うかのような、嘲笑するかのようないやらしい笑顔。
――あ、なんかうぜぇ。
「寝言は永遠の眠りについてから言え」
「えっへっへ~、そんなに照れなくてもいいのに~」
「おまえは俺と殴り合いの喧嘩をしたいのか?」
「そんなの嫌だよ~。いさりん、すっごく喧嘩強いし~」
「じゃあ黙れ」
黙った。
今の俺なら本気でやりかねないということに気づいたのだろう。――いい判断だ。さすがの宗次朗も命は惜しいらしい。
「ごめぇ~ん! 遅くなっちゃったぁ!」
と、ここで小さな先輩がひょこひょこ走って戻ってきた。服装は……乱れてないな。ロリコン教師になにもされていないな。うん。
「じゃ、帰ろっか!」
「はい!」
元気よく返事をして、俺たちは暗闇の中へと歩いて行った。「夜の学校って、ちょっと怖いよね~」なんて言いながら、下駄箱のところで春乃も合流する。今日は眼鏡にポニーテール、ちょっぴり優しく乱暴なグレーの春乃だ。
――俺は春乃のことをどう思ってるんだろう。
そんなことを考えて、ふるふると首を振って、考えるのをやめる。宗次朗の言葉が妙に頭について離れなかった。
『もしかしてハルピョンに惚れた?』
はぁ、と大きく溜息を吐いた。
――俺は青春を諦めてしまったのだろうか。
外はいつもより暗く、黒く、闇に溢れている。俺の青春と同じように、辺りは見えにくい。
ほんの一時間変わるだけで、世界はこんなに変わってしまう。
もう一度溜息をつき、どんよりとして夜空を仰ぐ。
空を覆いつくす闇色の雲。
黒い空。
今夜は月が見えない。