第四章 『レオナルドVSチャーミングな妹』 4
暗い夜道を二人並んで歩いている。
近すぎず、遠すぎない、絶妙な間隔。
もう一ヶ月以上、一緒に帰っているので春乃とはそれなりに親しくなってきている……と思う。初めみたいにデレてはくれないが、普通に会話が弾むくらいの関係にはなってきている。
だから、ただの世間話だ。
特に深い意味はないし、宗次朗に言われたから気になったってわけでもない。
ちょっとした興味本位ってやつだ。
「春乃ってさ、ラブストーリーが嫌いなのか?」
「嫌いよ」
即答だった。まったく考えていない、考える必要がないほどに嫌いなのだろう。
「でも、女の子って普通そういうの好きだろ。先輩じゃないけど、恋とか、愛とか、メルヘンチックなことを考えてるんじゃねえのか?」
「それは男女差別ね。女の子に幻想持ち過ぎなんじゃない?」
そうなのか? 俺の中にある女の子への幻想は姉によってすべて木っ端微塵になるまで破壊されたと思っていたが、少しばかりは残っていたようだ。
「恋愛とか……あたしはそういうのが大っ嫌いなのよ。好きでもないのに付き合ったり、すぐに別れたり、過去のことを引きずったり、そんなことに一生懸命になるなんてバカみたい」
「そうかぁ?」
それに関しては肯定できない。――だって、俺は愛に生きる男、ラブマンなのだからな!
「俺はすごいと思うぜ! 好きな奴のためならなんでもできる、死ぬほど真剣になれるっていうような熱い情熱みたいなもんがよ! 男にはあんだよな~」
「そんな情熱いらない」
ぴしゃりと全否定された。これはラブマンである俺の存在を否定されたことに等しい。――こいつ、ひねくれてやがるぜ。
「そういうのって重いのよ。死ぬほど真剣になられて死なれても困るわ」
「それは例え話だろ? そんなことで死ぬような人間はいねえよ」
「どうかしらね」
なにか含みのある言い方をしてきた。そして俺をギロッと睨む。――まさか、コイツは俺のことをそんな人間だと思っているのか? ……心外だなぁ。俺は先輩のためならなんでもする気持ちではあるが、そんな怖いことはしないぞ。せいぜい、頭に豆腐の角をぶつけるのが精一杯というところだろう。
それにしても……なんだ。春乃の恋愛における感覚はかなり曲がっている。曲がりに曲がってぐにゃぐにゃに絡まっている。
好きな相手にフラれた経験でもあるのだろうか?
「おまえって、好きな――」
「いない」
「――男とかって……って、最後まで聞いてから言えよ! ってか、いねえのかよ!」
俺の予想は外れていた。
恋愛が嫌いというより、男に興味がないんじゃないだろうか。春乃は将来、キャリアウーマンになるタイプだな。
「まったくいないのか?」
「だって、どこにも惚れるような男の人なんていないじゃない」
あれ? それって目の前に男がいるときに言う台詞じゃない気がするんだけど。
俺には惚れる要素がない、と言うのか? こんなに素敵な俺に?
――見る目のない女だ……。
胸がえぐられたような気持ちになる。……なんでだろう、かなりショックだ。たかが春乃の趣味じゃなかったってだけなのに、こいつはメスザルなのに、なんかすごく悲しい。
あまりに悲しすぎて、無駄な抵抗をしてみた。
「ほら、よく言うだろ? 本当に大切な人は意外と近くにいるもんだって」
「あら、そうなの? 気づきたくないわ」
気づかなかった、ではなく、気づきたくないらしい。――この~、あまのじゃくめっ!
「おまえの近くにイケメン(キラッ)がいるだろ?」
「ごめんなさい、あたしにはオカマしか見えないわ」
「あっ! こんなところに美少年が!」
「身長が残念ね」
「じゃあ顔はかっこいいってこと?」
「顔もすっごく残念ね」
「じゃあせい――」
「性格もすべて残念ね、このオカマ野郎が!」
「酷過ぎるだろ! せっかくおまえに恋心を教えてやろうとしてやってんのに、なんで俺が罵倒されてんだよ!」
「そんなこと頼んでないもん……。あたしには関係ないわ」
「おまえな……」
とことんひねた奴だ。なんで俺はこんな奴のために恋愛を教えようとしてんだよ。
――なんで?
今思えば、どうして俺はこんなことをしているのだろう。春乃に恋心を教えてどうすると言うんだ? そんなことをしても俺にはなんの得もないはずなのに。
得?
「……」
無表情で歩き続ける春乃の顔を見てもその理由はわからなかった。――だけど、一つだけわかることがある。
このままは嫌だ。
なんか春乃に言い負かされたみたいで腹が立ってイライラする。このままじゃ、かわいい先輩に八つ当たりをしてしまうかもしれない。先輩に意地悪をして楽しむような男に成り下がってしまうかもしれない……うん、それはいけないな。よし、それなら仕方ないな。うん。
これは言いわけではない、真っ当で正当な理由だ。
――モヤモヤしたままでいるのは俺らしくない。
よし決めた!
俺は自転車を強く押して、小走りで春乃の前まで駆けて行った。そして、くるりと振り返り、
「おい春乃! 俺はおまえに決闘を言い渡す!」
ズバッと、言ってやった。
「なによ、偉そうに」
「偉そうにではない! 俺は恋を知っている分、実際におまえより偉いのだ!」
「あたしは無知を自覚している分、あんたより偉いのよ」
春乃はぷりぷりと怒りながら冷たく言い捨てた。
――くっ、なんだか春乃の方が偉いように思えてきた。無知の知とは卑怯な!
ジリジリと視線がぶつかり合う。しかし、どことなく春乃のやる気がないように見えた。単純に興味がないように思う。
「バカにするな! コノヤローッ!」
「いいから早く続きを言いなさいよ! ……待ってるんだから」
ん? 待ってくれていたのか。実は優しいところもあるじゃないか、グレーの春乃よ。
「そうか、そんなに聞きたいのか、それならば仕方がないな」
「聞きたいとは一言も――」
「照れなくてもいいんだぞ。俺がしゃべるとなれば誰だって聞きたくなるさ。それが、全人類の本能という奴さ! へ~い、受け入れようぜ!」
「ものすっごくウザいんだけど……。あんた……ラジオドラマの収録が終わってからすごく元気がいいわね……」
「えっ……」
バレてしまった。そう、その通り。これから痒くなるような台詞を言わなくていいと思うと頭の中がスッキリして、なんとなく爽快な気分になるのだ。
ヒャッホ――ウホッ!
先輩には悪いが、あの物語は俺にかなりの重荷を背負わせていたんだと思う。もう、二度とやりたくない。今度やるなら、高校生男子が小学生女子と恋をする物語がいいなぁ。
「……気持ち悪い」
――はっ! もしかして、思ったことを口に出してしまったのか? 俺が小学生に向かって『君の瞳にラヴィンユー』とか言っているところも聞かれちまったのか?
やだぁ~。
「その弛みきった顔どうにかしなさいよ。……ほんと、気持ち悪い」
「な、なんだ、顔かぁ」
それなら全然オッケー……ではないよな。顔が気持ち悪いって、そんなのどうしようもないじゃないか。
「すみませんでした! 明日整形してきますっ!」
「別にそこまでは言ってないけど……って、まったく話が進まないじゃない! いつまでここに突っ立ってなきゃいけないのよ!」
「おっと、すまない。ついつい気持ちが高ぶっちまったぜ!」
やっぱり、夜ってテンション上がるよね。
俺は落ち着きを取り戻し、真剣な表情で春乃をまっすぐ見つめた。
闇に溶けるように美しく長い髪、少し吊り上がった大きな黒い瞳、それらと対比するように黒を切り裂く光を放つ乳白色のなめらかな肌。
性格に少しばかり問題があってもかまわないと言ってもいいほどに綺麗だった。
付き合いたいと思う男はたくさんいるはずだ。思うだけでなく、実際に行動に移した無謀な勇者もたくさんいたはずだ。そのなかには俺なんかよりもかっこよくて、勉強もできて、性格もいい男がごろごろ……否、二、三人はいたはずだ。
――それなのに。
それなのに、どうして、春乃は恋をしないのだろう。
恋ができないのではなく、しないだけなのだ。簡単にできるのに、幸せはすぐそこにあるのに、彼女はまったく掴もうとしないのだ。
――なぜ?
そんなことはさっぱりわからないし、俺には想像もできない。俺は女心もサル心もゴリラ心もよくわからないようなダメな人間なのだ。誰かを好きにならない人間がいるということがまず理解できない。
……それでも、変えたい。
このままじゃいけないというのはわかった。
――いや。
いけないんじゃないかと思い、このままにしたくないと思った。
どれも本当の気持ちで、どれが本当の気持ちかわからない。
俺、なに考えてんだろ……。
自分で言うのもなんだが、単純な俺が珍しく難しいことを考えている。
これは奇跡だ。
だから、今考えている作戦を実行してみようと思う。
「春乃、よ~く聞け……」
――――おまえに恋の素晴らしさを教えてやるっ!
犯人はおまえだ! とでも言いそうなポーズで、ズバッと人差し指を春乃に向けて、勢いよく叫んだ。かっこいい台詞を言ってやったぜ。俺、超カッコイイ!
こんな台詞を言われたら、これまで人を好きになったことがない春乃でも俺を好きになるに違いな――
「意味わかんない」
――いこともなかった。サルとは価値観が違うらしい。
どうしようか……。作戦ではここで春乃が俺の魅力に気づいて、『きゃっ、今まで気づかなかったけど、勇雄ってかっこよかったのね!』『遅いんだよ、子猫ちゃん』『違うでしょ? あたしはコ、ザ、ル。ウホッ。小猿さんなんだもん』『おいおい、ウホッ、はゴリラさんだろ?』『あらやだわ、ウホホホホホ』『春乃は天然さんだなぁ、ウホホホホホ』ってな流れになるはずだったんだが、イマイチうまくいかないな。
「だ~か~ら~、おまえに恋させることができるかどうかの勝負をしようって言ってんだよ」
俺はわかりやすく説明した。
「そんな勝負は勝負にならないわ。だって、あたしの勝ちが決まってるんだから」
春乃はかすかに笑いながら俺を見下ろしてきた。……というか、さっきからずっと見下ろされていたんだけど。
――食いついてきた。よし、もう一押しだぜ!
俺には固い決意があった。どれだけ確率の低い戦いでも挑んでみせる、そういう強い思いが俺を支えてくれていた。
「そんなに自信があるなら勝負しようぜ。……ただし、俺が勝てば、おまえには俺のことを『勇雄』と、名前で呼んでもらう。いいな?」
これくらいの約束なら聞いてもらえるだろう。
「へぇ~、面白いじゃない。じゃあ、あたしが勝てば一週間オネェ言葉で生活してもらう。いいわね?」
「そんなの嫌だよ!」
「えぇ!?」
固い決意は簡単に崩れた。所詮、人間なんてそんなもの、自分が一番かわいいのさ。
……なんて言うのは冗談で――少しは本気だったけど。だって、これ以上クラスのみんなに勘違いされるのは嫌なんだよぉ――俺は渋々承諾した。
「……いいよ! じゃあ、春乃の好きなようにすればいいだろっ!」
「どうしてカマオが投げやりなのよ」
あんたが言ってきたんじゃない、と口を尖らせていた。だけど、その表情はどことなく笑っているようにも見えて、喜んでいるようにも見えた。
一応、作戦は成功した。
これからどうするかはまだ決めていない。どうやって春乃に恋させるかなんて、恋愛経験のない俺には全然思いつかないが、とりあえずがんばろうと思う。……オネェ言葉は嫌だしな。
――見切り発車こそ、俺の人生!
そんな感じだ。これもこれで青春なのかもしれないなぁ、なんて思ったり思わなかったり。
それでいい。
それでも春乃が変わるためのキッカケになれるかも知れないからな。
なんて考えるとっても親切な俺である。誰も言ってくれないから自分で自分を褒める。俺、かっこいい! 俺、サイコーッ! 俺、カマオーッ! ……だ、誰だ! カマオって言った奴は! 豆腐ぶつけるぞ、アァン!
「はぁ~、……なにバカなこと考えてんだろ」
誰にも聞こえないように小さく呟いた。なにテンション上がっちゃってんだろうな、俺。
少し、自分が恥ずかしくなる。――だから、余計に恥ずかしくなることを言ってみた。
「じゃあこれで決まりな。春乃、もうおまえの請いには応じないからな!」
――恋だけになっ!
チュド――――――ン!
「…………」
沈黙。
春乃は黙っている。今頃、全身に衝撃が駆け抜けていることだろう。
――よっ、うまいこと言った! 再び、誰も言わないから自画自賛、手前味噌。……なんか、誰も俺を褒めてくれないなぁ。
自信満々、余裕の顔で春乃を見上げて――――ゴクリと息を呑んだ。
その顔は蒼白になっていた。
顔を俺に向けたままで目を大きく見開いて、驚愕の表情を浮かべている。
「どうして……」
震える唇が小さく動いた。
「……な」
――そんなに面白くなかっただろうか。今のダジャレはそんな恐ろしい顔をするくらいつまらなかっただろうか。俺的には最高にエクセレントだった気がするんだが……って、やべえ。まだラジオドラマの癖が残ってやがるぜ。
「……どうしてなのよ」
……なんて、バカなことを考えている場合じゃなさそうだ。春乃はふるふると小さな体を震わせて、俺ではなく、なにか別のものを見ているようだった。
その瞳になにが映っているのか。気になって、振り返る。
と、そこには黒い影があった。
背が高くほっそりとした体つき、全身真っ黒な服を着た猫背の男……だろうか。フードを被っていて顔がよく見えない。なんというか、危ない雰囲気を放っていた。
「おまえは……」




