第13話 帝国へ発つ
皇帝陛下に返事をした3日後、彼の帰国と共に私もフリーギドゥム帝国へ向かうことになった。
「ルイーズ、帝国でも元気にやるのよ。困ったときにはいつでも連絡して頂戴」
「えぇ、お母さま。精一杯励ませていただきますわ。……それよりも、お父さまは大丈夫ですか?」
ニコニコと優し気な笑みを浮かべる母と、目じりを赤くして無言で泣く父。
彼女は「すぐに立ち直るわ」と、鈴を鳴らすような声で笑っていたけど、悔しげな顔で泣く父に思うところはないだろうか。
「大丈夫だ。……ここのところ涙腺が少々緩みがちなだけだ。本当に大きくなったな、ルイーズ」
でも、ここまで私のために泣いてくれる人が私の父親でよかったと心の底から思う。
「姉さん、達者でな。あいつのことに関しては任せろ。だから、何も気にせずあっちで幸せになってくれ」
「ありがとう、ジョセフ。自分の人生を全うするわ。でも、あなたも無理しないでね」
いつもは硬い表情をしているジョセフも今日は微笑んでいる。
私がどれだけヴィクトルに仕事を押し付けられても、あなただけは私を支えてくれた。
他の側近たちが彼の行いを助長させる中、あなただけは私の味方だった。
「それでは行ってまいりますわ、お母さま、お父さま、ジョセフ。また会うときは元気な姿で会いましょう」
*
「思ったよりもこちらに来るのが早かったな。家族には挨拶を十分に済ませられたのか?」
屋敷を出ると、門の前にはすでに皇帝陛下――もといイヴァン様が待っていた。
「本当にもういいのか?」とでも言いたげな視線は、彼なりに私のことを気遣っているらしい。
「はい。門出ですからね。しっかりと挨拶してきましたよ」
「そうか、それならばよかった。家族のもとを何も言わずに去ることほど寂しいことはない」
何かを懐かしむように言う彼の瞳は憂いを帯びている。どことなく哀愁の感じる横顔だ。
それもそうか。
彼にはそんな機会、何度もあったに違いない。
私よりも長い年月を生き、少なくない戦争に参加している時点で。
――きっと、彼にとってはある種些細なことなのだろう。
だからと言って、その悲しさが消えないわけではない。
誰だって、失うことで傷つく心は持っているはずだ。
冷血そうに見えて以外と人間味のある彼はそれを抱えていそうだ。
「陛下、今回は家族に挨拶をする機会を下さりありがとうございました」
ヴィクトルと婚約したままだったら、碌に家族になにも言えずに去ることになっていただろう。
それどころか、家族全員揃わないまま一生を終えていたのかもしれない。
最終的に手を取ったのは私。だけど、その手を差し伸べてくれたのはイヴァン様だ。
私《社畜令嬢》が私《鮮紅令嬢》に戻る機会を下さった。それだけでも感謝を述べる意味がある。
「ふっ、ルイーズ嬢の笑顔が見られたのならそれだけで十分だ」
どこかきざったらしくそう言う彼は満足げに笑う。
そして、そのまま私の手を取り共に馬車に乗る。
いよいよ向かうのか、フリーギドゥム帝国――豪雪に守られた帝国。
見知らぬ土地への興味と、これからやっていけるかという少しの不安。
他にもいろいろなものがあるけど、とりあえず楽しんでいこう。
*
「ルイーズ嬢、まもなく国境付近になるがその、大丈夫か?」
ガジガジと歯を鳴らして震える私に心配そうに声をかける。その手元にはふかふかの毛布が一枚。
彼の細い眉尻は「どうしてそんなに寒がっているのか分からない」とでも言いたげだ。
それにしても、さ、寒いぃ、寒すぎるぞ。
厚手の生地のくるぶしまで隠れる長スカートに、何枚も重ね着した綿のシャツ。
これでも結構厚着してきたはずなのに、ここまで寒いとは。
北国に行く機会なんて滅多になかったからなぁ。これもいい経験だ。
「あ、ありがとうございます。……恐らくですが、私の出身地がかなり南の方にあるので、寒さにあまり耐性がないかもしれません」
エキャルラット領は冬でも薄い長そでで乗り切ることができる程度の気温帯だ。
だから、そもそも長袖を切るという習慣がなかったことを振り返る。
それに加えて得意な魔法が炎だから、本来なら暑がりのはずなんだけどね。
炎魔法を使うときにはその特性上どうしても体に少なくない熱が発生してしまう。
もしかしたらその熱を使えば、この肌を突き刺すような寒さを軽減できるのかもしれない。
「今、魔法を使っているのか?放出というよりも循環が主のようだが。」
「ええ、体内で炎魔法を使っているのです。そうすると、熱が発生するのを利用して、寒さを軽減できますので」
魔法を具現化させるのではなく、形のないまま川のように循環させている。
――我ながら実に天才的な案だと思う。
「外から温めるのではなく、内側から集めることで冷気の影響を軽減させているのか……」
私を頭のてっぺんからつま先までよく観察する。
そこには邪な心など一切なく、純粋な興味が宿っている。
彼の冬空のような瞳が海のように輝いている。その輝きから本当に微量な魔法の気配を感じる。
『鑑定』か何か使っているのだろう。
「ルイーズ嬢、それを街に利用することは不可能か?」
「それで私のことを観察していたのですね。そうですね……」
フリーギドゥム帝国は豪雪地帯だ。
国境付近が肌を突き刺す程度だと言うのなら、国内はもはや殺しにかかるほどだと安易に想像できる。
特に今はフリーギドゥムは戦争を終えたばっかだ。
――身寄りのない子供たちとか、家のない人も少なくないはず。
極端な環境は人を簡単に死に至らしめる。
それを少しでも軽減させようとしているのか。
「街全体にやるのは不可能だと思います。しかし、一つの建物単位なら可能かと」
まず、街全体に魔力を流す肝になるほどの魔法石《魔力源》は存在しない。
――あったとしても、国の防衛に当てられるだろう。
そもそも、この魔法自体かなり精密な技術を要するのだ。
より大きい魔力を扱うのならなおのこと。一歩間違えれば災害になってしまう。
「そうか……。確かに費用を考えてもかなり難しいな」
ムムッとでも言っているように思案する彼の手元にはいつの間にか書類が一つ。
よく見ると、国内の整備事業に関するものだ。
だから、この話を振ったのか。
「陛下、ルイーズ嬢。まもなく帝国内へ入りますよ」
ルカさんが告げるのと呼応するように、馬車が大きく揺れる。
ヒューっと吹く風は一段と強まり始める。
馬車の中から外を眺めると、暴力的な白の世界が広がっていた。




