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38.二人で時を……


―――――


『――――はじめは驚いたって言ってました。部署混合の歓迎会で突然絡んできて“陽奈は渡しません”って言ってきたって……』

 千歳はからかうような笑顔を見せて、陽奈に詳細を話してくれた。朝倉から聞いた爽に関する話。爽との出会いを。

 それは4月の他部署との混合で行われた新人歓迎会での出来事だった。堅苦しい挨拶も終わり、皆お腹も膨れて各々で酒を飲みかわし始めたときだった。朝倉は平田に促され二人で隅に座ってビール片手に話をしていたらしい。話の内容は詳しくは覚えていない(酒を飲んでいたこともあってだろう)が、何気なく平田が専務の娘である“陽奈”の話を持ち出してきたそうだ。

 そのころの朝倉はすでに千歳と婚約中であり、いつものようにその話をあしらった時だ、突然向かいの机越しに名前を呼び止められた。それが爽だったのだ。


“朝倉課長、さっきの言葉撤回してください!! あなたにとってはどうでもいい人の一人かもしれません。でも彼女は真剣なんですよ。今は片思いかもしれないが、だからってそんな相手を馬鹿にしたみたいに適当に扱われては、俺は黙っていられませんね! 俺にとっては大切な幼馴染なんですよ!!”


 爽はそう言うと、朝倉を睨み付けてきた。他部署からの移動とは知らずただの新人だと思っていた朝倉は、突然怒鳴りつけてきた爽をはじめは無視したらしい。しかししつこく絡んできた挙句、それを面白がった平田が突如爽に“そんなに言うならお酒で勝負したら?”と持ち出してきたらしい。

 周りは酔っ払いだらけ。これは格好のネタだと周りも二人を囃し立てはじめた。事態は二人の問題だけでは無くなってしまったのだ。

しかし勝負と一言で言っても、朝倉は初めから陽奈の気持ちに応えるつもりは毛頭ない。爽についても、朝倉に勝ったとて陽奈が手に入るわけでもないのだ。勝者が何を得るものかもはっきりしない勝負に、「馬鹿らしい」と朝倉が止めに入ろうとした時だった、爽が“先ほどの言葉(それについては朝倉自身覚えていない)を撤回して、陽奈と誠実に向き合うこと”を条件に無謀にも勝負を挑んできたのだ。

 しかし朝倉には全く興味がないうえ、勝っても負けても面倒には変わりない。とはいえど、たかが幼馴染のために無謀にも懸命に挑んでくる爽に興味が湧いてきた。

 そこで条件を付けてその勝負を受けることにした。

“この勝負は自分にとっては特にメリットのないことゆえにこの勝負は梶原だけが行い、自分が出した条件をクリア―出来たときのみ要求を呑む。そしてその条件は―――――今ここにいる全員からの酌をすべて飲み干すこと”だった。

 この歓迎会は他部署にわたり、全員ともなると30を超える相当の人数だったらしい。そしてそのすべてから酒を注がれ飲み干さなければならないともなると不可能に近い。しかも爽は―――――下戸なのだから。

 その条件に一瞬躊躇を見せた爽に、朝倉は条件をクリア―すれば今まで一度も面識のない陽奈に会うことも厭わないとまで餌をチラつかせた。

 そして爽は無謀にもその勝負を受けたのだ。朝倉はただ見守るだけ。爽にとってのみ不利で苦痛の伴う勝負だった。

 そして歓迎会に参加していた社員は、ここぞとばかりに爽のコップに酒を注ぎ始めた。社員のごく一部は爽が下戸であることを知っていたがそのほとんどが酔っていたこともあり、その点においてタガが外れていたと言っていい状況でもあったのだ。

 そうして15杯辺りを過ぎたころだった。かなりハイペースで飲み進めていた爽の顔色が明らかに変わってきた。赤みかかった顔が青白く変化し、目の周りが黒く浅い息を繰り返し始めた。

『梶原、下戸だよ』

 その時になって平田がそう耳打ちしてきたらしい。

 要するにその時まで爽は一切弱音を吐かなかった。

 そして気が付いたときには爽はその場で卒倒し、救急車で運ばれる羽目となった。

 幸いにも病院での適切な処置において、爽は間もなく意識を取り戻したが本人同様に朝倉も相当怒られたそうだ。命に係わる行為だと。

 しかしながら意識を取り戻した爽から出た言葉は、朝倉への恨み言ではなく自分の失態で朝倉を巻き込んでしまったことへの謝罪だったらしい。そして自分は勝負に負けてしまったが、先ほどの言葉は撤回するつもりはないとのことだった。

 朝倉の陽奈への態度を改めさせるまで諦めるつもりはないと言い放ったのだ。


『面倒な奴に捕まったな、って思ったそうです。周りがどう言おうと、陽奈さんのことを受け入れるつもりは全くなかったみたいなので。……でもそんな風に陽奈さんを守ろうとする梶原さんの様子があまりに必至で少し見守ってやろうと思えたって言ってました。颯人さんは初めから……どこか陽奈さんのことは違和感があるっていうか、現実味に欠けていて何か作為的なものを感じていたようなんです。もらう手紙の内容も一貫性がなくて比喩的な表現が多かったようですし、若い女性が書くにしてはおかしいっていうか……とにかく関わりたくなかったというのが本音で。でも梶原さんが現れて颯人さんの中で陽奈さんと言う人物が初めて実体化されたというか、少し興味が湧いてきたっていうか……恋愛云々と言う意味ではなく、しばらく梶原さんとその幼馴染という陽奈さんに付き合ってやろうかって思ったって言ってました。お二人からしたら本当に失礼な人ですよね。どこまでも俺様なんです、颯人さんって』

 そう言うと、千歳は困ったような笑顔を浮かべた。呆れているような、しかしそんな彼を含めて受け入れているような優しい表情に思えた。


『陽奈さんのことを初めて颯人さんから聞いたとき……正直少しショックを受けんたんです。嘘だったとはいえ、私の知らないところで颯人さんに想いを寄せていた人のことを一言も話してくれなかったことに……隠し事をされていた気がして。でも……同時にうらやましくなりました。自分の知らないところで他の男の人のことで必至で守ろうとしてくれていた梶原さんがすごいなって。そんな風に見守るように長く人を想い続けるってどんな感じなんだろうって』

 千歳はそう言うと陽奈の瞳を正面から見つめ『だからお二人がおつきあいをされたって聞いたときすごく嬉しかったんですよ』と言ってほほ笑む。


『梶原さんの気持ちが……やっと届いたんだなって……―――――』





「―――――陽奈?」

「……え?」

「どうした……? 泣いてる……」

 心配そうな爽の顔が目の前に広がっていた。降り注がれていたキスから顔を上げ、陽奈の目尻から流れ落ちる水滴を手のひらで拭いながらじっと陽奈の様子を窺っている。気遣ってか陽奈に覆いかぶさっていた身体を起こした拍子に爽のベットのスプリングが微かに軋んだ音を立て、今がどんな状況であったのか陽奈の頭の中にその記憶を呼び起こした。


「疲れてる? ……今日はやめとこか」

 そう言いながら陽奈の頬をゆっくりと撫でていく手のひらが爽の優しさを伝えてくる。情事の合間に見せた突然の陽奈の涙の理由を、心配そうにそれでいて不安そうに見つめながらも問い詰めることなくじっと見守っている。

 爽はそうしてどんなに長い間、自分を想い見つめてきてくれていたのだろう。


「そうちゃん……」

「……ん?」

「ありがと」

「……ああ、うん、いいよ。僕も仕事詰めで疲れてたし、別に陽奈と一緒にいれるだけで……」

「違うの……」

「え?」

「好きでいてくれてありがとう……ってこと」

「え? 何……突然」

「私も大好きだよ、って言いたくなったの」

「……あ、うっうん」

「これからもずっと一緒にいてね……私ね……私……」

「陽奈……」

 再び目尻から溢れ出した涙を爽が困ったように拭い始める。やがて指の代わりに柔らかい唇が遠慮がちに幾度となく触れては離れていく。心地いい温もりが体の芯に伝わり、爽の気持ちの温かさに詰めていた想いがほどけていくような気がした。

 こんな風に触れ合った場所から陽奈の愛しい気持ちも爽に伝わればいい。


「好きよ……」

「うん」

「ずっと……私のこと見守ってくれていて……ありがと」

「……どういたしまして」

「でも……無茶しないで」

「うん」

「勝手にいなくなったら……ダメだよ」

「わかってるよ」

「本当に? ……私の知らないところで救急車で運ばれたりなんかしたら許さないんだからね」

「う……ぅえ? ……なっなんでそのこと……」

 爽はギョッとした様に目を見開いて陽奈から手を離す。そんな爽の手を引き戻して再び頬に添わせると、幾分強い視線を爽に向けて口調を強めた。


「馬鹿なんだから……もう……本当に馬鹿!」

「……う」

「もっと自分を大切にしてよ。そんな風に守ってくれても嬉しくない。私は……そうちゃんがいてくれるだけで良いの」

 陽奈の真剣な言葉に爽は困ったように笑みを見せた。


『本当にわかってる?』

そんな想いをただ見つめる視線に込めて爽に伝える。包み隠すことのないありのままの陽奈の本心を、意地っ張りで何一つ見せることのなかった想いをこれからもっと伝えていきたいのだ。

どんな時も、爽の隣で。


「俺も……陽奈がいてくれるだけでいい」

爽は陽奈の頬を両手で包み込むと涙で潤んだ瞳をじっと見つめ「でも……やっぱりそのためには無茶だって言われてもやっちゃうかもな」と悪戯っぽい笑みを見せて言い放った。


「どうして?」

「どうして……って」

「そうちゃんはいっつもそんなこと言って私のためにっ……栗拾いの時の傷だって」

 今でも忘れられない。両親たちに体を起こしてもらった時に見た爽の顔に無数に広がった傷と流れ出す赤い血液を。陽奈が隣にいる限り爽はそんな無茶を繰り返すというのならばそんなことは許されないのだ。

 陽奈にそんな権利はない。

 苦い記憶といつかまた爽があんな苦しみを甘んじて受けようとしていると思うと、想像するだけで胸が苦しくて息ができなくなりそうだ。


「陽奈は……深く考えすぎ」

「そんなことない! だって今顔に傷が残らなかったのだって運がよかっただけで……」

「まあそうかもしれないけどさ。でもそれ以上に俺にとっては陽奈のことが大切なんだから仕方ないんだよね」

「そんな……」

「こら! そんな顔しないの。考えたってしょうがないんだって……俺にはそれが当たり前なんだから」

「なんで……?」

「なんで? う~ん……そうだな……やっぱ幼馴染だから、かな?」

「……え?」

「陽奈の時間を誰よりも知ってる唯一の男だから……生まれたときから一緒で、陽奈の初めてもこれからも僕が貰い続けるから……当然なのかな」

 

 ―――――幼馴染

 不思議な縁だった。

 言葉を話すことのないまっさらな自分たちが出会い、同じ時を重ねてきた。

笑うときも泣いたときもその初めてを知っている、自分が自分であることを知った時もきっと一緒だった。純粋に好きだと思えた幼い心もありのままの爽を知っている。

離れたときもある。でももしかすると、そんなときも心はすべての爽を知っていたのかもしれない。心をお互いの元に残して、離れて近づいて……不器用な自分たちが必要だった時を過ごしてきたのだ。

苦しみも喜びもこうして爽と寄り添うために、より深く爽を感じ取るためのステップだったと思える。

だから今自分は爽の隣にいるのだと。

爽からもらったルビーのネックレス――――終わりが”る“。

 毎年貰った誕生日プレゼントは爽の気長な気長なラブレターだった。何十年にもわたって心を籠めて伝えてくれた想いの形は今二人を繋いでくれたけれど、それは爽と陽奈が幼馴染だったからできた奇跡の形だったと思う。

 幼馴染という奇跡の二人だけの形。


“よかったね”

 そんな声に顔を上げると、枕元で“チロル”が無垢な黒い瞳を輝かせそう言って笑った気がした。

 出会ったすべての時が優しく自分たちを見守っている。


「こら……なによそ見してんの?」

 爽はそう言いながら陽奈の鼻を摘まむと、そのまま長くその先を予期させる甘いキスを陽奈に落とす。


「そうちゃんこそ……さっき“しない”って言ってなかった?」

「散々煽られて……今更無理」

「もう……仕方ないなぁ」

 陽奈は爽の首に腕を回してキスを返した。


「大ぃ好き……」

「だから……そう言うことをっ……」

 


―――――大好きな幼馴染。これからもこんな風に二人で新しい時を刻んでいけますように……そんな想いを込めながら――――




                                         fin

 



こんにちは。暁 柚果と申します。

このたびはまろんマカロンを最終話まで読んでいただき、誠に誠にありがとうございました!!

なんとなく……幼馴染の話を書いてみたいと思い立ち、そのうえで幼馴染しか出来ない恋愛ってどんなのだろうと考えこの話に至りました。

単独のお話の予定が、いつの間にか前作の蜂蜜とミルクティーの登場人物とリンクしてしまい……最後の最後まで登場しちゃいましたが、主人公のとなる意地っ張りの陽奈や照れ屋の爽を少しでも好きなってくれていただけていたのならうれしいなぁと思います。

そして小さな洋菓子マカロンの優しい味わいのように少しでも皆さんに元気をお届けすることが出来ていたらと思います。

最後になりましたが、38話というお話を更新させていただくにあたり貴重なお時間を頂戴させていただき本当にありがとうございました!!

感想もとてもうれしかったです!!

また次のお話でお会いできる日を楽しみにお待ちしております!!!

2015.3.7

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