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窮鮫、人を噛む




 職場でイジメられ絶望していた俺を救ったのはサメ映画だった。




 クソみたいな陰口をわざと聞こえるように話すお局共、自身の仕事のミスを部下に押し付けるカス上司、人の話を聞かずにコチラの事を馬鹿にしたかのような態度を見せる新入り。

 その全てがストレスだった。


 俺はただ普通に生きたかっただけだ。

 ちゃんと真面目に働き、過不足の無いどこか退屈で、それでいて平和な日常を目指していた。

 だけど、周りの環境はそんな些細な願いすらも許してはくれなかった。


「オイッ! 鮫島(さめじま)ッ! てめぇ人の話聞いてんのかッ!?」


 上司の権田(ごんだ)さんが強引に胸倉を掴んで来た。

 筋骨隆々の体に、高い背。明るい金髪をオールバックにしている様はヤクザのように見えて怖い。


「す、すみません」

「すみませんじゃねーだろ? 聞いてんのかって聞いてんだよッ!?」

「き、聞いてました」

「ほぉー、そうか。ならよぉ……」


 権田さんは俺の体を強引に作業用デスクに押し倒してきた。

 デスクの上にあったペン立てが倒れる。

 

「例の契約はどうなってんだッ!?」

「そ、それは権田さんが……」

「あぁッ!?」

「い、いや……」


 それは会社にとって非常に重要な契約だった。

 本来であれば権田さんが進める案件であったが、あろうことか話し合いの日程を忘れてしまっていたのだ。

 結果、契約が取れずに会社の信頼は失墜し、上からの呼び出し案件になった。

 役職降格に相当するミス、下手したらクビがとぶ。にも関わらず、その責任は何故かこちらへと向けられていた。

 そう――俺の知らないところで『鮫島に委任した』ことになっていたのだ。


「どう責任をとるつもりだあぁ? お前のせいで俺まで減給されたんやぞッ!」

「そ、それは……」

「ごにょごにょ喋ってんじゃねーぞッ!?」


 権田さんはゴミ箱の縁を掴むと、そのまま殴りつけてきた。


「す、すみません!」

「謝れば済む話じゃねーよぁ!」


 何度も何度も殴りつけられた。

 ブラスチック性であった為か物理的な痛みは少なかった。

 だけど、心が痛かった。


「権田部長! それ以上は!」


 凛とした声が響いた。

 視線を向けると、そこには白井さんがいた。

 長く美しい黒髪に抜群のスタイル。生ける女神と言っても過言ではない美貌だ。

 白井さんは権田さんに詰め寄る。


「おう、なんだ?」


 権田さんは白井さんの方を向いた。


「それ以上は死んじゃいます」

「この程度で死ぬんなら昭和の野郎共は皆死んでるぞ」

「そんな話はしてません!」

「チッ……タバコ吸ってくる」


 権田さんはバツが悪そうな顔を見せるとその場を後にした。

 その背を視線で追っていると、白井さんがしゃがみ込み寄り添ってきた。


「鮫島君、大丈夫?」

「は、はい。ありがとうございます」

「ごめんなさいね。もっと早く止められたら良かったんだけど」

「い、いえ。全然大丈夫なんで……ははっ」


 ゆっくりと立ち上がり辺りを見る。

 すると、新卒の部下たちがクスクスと笑っている姿が見えた。


「……」


 コチラの視線に気が付くと、皆視線をPC画面の方へと移した。

 口元はまだ歪んでおり、余韻を残している。


「鮫島君、また何かあったらすぐに言ってね?」

「はい……本当にありがとうございました」


 惨めだった。

 自分より一回りも年下の部下たちに馬鹿にされ、好きな女性に弱い自分を見せてしまった――――そんな自分がたまらなく情けなかった。

  


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 気が付くと時刻は既に21時を回っていた。

 

「……はぁ」


 終わらなかった。

 何とか挽回しようと残業を詰めているはいるけど……

 

 重心を後ろに倒し天井を見上げる。

 

「……死にてぇ」


 流石にこれ以上の残業は上から指導が来るため帰らなくちゃいけない。

 部屋には自分しかいなかった為か、特に誰かと挨拶をする必要がなく少しだけ気が楽だった。


 月光に照らされた薄暗い廊下を歩く。

 すると、応接間のドアが少しだけ空いていることに気が付いた。

 隙間からは電気の光が漏れ出ており、まだ誰かいるのだろう事が分かる。

 気が付かれないように足音を消して歩く。

 すると、部屋から知っている声が聞こえてきた。 

 無意識に耳を澄ましてしまう。


「――あれでよかった?」

「――あぁ、完璧だったぜ。あいつの間抜けな面みたか?」

「――見た見た! 絶対あいつ私のこと好きじゃん」

「――それな! ククク、思い出すだけでも笑えてくるわ」


 ……え、嘘でしょ。

 権田さんと……白井さん?


「――それで? どうするつもりなの? アレ」

「――あぁ、サンドバッグとして飼うつもりだよ」

「――あーね。私が飴なのね」

「――そうだ。一生こき使ってやろうぜ」

「――いいねそれ!」

「――じゃ、続きヤろうぜ」

「――今度は優しくしてよ?」

「――気を付ける」


 ……。


 二人の楽しそうな声を無視するようにその場を後にした。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ざぁざぁと雨が降っていた。

 鞄にある折り畳み傘を取り出そうとしたが、その手が止まってしまった。


「……」


 何かに導かれるかのように足が前に動き出した。

 降り注ぐ冷たい雨が今日はどこか心地よかった。


 そして、気が付いた時にはGE〇の前にいた。

 サブスクの充実した今の時代、わざわざDVDを借りようとする者なんて稀だろう。

 自分自身でも何故ここに居るのかは分からない。

 もしかしたら、今すぐにこの辛い現実を忘れたかったのかもしれない。


 自動ドアをくぐると陽気な店内BGMが聞こえてきた。

 ゾンビの様にフラフラと歩いていると、進行方向にDVDの棚が立ちふさがった。

 ふと視線を上げてみると、そこには『シャーク・デストロイヤー~凄惨なる殺戮の夜~』と題されたDVDがあった。


「……なんだこれ」


 気になって手に取り見てみる。

 パッケージには、一匹のサメが銃火器を担いでビルの壁面を泳いでいる様子が映っていた。


 ……なんでサメが銃持ってんだよ。

 しかも何でビルの壁を泳いでるんだよ……意味わかんねぇよ。


 目についたサメ映画を全部借りた。

 何故そうしたのか――――理由は分らない。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 部屋の電気をつけ、雨に濡れた体を拭く事もせずソファに座り込む。

 髪からポタポタと水が滴り落ち、ガラス製のテーブルを濡らす。


「……」


 手元を見る。

 GE〇のロゴが描かれたビニール袋がこちらを見返していた。


「はぁ……」


 長らく使っていなかったビデオプレーヤーを押し入れから取り出す。

 コード類を繋げてみると、無事に起動した。

 GE〇の袋を強引に破り、借りてきたDVDをプレーヤーへと差し込む。

 テレビ画面にちゃんと出力されているのを確認するとソファへと腰を落とした。


 気が付いた時には2時間が過ぎ去っていた。

 それほどまでに夢中になっていたのだから神映画だったと思うかもしれない。 

 しかし、ハッキリと言ってしまえば駄作だった。

 チープなCGを使った、いわゆるB級映画と呼ばれるものだった。

 いたるところに粗雑があり、映画の内容と言えば、モンスターサメが人間を殺戮しているだけのものだ。 

 何故、殺してるのかの説明もなければ、最後はなんか凄い雑に死んで終わった。

 映画評論家様が観たらきっと激怒していたことだろう。


 だけど、今の俺にはそれが――――丁度よかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「おい鮫島ァッ! 仕事終わってねーじゃねーかッ!」

「すみません」

「あぁ? お前、なんだ文句でもあんのか?」

「ないです」

「……」


 権田は何か違和感を覚えたのか、ジロジロとこちらの顔を覗き込んで来た。


「オイ、なんだお前?」

「……」


 ガンを飛ばしながら権田が胸倉を掴んで来た。


「オイッ! 調子乗ってんじゃねーぞ! オイッ! 聞いて――――」

 

 その時、権田の怒号が止まった。

 権田は何か違和感を感じたのか、自身の腹部を見る。

 するとそこには、何かが刺さっていた。


「……お前」


 権田は口の端から血を垂らしながら膝を付き、震える目でこちらを見上げていた。


「どうしました?」

「何を……して――――」

「はい、刺しました」

「なんで……」

「殺したいと思ったので」


 もう片方の袖から追加の包丁を取り出す。

 そして、何度も何度も権田の体を包丁で突き刺した。

 

 権田がピクリとも動かなるのを確認した後、ゆっくりと立ち上がった。

 静かに視線を周りへと向ける。

 その瞬間、悲鳴の合唱が鳴り響いた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「被告人、鮫島 海斗(かいと)。貴方は明確な殺意を持って職場の人間3人を殺害した。これに間違いはありませんか?」

「……間違いありません」

「鮫島さん!」


 弁護士の板倉(いたくら)さんが声を上げ立ち上がった。


「事前の打ち合わせと――――」

「いいえ、これでいいんです。だって――――サメってやりたい放題暴れたら“最後はあっけなく死ぬ”ものでしょう?」

「……やはり君の精神状態は」


 その後、板倉弁護士の奮闘虚しく『死刑』が確定した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 薄暗い部屋を月光が照らす。

 廊下からは刑務官の足音が聴こえてくる。


「……」


 とても静かだ。

 不思議と恐怖はない。


「……」


 月明りをこんなにじっくりと見たのはいつぶりだろうか?

 いつもそこにあったはずなのに、気が付かなかった。

 冷たくて、どこか温かい……。

 

「……」


 ……もっと良い方法があったんじゃないか?

 サッサと退職して、別の人生を歩めば良かったんじゃないか?

 そうすれば自分の人生を台無しにする必要性なんてなかったんじゃないか?

 全部忘れてリスタートすれば良かったんじゃないか?

 ……俺はサメじゃない。人間だ。

 もっと良い死に方を選べたんじゃないか?

 …………いや、無理だな。無理。

 そんな器用な人間なら……こんな事にはなっていない。

 人間が向いてなかったのかもな。 


 夜空を見上げる。


「……」


 綺麗だ……凄く綺麗だ。

 涙が出るくらい……綺麗だ。

 あぁ……あぁ…………母さん、父さん――――

 

「……親不孝者でごめんなさい」


 静寂の中、すすり泣く音だけが微かに響く。

 


 願わくば――――来世はサメにでもなって、スローライフをおくりたいな。 




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