第40話 灯りの残る公証室で
初雪の前の夕方、公証室の窓には遅くまで灯りが残っていた。
新しい扶助台帳の運用が始まって一か月。月末の読み上げは滞りなく終わり、倉庫物資は受益者代表立会いで配布され、療養院との契約も全面的に改訂された。北丘療養院は存続したが、扶助を借金に変える条項はすべて消えた。
その日最後の相談者は、成人した娘へ相続意思を残したいという女性だった。
「娘にも畑を渡せますか」
「もちろんです。意思を先に書いておけば、守れます」
私は文案を整え、読み上げ、本人確認を終える。署名が終わると、女性は深く頭を下げた。
「ここに来れば、ちゃんと大人として話してもらえるんですね」
その言葉に、私は少しだけ息を止めた。
今回守りたかったものが、ようやく形になった気がしたからだ。
相談者を見送ると、玄関の鐘が鳴る。振り向けば、ディートリヒがいつもの紙袋を持っていた。
「今日は何ですか」
「林檎の焼き菓子だ。夜間相談枠の初日だからな」
「辺境伯は本当に約束を忘れませんね」
「相手が公証人だからな」
前にも聞いた台詞なのに、今は少し違って聞こえる。
私は机の上の新しい帳簿を閉じた。そこには、消された名前の代わりに、確かに戻ってきた名が並んでいる。
奪われた人生は、正しい書類だけでは戻らない。けれど、正しい書類がなければ守れない暮らしもある。
だから私は、今夜も灯りを消しきらない。
公証室には、まだ帰り道を見つけていない誰かのための席がある。




