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十六.たが為


「お待ち下さい」


 珠梨は、帰ろうとする須勢理姫を呼び留めた。

 また何を言い出すのかと、篁沙久も珠梨の方に思わず目を向けた。


「まだ……何か?」

「あたしが大国主様のことを水に流しても、あたしはまだ、須勢理姫が篁沙久の味覚障害を侮辱したことは許しておりません」


 

 ――――『味が分からぬなどと言っておきながら、本当は天照大御神と結託し、供物を独占しようとしているのではないか!!』



 それは先程、荒ぶった須勢理姫が口走った発言。


「珠梨、もうやめろ。いらんことを言うな」

「やだ!!」

「もういいだろ! これ以上何も言うな」

「うるさい!!」


 静止させようと肩に触れる篁沙久の手を振り払い、珠梨は頑として言うことを聞かない。しかし、彼の手を振り払う彼女の拳は、感情の高ぶりのせいかなのか、小刻みに震えていた。

  

「フン。たかが一介の軍神への中傷など誰も咎めないでしょう。第一、私は何も間違ったことなど申していない。人神上がりの無名な神を、わざわざ贄姫の護衛に選出した天照大御神様の神選(じんせん)に、疑念を持つ者達がいるのは事実。『味が分からぬ』都合の良い条件を言われれば、誰も文句は言えません。しかし、そんな都合の良いものを、どうやってすぐに拾って来られたのか。本当に味が分からぬのかは、疑って然るべきではなくて?」


 篁沙久への非礼を悪怯れるつもりもなければ、むしろ開き直ってすらいる。

 これが天上界における神々の秩序。始祖神である天照との血の濃さ、生まれ、神格の希少性など、すべてを加味した上で定められた神階は、天上界において絶対的ルール。

 元人間が人々の祈りによって神格化した篁沙久は、天上界において最下層の神階だ。況してや、味覚障害(欠陥)があれば尚更、疎まれるには十分な理由だった。


「……須勢理姫は、泥団子を食せと言われれば食せますか?」

「無理に決まっているじゃない。貴神がそんなことをすれば品位に関わる」

「それが、あたしが作った神饌だとしたら?」

「例え贄姫からの賜物だとしても、そもそも食べ物ですらない食事を、誰が口にすると言うの?」

「篁沙久は、食しましたよ」

「は?」


 珠梨の話に、須勢理姫は耳を疑った。

 その隣で、「なぜ今その話を!」と漏らしながら小っ恥ずかしそうに赤面する篁沙久を見て、須勢理姫は直感的に虚事ではないと思った。


「彼と暮らし始めて間もなく、私がままごとで差し出した泥団子を、彼は真に受けて『美味しい』と食しました」


 それはまだ、珠梨と篁沙久がここに一緒に暮らし始めて、一週間も経っていない頃。

 まだ、篁沙久が味覚を失っていることを知らなかった珠梨は、彼とのおままごとで泥団子を作ってあげたことがあった。

 子ども相手は基、人間との遊び方すら知らなかった篁沙久は、珠梨の命令を真に受け、彼女が作った泥団子を口いっぱいに頬張った。


 

 ――『大変、美味しゅうございます。珠梨様』


 

 置かれている立場、置かれた環境、待ち受ける運命……篁沙久が彼女に話さなければならないことはたくさんあった。

 だが、齢6歳の少女にすべてを話すには、まだ何もかもが重すぎた。

 だから、彼女がもう少し自分のことについて理解ができるようになるそのときまで、篁沙久はできるだけ元の生活と同じ生活を送れるようにと考えていた。

 全ては、珠梨が贄姫という役割から絶対に逃げ出さないよう、繋ぎ止めるための布石。自身が神であることも隠しながら、彼は、何の味もしない食事も毎日毎食一緒に食べ、人間の生活を必死に模した。

 泥団子を食せたのは、彼の努力(その習慣)が裏目に出た瞬間だった――。

 

「それでも、須勢理姫は篁沙久が嘘をついていると思いますか?」

「ッ! し、知らないわ!」

「『知らない』で言い逃れできると思うな!!!!」


 腹の底から出したような荒々しげな声を上げながら、珠梨は下から睨み据えるように、須勢理姫の目を見ながら言った。


「誰の為に、彼が味覚を失ったとお思いですか? 我々が今踏みしめている、豊葦原の為に命を賭して闘った勲章そのもの! それを疑い、嘲ることがこの国の貴神の品格か!」

「お、大国主様に留まらず、この私までも愚弄するか!!」


 苦し紛れの威勢を放ち、二度目の須勢理姫の金切り混じりの奇声が上がった。でも、珠梨はもう怯まない。


「失礼を承知の上で申したまで」

「貴様ッ!」

「それほどまでに、あたしは天照大御神様からお借りした、この軍神を気に入っております故。何卒、彼の誇りを侮辱したことを、謝って下さいませ」

「――ッ! 小娘ぇえええぇええ!!!!」

 

(あたしは、ちゃんと知ってる)


 神々の秩序は()()。どれだけ不条理なことでも、上の階位には逆らわない。

 だからこそ、どれだけ罵倒されても、どんなに許せない言葉を投げられても、篁沙久は黙って()()()()()()()()()()()()

 逆らう根性も、逆らう得もないが故の、最も穏便な自己防衛反応だ。

 ……でも、そんな長いものに巻かれる彼も、珠梨(贄姫)のこととなると、必ず体を張った。珠梨に危険が及ばないように、尚且つ早く場を諌めようと、最善の行動を取るのだ。


(でもさ、篁沙久。ごめん。あたし大国主に、『残りの1年は自分のために使いたい』って、言っちゃった。だから――)


 

 ――――篁沙久があたしのために動くなら、あたしは、篁沙久のために暴れ回ってやる!



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