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3. お気に召すなら

だいぶ間が空きましたが3話目です。

その日、晩餐の席に着いたアランは何やら変化を感じた。

具体的には言えないのだが、腫物に触るかの様に上っ面を撫でていた何かが、今度は落ち着きのないぞわりとするそれに変わった様な。

父と一緒の食事は珍しい訳でもないのに、先日の一件以来途絶えていたため、若干の緊張がそのように感じさせたのかもしれない。

何とも言えない空気の中でいつもの己の席に座れば、同じく卓についた屋敷の主でもある父が態とらしく咳払いをする。その父の後ろには、普段であれば席を外す執事のケヴィンがどことなく異質な存在感を放ちながら控えていた。

その違和感を口にすべきか迷い、結局の所、アランはいつも通りに振る舞うことに決めた。リリアナを拒否した父への失望と怒りは、この数日の間でかなり落ち着いていたのだ。加えて、有能な執事が『旦那様はアラン様に嫌われたと夜も眠れない様ですよ』と囁くものだから、アランとて己の態度を軟化せざるを得なかったのだ。


「お父様、久しぶりに食事をご一緒出来て嬉しいです」


その一言に、父の表情が明らかに緩むのが分かった。いや、緩むどころか薄っすらと涙が浮かんでいるような気すらする。リリアナの事では冷たい態度を取っていたが、常は心配性で優しい父なのだ。


「私も嬉しいよ。暫く仕事が立て込んでいたからな。アランは変わりないか?」

「今日、教本が1つ終わりました!」

「聞いているよ。予定より早く終わったと先生も褒めていたと聞いたぞ。自慢の息子で鼻高々だ」


そう手放しで褒められるとアランも頬がニヤけてしまう。いつも厳しい家庭教師が教本の進みが早いと報告してくれていたことも、忙しい父がアランの事を気にかけていてくれたことも嬉しかった。

照れて頬を染めるアランの様子を見つめるレナードが、心中では『良かった、会話してくれる…!』と万歳三唱していること等、知る由もなかったが。

そんな微笑ましい親子の会話の合間を見計らって、料理が運ばれてくる。

緑豆を使った甘いポタージュに、じっくり焼いて甘みを引き出した色とりどりの季節野菜、甘酸っぱい木の実のソースがかかった柔らかいミートローフ、ぷるぷるとした鮮やかな色味のジュレが添えられた白身魚のポワレ、どれもアランが好きなものばかりである。

美しい芸術品のような食事を作法に気を付けながら口に運んでいると、ふと視線を感じる。勿論、視線の主は一人しかありえない。

口に含んだミートローフの咀嚼を終え、父を見れば、食事の手を止めてアランを優しく見つめていた。


「お父様、召し上がらないのですか?」

「…少し考え事をしていたようだ。どうだ、美味いか?」

「はい。どれも好物ばかりです」

「良かったな、しっかり食べなさい」


どうにもはぐらかされた様に思うが、食事の場であるからして食べる事が最優先である。

晩餐の場で子供が発言を許される事が普通ではないと教えつつも、我家は特別だと父は囁く。2人しかいないのだからと。口の中にものを入れて話さない、一口は小さく、カトラリーの音をたてない。そういったマナーは守りつつ父と会話に興じるのはアランにとって気を遣う時間ではあったが、それよりも多忙な父と過ごせる時間が嬉しかった。

父からふられる他愛ない会話を挟みながら食事を終え、自室に帰ろうというその時に、珍しく書斎へ来るようにといわれる。

何の話かと、問う必要はない。あの日から触れられないリリアナの話以外であるはずがなかった。



***



滅多に入ることのない父の書斎は、四方の壁の一面が丸々書架となっており、ぎっしりと詰まった多くの書籍で溢れている。左下の一段には、制作者が読手の事を一切考慮せずに製本したと思われるとんでもない分厚さの数冊が鎮座していた。あの本はきっと自分には持てないし、その重量は合わせれば自分の体重を超すのではないか、等というどうでもよいことを考えながら、目の前に坐り口元を押さえたまま話を切りだす気配のない父を、そっと伺ってみる。


「…旦那様、アラン坊ちゃまの就寝時間が近づいておりますが」


唐突に場の静寂を破ったのは応接机を挟んで向き合う父子から少し離れて控える執事のケヴィンである。一日の終わりであるというのに、糊の効いたシャツに皺も見当たらない着衣はある種の胡散臭さを感じさせる。

が、彼が優秀な執事であることは幼いアランもよく知っていた。例えば今、この無意味な時間に終止符を打ってくれたように。

そんなケヴィンを父はひと睨みした様であったが、長く息を吐いた後、アランに向き合った。


「…今日終わった教本の次はどんな事をするのだ?」


覚悟が決まらなかったのであろう父の口から発せられたのは先程の食堂での会話の続きである。しかも家庭教師から報告を受けているのであるなら知らぬはずが無い事である。

と、アランが答える前に横から差し込まれた非情な一声があった。誰あろう側に控えるケヴィンである。


「意気地が無いにも程があるかと旦那様」

「お前は口を挟むな。話がややこしくなるだけだ」

「ややこしくしている張本人が何をおっしゃいますか」


勝者ケヴィン!天覧試合でもあるまいに、アランの耳には何故かそんな声が聞こえた気がする。


「……話というのは、他でもないリリアナ嬢のことだ…」

「はい、お父様」

「アランは、ーーリリアナ嬢にこの家に居てほしいのか?」

「リリアナと一緒に過ごせるのであれば、素晴らしいことだと思いますっ!」


今この時でなければいつ言うのか。アランは機会を逃さじと父の言葉に被せるように勢い込んで答えた。


「なぜリリアナ嬢に拘る?以前紹介した人達も皆、アランにも優しかっただろう?」

「良い方達ばかりでした…。でもリリアナとは違うんです」

「何が違うんだは」

「リリアナは一緒にいるだけで安心します。心が暖かくなるんです」

「安心する、か…」


考え込む様な仕草を見せる父に、アランはここぞとばかりにリリアナを売り込む。彼女がどれほど心優しく希望に満ちた存在であるか。共に過ごせるひと時がいかに安らぎに満ちているか。叶うのであれば日々を側で過ごしたいとどれほど思っているか。


「…まるで熱烈な求愛を聞いている様だな」

「きゅうあい、とはどのような意味でしょうか」

「アランにはまだ難しいか。求愛とはだな、」

「旦那様。再三で恐縮ですがアラン坊ちゃまの就寝の時刻が近づいておりますよ」


父の説明を遮って会話に入ったのは勿論ケヴィンである。本論から逸れそうな気配を悟ってのことであろう。

そうして続いた父の言葉にアランは己の耳を疑った。


「分かっているさ。…アラン、お前がそこまで言うのであれば、お父様はリリアナ嬢にアランの母となってくれるように頼もう」


リリアナが自分の母になる。

父は今、そう言ったのか。


「旦那様、アラン坊ちゃまが混乱しておいでです」

「いちいち注釈を入れるな」

「お父様、本当ですか…!?」


思わず椅子から立ち上がる。行儀が良い振る舞いではないとわかっていたが、そんな事には構っていられない。既にケヴィンの言葉は耳に入ってこなかった。

リリアナと一緒にいられる。

彼女が毎日側に寄り添ってくれる。

それだけでアランは幸せが押し寄せてくる様に感じ、と次の瞬間には不安も押し寄せてきた。


「けれどお父様、リリアナの事はお嫌いだったのでは?別のリリアナではないのですよね」


同名の別人で誤魔化そうとしているのではないか、という疑いの目を向けると父はばつの悪そうな顔をした。


「そうだな、私はアランに嘘を言ったな」

「うそ、ですか」

「ああ。お父様はリリアナ嬢を嫌ってはいないよ」

「僕の為に無理をしてないですか?」

「心配性だな。…アラン、こちらへおいで」


そう言われ、応接机を挟んで相対していた父の元へ近寄ると、そのまま膝の上に抱きあげられた。

父に抱かれるなど久々であり、若干の戸惑いを浮かべてしまったアランにレナードは苦笑した。


「リリアナ嬢には素直に抱きつけるのに、お父様だと躊躇うのか?…これじゃどちらが親か分からないな」


少し寂しそうな声音に、アランは優しく己を包む慌てて父の腕に抱きついた。


「違います…!少し吃驚しただけなんです」

「吃驚したか…。リリアナ嬢よくこうしてくれるのか?」

「僕はそんなに子供じゃありません…!」

「ははは、悪かった。でもリリアナ嬢には抱きついていたじゃないか」

「……リリアナは柔らかくていい匂いがするんです。安心する」


少し躊躇ったアランの口から紡がれた言葉に僅かに眉寄せたのは後ろに控えるケヴィンである。

が、向き合う親子がそれに気付くことはない。


「アランは本当にリリアナ嬢が好きなんだな。…リリアナ嬢に初めて会った時、お父様は彼女のことをよく知らなかったからね。改めてその人柄を知って、アランの母になるに相応しい人だと思うようになったんだ」

「本当ですか?」

「本当だとも」

「良かった!きっとお父様もお気に召すと思ったの」

「ああ、とても好ましいレディだ」


報告書を信じる限りは、などと無粋な言葉を付け足すことは流石に憚られた。




***




「危ないところでした。アラン様は敏い方ですから」

「どうされましたか?」


側で部屋を整えていたハウスメイドがぽそりと呟かれたケヴィンの言葉に掃除の手を止めた。

日中は仕事で主が使うこの部屋の掃除は必然的に夜に行われる。重要な資料も保管されているこの部屋の掃除の立ち会いもケヴィンの仕事の1つであった。


「いえ、大した事ではないのです。アラン様の年相応の幼さなが愛らしいなと思いまして」

「母親恋しいお年頃にお可哀想ですよね。最近はメリッサお嬢様のご友人のお陰で明るくなられて良かったです」

「そうですか。…そういえば幼少時の母への思慕と初恋は近しい情だと聞いたことは?」

「小さい頃はそう言いますね。でも年頃になれば母親なんて厄介者扱いですよ」


息子がいるはずの中年の女は笑いながらそう返して持ち場に戻っていく。それ応えたケヴィンの声は誰の耳にも届かず空中で霧散した。


「血の繋がりがあれば、ね」

タイトルは、お気に召すままより。

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