2. ヘルマン家の二紳士
2話目となります。
旦那様、ことレナード・ヘルマンは数日前の執事の台詞を脳裏で反芻した。
「宜しいですか、旦那様。リリアナ様はこれ以上ない最適解です。正しく飛んで火にいる夏の虫、逃す手はありません」
どこの悪人だと問いたくなる様な台詞である。乳兄弟の気安さか主人に向かって歯にものを着せぬケヴィンを手放せない程に重用しているが、今回ばかりは従うわけにはいかない。
何せリリアナ嬢はガーフィールド家の息女。容姿も悪くなく条件面では申し分のないご令嬢。
そして何より歳の離れた妹の友人を三十路近い男の後妻に迎えるなど考えるまでもなく答えは否である。何なら世間からの冷たい視線も怖い。最適解だろうがなんだろうが、首を縦に振るわけにはいかないのだ。
気がかりなのはすっかり落ち込み、食欲もなくしてしまったと聞いているアランのことである。顔を合わせるとレナード譲りの大きな褐色の瞳に責められている気がして、会うことを避けてしまっているという悪循環ぶり。
だがこれまでに後妻にと紹介された女性には一切懐かなかったアランがあれ程懐き、己の母にと望む女性が現れるとは誰が想像しただろうか。
「…だからといって受け入れられるはずがないだろう。俺に一体どうしろと言うんだ」
思わず口から出た弱音は誰にも引き取られることなく霧散していく、はずであった。
「ガーフィールド家に妻問いに行くのですよ」
真後ろから淀みない答えが返ってくる。驚いて振り向けば、そこにはケヴィンがいつも通りの姿でそこにいた。
「いつからいた…!」
「旦那様が書類仕事の手を早々に止めて、無駄な思考に時間を費やし始めた頃でしょうか」
だいぶ前からである。
「どうしてお前はいつも気配を消すんだ」
「執事の性と申しましょうか。職業病の様なものかと。然しながら旦那様、この時間はいつもお側におりますのに、何故今日に限ってお側に控えていないと思われたのでしょうか?」
「ああ言えばこう言う…」
思わず顔を押さえて俯いてしまったレナードを気にする様子もなく、ケヴィンは何やらセッティングを開始する。
書斎の机に散らかっていた書類を夢創作に脇に追いやると、筆記具を準備し、いつの間に準備していたのやら繊細な漉き模様が施された淡い桃色の用紙を広げる。そうしてそのままペンを取り、何事か文字を書き始めた
「何をしてるんだ」
「お静かに。少々お待ちを」
顔を上げる事すらせずに手を動かし続けたケヴィンはさらさらとペンを走らせると、末筆の払いを終えるや否やさっと姿勢を正し、レナードに向き直る。
「では旦那様、こちらに家印を」
「今度は何をやらせる気だ…」
諦め半ばという境地で、たった今ケヴィンが書き上げたものに目をやれば、見覚えある筆跡が透かし模様の上に踊っている。文章の中身はーーー
親愛なる我が掌中の珠、
リリアナ・ガーフィールド嬢
青葉の候、清らかな風わたり、健やかにお過ごしのことでしょう。
過日は貴女からの身に余るお申入れに驚嘆あまり、早計にも愚劣な己の妄想かと浅慮し、内心とは裏腹な振る舞い、慚愧の念に絶えません。
花のようなその顔をお見かけする度、少しづつ貴女に心を奪われていった哀れな男やもめをお笑いください。
あの一時が、愚かにも身の程を弁えず貴女に懸想した男が生み出した幻想でなかったならば、今一度、貴女に見える僥倖を賜わりたく希う次第です。
貴女の忠実なる下僕、
レナード・ヘルマン
「人の蹟を真似してなんてものを書いてるんだ!」
破り捨てようと手を伸ばした所で、あっけなくケヴィンに阻まれる。まるで幼児が嫌がらせをするかのように、手紙を高々と掲げながらケヴィンは真顔で返答した。
「旦那様、女性の気持ちがまるで分かっていませんね」
「分かる必要などない」
「分からないと素直に認めれば宜しいものを」
「…いいから、放っておいてくれ。これは俺とアランの問題だ」
「いいえ、ヘルマン家の問題です。幸いにもアラン坊ちゃまはご健勝とはいえ、ヘルマン家には家族が必要です。ヘルマン家をお一人の双肩に担われている旦那様が一番よくご理解されているかと」
ケヴィンにあるまじきあまりに真っ当な意見にレナードは咄嗟に反論が出来ない。ヘルマン家の大義という意味では、明らかにケヴィンに分があることはレナードも認めざるを得なかったからである。
今から約30年前、レナード・ヘルマンはヘルマン家の唯一人の子息として生を受けた。尚、妹のメリッサはレナードの父の妹の子であり正しい続柄としては従妹にあたる。彼女の母親は嫁ぎ先に恵まれなかった上に早逝した為、産まれて間もなく養子としてヘルマン家に入ったのだ。
両親は仲睦まじかったが、なかなか子供に恵まれず漸く授かったのがレナードである。遅くに産まれた待望の嫡子であったが、かといって甘やかされるでなく、厳しく躾けられたのは、ヘルマン家の采配を振るう将来を慮っての事だったのは間違いない。
そうして成人を迎えたレナードが恙無く婚姻をむすぶと、両親は息子が伴侶を得た事に安堵したのか、レナードの結婚からさほど経たずして相次いで亡くなった。
レナードは家族を得た喜びに浸る間もなく、両親を失った訳だが、悲しみに暮れる時間はなかった。家督を継いだが相談相手もいない中で、懸命に仕事に励む日々を送る事となる。
そんな日々の中でようやく両親の喪失を受け入れ気持ちが落ち着き出した最中にレナードはアランを授かった。久々の吉報に家中が沸き、レナードも温かい家庭を築いていこう決意を新たにしたが、その決意も虚しく、産後の肥立ちが悪かった妻は小康を取り戻すことなく、呆気なく泉下の客となったのであった。
つまるところ、ヘルマン家は少々恵まれない時期が続いており、直系の血族としてはレナードとアランしかいないのが現状であった。ケヴィンの言うとおり、ヘルマン家を支えるには心許なく、後妻を探す必要があることはレナードとて承知していた。
「…分かった、釣り合いの取れた女性を数人見繕ってくれ。年齢差の少ない、初婚以外の人で頼む」
「アラン坊ちゃんが受け入れるとは到底思えませんが」
「…」
「素直にリリアナ様になされば良いものを」
「駄目だ」
「理由をお伺いしても?」
「…まず年齢差が大きい。10も歳が離れているんだぞ」
「報告書には目を通して頂けた様で幸いです。基本認識に相違があると議論になりませんからね」
リリアナ嬢の押しかけがあった翌日には既に、優秀な執事は身上調査を行い、報告書を上げてきている。
そして根が真面目なレナードはその報告書の隅から隅まで目を通している。が、それを指摘されるのは何となくしゃくであった。
「アランとの関係継続可否の判断の為だ」
「そういう事にしておきましょう。話を戻しますと、10歳やそこらの年齢差など珍しくもないでしょう。レナード様のご友人にもいらっしゃった様に記憶しておりますが」
「ただ歳が離れているだけじゃない、メリッサの友人だぞ。俺は歳の離れた妹の友人に手を出す様な変態になりたくない」
そのレナードの返答を聞くや否や、ケヴィンはあからさまに溜息をつくと、失望の眼差しをレナードに向けた。
「なんだ」
「いえ、何も」
「何もという態度じゃないだろう」
「では、正直に」
「…いや、やっぱりいい。聞かなかったことにしてくれ」
「そう仰らずに。客観的な意見は貴重ですよ」
「自分で貴重と言われてもな」
「そうですか、ではお伝え致しましょう」
「お前と意思疎通が出来ているのか、不安になることがあるよ…」
そのレナードの言葉がケヴィンに届いたかどうか不明だが、彼はわざとらしく咳払いをすると、レナードを真正面に見据えて至極当然の指摘を行なった。
「旦那様が気になさっているのは世間体と御自分の評価だけであり、アラン坊ちゃまのお気持ちも勇気を出されたリリアナ様のお気持ちも一切慮っておられませんね」
「…っ」
「加えて、リリアナ様自体に対しては否定的な気持ちもお持ちでない」
痛い所を突かれてレナードは押し黙らざるを得ない。
ケヴィンの指摘は正しい。
レナードとてリリアナ嬢自体が客観的に見て好ましい令嬢であることは否定しない。少々、突拍子もない所はあるようだが、しっかりとした意思と度胸があり、何よりアランの信頼勝ち得ている。
だがしかし、そうであるからこそ申込を受入れる訳にはいかないとも思う。
「確かに、彼女自身を嫌っている訳ではない。リリアナ嬢は素晴らしいご令嬢だろう、前途有望な」
「なかなか評価がお高い様で」
「…だがその将来ある女性をこんな男の後妻にもらうなど、許されることではないさ」
そう、彼女自身が問題なのではない。彼女が己の妻になることで、将来の可能性を潰してしまう事こそが問題なのだ。
家柄もよく報告書によると利発らしい彼女であれば、同年代の求婚者に事欠くことはないだろう。何を好き好んで、年上の寡夫に嫁ぎ、血の繋がらない子供の世話をしたいと言うのか。
そもそも彼女はアランの事は知っていてもレナードの人となりなど知らないはずだ。幼子に絆されて見も知らぬ男の妻になるなど、情に流されやすいにも程がある。
「彼女はまだ若い。お前の言うとおり、我が家にとって都合が良過ぎるほどの存在である事は否定しないが、だからこそ年長者として彼女を諭し導くのは大人の義務だろう」
「若年とはいえ、リリアナ様は成人されていますよ。ご自分の発言には責任を持っておられるでしょう。見くびり過ぎかと」
「どうだかな」
「では質問を変えましょう」
「…」
「リリアナ様が旦那様と同年の初婚の男性に嫁がれることになれば、それは宜しいのですか?」
大いに結構ではないか。
何の問題があるのだろう。
質問の意図が理解出来ない。
「質問の意味が理解出来ない、と思われましたね」
レナードの思考をあっさりと看破したケヴィンに呆れるような物言いで指摘される。無言を肯定と受け取ったのであろうケヴィンはそのまま発言を続けた。
「旦那様曰く年増の男性に、しかも望みもしないお相手に嫁がれる事になるのですよ」
「誰も年増とまでは言ってないだろう」
「いえ仰っていますよ、言外に」
「…それで、その相手のどこに問題があると?」
「リリアナ様はアラン坊ちゃまのお側にいたいのですよ。その望みが叶いません」
「今迄通り、メリッサに会いにくるついでに会えばいいだろう」
「メリッサ様が嫁がれた後はそれも叶いませんが。加えて旦那様のご意見としては年増に嫁ぐことは悪であると」
「…年増で子持ちの寡夫がよくないと言っただけだ。歳の差だけであれば問題ないだろう」
「そのようには聞こえませんでしたが」
「それに年若い初婚の女性が、己の腹を痛めて産んだわけでもない子供を育てることになるんだぞ」
「むしろリリアナ様はそれをお望みですよ。いえ、リリアナ様にとっての利点はアラン様であり、むしろ旦那様がおまけですがご自覚はおありですか」
いちいち癪に障る言い方である。レナードは何の問答の時間だと問いたくなる気持ちをぐっと堪えた。
「旦那様、少々分を弁えない発言をお許し頂けますか」
「何を今更。いつも許可なくしているだろう」
「では心置きなく。女性ウケという点では大方の殿方の後塵を拝す旦那様ではございますが、」
「雇い主になんて物言いだ。覚悟の上だろうな」
「私にも主人を選ぶ自由がございますれば」
そう言われるとレナードは辛い。
何せこの執事は仕事の面では有能だ。失う事になれば多大な損失と言える。
「…続けろ」
「大方の殿方の後塵を拝す旦那様ではございますが、こと適齢期の未婚かつ婚約者もおられない残念な殿方の中に限って言えば、マシなほうな物件かと。誠に遺憾ではございますが」
重要な事なので2回言いました的な体で不名誉な評価を繰り返された上で、更に酷いラベリングを言い渡される。己の執事に。
「何が遺憾だ…!人を下の上みたいに分類するな」
「旦那様、誤解です」
「何が誤解か釈明してみろ!」
「旦那様はせいぜい下の中の上程度です。なかなかにご自身を過大評価されておられる様で」
何とも哀れみに満ちた視線を向けられる。
「…あぁ分かった。下の中の上だな。前途有望なリリアナ嬢にはまこと相応しくない」
「そう思われるのも当然かと」
「だったら、話は終わりだ」
「然しながら旦那様。リリアナ嬢は下の中の誰から伴侶を選ばねばならない訳ですから、下の中の上の旦那様であればまだ、選択可能な母集団の中では平均よりは辛うじてではありますが上。及第点というわけですよ、幸運と言えましょう」
レナード含む独身男性全員に極めて失礼な発言を平然と行い、更に言葉を続けた。
「加えてヘルマン家は財政的に安定しており、家格は上々。ご容姿はそこそこ、年増の寡夫という欠点はございますが、お人柄の点では旦那様に勝る方はそうおりません。何よりアラン様という最大の利点をお持ちです」
貶されているのか、褒められているのかさっぱり分からない。
何故この執事を雇っているのか、という当然の疑問が頭の片隅を過ぎるが、気力でその疑問が口から出る事だけは辛うじて耐えた。
「人を息子で女性をつる詐欺師の様に言うな。お前は一体誰の味方なんだ?」
「もちろんヘルマン家に益あれと常に考えておりますが」
「なるほど、俺自身ではないと」
「今更何をおっしゃいますか。もし旦那様が年若いリリアナ様に相好を崩し、飛んで火に入る夏の虫などと狒々爺さながらの体であれば、ヘルマン家に変態ありの噂を退けるべく、リリアナ様のお申し出は丁重にお断りしておりますとも」
「前段はお前の台詞だろう!」
酷い言われようである。
だが、ケヴィンの言の要点を纏めると、客観的に見た際にはレナードとリリアナ嬢の釣り合いはそこそこ取れており、レナードが彼女からの申込を断ろうとする様なまともな男だからこそ、リリアナ嬢に相応しいと言っているのである。
残念な事に、非常に分かりにくい迂遠な表現が故にレナードの感情を刺激しつつではあるが。
「己を客観的に評価出来ない所が、旦那様の美徳であり欠点でございましょうね」
珍しく褒められた様だ。そんな思考が頭の片隅を過ぎるのを薄っすらと感じつつも暫く俯き考え込んだ末にレナードは、顔をあげるとケヴィンを見据えて言った。
「アランと話をする」
「結構なことかと。このお話はヘルマン家に利するものですので」
「…その書状は破り捨てろ」
鷹揚に頷き返したケヴィンが、背後にひっそりと先程の書状を隠し持っている事に気づいたレナードは、げんなりとしつつ戒めた。
お読み頂きありがとうございました。




