表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/25

一 久太

 学校は九月の一日に始まった。三年の二学期。四月には三年生に上がったという実感はあまり湧かなかったが、夏休みを越えていよいよ卒業が意識されてきた。周りでは受験の話が増えた。これまで勉強なんてからっきしだったのに、休み明けの実力テストでいきなりクラス一位をとった奴がいた。あんなことがあった後だが、ぼくも勉強に関して人並みに不安を覚えるようになった。


 今は九月の終わりで、ぼくの中でとっくに夏は終わったってのに、まだ変に暑いから、落ち着かない気分だ。うちの学校では三年の一学期までで部活は引退ということになっているから、授業が終わったら皆一斉に帰宅する。塾に通い始めた奴も多く、ぼくも塾に行かなきゃならないのだろうかとも思ったが、親も何も言わないし、だらだらと自習一本でやってきた。だから、放課後は全部自由時間だった。


 その日も三時過ぎに学校を出ようとしていると、クラスメートに一緒に帰らないかと誘われた。(きゅう)()という同じクラスの男子だった。


 ぼくと同じような背格好だったが、平凡な顔立ちのぼくと比べると、とても美しい顔をしていた。スポーツも勉強も、ぼくよりずっとできるし、明るくて友だちの多そうな奴だったから、いつもパッとしない連中と群れているぼくと並んで歩くのは、何だか不釣り合いに思えた。


「おれは献が好きだ」


 校門を出たあたりで久太は唐突に言い放った。


「好きってのは、恋をしているという意味だよ」


 上手く返答できないでいるぼくに、久太は追い打ちのように言ってきた。


「ぼくは男だよ」


 最初に出てきた言葉はそれだった。


「男だから何なんだ」

「普通、男は女に恋をするものじゃないか」

「普通がどうとか、この際関係ないだろ」

「それもそうか」


 男とか女とかで混乱していたのが解かれていって、恋心を打ち明けられているというこの状況自体に目が行くようになった。


 男同士というのを抜きにしても驚くべきことだ。動揺して、上手く考えることができない。


「でも、ぼくが久太に恋をすることはまずないと思うな。ぼくには今、好きな相手がいるし」

「おれは献に恋してもらいたいわけじゃないから、それはいいんだ。好きな相手って誰?」

「神さま。神さまの女の子」

「献にとってその子が神みたいだって?」

「いや、そうじゃなくて、このあたりで信仰されている神だよ。泣林に祠があるのを知らない? あそこに祀られている、カザカミっていう……」

「その神さまは見たり触ったりできるのか」

「うん。見た目普通の女の子だよ」

「そりゃすごいな」


 久太がぼくの言うことをどこまで本気にしているのか、いまいち分からない。だけど、祖父の言うように、人の言うことはとりあえず文字通りに受け取っておくのがいいのだ。


「献はその子と何がしたいんだ? 付き合うとか?」


 久太の喋り方は、友だちの好きな人についての話を聴く普通の中学生といった感じだった。


「神と付き合うって、よく分からないな。『彼女』はぼくにしか姿を見せないんだ。『彼女』と会う機会は既にぼくが独占しているようなものさ」

「じゃあ、献は現状で満足なのか」

「そう言われると微妙だな。何か満たされない感じもある。やっぱり、恋人っぽくなりたいのかもしれない」

「会う機会は独占しているのなら、その上さらに望むことって、相手の自分への態度以外にないんじゃないか。恋人らしく振る舞ってほしいとか」


 そう言われて、「彼女」がぼくの腕に抱きつく様や、「大好き」と言いながらハグしてくる様を想像してみた。そういうことがあれば確かに嬉しいだろう。「彼女」はぼくに対してどことなく煮え切らない態度をとっている。「彼女」の視線はぼくじゃなくてどこか遠くへ向けられている気がする。ぼくはそれが気に食わないのかもしれない。


 ただ、夏休みの出来事を経て、ぼくが「彼女」に対して思うのはそういうことばかりではなくなった。ササメは神にされることによってこの土地から追放され、「彼女」のことを最もよく理解していた笹音さんは「彼女」から離れていった。ぼくはそんな「彼女」の寂しさを取り除きたいと、「彼女」がこの街に受け容れられてほしいと思った。だけど、ぼくに何かできるのだろうか。「彼女」は命を捧げろと言った。ぼくが死ねば「彼女」は満足なのだろうか。


「久太がぼくのことを好きだって話だったよね。これじゃあ脱線だ」

「いや、そうでもないよ」


 久太は楽しそうだった。恋を打ち明ける者の態度は普通こんなものなのだろうか。少なくとも、「彼女」に思いを告げたときのぼくはもっと切羽詰まっていた。久太の余裕はぼくには不自然に見える。


「その神さまって子ども作れるのかな?」


 ぼくが一旦話を切ったというのに、久太は何でもないように続けてきた。


 ショックなことを言う。「彼女」が子を産めるかなんて考えたこともなかった。


「どうなんだろう。『彼女』には生の肉体がある。ぼくは『彼女』に触れることも、『彼女』を傷つけることもできた。その点では、『彼女』が子を産めてもおかしくはないかな」

「献は神さまと子どもを作りたいと思う?」

「ぼくはまだ中学生だよ。子どもを作るなんて発想がなかった」

「でも、できないわけじゃないだろ。中学生が子どもを作っちゃいけないなんてのは大人が決めたことで、献が相手しているのは神なんだから、そんなことどうでもいいじゃないか」


 ぼくは上手く答えることができなかった。振り返ってみれば、ぼくが「彼女」の肉体に惹かれていたというのは否定できない。ただ、それは必ずしも肉欲的なものではなかった。ぼくは「彼女」の足首、背中、頭蓋骨、口元、声、仕草などが好きなのだ。「彼女」と子どもを作りたいか、などと改めて訊かれても、よく分からない。


「おれには献と子どもを作りたいなんて考えはないよ。実際、男同士で子どもは作れないらしいし。子どもを作りたいという気持ちは、恋心とは別物だなって実感する」

「どうしてそんなことを言う?」

「大人たちの間では、子どもを作るというのが恋のゴールとして定められているような気がしてさ。もちろん、中学生が子どもを作るというのは歓迎されないよ。だけど、中学生の未熟な初恋も、いつか本当に大事な人と結ばれるための経験というか、ステップなんだって、そういう風に位置づけられている感じがする。でも、結婚とか出産とか、もっと言えば『付き合う』ってことだって、おれたちには関係ないじゃないか。おれの恋をどうしようがおれの自由だ」

「それはとてもよく分かるよ。ぼくには、『彼女』とどう付き合っていくべきかなんて規範が初めから与えられていないし……」


 だんだん、久太の態度も理解できるような気がしてきた。恋にとって動かしがたいのはそれが与えられているということだけで、そこから何が起こるかというのは偶然のことだ。恋心を打ち明けた者がその後何をしなきゃいけないかなんて自明ではない。恋に目標があるというのも勝手な想定に過ぎない。彼には目的なんてないのかもしれない。


「献って塾行ってるんだっけ」

「いや、何もしてない」

「そうか。おれは今日帰ったらすぐ塾なんだ」


 久太は美しい声をしている。そういえば彼は音楽の時間に合唱でテノールのソロを歌っていたこともあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ