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第九十五話~出陣 七~


第九十五話~出陣 七~



 光熹四年・初平三年(百九十二年)



 いささか劣勢にある味方を救うべく、賈詡が牛輔へ進言したのは奇襲であった。彼の言によれば、本陣より兵を分け、しかるのちに劉逞がいる敵本陣へ一撃を加えるというものである。そしてこの策を実行するにあたり別動隊を率いることとなったのは、胡軫であった。もっともこの人選だが、賈詡としては苦渋の選択に他ならない。彼としては、樊稠あたりに任せたかったからだ。しかし、その選択を取れない現実がある。何と樊稠だが、その身にかなりの傷を負っていたからだ。今のところは命に別状はないが、それはあくまで激しく動かず安静にしていればという前提条件である。もし戦場に出て大立ち回りでもしようものなら、傷が悪化することは間違いない。その様な状況になってしまえば、流石に命の保証はしかねない有り様なのだ。それゆえに樊稠は、後方へと回されていたのである。しかして樊稠が楽観視できないほどの怪我を負った理由だが、それは言うまでもなく彼が一騎打ちを演じた相手となる紀霊のせいであった。



『ぬうぅぅぅぅ!』


 樊稠と紀霊は、お互い得物をぶつけあい鬩ぎ合っている。しかしほぼ拮抗しており、獲物自体はぶつけ合ったその場所より殆ど動いていない。するとその状況を嫌ったのか別の思惑があったのかは分からないが、樊稠が紀霊の獲物を弾こうとする。だが紀霊も、袁術旗下の将の中では一、二を争う剛の者である。自身の持つ得物を弾かれる様な、無様なところなど見せはしない。彼は樊稠の弾こうとする動きを、受け流すことでいなしていた。まさか袁術配下に、これだけの技量を持つ者がいたとは誤算である。間違いなく問題であるのだが、しかし樊稠はと言えば笑みを浮かべていたのだ。彼にとって紀霊ほどの技量の持ち主が敵にいたことは、厄介なことに間違いはない。しかし彼は同時に、腕に覚えを持つ者と刃を交えることができたことを喜んでいたのである。実は紀霊も、同じような気持ちを持ち合わせていた。樊稠ほどの相手と闘えることに、密かな喜びを感じていたのである。しかしながら紀霊には、この戦いを楽しむわけにもいかない事情もまたあった。つまり彼は、早期に決着付け蹴ればならないという思いと一合でも多く刃を交えていたいという感情の板挟みという状況へ陥っていたのだ。そしてこの板挟みの状態が、紀霊へ小さな隙を生むこととなったのである。

 仕切り直しの為か、両者は一度離れる。僅かの間を空けたあとさらに何度も刃を交えたわけだが、その過程で普段の紀霊であればまずありえない様な小さな体勢の崩れが生じてしまったのである。しかしてそれは、取るに足らない隙であったかもしれない。だが、樊稠と紀霊という実力が伯仲している両者の生死を分ける事態へと繋がってしまったのだ。


「貰った!」

「しまった!!」


 隙を見つけた樊稠は、見事ともいえる突きを紀霊に向けて放った。その突きは間違いなく左胸を捕らえており、しかも獲物の穂先は紀霊の背中へと貫かれている。正に必殺と言っていい一撃であり、そしてそのことを証明するかのように確かな手応えを樊稠は感じていた。そのあまりにも見事な手応えに、樊稠をして勝ったと確信する。だが、その判断は早計であった。何と左胸を貫かれ絶命したかと思われていた紀霊の腕が、動いたのである。


「くっ……がはっ!」


 絶命したと思っていた紀霊から出たまさかの反撃であり、樊稠とはいえ完全に対処しきれるものではない。紀霊が放った一撃は、的確に樊稠の体を捕らえていた。しかし寸でのところで彼は、利き腕と反対側の腕を差し込むことに成功する。その為、腕こそ貫かれたものの紀霊のように体を貫かれることはない。しかしあくまで、腕を間に差し入れたことでどうにか致命傷にはならなかったに過ぎなかった。もっとも、紀霊の反撃もここまでである。左の胸、すなわち心臓を貫かれているのだから当然である。寧ろ、心臓を貫かれながらもさらなる反撃を繰り出した紀霊の方が異常であるといってよかった。


「大した、おとこよ……名を聞けなん、だことは、残念である……」


 もはや完全に絶命し、地面へ倒れこんでいる紀霊の左胸からどうにか獲物を抜き取るとその得物を杖の様に使い立ち上がる。そして樊稠としては珍しいくらいに力の籠っていない声で、勝鬨を上げたのであった。



 このような事情があって、賈詡は樊稠ではなく胡軫を別動隊の大将に任じたのである。胡軫としても手柄を立てる絶好の機会ということもあって、意気軒高である。しかしながら賈詡としては、不安を拭えないでいた。それは、胡軫という男の持つ気質に由来していた。彼は決して無能というわけではないのだが、傲慢で短気なところがあるのもまた事実なのだ。その為か、いささか兵からの信頼も薄い。しかしながら現状では、胡軫の武力が必要である。なればここは、胸の内に不安を抱えていようが彼に任せるより他なかった。


「文才。頼むぞ」

「お任せあれ」


 牛輔からの激励を受け、胡軫は意気揚々と出陣したのであった。その後、彼は、朱霊と崔琰からの猛攻をかろうじて受け止めている最前線を見事に迂回する。やがて胡軫は、劉逞の本陣近くまで無事に到着していた。この幸運に感謝しつつ、敵本陣への投入を行おうと剣を抜く。しかし正にその時、味方から馬のいななきが発せられる。これから奇襲を仕掛けようという時に、よりにもよって味方から余計な音が生じたのである。思わず彼は、自分がこれから内をしようとしているのかも忘れて、怒鳴り声をあげていた。


「黙れ! 愚か者が!」

「……ぐはっ」

「がはっ」


 しかし返答はなく、代わりに聞こえてきたのは複数の味方からの声である。それは声というより、悲鳴に近い。しかも味方からの声に留まらず、馬からも聞こえてくる。そして馬の声も、同様な雰囲気がある。流石にこれはおかしいと感じた胡軫の耳に、悲鳴とは違う音が聞こえてきた。それは、何かが飛来してくるような音である。嫌な予感がし、咄嗟に馬から転げ落ちる様に降りた胡軫であったが、すぐにその判断が正解だったと思い知ることとなった。何せ、自分が乗っていた馬に何かが突き立ったからである。果たしてその突き立ったもの、それは一筋の矢であった。流石に胡軫も、何があったのかを理解したのだ。


「敵襲だ!」


 胡軫が一言声を張り上げるのと時を同じくして、見覚えのない兵が味方に躍りかかってきたのであった。





 劉逞のいる本陣であるが、しっかりと守られていた。

 そもそも、どうして胡軫の奇襲を知りえたのか。その理由はと言えば、実は同じことを劉逞も行おうと考えていたからである。奇襲を行う以上、相手の詳細な情報が必要となる。特に、敵本陣周辺の地理や軍の配置はとても重要な情報だった。そこで劉逞は、情報収集する為に密偵を放っていたわけだが、その密偵が偶然にも胡軫率いる別動隊による攻撃が行われることを知り得たのだ。すぐに彼らは、情報を伝えるべく劉逞の元へ人を走らせたというわけである。別動隊による奇襲を考えていたこともあって既に兵自体を揃えていた劉逞であったが、まさか敵が同じことを考えていたことに驚きを現していた。だが、これは幸運と言っていい。何せ迎え撃つには十分の兵が、既に揃っているからである。そこで劉逞は、敵本陣へ奇襲を掛ける別動隊となる白波衆を率いる郭泰に命じて迎撃を行わせたのであった。


「迎撃を命じる」

「はっ」

「では、そなたらはこの地点で待て。そしてできるだけ敵を引き付けたあと、奇襲を仕掛けるのだ」


 出撃を命じた劉逞の一言に続いたのは、筆頭軍師の盧植の言葉である。その彼がどうして敵の別動隊を引き込むのかと言えば、できうる限り牛輔に情報が届かない様にする為であった。こうして、知らず知らずのうちに死地へと飛び込んでしまった胡軫率いる別動隊へ郭泰率いる白波衆が奇襲を仕掛けたというわけである。郭泰は、楊奉と韓暹と李楽と胡才に命じてまず矢による攻撃を行っていた。奇襲を仕掛ける筈が逆に奇襲を仕掛けられた胡軫の別動隊は、大いに混乱してしまう。そこに、先に上げた四将に率いられた白波衆が四方から攻撃を仕掛けたというわけであった。

 弓による奇襲を仕掛けられるという想定外の出来事によって混乱したところに、さらなる攻撃を受けたのである。それでなくても混乱していた別動隊であり、混乱の度合いがより深まってしまう。とてもではないが、組織だった行動などできる筈もない。兎にも角にも、逃げ出す者や目の前の人物を敵と決めつけ攻撃する者なども出てきており、もはや軍としての体をなしてはいなかった。


「では、止めと行くか」


 敵軍勢の混乱度合いが最高潮だと判断した郭泰は、自ら得物を取って敵へ攻撃を仕掛けた。彼が漏らした通り、この攻撃こそが事実上の止めと言っていいだろう。郭泰に率いられた白波衆は、胡軫のいる敵中枢へと突貫したのだ。どうにか奇襲をしのいでいた胡軫であったが、ここにきての敵増援である。流石に堪え切れる筈もなく、胡軫の命は白波衆の誰とも分からない者の手によって討たれてしまうのであった。

 こうして胡軫率いる軍勢が白波衆によって蹂躙されているさなか、劉逞も動き始めていた。本来、奇襲する部隊へ充てる筈であった白波衆を胡軫率いる別動隊の迎撃に使っている以上、別の者へ役割を振りわける必要がある。そこで劉逞が呼び出したのは、呂布と張遼と高順と張楊である。また、それだけではない。反董卓連合終了後に仕官してきた高覧と麹義をも、呼び出していた。


「そなたらに、敵本陣襲撃を任せる」

『はっ』


 大将に任じられた呂布が率いる別動隊は、牛輔の本陣へ奇襲を仕掛けるべく出陣した。彼らは、先に述べた密偵の案内によって、敵から見つけられることもなく敵本陣近くへと到着したのだ。こうしてみると胡軫と同じようにも思えるが、だが明確に違いがある。胡軫の場合はわざと引き込まれた結果であるのに対し、呂布率いる別動隊は敵の情報を把握した上である。つまり、胡軫の様に、逆檄を仕掛けられる可能性はかなり低いのである。ともあれ、ここまで到達できれば、もはや隠し立てする必要も感じられない。すると呂布は愛用の戟を振り上げると、命令と共に振り下ろしていた。


「突撃ー!」

『おおー!!』


 呂布の命に従い、鬨の声を上げて別動隊が攻勢を仕掛ける。なお、別動隊の先頭にいるのは、張遼となる。彼はそのまま先頭で敵本陣へと突撃し、一番槍を付けたのであった。

別連載

「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

https://ncode.syosetu.com/n4583gg/

も併せてよろしくお願いします。



ご一読いただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 紀霊、逝ったのか。 なあ、アンタの守ろうとした袁術は、民や故郷を見捨てたぜ……。 アンタ、それで良かったのか?
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