第百五十三話~益州の戦乱 九~
第百五十三話~益州の戦乱 九~
建安四年(百九十九年)
益州北方で起きた反乱主導者趙韙による蜀郡成都攻めが失敗し、その後に腹心らによって捕らわれてしまった頃、袁紹率いる軍勢が交州と益州の境へと到着していた。このまま進めば、間もなく両州の境を越えて益州の牂牁郡へと入ることとなる。そして袁紹の目的は、今さら言うまでもなく益州への進軍である。彼に躊躇う理由などなく、間もなく益州牂牁郡へと進軍を果たした。すると彼の軍勢は、近くの毋斂を包囲する。彼我との兵数があまりにも違うことに抵抗は無意味とし、県令は袁紹へ恭順の使者を出す。彼もこれを受け入れ、袁紹は一兵も失うことなく拠点を手にしたのであった。
こうして短時間でこの地を手に入れた袁紹は、同地を仮の本陣とすると配下の文醜に逢紀を付けて牂牁郡治所が存在する故且蘭へ派兵する。やがて目的地に到着した文醜は、陣を敷き故且蘭に立て籠もる軍勢と対峙した。
果たして、故且蘭に立て籠もる軍勢だが、実は牂牁郡太守の軍勢ではない。ならば誰の軍勢なのかというと、この地で反乱を起こした朱則が率いる軍勢であった。彼の一族は郡内でも有数の力を持っており、彼自身も能力ある人物である。事実、彼が反旗を翻した時、郡丞という官職に就いていたのだ。郡丞とは、郡太守を補佐する立場である。事実上の郡内の第二位であることを考えれば、無能ではないことが分る。しかし朱則は、いつか現太守を除き、自身が太守になるべきだと考える様になっていた。その時に袁紹陣営から、誘いがあったのである。味方となれば、袁家の名をもって太守に任じるとの勧誘が。
そして前述した様に、太守を疎ましく思っていた朱則はこの誘いに乗ったと言うわけである。益州郡で雍右が反乱を起こした頃とほぼ同時期に、牂牁郡故且蘭で兵を挙げる。彼は郡治所を急襲し、太守を捕縛・殺害すると牂牁郡太守を自称する。その後は、郡内を勢力下に収める為、兵を派遣して鎮圧していた。因みに毋斂の県令だが、朱則が毋斂を押さえた際に任じられた者である。その就任時、彼はある命を伝えている。つまり、県令の袁紹に対する降伏は、初めから決まっていたことなのである。兵力差云々など、表向きの理由にすぎなかったのだ。
話を戻す。
故且蘭近郊に文醜の軍勢が駐屯したことを確認した朱則だが、降伏などしなかった。とはいえ、そもそも彼と袁紹の間では密約がある。その彼がなぜすぐに降伏しなかったのかというと、こちらも勧誘を担当した郭図の画策による者であった。確かに袁紹は、漢を打ち倒し自身が次の世の天下を取る野望を抱いている。しかも、できうる限り早急に、だ。しかし、彼の筆頭軍師を務める郭図からすれば、もう少し時間が欲しいと思っている。だからこそ彼は袁紹を諭して、漢への反旗を遅らせていたのである。つまり、益州の北部と南部で起きたこれらの反乱騒動は、時間稼ぎの意味合いも大きかったのだ。
ならば何ゆえに袁紹が軍勢を率いて進軍したのかというと、こちらも郭図から進言に従った結果であった。彼が反乱鎮圧の大義名分として袁紹へ進軍を促したのは、いまだに袁家は漢の臣下であると天下に知らしめる為である。前述した様に郭図は、できる限り漢の家臣としての期間を延ばしたいと思っているのだ。その間に地力を高めて、いずれ雌雄を決する。その為の雌伏の期間であると、諭していたのだ。若干不満を持ちつつも袁紹はこれを受け入れており、だからこそ彼は表向き漢の忠実な配下であるとした態度を崩さなかったのだ、
つまり両勢力の対峙は、表向きだけであろうとも、漢の家臣である袁紹と漢に反旗を翻した朱則との対決なのである。その様な経緯もあって、文醜率いる軍勢と朱則率いる軍勢は対立することとなった。とは言うものの、密約がある両軍勢の対峙など茶番劇以外の何物でもない。取りあえず一当てし、頃合いを見て朱則が袁紹に降るという筋道すらもできあがっていたのだ。しかし、ここで思いも寄らない出来事が起きる。それが何かというと、本当に人死を出してしまったことであった。実は両者の間で、対峙する際には約束事が交わされていた。その約束事とは、戦となる場合には刃引きした武器を使用すると言うものであった。前にも述べた様に、彼らの戦は結果ありきの茶番劇に他ならない。その様な戦で味方を減らすなど、お互いにとって損以外の何物でもない。だから怪我ぐらいならば仕方がないとしても、人死は可能な限り出さない旨を両勢力の密約として交わしていたのだ。それゆえ、文醜率いる兵の得物は当然、刃引ききた物が使われていたのである。しかし、なぜか朱則側の兵の一部では本当の武器が使用されていたのだ。事前に袁紹より聞かされていた事態とは真逆の出来事に、流石の文醜も思わず絶句してしまった。しかし彼は、袁紹配下でも一二を争う将である。僅かの間に気持ちを立て直すと、すぐに反撃の命を出したのであった。
「最早、遠慮はいらぬ! 敵を蹴散らし、故且蘭を落としてくれん!! 元図!」
「はっ」
「軍勢の指揮は任せる」
「お任せ下さい」
「うむ。我に続け!」
「おおー」
文醜は、騎馬団を率いて朱則本陣目掛けて突撃を開始する。頭を下げつつ送った逢紀であるが、その顔には笑みが浮かんでいた。しかして彼の顔にどうして笑みが浮かんでいたのかというと、今回の事態を起こした張本人の一人だからである。実のところ、朱則の軍勢でも約束は守られていた。だが実際には、袁紹側の兵に人死が出ている。そしてこの戦場において生じた矛盾を生み出した者こそ、逢紀だったのだ。
「誘いに乗り、簡単に反旗を翻す者など味方に入らぬ」
そう呟いた彼の表情は既に引き締まり、文醜より任された軍勢の指揮を行い始めていた。
ところで逢紀が、何ゆえに朱則と対峙する様仕向けたのかというと、策に他ならない。無論、彼の独断ではなく、袁紹の筆頭軍師である郭図以下、袁紹軍の頭脳ともいうべき彼らの策略であった。先ほど逢紀が呟いた理由も勿論あるが、それ以上にこれからのことを考えた結果である。そう遠くないうちに、袁紹は漢打倒のために北伐の軍を起こす。その際、簡単に裏切る様な味方などいらない。だから彼らを排除する為の理由を、作り上げたのだ。
「策が見破られなければ、密約を破ったのは敵である。ゆえにこちらは、何ら落ち度はないのだ」
そして彼には、朱則ごときには見破れはしないという自負がある。ゆえに問題はないと、思っていた。しかし、朱則は彼が思った以上に有能であったのだ。当初、文醜が怒濤の勢いで攻め込んできたという報告を聞き驚いていた。しかも、彼らは全員抜き身の得物を手にしているのだから、約束を守っている彼からしてみれば驚きしかないだろう。そこにきて、彼の元にある知らせが届く。その報告とは、味方の兵が袁紹の兵を幾人も殺してしまったと言うものであった。
「どういうことだ! 厳命したはずだぞ!」
「勿論、分っております。しかし……」
そのまま報告してきた者が言い淀んでしまったことに、報告が嘘ではないことを彼は悟った。しかしながら、そうなると誰が自身の命を破ったのかということに疑問が出てくる。確かに功を焦り、一人や二人ぐらいは命令に従わない者が出てくることは考えられる。だが、知らせを聞く限り、それなりの味方が約束事を破って着る様に感じられるのだ。だからこそ、そこに違和感を抱いていた。
「それなりの数の味方が、我が命を破った……しかし極少数ならばまだしも、こうして報告が届くぐらいの人死が出ているとなると話は別だ……人死……命に従わない一部の味方……そうか!」
ついに彼は、この戦い。いや、袁紹側が仕掛けた策に思い至った。つまるところ味方の命令違反も、予定通りなのだと。要するに我らは、体のいい捨て駒なのだ。袁紹が、益州南部、あるいは益州全体を手にする為の。だからといって、今さらどうにも出来はしない。自身も含めて、漢への反乱という公的に討伐出来る理由を自ら作っているのだ。事ここに至っては、後戻りなど出来るはずもなかった。
「我らを謀ったか、袁紹めが! 誰かある」
「はっ」
「おう。そなたか。ちょうどいい。そなたは城に戻り、妻子を逃せ」
「朱則様はいかがなさいますのか!」
「我は残り、時間を稼ぐ! 是非もないわ」
「……承知致しました」
主人からの命を不承不承飲み込むと、背中に不満を表しながらも朱則の前から下がる。すると彼が消えてから間もなく、朱則の元に配下の者たちが現れたのであった。
「最早、味方の不手際なのかも分らぬ。だが、我らから見て謂れのない攻めにも従う気もない。我らの意地、袁紹へ見せつけてやろうではないか」
「おお」
こうして文醜率いる軍勢と朱則率いる軍勢は、全面対決へと移行する。方や裏切られたと思っている文醜側であり、方や敵に嵌められたと見抜いている朱則率いる軍勢である。どちら側にも、引く要素はなかった。しかしながら戦場の推移は、文醜側に傾いていく。そもそもからして、兵数は袁紹側の方が多いのである。しかも率いるのは、袁家の双璧の一人として顔良と並び称される文醜なのだ。いかに朱則が有能であっても、勝機を見いだすことは難しかった。味方が一人減り二人減りしていき、その分だけ生き残っている者たちへ負担としてのし掛かっていく。それでも朱則らは諦めず、最後の最後まで足掻き続ける。そしてついには、他でもない朱則が最後の一人となっていた。
「我は、朱則! 敵将よ、恥を知るならば、我との一騎打ちを受けてみよ!」
「たわけたことを言うではない、朱則とやら。我からすれば、良くも名乗れたものだと呆れるわ」
「何だと!」
文醜の言葉に、朱則は声を荒げる。しかしそんな彼の声に勢いこそあるが、その身は別であった。体のあちこちに傷を負っており、いまだに立って武器を振るっているのが不思議なぐらいなのだ。だからこそ、約束を破り裏切られたと思っている文醜も姿を現したのである。とはいえ、裏切られたという思いもある。そのゆえの、彼からの返答であったのだ。
「しかし、我には敵を嬲る癖もない。よって、格別の慈悲を持って我が引導を渡してやろう」
彼は愛用の得物を構えると、静かに佇む。間もなく朱則も得物を構えたが、体が負っている傷の影響があり手にしている得物も震えている。それでも情けない姿は見せられないとばかりに、彼は四肢に力を込める。すると不思議なことに、得物の震えも収まっていた。これならば行けると朱則は、愛用の得物を振りかざして突撃する。そして文醜に肉薄すると、一気に得物を振り下ろしていた。生涯で最高と称していいぐらいの一撃に、朱則は自然と笑みを浮かべる。しかしその一撃を持ってしても、文醜には届かなかった。彼は朱則の一撃を紙一重で避けると、抜き打ちを胴へ叩き込む。胴体の半分くらいまで切り裂かれた朱則は、そのまま吹き飛ばされ地面へと叩き付けられていた。
「……がはっ」
口から吐血し、半ばまで切り裂かれた胴からは大量の血が流れ出ている。これでは流石に、体を起こすこともできない。そして口から出てくる血のせいもあって、言葉もしゃべることが出来ない。最早彼に出来ることは、恨みの籠もった視線を向けつつまだ動く手を伸ばすだけである。しかしながらその腕も伸ばし切る前に下がり、恨みの籠もった目も開き続けることが出来ず間もなく閉じたのである。
「敵将、討ち取ったり!」
文醜の宣言を持って、故且蘭の戦いは終わりを見せたのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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