68勤
私達は、私のベッドの上で目が覚めた。あいにく王族御用達ベッドではないので二人で寝るとぎゅうぎゅう詰めだったけれど、目眩がするほどの動揺に襲われていた私は、すぐにルスランに抱きつけてほっとした。
「よかった……起きた……」
ベッドの横でまんじりともせず待機していたロベリアが、長い長い息を吐く。まさかそこにいるとは思わなくて、慌ててルスランから離れたらベッドから落ちた。その音に驚いたらしいネルギーさんがノックもなしに扉を叩き開けたため、私の部屋の扉は臨終した。今晩は扉を開け放して寝るか、レミアムで眠ろう。
すぐに全員でレミアムに戻る。時計を確認している余裕もなかった。慌ただしく舞い戻ったルスランの寝室では、ロベリアと同じくマクシムさんがまんじりともせず鏡台の前で待機していた。私達が現れた瞬間、珍しくほっとした顔をしていたのが印象的だった。
私達は、どこか慌ただしいお城の中を、ネルギーさんを引っ張り、背を押し、精一杯の速度で駆け抜ける。ルスランとマクシムさんは職務へと戻った。この現状で王と宰相が二人とも欠けるのはまずいと早足で消えた。それについていこうとしていたネルギーさんは、私とロベリアが文字通り引き摺ってきた。倒れたネルギーさんには、強制休息命令がルスランから出ているので、心置きなく引き摺っているところである。
コレットの部屋に駆け込む。ベッドの横にいた看護師さんが慌てて場所を譲ってくれた。コレットの枕元に、生命維持石は、なかった。
「コレット!」
声を絞ることも忘れ、走り寄る。スライディングに近い勢いでベッドの横に膝をつき、コレットの手を握った。一瞬ビクッとなった手が、弱々しく握り返してくれる。
「……びっくりしたわ」
「ごめんね! おはよう、コレット!」
「おはようございます……わたくし、随分、寝ていたのね。いま、話を聞いて、驚いていた所なの」
掠れた声だ。けれど確かに喋っている。目覚めて、手を握り、喋っているのだ。
「ふっ……うぇ…………」
「な、何も泣かなくてもっ」
「だってぇ……」
いろいろあって涙もろくなっている所なので許してほしい。手を両手で握りしめ、ぼろぼろ泣く私に、コレットは苦笑に近い顔で小さく笑う。
「……夢をね、見ていたの」
「……うん」
「まだ、わたくしがとっても小さな頃……まだ皆、誰も失っていなかった、幸せな頃の」
「うん」
「でも、そんなの幻でしょう? だからわたくし、すぐに夢だと気づいたの。でもね、出口が見つからないの。ずっとずっと探したわ。けれど夢が続くの……怖かったわ。このまま覚めなかったらどうしようって、恐ろしくてならなかった。だって、もしもわたくしが一生目覚めなかったら、お兄様が一人になってしまうもの……わたくし、お兄様に大事な方が出来るまで、絶対に死なないって決めているんですもの」
「そういうの、直接言ったらいいと思うよ」
「そんなの無理だわ。だってお兄様……お忙しいのだもの」
「だそうです、お兄さん」
「あら、そんなこと言って動揺を誘おうとしても駄目よ。わたくし騙されたりしな…………」
まだ少し閉じがちだったコレットの目が大きく見開かれる。長い睫毛が震える様までしっかり見える瞳には、私の肩越しに入り口で立ち尽くすネルギーさんの姿がはっきり映っていた。
「コレットあのね、ネルギーさん倒れたんだよ」
「え!?」
「それで、今日はルスラン公認でお休み。しっかり見張ってね。もし仕事しようとしたら、体当たりしてとどめ刺してね!」
「とどめを刺しては休養の意味がなくってよ!?」
悲鳴のような叫びと一緒に慌てて起き上がったコレットは、目眩を起こしてベッドに倒れ込む。生命維持石がついていたとはいえ、ずっと眠っていた人を興奮させるわけにはいかない。
私は神妙に頷き、ネルギーさんをこっちに押し出しているロベリアに加勢する。背中から体当たりし、部屋の中に押し込んでしまう。
「月子様、余計な気は回さなくて結構です。そして、同情したら殺します」
「同情はしてませんので殺さないでください! 私はただ、友達の味方なだけです。ネルギーさん、レミアムはずっと、感情捨てなきゃ成り立たない国ですか? いつまでですか? その期間、いつか終わりますか? 外では鬼の宰相でも、家庭内では優しいお兄ちゃんでも、いいと思います。ルスランも、別に怒ったりしないと思います」
「余計な気は」
「余計なお世話上等で言ってます。無知で無謀で馬鹿な小娘じゃなきゃ言えないこともあるって思って、言ってます。たとえ夢見がちであっても……理想は悪じゃないって、思うんです。別に私の理想が素晴らしい物だとか価値ある物だとか言いたいわけじゃありません。でも、こうなりたいとか、こうあってほしいとか、願うことは、いけないことでしょうか。過ぎたる理想は悪にもなるかもしれません。でも、私、ずっとこのままだといいなって、思えないんです。レミアムがずっとこのままの形で続けばいいなって、全然、全く、これっぽっちも思えなくてですね…………だから、あの、あれです、ほらあれで…………じゃあ、まあそういうことで」
自分でもうまく纏められなくて、最後は扉を閉めることで逃げてしまった。そぉっと扉を閉める。
「王妃様、締まらねぇー……」
私の隣には、それは見事なチベットスナギツネがいた。
チベットスナギツネと並び、混み合っている建物の入り口から中を覗き込む。中はまさしくてんてこ舞いの阿鼻叫喚。目覚めたばかりで事情が分からずきょとんとしている人、起こされたことを憤慨している人、目覚めた人に歓喜している人々、それらの中を走り回っているお医者さんは看護師さん。外されては放り投げられて箱に収められる貴重な生命維持石。丁寧に扱う余裕はとっくの昔に消え失せているようだ。
入り口に立っている人は、前回ここに来たときと同じ人だった。私とロベリアを見て、「ひぃっ!」と悲鳴を上げたけれど、慌てて人差し指を口元に当ててお黙ってくださいのポーズを取ると、両手で口元を塞ぎ、こくこくと必死に頷いてくれた。
これは中に入らないほうがよさそうだ。皆それぞれの職務と感情で大忙しだし、私に構う暇はないだろう。起きたくなかった人は、何を置いても私に構う余裕しかないだろうけど。
そう判断しても、知っている人の姿が見えないものかと粘ってみる。
「王妃様、あっち」
ロベリアの指さす先を辿れば、エツさんの姿が見えた。ツェリさんにスイちゃん、そしてきっとカト君を全員纏めて抱きしめている。スイちゃんは押しつぶされてちょっと不満そうな顔で周りを見ている。そんなスイちゃんと目が合った。何かを言っているけれど、流石にこの距離では遠すぎて聞こえない。手を振って、この場を離れようとしたら、あのお婆さんとも目が合った。お孫さんを抱いている。お婆さんは、深々と頭を下げた。その横のベッドでは、おじさんが息子さんを抱きしめて泣いている。笑っている人、怒っている人、泣いている人、びっくりしている人、暇そうな人、眠そうな人、お腹空いてる人、忙しい人。様々だ。
起こしてほしくなかった人もいるだろう。だけど、起きてもらわないと困る。望もうと、望まざると、夢は現実の合間に見るから夢なのだ。
私はお婆さん達に頭を下げ、その場を離れた。
「春野、何ぼーっとしてんだ?」
空いた前の席にひょいっと座った浜辺君にびっくりする。次いで、大あくびしてしまった。結局、なんとか休み中に騒動が収まったので月曜日から学校に来ているけれど、お母さんの言うとおり今日は休めばよかったかもしれない。だるいし、眠すぎる。よく寝てはいたけれど、全く休息にならない睡眠だったので体力が削れまくったようだ。でも、もう放課後だし、バイトも行く予定である。ルスランもほぼぶっ続けて仕事をしているので、どこかで休憩を挟むようマクシムさんが隙を見計らっていると聞く。肉体的にもそうだけど、精神的にもなかなか過酷な日々だったから尚更である。
「お前、今日一日だるそうだったよなぁ。なあ、今日のバイト休んじゃえよ」
「やーだー。いまバイト先てんやわんやで忙しいの」
学校を休んじゃおうかと思ったくらいである。
今までは、ルスランとその周辺の人だけのいわゆる身内会議だけだったけれど、今回の件は夢の中の様子を知っているのが私だけなので、私も本式の会議に参加している。といっても、事前にルスランと打ち合わせした内容から、聞かれた物を答える形だけれど。
ルスランの未来のことは公表されていない。全て身内会議内で秘められている。
新しいことは緊張も多くて疲れることが多いけれど、廊下を歩いているとたまに「王妃様、こんにちはー」と声をかけてくれる人がぽつぽついるようになった。それが嬉しくて、間隔を空けずに訪れるつもりだ。親しくなり始めに夏休みなどで会わない間隔が空いてしまうと、何だか気まずくなって関係がリセットされてしまうこともあるから気が抜けない。
「お前さぁ……彼氏って嘘だろ?」
「人を嘘つき呼ばわりするからには、それなりの証拠があるんでしょうね?」
日直だったため、日誌を職員室に届けてきた知歌子が浜辺君の頭に肘鉄を落とした、わけではなく、頭に肘をついた。
「やめろよ、かっこ悪いだろ」
「まーだ諦めきれずにぐだぐだ絡んでるほうがかっこ悪いよ」
今日は新しい彼氏とデートの知歌子と途中まで帰り道が一緒なので、教室で待っていたのである。何故か小突き合いをしている二人を欠伸しながら見ていると、鞄が震えた。
「あれ? お母さんだ」
私はお母さんからの電話に出た。もう一度言おう。お母さんと表示された電話に出た。
『月子』
「ルっ……スラン!?」
『学校前にいるんだが、まだかかりそうか?』
「は!?」
予想していなかった内容に、止まりかけていた思考にとどめが指された。完全に混乱した頭のまま、窓の外を見る。校門の道路向こうに、見慣れた人が見慣れたこの世界の服を着て見慣れない状況で立っていた。
何度見直しても、ルスランが立っている。私の願望が見せた幻の可能性も捨てがたいけれど、帰宅途中の生徒が普通に通ろうとして道路向こうのルスランに気づき「……えぇ!?」みたいな感じで二度見していくので、どうやら現実らしい。
「…………ほんとにいる」
『いるって言っただろ』
「なんでいるの!? 忙しいんでしょ!?」
『…………時間が、空いたからな』
いきなり歯切れの悪くなった返事に疑問を感じたけれど、それどころではない。あの人をこの世界で一人で立たせることに、多大なる不安を感じる。ルスランはちゃんと大人で、場に合わせた行動を取れる人だと信じているけれど、如何せん存在自体がとんでもない人なのだ。立ってるだけでやんごとない人だし。
「ちょ、すぐ行くから待っててよ!?」
『お前を迎えに来たのにどこかに行くわけがないだろう。慌てず転ばずぶつけず擦りむかず、ゆっくり来い』
微妙にお母さんみたいなことを言って、私の返事を待たずに切られた電話を無言で見つめる。電話が切れた後の真っ暗な画面には、ぽかんとした私が映っていた。
「ご、ごめん、知歌子! なんかルスラン来ちゃったから帰る! あ、浜辺君もばいばい!」
「ばいばーい、転ばないよう気をつけて行きなよー。浜辺ー、もう諦めなよー」
知歌子からも若干お母さんっぽい言葉をかけられた。普段からそんなに転んでないはずだけれど、落ち着きのなさが心配をかけてしまうのだろう。ばたばたと教室を飛び出し、廊下を走る。前から先生が歩いてきたときだけ早歩きに変更した。競歩の速度で先生をやり過ごし、後は階段を駆け下り、辿りついた玄関では過去最速で靴を履きかえて外に飛び出す。
玄関から校門までこんなに遠かっただろうか。もうとっくに切れている息を根性で繋ぎあわせ、一気に駆け抜けた。校門前を飛び出し、超特急で右左右と車を確認して道路を渡る。ルスランは道路の向こうで、興味深そうに景色を見ていた。近くで見て、確信を深めた。この人、やっぱりどう頑張っても一般人には擬態できない。
「ルっスラーン!」
「早かったな」
「なんでいるの!?」
「牽制」
「県政?」
ルスランはちらりと校舎のほう見て、「いや」と言葉を切った。県政がどうしたのだ。私の住むこの県の県政がレミアムの国政の参考になるのだろうか。首を傾げていた私の手が、ルスランによって掬い取られた。そのまま、ダンスのようにくるりと一周回される。
「……何だか少しよれてないか?」
「……慌てて転んでぶつけて擦りむきました」
「お前なぁ」
全身を確認された後も手は離されない。そのまま握られて、私は首を更に傾けていく。ラジオ体操みたいになってしまった私に、ルスランは呆れた目を向けたりしなかった。何故か若干人の悪い笑顔を浮かべて、繋いだ手にキスを落とす。
「愛してるぞ、月子」
異世界じゃないこの世界で、私の住む町で、人前で、私の通う学校の前で、とんでもないことをした上にとんでもないことを言った私の大事な人は、真っ赤になった私の額にもキスを落とした。