26勤
舗装された道を、馬車に乗って進む。思っていたより揺れず、スピードもあるので、まるで車に乗っているみたいだ。
開けっ放しにしている窓の外には、見たこともない光景が広がっている。紫色の花が咲き誇った場所に真っ白な木が生えていたり、驚くほど大きな鳥がいきなり小さくなったり、家が浮いていたり、湖が浮いていたり、人が浮いていたり。
ちょっと浮きすぎだと思うので、みんな落ち着いて地に足のつく生活をしてほしいと思っていたら道路も浮いていたときの私の気持ちを、誰か分かってほしい。
三叉路の内、川に向かっていた一本が空に向かって伸びていたのを見て、思わず真顔になったものだ。この世界で地に足をつけて生きるのは、どうやら思ったより難しいようだ。
生まれて初めて馬車に乗り、生まれて初めての景色が次から次へと流れていく。曾お婆ちゃんの、そしてルスランの故郷をこの目で見られてうきうきしていた私だけれど、いい加減隣が気になってきた。
靴を脱いで膝立ちになり、窓の外ばかり見ていた視線を馬車内に戻せば、ルスランの後頭部が見える。考える人ならぬ考えルスランは、馬車に乗ってからずっとこのままだ。
「もー、いつまで落ち込んでんの?」
「…………落ち込んでない」
どんなに甘い判定で判断しても、落ち込んでいるとしか思えない声で答えられた。
「反対されなかったからいいじゃん」
「…………反対されてたらこんな落ち込みで済むと思うなよ」
「やっぱり落ち込んでるじゃん」
うぐっと呻いたルスランが顔を上げたのと同時に、その隣に座り直す。とりあえず靴を履こうと足で探るけれど、思っていた位置に靴がない。あれ? 靴どこ行った?
視線を落とせば、思っていたのとは全然違う位置に移動していた。あまり揺れないとはいえ、進んでいるのだから振動はある。その振動で少しずつ移動してしまっていた靴を、ルスランが取ってくれた。さっきまで下を向いていたので、移動した靴の位置を把握していたようだ。
「ありがとう。それで、なに落ち込んでんの?」
「…………俺が、挨拶も無しにお前と付き合うような男と思われていたことだ」
「…………ルスランって、庶民派だと思ってたけどそういうところお育ちがいいって感じがする。それと、お母さん達に関してはそれ以前の問題だった気がする」
そう言ったら、ルスランはなんだか複雑な表情になり、更に落ち込んでしまった。
どうしたものかと悩みながらその背を擦っていたけれど、延々と落ち込み続けるのでだんだん飽きてきた。ルスランの髪を一束借りて、三つ編みして遊ぶ。
三つ編みが四本できたところでルスランが顔を上げた。
「付き合っていると報告した直後に、あっさり泊まりの許可を出された俺の気持ちも考えてくれ……」
「お泊り楽しみー!」
「違う!」
「えぇー!」
そうなのだ。私は今日、この世界で初のお泊りを体験するのである。
私のお泊りグッズは別の馬車に積まれているのでこの馬車には無いけれど、昨日は大変わくわくした気持ちで荷づくりした。まあ、わっくわくで荷づくりしている私を見たルスランに「その荷物全部要らないぞ?」と言われたけれど。
初めての日帰らない王妃誕生に、私のテンションは鰻上りだ。わーいと両手を上げても壁にぶつかったりしない王様御用達の馬車は、横は広くて天井も高く、ついでに立派だ。
レミアムの王様を乗せた立派な馬車は、王都から少し離れた海を目指していた。正確にいえば、海に浮かぶ孤島が目的地である。その島で、レミアム中の魔術士が集まっての大きなお祭りが行われるのだ。
王としても、最高峰の魔術士としても参加しなければならないルスランは、その予定を私に話しながら「…………………………一緒に行くか?」と聞いてくれた。もちろん「一緒に行く!」と即答した。
だって、今までだったら絶対に、その間はバイト休みだこっち来るなとなっていただろうに、一緒に行くかと、聞いてくれたのだ。その前にかなり躊躇っていた気もするけれど、そこは気にしないことにした。
日程も、ちょうどよかった。校舎の工事が入るとのことで金曜日の授業は午前中までで、月曜日は祝日だ。私は日帰らない王妃をルスランに提案し、難色を示したルスランの説得に成功した。ルスランへの説得に三時間、お泊り許可を両親に貰うのに三秒。苦節三時間三秒を経て、レミアムへの初めてのお泊りが決定した。
その時のことを思い出していたら、またテンションが上がってきた。うずうずしていてもたってもいられず、さっきまで外を覗いていた窓から顔を出す。
「ローベーリーアー!」
「は、はい、王妃様っ」
マクシムさんと一緒に御者台にいるロベリアが、おどおどしながら、慌てて振り返った。馬車を引いているのは、馬のような猫のような不思議な生き物だ。顔は猫なのに、尻尾や足の長さは馬で、でも蹄は無く爪が見える。見れば見るほど不思議だ。
その謎の生き物を操るマクシムさんの隣で、困ったような、泣きだしそうな顔でびくびくしているロベリアの手は、びしっと馬車の中を指さしている。
「あぶねぇから首引っ込めろ、王妃様。っていうか、用事あるならここ使ってくれよ。これ何のためにあるか知ってるか? 貴人が無闇に顔出さなくてもいいようにあるんだよ、王妃様」
ロベリアは、御者台と馬車を繋ぐ小窓をこんこんと叩く。
「貴人になったことなくて……。海、もう見える?」
「もうちょい。見えたら教えるから、首引っ込めといて」
「はーい」
大人しく席に戻ると、ルスランが深い溜息を吐いた。浮かれてどうもすみません。これからもっと浮かれる予定です、とは言わないほうがよさそうだ。
「お前、一応もう貴人だからな」
「はいはいはーい。じゃあ、王妃様の心得とかの勉強したいです!」
何回か言っているけれど、なんだかんだとはぐらかされてきた要求をここでも繰り出してみた。
「まあ、また今度な」
しかし、ルスランにその気はないらしく、またさらりと流された。その今度を信じて待っているけれど、一向に訪れる気配はない。だからといってレミアム事情に詳しくない私が、繊細な問題をがんがん押していくわけには行かず、今日に至る。王妃になってもう一ヶ月は経つのに、一切王妃になっていない自覚はあるけれど、こればっかりはどうしようもない。
今日も流された話題を追いかけるのを諦めて見送り、他の話題に切り替えた。
「ねえ、お祭りってどんなことするの?」
とても真っ当な質問をしたつもりだったのに、ルスランは何故か考えこんでしまった。
「……魔術士達の発表会だの物品販売だの色々、としか言いようがないな」
「もうちょい詳しくお願いします」
「研究発表も、世紀の大発見から、色物まで、本当に自由なんだよ。生命創造系の発表、発売は禁止してるけどな。そういう類の発表は、また別に設ける」
「研究は禁止じゃないの?」
さらっと言われたけれど、結構怖いことじゃないんだろうか。クローンや遺伝子操作といった研究がどこまで制限されるべきなのか、私は知らないけれど。
頭の中で、奇天烈な生き物や奇声を上げる怪獣が走り回る私を見ながら、ルスランはさっき私が作り上げた三つ編みを解いている。
「禁止しようにも出来ないんだよ。この馬車を引いてる猫馬だって、偶然の産物で生まれた生き物だしな」
「そうなの!?」
「ああ。昔、馬に猛威を振るった疫病があってな。その薬を研究していた魔術士が、最後の仕上げの魔力を注ごうとしたところ、開けっ放しになっていた窓の外を猫が通りかかったんだ」
「…………ん?」
「猫は窓の前で立ち止まり、魔術士を向き、言った」
「…………なんて?」
「にゃあ」
正しい。紛うことなく、正しい猫である。
「魔術士は思った」
「…………なんて?」
「あ、可愛い」
正しい。猫を前にした人間としてこれ以上ないほど正しい感情である。
「その結果、疫病の薬じゃなく、疫病に強い生き物が出来上がった。馬と猫のことを考えていたから、お互いが混ざりあった新生物の誕生だ」
「なんで!?」
「そういうものなんだよ、魔術は」
「えぇー……」
「だから、禁止しようがないんだ」
私が思い描いていた格好いい魔術と違う。でも、そういうものなのかもしれない。
機械を操作しているのではなく、自分の身体を動かすように使っていると言っていたから、無意識の思考が混ざりこんでしまうことがあってもおかしくない。それがそのまま反映されてしまうとなると、確かに禁止するほうが難しいだろう。
この馬車を引いている猫馬の可愛い仕草を思い出して、心がほんわかする。名前はちょっとどうにかならなかったのかと思わないでもないけれど、あんな可愛い生き物が偶然生まれてくるなんて、ここはなんて幸せな世界なんだ。
「ただ、他国で開かれた祭り内で発表された新生物が獰猛な人食い生物だった所為でかなりの被害を出したんだ。だから、不可抗力ならともかく、人が大勢いる場での発表はそれなりの規制が入る」
そんな恐ろしい生き物が偶然生まれてくるなんて、ここはなんて恐ろしい世界なんだ。
思わず震えあがった私に、ルスランは苦笑して手を上げた。そのまま頭に乗ろうとした手が、ぴたりと止まる。そして、そのまま私を通り越して窓を閉めた。
「……まあ、そういった事故を防ぐために規制してるんだ。滅多なことじゃそんな事態は起こらないさ…………フラグじゃないぞ?」
「いま絶対自分でもフラグっぽいなって思ったでしょ!?」
「まあな」
「こんな所にいられるかっ、俺は帰らせてもらう!」
ミステリーでお決まりの台詞を胸を張って堂々と言い放ったら、ルスランは自分の膝に肘を乗せ、手の甲に顎を置いて私を見た。そして、へーと、凄くどうでもよさそうな声を出す。
「鏡台は俺が持ってる上に、お前、俺無しでどうやって帰るつもりなんだ」
「が、頑張って」
「へー。帰ってもお前の夕飯ないけどなー。お父さん達、外に食べに行くって言ってたからなぁ」
「ぐっ!」
「俺といたら、豪華フルコースか、屋台めぐりとB級グルメ食べ放題がつくんだけどなー」
「ルスラン大好きー!」
わーいと両手を広げて飛びつけば、凄い勢いで避けられた。王様御用達馬車の広さが、こんなところで仇になるとは思わなかった。




