24勤
そうして私は正社員になったわけだけど、まあ、特にこれと言って何かが変わったわけじゃない。
私が月光石だということは、秘密にされることになったとルスランから聞いた。大々的に発表したら大騒ぎになるかららしい。恐らく協会には知られたそうだけど、声を大きくして月光石を渡せと言ってこないからには向こうも秘匿するつもりなのだろうとのことだ。
つまり私は、いつも通り魔力0の日帰り王妃である。
「つき合いだしても、あんま変わんないもんだねぇ」
次の日、土曜日だから朝から出勤した私は、窓枠に肘を置いて溜息を吐いた。
その横で、大人しめのドレスを着た少女が、同じポーズで深い溜息を吐く。その両手には包帯が巻かれているのに、痛くないのだろうか。
「……別にさぁ、結婚してから恋が芽生えるのは全然いいと思うんだけどさ、相手の為に死んでもいい覚悟の後に芽生えさせるのやめてくれる?」
「順番なんてどうでもよくない?」
「俺も普段ならそういうほうだけど、この件に関してだけは異議を申し立てたい。恋愛結婚だと信じていたのに、愛結婚恋だった俺の戸惑いを王妃様は知るべきだと思うし、語呂も悪すぎてこれはひどいとしか言えない」
「えぇー?」
昨日の大騒動が嘘みたいに、お城はつつがなく回っている。
幾何学模様の天井はくるくると色を変えるし、相変わらず扉は開かないし、窓は閉まらないし、明かりはつかないし、椅子はこっち向いてすらくれないし、橋は出ないし、じゃがいもは異世界感溢れる名前だし、私は日が変わる前に帰る。
「ねえねえロベリア」
「あー?」
「水中庭園と空中庭園壊されちゃったけど、新しい庭園できるの?」
「あー……空中水園ができてるそうだけど、行く?」
なんだその、私との相性0%みたいな庭園は。行くに決まってるじゃないか。
ぴょんっと身体を起こし、伸びをする。
いざ、目指せ私との相性0%庭園。
しずしずと歩きながら大欠伸するロベリアに案内してもらって、新しい庭園を目指して歩き出す。
平然と歩いているけれど、ドレスの裾からちらちらと見える包帯が気になって聞いてみる。
「ねえ、ロベリア」
「んー?」
「その怪我さ……魔術で治したりできないの?」
「治してもいいけど、あんま多用するとほんとの大怪我のときに耐性が出来て治りづらくなるから、治せるもんは身体の治癒力に頼ったほうがいいんだよ。まあ、怪我を他者に移したり、入れ替えたりとか、色々方法はあるし、王様は自分で治せるけど、普通は多少の怪我はほっとくのが定石かな。癒術は難しいもんだから、両者の消耗も激しいし」
「そうなんだ。痛そうだけど自分で治したほうがいいんだね。早く治るといいね」
「お、う?」
快癒の御守りでも買ってこようと予定を立てながら、それはそれ、これはこれとして自分のカーディガンを引っ張って溜息を吐く。
目敏く気づいたロベリアが眉を上げる。
「……何? 王妃様怪我したの? 昨日は無いって言ってただろ」
「あー、いや、大したもんじゃないんだけど、エインゼに噛みつかれたやつがさ、結構お風呂染みてさぁ」
「噛みつかれたって……あ」
「へ?」
眉間の皺をぎゅっと深くしたロベリアの眉が、今度はぱっと別れた上に垂れた。急速に別れたロベリアの眉毛は喧嘩でもしたのだろうか。仲直りしたほうがいいよ。やっぱり眉毛でも離婚はしないほうがいいと思うんだ。末永くお付き合いしよう。仲良きことは美しきかな。
何故か真っ白な顔色になったロベリアにぎょっとした瞬間、ぽんっと肩に重みが乗った。
「いっ、たぁ……」
ちょうど傷痕があるほうだったから、突如走った痛みに思わず声を上げてしまった私の耳元に、大変聞き慣れた声が吹き込まれた。
「月子さん」
「ひゃい」
「お話があります」
「ひゃい」
振り向けず、ロベリアを見たままふるふると首を振ると、ふるふるふるふるふるふると何倍もの速度と小刻みさで振り返された。護衛に見捨てられた私の悲しみは、学校のプールよりも浅く、ジャングルジムよりも低い。この恨み、今日のおやつ三分の一献上で晴らしてやる。
ばいばーいと青褪めた顔で手を振る護衛に見捨てられた私は、痛くないほうの肩に手を回して引きずるように歩き出した幼馴染兼遠縁兼家族兼上司兼夫兼恋人を見上げた。
「ル、ルスランさんルスランさん」
「何でしょう」
「自分で治したほうがいいって、聞きました」
「そうですか」
ことさら丁寧な物言いに、へらりと愛想笑いしてみたら、にこりと返ってきた。あ、これまずいやつ。長い付き合いの勘が盛大に警告音を発しているけど、対策法は一向に出してこない。私の長い付き合いの勘、役立たず。
「月子さん月子さん」
「……何でしょう」
「痛くないのと痛いの、どっちがいいですか」
「怖くないのがいいです!」
「エラー。選択肢が存在しません」
「えぇー!?」
その日私は、日帰り王妃の名に恥じぬ華麗なる日帰りっぷりを発揮したけど、そんな私を責める人は誰もいなかった。
「月子、覚悟」
「それ、何でも許される魔法の言葉じゃないからね!?」




