第94話 トゥームと機巧槍兵
中央王都をぐるりと囲む巨大な壁は、侵略者への防衛のみの理由で造られたわけではない。
都市が台地の上にあるが為、強風にさらされる時節がある。『人々の営みを、自然の暴風から守る』それも造られた理由のひとつだ。
中央王都の舗装された地面は、人や馬車の往来だけを考えて設計されているわけではない。
広大な台地の風化を抑止する効果をもたらし、大雨が降ろうとも水を効率的に外へと排出する機能を有している。更には、植物や雑草の自然発生をも抑えていた。
魔含物質を内包する自然の力は、三郎が元居た世界以上に人の生活を侵食する速度を持っている。
故に、人々は魔導技術による建築様式を発展させ、風化への対応を長年にわたり行ってきた。それらは、図らずともグレータエルート達の行使する精霊魔法を、減衰させる効果をもたらしていたのだ。
しかし今、教会と王城の前にある広場において、精霊の精霊による精霊のための『流れ』が構築され始めていた。
「・・・空気が、変わりやがった。ちっ!あの火柱、何らかの合図だったか」
舌打ちしたラスキアスは、統制乱れぬ動きによって被害を軽微に抑えている直属の部隊『機巧槍兵』へと指示を出す。それは、教会とグレータエルートの軍勢への攻勢を強めろとの命令だ。
無理に突出して無駄な被害を出さないため、全軍の足並みを揃えさせていたのだが、足並みをそろえていては後手に回ってしまうような予感がラスキアスの肌をひりつかせた。
当然、第一兵団へも作戦の変更が即座に伝えられる。
戦場の様相は、いまだ教会とグレータエルートの軍勢が、後退しながら防戦しているという状況に変化はない。
セチュバー軍全体の統制も整い、数の優位のままに教会本部まで押し切るとの指示が出ている中での、突撃命令ともとれる唐突な命令変更。
軍の規模が大きければ、それだけ動きを変えるのは容易ではない。戦いの最中ともなれば尚更だ。
だが、機巧槍兵の中に一切の動揺は見られなかった。第一兵団とそろえていた足並みを崩し、一歩二歩と前進する圧力を強めていく。
現段階において、ラスキアスと同様の命令が下せる指揮官は存在しないだろう。それほどに、場の雰囲気と呼べるほどの軽微な変化から感じ取った作戦変更だったのだ。
ラスキアスの戦勘、ただそれだけが指示となり、ただそれだけに機巧槍兵は従っている。
「よく訓練されているな」
ラスキアスの隣で、槍を振るう老齢の修道騎士から称賛の声がかけられる。
「モルーお前、褒め言葉を言うタイプだったか?っつーかよ、第一兵団も命令どおり動こうとはしてやがるが、やっぱ遅ぇな」
致し方なしといった表情で第一兵団を一瞥するとラスキアスは言った。
第一兵団も十分に訓練された優秀な兵士の所属する軍だ。命令を受けてからの行動として遅いことは一つもないのだが、どうしても手足のように動かせる機巧槍兵と比べてしまうと、ラスキアスの口から遅いという感想がもれてしまう。
「比べてやるな」
モルーがラスキアスに言った矢先、無数の風の刃がセチュバーの軍勢へと襲い掛かってきた。
モルーは修道の槍で受け流し、ラスキアスは大剣の槍で風を切り裂く。機巧槍兵達も飛来する刃の気配を察知し、ラスキアス同様に大剣の槍を振るって見せた。
「なんだなんだぁ、重さが違ぇじゃねぇか。今更、本気になったとか言うんじゃねぇぞ」
口元を笑いに歪め、ラスキアスは再度飛来した風の刃を叩きつけて消滅させる。
大剣の槍から伝わる手ごたえが、これまでに切り裂いてきた精霊魔法よりも格段に威力を増していた。
「てめぇら、もっと敵にはり付け。じゃねぇと、風に切り刻まれ続けるぞ」
ラスキアスの怒号が飛ぶ。それは、機巧槍兵に出された指示ではなく、第一兵団に対する警告だ。
先んじて攻勢を強めていた機巧槍兵は、修道騎士やグレータエルートと深く接敵しており、風の刃の降り注ぐ量が比較的少なくすんだのだ。
しかし、機巧槍兵よりも一歩出遅れた第一兵団は、風の精霊魔法を容赦なく受けることとなった。防御の対応が遅れた者達が、硬い石畳の上に鎧を打ち付ける音を響かせて倒れてゆく。
第一兵団の部隊長達も無能ではない。ラスキアスの怒号を受け、機巧槍兵の動きを見て取るや否や、突撃命令を声高に発っする。
「いいぜいいぜ、乱戦に持ち込ませたのはそっちだからなぁ」
風の刃に合わせ、大気を蹴りながら向かってきたグレータエルートの剣を、ラスキアスは攻撃することによって相殺して叫んだ。
間髪入れず、大剣の槍を嵐のように振るうと、精霊魔法によって俊敏さを増したグレータエルートを容赦なく打ち付ける。
グレータエルートは、身を翻そうと試みるが、ラスキアスの攻撃の激しさに隙を見出せず防戦一方へと追い込まれた。
「セチュバーの巌の拳、命を賭して受け止めろ」
大上段から振り下ろされた攻撃を防ぐため、大気の精霊が集まり幾層もの盾を作り出す。
だが、グレータエルートの頭上に出現した大気の盾は、ラスキアスの振り下ろす槍の勢いを削ぐことも叶わずに霧散した。
大剣の槍は、受け止めたメーシュッタスの剣を切り割き、グレータエルートの命をも引き裂いて、石畳へもその威力の痕跡を深く刻みつける。
ラスキアスの額に浮かび上がった血管が、心臓の鼓動を受けて脈打つかのように動いていた。
***
修道の槍が、大剣の槍の勢いを巧みに受け流す。
金属のこすれ合った残響が消えるか消えないかの内に、再び修道の槍が大剣の槍を受け流す音が響く。
(魔装兵?旗印はそのようだけれど。でも、セチュバーにこんな武器を操る部隊があるのを、私が・・・いえ、修道騎士が既知としていないのはおかしいわ。王城を占領するため、秘密裏に組織された部隊。そう考えてもよさそうね)
修道の槍を防御に集中させながら、トゥームは心の中で呟いた。
研ぎ澄まされた視神経が、大剣の槍の軌跡を捉え、魔力循環で活性化した四肢が、刀身からヴァンプレート部へ受け流すように敵の攻撃の威力を消滅させる。
トゥームの首を狙った横薙ぎの一閃を、姿勢を低くすることで避ける。その返す動きで、トゥームの左わき腹をえぐり上げるような攻撃が来るのを予測し、更に姿勢を低くしてかわした。
「っ低ぃ!」
機巧槍兵は、その身体能力に驚愕の声を上げる。
振り上げた姿勢を隙と見て取り、トゥームは敵の胴の中心へ修道の槍を繰り出す。左手をも地面についた低姿勢であったため、的の大きな胴へ狙いを定めたのだ。
修道の槍は、狙いたがわず敵兵の胴をとらえる。
咄嗟に機巧槍兵は体を捻ったが、完全に魔力を循環させている修道の槍ならば、鎧を貫通できるかのように思われた。致命傷とまでは行かずとも、手傷を負わせれば優位となるのは間違いない。
だが、敵兵の反応の良さと鎧の強固さ、更に、トゥーム自身の体勢の悪さも加わり、修道の槍は金属音を立てて鎧の上を滑るのみで留まった。
身を捻った悪姿勢にもかかわらず、機巧槍兵は上段からトゥームの頭をめがけて大剣の槍を振り下ろす。
左腕と両足をバネに、石畳の上を転げるようにして逃れると、トゥームは立ち上がって修道の槍を正眼の位置へと構えなおした。
隙の無い構えを受けて、機巧槍兵の攻めが一瞬止まる。
(無理に攻める必要はないわ)
トゥームの周囲では、別に三体の機巧槍兵が戦闘を繰り広げていた。シトスとムリューが一体を、グレータエルートの部隊員達が、その他二体を引き受けている。
グレータエルート達は、機巧槍兵の固さにこそ手こずってはいたものの、完全に優位といえる状況をつくり戦闘を進めていた。
それらの他に、トゥーム達の方へ敵が迫っている様子は無い。トゥームは相対する一体を足止めすれば良いと判断していた。
『足止め』という表現は正しい。
なぜなら、トゥームの後方には、戦闘も出来ないくせにシャポーを庇うようにして身構えている三郎の姿があったからだ。
次回投稿は6月30日(日曜日)の夜に予定しています。




