第91話 二本の槍
若き日のモルーが、修道騎士となって初めて赴任したのが、セチュバーの地であった。
当時のセチュバーは、天然エネルギー結晶の生産と流通を担っており、豊かとは呼べないまでも貧しい国という立場では無かった。
心身ともに訓練された兵士からなる軍隊を有し、誠実な国民性を持った国としてモルーの目には映る。
中央王都で生まれ育ったモルーであったが、口数が少なく生真面目な性格をした自分にとって、セチュバーの地は気性が肌になじむと感じたものだ。
修道騎士という立場から、モルーは先代のセチュバー王と話す機会も多く、民や国を愛する優しさと道義心のつよい様子に尊敬の念を抱いていた。
歳のさほど離れていない人物に対し、高い敬意を抱いたのはこれが初めてだったとモルーは記憶している。
「セチュバーの民が、クレタス諸国の民と同じように幸せに暮らせる国をつくり、クレタス全土を魔人族の脅威から遠ざけ、安寧な生活を永続的に実現する」
セチュバーの王となる者は、代々この言葉を受け継いで国を動かすのだとモルーは聞かされた。
それ故に、人族狩と称し侵略者の洞窟に現れる魔人族とも、セチュバー軍と協力してよく戦ったものだ。セチュバーの、ひいてはクレタス全土を護ることにつながるのだという信念をもって。
思い返せば、若さも手伝っていたと気づかされるのだが、『剣としてつかえる』ならセチュバー王の様な人物につかえたいものだと、当時のモルーは真剣に考えることも少なくはなかった。
十数年の赴任を経て、モルーは中央王都に引き上げることとなる。結局、剣としてつかえる誓いを立てることはなかった。
引き上げの際、先代セチュバー王や軍幹部からの惜しまれる声が、非常に嬉しかったことが印象に残っている。
その後も、モルーは様々な任務に従事することになるが、セチュバーでの日々を忘れることは一度もなかった。
教会や修道騎士内での十分な信頼を得ていたモルーの耳に、セチュバーの苦境が聴こえてきたのは、他国での任務に就いていた時のことである。
天然のエネルギー結晶の生産流通について、諸国から言及され、中央王都での人工エネルギー結晶への代替が諸王国会議において可決されたとの話で合った。
更には、クレタス全土で支出している防衛費を他に流用している疑惑についてや、流刑地として運営されているエネルギー結晶鉱山の補助金が打ち切りとされるのではないかという噂までもが、まことしやかに囁かれていたのである。
セチュバー赴任の希望を出し、修道騎士としてモルーが再びセチュバーの地を訪れた時、誠実な国の雰囲気こそそのままに感じられたが、根底に流れる国民感情や政府の有り方に変化が生じていた。
「平和維持に貢献してきたセチュバーは、クレタス全土に後ろ足で泥をかけられた」
子供に至るまでセチュバーの国民感情に浸透していたのは、その物悲しい言葉だった。
事実、セチュバー政府は、国内のエネルギー結晶価格を抑えるため輸出価格との差をつけてもいた。それは、国民生活を少しでも豊かにしようという政策の一部で、決して私腹を肥やす目的では無かった。
また、罪人を労働力として使うエネルギー鉱山の生産量が、増減する時期があるのも真実だ。人手不足の際には、セチュバー国内から人手を募り、生産量の安定化を苦心することもあったのだ。
だが、それらを逆手に、クレタス諸国はセチュバー政府を糾弾していた。
モルーは、一修道騎士である自分では何の力にもなれないことを痛感し、教会の中枢機関へ入り込むことを考えた。平和を護るという『教え』をかかげる教会ならば、セチュバーの状況を好転させるよう、諸国に働きかけることもできる。
しかし、教会本部の司祭となり、中位の司祭へと昇ろうとも、モルーの声がセチュバーを救う手立てとなることは無かった。
奇しくも、教会の掲げる『政府との分権』が邪魔をし、思うようにクレタスの諸王国へと働きかけることができなかったのだ。その上、王政への介入を目論む者は、権力を手に入れ私腹を肥やすことを考えるばかりで、モルーの目には信念もない愚か者達にしか映らなかった。
自分の護ってきた平和とは何だったのか。
クレタスの平和を維持してきた国の末路が、これで良いのか。
高司祭にもなろうかという時点で、モルーの心には、大きな疑問が膨らみ始めていた。
その矢先、先代のセチュバー王が亡くなったとの訃報が届く。国の立て直しに奔走し、心労と過労から寿命を縮めてしまったのだった。
国葬に参列するためセチュバーを訪れたモルーは、二人の若者と先代のセチュバー王について話しをする機会があった。
現在のセチュバー王バドキンと、側近を務めていたメドアズである。
二人の若者は、信念をもってセチュバーの立て直しを考えていることが、モルーの目にはありありと感じられた。
もし、モルーが剣としてつかえる誓いを立てていたら、先王と自分はこの二人の様な関係性であったかもしれないと、ふと心に浮かんだ。何らかの力になれていたのではないかと考えると同時に、セチュバーの地を離れた月日が悔やまれる思いすら湧いていた。
熱心に話す若者二人を前に、モルーは心の中で先王への誓いを立てる。
それは、在りし日のセチュバーを取り戻すことと、二人の若者に手を差し伸べるという誓いであった。
「ようモルー、お前とこうして肩を並べるのは何時ぶりだ。下手すりゃ何十年ぶりってやつだな。腕がなまっていやがったら、構わず捨てておいてやるから安心してくれよ」
粗野な言葉がかけられ、モルーを過去の思い出から引き戻す。
口元を笑いに歪めたラスキアスだ。言葉とは裏腹に、さも嬉しそうな表情を浮かべた顔をして、モルーを歓迎するかのようにセチュバー軍へ受け入れた。
「ラスキアス、お前こそな」
モルーは短く返事を返すと、教会の者達へ向き直り修道の槍を構えた。
若き日のラスキアスとモルーは、侵略者の洞窟において、背中を任せ合った旧知の戦友なのだ。
互いに腕を競い合い、訓練場で剣を何度も重ねた仲でもある。
「『槍』の扱いは、お前以上になってるかもしれねぇぞ・・・っと」
ラスキアスも言葉を返しながら、肩に担いだ『グレートソードの様な得物』を軽々と振り回して同じように構えを取った。
修道の槍と並んで初めて、その形状が似ている物だと解る。
ラスキアスの手にする武器は、修道の槍の防御として使うヴァンプレート部を取り除いた様な姿をしていた。
長く大きな両刃の刀身に、同程度の長さの柄が取り付けられた『大剣の槍』と呼ばれる物であった。
「機巧槍兵か」
「簡単に言やぁ、お前ら修道騎士を攻撃特化にした魔装兵って感じに考えてくれればいいさ。お前ならすぐ、俺達の戦い方に合わせられるだろうよ」
横目でちらりと確認したモルーに、ラスキアスは得意気な様子で言った。
ラスキアスとモルーの後方では、機巧槍兵の旗をかかげる部隊が、ラスキアスと同じ武器を構えて戦闘へと備える。
機巧槍兵とは、修道騎士が行う防御の動きを捨て、攻撃のみを追求した戦闘スタイルを有するセチュバー最強の兵士をさして言う。
彼等は、新しい技術として開発された魔力の通しやすい魔装の武具を装備し、投薬によって体内魔力の循環を高められている者達だ。
「メドアズからは聞いている。が、褒められた物ではないな」
「そう言うなよ、こちらの上層部も死ぬ覚悟でやってんだ、兵士である俺達も相応の覚悟を見せねぇといけねぇんだわ」
乾いた笑いをもらしながら、ラスキアスはモルーに返事をよこす。
反論として返されなかった『覚悟』と言う言葉に、モルーはそれ以上の追及をすることはない。
旧知であるからこそ知れる、ラスキアスの心底が理解できたと感じられたからだ。
二人の目の前では、混乱から早急に立ち直った教会の軍勢が、再び進軍を開始していた。
次回投稿は6月9日(日曜日)の夜に予定しています。




