第90話 斬りかかれぬ背中
「我々の行動を合図に、王都正門を攻撃している連合軍が正門の破壊を開始する。王城の奪還後、我々はその矛先をセチュバー軍後方へ向け、中央王都のセチュバー勢力を一掃する」
修道騎士団の副団長であるオルトリスの声が響いていた。
グレータエルートを含め四千近くに膨れ上がった軍勢が、教会の広間に集まっており出陣の時を待っている。
(ここって、初めて王都に来た時に事務処理したホールだよな。机とか全部取っ払ちゃうと、ここまで広々とした空間だったのか)
三郎は、いつしか見上げた覚えのある天井に目をやった。アーチ状の太い石の梁が、相変わらず頑丈そうに天井を支えている。
オルトリスが、軍勢に出陣前の鼓舞を与えている場所を前とするなら、三郎達の立っている位置は最後尾にも近い場所だった。
三郎の横には、白く輝く鎧に身を包み、髪を結いあげて一つにまとめたトゥームが並んでいる。凛とした横顔から、戦いに臨む騎士然とした表情が伺える。
同じくして、鼻息も荒く緊張気味のシャポーの姿もそこにあった。
三郎とシャポーが戦いに参加する事について、副団長であるオルトリスから「非戦闘員の同行を認めることはできない」との言葉を受けていた。
しかし、戦いの全責任を三郎が負っている事実や、シャポーの魔導師としての有用性を考慮され、囚われた者の救出を主任務に据えた部隊に編成することで、その参加を認められる流れとなったのだ。
「シャポーさん、そう緊張しなくても大丈夫ですよ。私達に与えられているのは、王城地下牢に捕らえられている人々の救出です。どちらかと言えば、戦闘を避けるよう行動しなければならない立場といえますから」
シャポーの鼻息から、戦いへの高い緊張を聴き取ったシトスが、気持ちをほぐすよう柔らかく声をかける。
「もし戦闘になったら、私がシャポーをしっかりと護ってあげるから安心して」
ムリューもシャポーに声をかけた。
三郎の部隊は、トゥームやシャポーの他に、シトス率いるグレータエルートの部隊が編成されている。
数にして十名程度の部隊であるが、三郎にとって、見知ったシトスやムリューと共に行動できるのは非常に心強い所だ。
「ふん!ふん!分かったのです。ならばです、シャポーは敵の魔法に対して気を引き締めて頑張りますので、頼ってくだすって結構ですので!」
(うん、何もわかってなさそうだなぁ)と三郎は思う。
シャポーの頭の上で、ほのかがシャポーの真似をして鼻の穴から小さな火を「ふんふん」と吹き出すのだった。
教会本部を守護していた魔法が解除されると、修道騎士を先頭に、教会とグレータエルートの軍勢は王城目指して進軍を開始した。
守護の魔法は、管理体制であるコムリットロアに名を連ねる高司祭たちが、教会魔法を行使することで成り立つ教会最高の防衛魔法である。
敵に対する不可侵の領域を構築する強力な魔法であるが故、教会から出る場合においても一時的に解除しなければならないのだ。
「コムリットロアの時にも、侮れないとは感じていたけど、高司祭の人達って凄いんだな」
隊列が動き出すのを待ちながら、三郎がトゥームに呟く。
「教会全体をまとめ上げているんだから、普通では収まらない方々の集まりであることには違いないわ。モルー高司祭様も、修道の槍をお持ちになられて、オルトリスと共に先頭を担ってくださるみたいだからね」
「モルーさんって、元修道騎士の高司祭様だったっけ。現役復帰をせざるを得ない状況って感じか」
「現役復帰だなんてとんでもないわ。現修道騎士団において、三名しか使えない『翔底我』と呼ばれる技術を身につけておられて、高司祭となられていなければ、騎士団の重責を担われていたであろう方よ。修道騎士としてはオルガート様やエッボス様と並ぶ実力者なのよ」
「あの無口なモルーさんが、そんな凄まじい人物だったのか」
三郎の頭の中には『避暑は良いな』と難しい顔をして頷いているモルーの姿が浮かんでいた。
「凄い凄いって言ってるけど、サブローが言うと何だか軽く聞こえるわよ」
トゥームは、少しばかり呆れた目をして三郎の言葉を指摘した。
「いやいや、心の底から言ってるつもりなんだけど」
三郎がトゥームに言い返していると、動き出す順番がまわってきていた。
全軍が出陣を終えれば、教会全体に再び守護の教会魔法が行使されることとなっている。
教会が攻め込まれて、捕虜を取られないための措置として行われるのだ。
三郎達が無事に教会を出発すると、その後方で門が閉ざされ、巨大な金属の塊を打ち鳴らしたような音が響く。
守護魔法が再びかけられた合図のように、荘厳な音色をしていた。
その頃、軍の先頭を行く修道騎士達は、すでに王城前の王政広場に到達していた。
「全軍停止!!・・・様子がおかしい」
オルトリスが声を上げると、後方へと停止の復唱が伝わってゆく。
停止した修道騎士たちの目には、大きく開け放たれた王城の門が映っていた。そして、城門から続々と出現する軍勢が見えていたのだ。
セチュバーの軍が、教会の兵を受け止める為、王政広場に隊列を組み終わろうとしている所だった。
「おぅおぅおぅ。修道騎士に修練兵、その上、グレータエルートまで居るとは豪勢な相手だ。腕が鳴るってもんだよな」
セチュバーの軍勢を背にした男が、大きなグレートソードを肩に担いで声を上げた。
だが、肩に担いだ得物はグレートソードと呼ぶにはその柄が長すぎる。刀身と同程度の長さの柄が付いていた。
声を上げた男は、魔装兵団団長を務めるラスキアス・オーガだ。顔にある大きな古傷が、遠目にも妙な威圧感を発している。
ラスキアスの後ろには、第一兵団の旗印と魔装兵団の旗印が並んで揺れていた。
「セチュバーの兵は、正門に向かっているはずではないのか。まるで我々の動きを察知しているかのように、第一兵団を展開しているとは・・・」
オルトリスが、眉間に深いしわを作り現状を整理しようと思考を巡らせる。
その時、オルトリスの疑問に答えるかのような静かな声が真横から聞こえた。
「第一兵団だけではないぞ。魔装兵団も残させている。セチュバーの主力兵団が残っていれば、いかにグレータエルートが加わろうと敗れることは無いだろうからな」
オルトリスが驚きの目を向けたその声の主は、普段通り気難しそうな表情をしたモルー高司祭だった。
「モルー卿、一体何を言って・・・ぐっ!」
疑問が口をついたと同時に、オルトリスの腹部に鈍い痛みが侵入してきた。
視線を落とすと、深々と突き刺さる修道の槍が目に入る。
修道の槍は、モルーの手に握られたものだ。
オルトリスの中で、疑問の答えがはっきりとした形となってその姿を現していた。
ミソナファルタの断層道を通り、グレータエルート達が増援に来ると知っていたのは、副騎士団長の自分とコムリットロアに名を連ねる管理職者達のみだ。
兵力の規模、動き出すタイミングまでもが、モルーからセチュバー側へと伝えられていたのだと理解できた。
「モルー卿、裏切られたか!」
腹部の痛みに耐えながら、オルトリスは修道の槍を横一線に振りぬく。
何故だという疑問の前に、騎士としての本能が『攻撃』という手段をとらせたのだ。
周囲に居る修道騎士達は、二人の会話を聞き取れておらず、何が起こっているのか把握できずにいた。
「ふむ、流石アーディ家の当主。鎧にも十分に魔力を行き渡らせていたと見える」
オルトリスの攻撃を難なくかわしたモルーは、槍に着いた血を一振りで払った。
致命傷とまでは行かなかったが、オルトリスを行動不能な状態に出来たと確認すると、モルーはセチュバー軍へ合流するために背を向けた。
「オルトリス殿、一体何が!?モルー卿!?」
腹部から血を流して膝を着くオルトリスに、修道騎士達が駆け寄る。
「モルー卿が、裏切っていた。我々の動きは全て、セチュバーへ流れて・・・ごふっ」
(内臓が傷ついたか。魔力循環で出血量を抑えなければ・・・)
体の内側からこみ上げた血液が、オルトリスの言葉を遮るように口からあふれ出た。
全幅の信頼を置くはずの相手である、元修道騎士モルー高司祭の背中に、斬りかかる判断を下せる者はその場に一人も居なかった。
次回投稿は6月2日(日曜日)の夜に予定しています。




