第7話 初夏の休日
スルクロークの話によると、三郎がクレタスに現れたちょうどその頃、中央王都において召還の儀式が執り行なわれていた。
勇者と成るべく十代の少年が無事に召還され、勇者たるその意思も確認が取れたとの事だった。
意思確認が取れたと言う話に三郎が疑問を持ったところ、少年は召還された時にはすでに言葉を理解していたらしいと言われ、主人公補正という恐ろしい格差を実体験させられてしまった。
召還の儀式が執り行なわれる事となった経緯は、教会の祭事において西方の地で魔力の急激な高まりを察知し、それを理由にして政府の高官達が勇者召還の儀式を強行したのだった。
スルクロークは、余談ではありますがと前置きして三郎に話したのだが、現在の比較的平和な時世の続いている中央王都は、政治に教会の名を利用したり、教会の祭事を政府が利用して勢力の拡大を謀るなど、政治と教会がお互いを利益の為に利用しあっているのだという。
本来、権力が腐敗しないように監視し合う立場であるはずなのだが、その機能が失われつつあると言うのだ。
今回の召還も、政府の一部高官が自勢力の拡大の為に教会の言葉を利用した結果だという。無論、西方での魔力の高まりは事実であるのだが、召還の儀式は時期尚早であると教会内部では囁かれている。
そして、三郎にとって一番重要と思われるのは、その召還の儀式の影響で三郎がこちらの世界に迷い込んでしまったのではないか、と言う事なのだった。
「ってことは、わたしは、その召還に、巻き込まれただけ、って事ですか⋯⋯」
あまりの驚愕の事実に、三郎は呆然としてしまう。
「五百年前の最初の勇者は、今後召還を行うのであれば予期せぬ人物も召還に巻き込まれる可能性があるだろうと、書物の中に残してくださっていました」
スルクロークがそう言うと、後ろに控えていたトゥームが一冊の古めかしい本をスルクロークに手渡す。その表紙には『教え』とだけ書かれおり、丈夫そうな皮の装丁が施されている。
「サブローさんの様な人の事を、こちらの世界に迷い込んだ『迷い人』であると記され、教会のシンボルの一つに十字架を置くようにと提案もなされました。十字架を見つけた迷い人は、そこに助けを求めて来る可能性が高いだろうと言われたそうです」
スルクロークは『教え』の本を三郎に差し出した。かなりの厚みがあり、受け取った三郎の腕に重みが伝わってくる。質のいい皮が使われているようで、手に馴染む滑らかな質感と皮特有の暖かみが心地よかった。
「我々教会は、最初の勇者の教えである『平和を重んずる心』を伝える事を、本来の目的としているのです」
恐らく教会本部がその目的を見失っているのだろう、スルクロークは落胆の隠せない表情で三郎に言う。
三郎はその言葉を聞きながら、最初の方のページを数枚めくり眺めてみる。見やすい大きさの文字だが、びっしりと書き込まれており、読んでいるだけで眠たい平和な気持ちになれそうだなと三郎は内心考えてしまった。
「では、今回の召還が、二人目の勇者、という事になるんですか」
三郎は本を閉じながら、それとなく聞いた。最初の勇者の次なのだから、二人目なのだろうとは思いながら。
「いえ、三百年ほど前にも召還の儀式が行われているのです」
スルクロークの声色が、更に暗いものになる。その時は、教会の権威が影響力を増していた時代で、恐れを抱いた政府が抑止力として召還の儀式を行ったと言うのだ。
「歴史に、学べとは、言いますが⋯⋯」
三郎も何だか頭が痛くなるのを感じてしまい、目頭を押さえてしまった。政治的な思惑で、異世界召還を気軽にされていてはたまったものではない。その上、巻き込まれてしまったこのおじさんに対して、どこが責任をとってくれるかとさえ三郎は思う。
「我々の恥である部分をサブローさんにお話したのは、教会と政府に気をつけてもらいたいからなのです」
「気をつける?」
スルクロークの言葉に、三郎は違和感を覚える。権力拡大の為に召還を強行したと言う政府に対し、注意してくれと言うならまだ分かる。だが、教会に保護されている身の三郎に、教会にも気をつけろとはどういう事なのだろうか。
「教会内にも政府内にも、自分の権力を拡大しようとする者が少なからず居ます。召還された少年を抱きこめなかった者達が、サブローさんを利用しようと考える可能性が大いにあるのです」
スルクロークは、三郎の目を真っ直ぐ見据えながら言った。その真剣な眼差しから、この心優しい司祭が権力争いをどれほど憂いているのかが、三郎には痛いほど伝わってくる。同時に、可能性とは言っているが、スルクロークには確信めいた何かがあるのだろう事も理解できた。
そして今の話から、三ヶ月の間、スルクロークとトゥームが三郎の身に対し、思った以上に配慮してくれていた事に気づかされた。別の大陸からの漂流者だと周知させる事で、権力者の耳に入ったとしても『政治の駒』としては使えない情報となる。もし、利用出来る事があったとしても『異世界から召還された者』よりは格段に利用価値は低いはずだ。
三郎が、言葉も何も理解しないまま権力争いに巻き込まれるのを、たった一つの情報で防いでくれていたのである。
「中央王都の権力争いは、その下に連なる五つの諸国にまで影響を及ぼし、クレタス全土の問題へと膨れ上がっているのです」
権力が腐敗するのは、世界が違っても同じなのだなと三郎は思った。ここで政治思想を語る気はさらさらなく、ただスルクロークやトゥームに迷惑がかからないよう、立ち回らないといけないのだと三郎は強く心に誓った。
「政治的な問題に、ソルジの魔獣の件。それに、私の事まで、配慮してもらって⋯⋯ご迷惑、おかけします」
三郎はそう言うと、深々と頭を下げる。スルクローク達が直接の原因ではないのに、三郎に対し誠意をもって接してくれている事が、とてもありがたいと思った。
例え、クレタスの混乱を防ぐ為、仕方なく三郎の身を保護しているのだとしても、その苦労は変わらないのだから。
「中央王都にでも居ない限り、政治の問題は蚊帳の外ですよ。それに、魔獣問題については中央の教会から、修道騎士を三名ほどソルジへ派遣してもらったので現在こちらへ向かってもらっています。サブローさんには、今後とも『別大陸の者』として振る舞ってもらえれば問題ないかと思っていますよ」
スルクロークは穏やかにそう言うと、我々の問題なのだから一緒に考えて行きましょうと三郎に伝えた。三郎は『我々の問題』という言葉が胸に沁みるのを感じ、再度頭を下げるのだった。
「スルクローク様、一つ提案があるのですが」
それまで黙って話の流れを伺っていたトゥームが、静かに口を開いた。スルクロークと三郎の話がほぼ終わり、修道騎士が三人ソルジへ来る話がでたためだ。スルクロークはトゥームに話の先を促す。
「修道騎士が到着したら、サブローの身分証を中央教会で発行してもらいに行ってこようと思うのですが」
身分証と言えば、手の平サイズで半透明のアクリル板の様なアイテムだったなと三郎は思いおこす。目にした時にとても不思議な物だった為、三郎の頭の中では『アイテム』と言う単語がしっくりとはまっていた。
トゥームの話に、スルクロークは暫く考えをめぐらせた後、ふむと一つ相槌を打った。三郎がクレタスの社会で安全に生活するなら、身分証を持つのは早いに越した事はないだろうとスルクロークは考えていた。教会の発行する身分証なら、スルクロークの伝手を使えば簡単に発行する事ができる。
何より、些細な事でも心配事は少なくしておいたほうが良いのは確かだ。身分証が無いばかりに、政府の警備隊などに三郎の身元を怪しまれたら事が大きくなるかもしれない。
スルクロークは、三郎も言葉が通じるようになった今、ちょうどいい時期なのかもしれないとトゥームの提案を受け入れる事にした。
「そうですね、中央にいらっしゃるエンガナ高司祭に私から話を通しておきましょうか。教会発行の身分証なら、サブローさんに教会の者が伴って行けば、作ってもらえるでしょう」
エンガナ高司祭とは、スルクロークが信頼を寄せている人物である。中央王都において、教会が本来の目的を見失わないよう尽力している司祭の一人だ。教会の中枢を担う者であり、話を通しておけば中央王都での安全は保証されるはずである。
「身分証、魔力の無い、わたしでも、作れるんですね」
三郎は、例の不思議な身分証がもらえるという期待感から、少し興奮した口調になってしまった。頭の中では『装備のインターフェースがあったらアクセサリの部類だろうな』などと、子供じみた考えが浮かんでいた。
三郎に魔力が無い問題は、この世界で長く過ごせば呼吸したり食事をすることで少しずつ魔力が体内に入ってくるので、何時かは問題なくなるだろうとスルクロークは三郎を安心させる。今は、スルクロークから貸りているアミュレットが、三郎に魔力がある様に代替して見せてくれているので、問題無いという事も教えた。
「修道騎士がソルジに到着するのは、五日後くらいになるでしょう。トゥームさんには引継ぎを一日ほどしてもらって、その後に出発してもらいましょうか」
スルクロークは、旅支度の方も進めておくよう三郎とトゥームに言うと、話し合いの解散を告げるのだった。
「ソルジから、中央王都まで、行くのって、どれくらいかかるんだ?」
執務室を出て寝室の方へ向かいながら、三郎はトゥームに話しかけた。支度と言われてみても、この世界の旅支度など全く分からない上に、地図で見ただけなので地理的な距離感も不明だった。
「旅団馬車で行く事になるから、中央まで七日程度かかるわ」
トゥームは事も無げに返事を返す。答えを聞いた三郎の方は、体験した事もない片道七日の長旅と聞いて驚きを隠せない。しかも、馬車に揺られる長旅など、想像する事すら難しかった。
「大丈夫よ、急ぎの用事でもないのだし、ゆっくり行きましょ」
三郎の様子を見て、仕方ないなという笑いを浮かべたトゥームが優しく声をかけてくる。慣れない旅支度も、トゥームの方でするから心配しないで良いとまで言ってくれた。
「ありがとう。本当に、面倒ばかり、かけてるよなぁ」
頭をぽりぽりと掻きながら、三郎はトゥームに礼を言った。トゥームは軽く微笑むと、三郎に就寝の挨拶をしてその場を去っていった。
トゥームの背中に「おやすみ」と声をかけ、三郎は自分の寝室の扉に手をかける。今日はスルクロークの所に行かないんだな、などと思いながら。
執務室での話し合いをした翌日、日常の家事や雑務も終わり、昼食後ののんびりとした時間の事である。
三郎はリビングで、身分証の板を見ているトゥームを見つけた。
開いた窓から、ティエニとリケとラルカが教会の外で遊んでいる声が聞こえてくる。休日だというのに、スルクロークは目を通さないといけない書類があるからと、昼食後すぐに執務室へ行ってしまった。
「身分証なんか、見つめて、どうしたんだ?」
トゥームの隣に腰を下ろしながら、三郎は問いかける。身分証をみるにしては、集中しすぎな様子だったからだ。
「せっかく中央王都に行くから、新しい修道服でも買おうかなと思って」
そう言うとトゥームは、半透明の板を三郎に向けてきた。そこには、修道服のカタログの様なものが表示されている。三郎は、自分の目が飛び出そうなほど見開かれていくのを感じた。
「え⋯⋯それって『スマホ』だったの?」
「スマ⋯⋯?なによそれ。これの名前は『ゲージ』って言うのよ。身分証を表示したり、大地の微弱魔力を使って情報が見れたり、それなりに色々できるのよ」
三郎の表情が面白かったのか、笑いながらトゥームは答える。半透明の板である『ゲージ』に映し出された修道服のカタログが、何枚か切り替わっていく。
「修道服もね、一応流行りがあるのよ。微妙にボディラインのカットが違ったり、色だって同じようでもトーンが変わってたりね。コレみたいに、デザイナーの名前が入ると値段が一桁ちがうの」
トゥームは嬉しそうに、画面に映し出された修道服の説明を三郎にしてくる。画面を指でなぞったりせずに切り替えているところを見ると、魔力か何かで操作してるのだろうと、三郎は感心しながらトゥームの話に頷いた。
普段は、教会の人間として振舞っているトゥームばかり見ているので、歳相応の女の子らしさを垣間見たような気持ちになる。
「修道服とか、司祭の服とか、教会から、支給されるのかと、思ってたよ」
「あー⋯⋯うん、女性用の支給される修道服って、見た目があまり良くないから自分で用意する人が多いわ。申請すれば予算として貰えるから、予算内で自由に選んで買えるから」
三郎の問いに、トゥームは一瞬ごまかす様な表情をしてから答えを返す。トゥームの着ている修道服は、見た目こそ綺麗にみえるのだが、それはトゥームが上手に繕っているからだと三郎は知っていた。
まだ三ヶ月という短い時間、同じ屋根の下で過ごしただけだが、裁縫をしているトゥームの姿をよく見かけていた。
三郎は、そう言うことかと何となく理解する。トゥームの普段の様子から考えて、予算として貰った分を、子供達の方へ回しているのかもしれないなと。
「そうか、良さそうな、物があると、いいな」
三郎は、あえて気付かない振りで通すことにした。
「まぁ、予算もあることだし、高いものなんて無理だけどね」
嬉しそうに返事を返すトゥームを見て、三郎は暖かい気持ちを分けてもらった気分になる。
窓から、子供達の平和な笑い声が、初夏の爽やかな風に乗せて運ばれてきた。
次回更新は、10月15日(日曜日)の夜に予定しています。




