第70話 憂いの響き
客間は張り詰めた空気に支配されていた。
窓の外では、風が優しく草葉を揺らし、鳥のさえずりが木々に響く穏やかな時間が流れている。しかし、ガラス一枚隔てた部屋の中は、そんな世界から切り取られてしまったかの様に静寂に包まれていた。
セチュバーの反乱と、ソルジが攻められている事を知ったトゥームは、少しでも確かな情報を得ようと険しい表情でゲージに集中ていた。
そんなトゥームを邪魔しないように、三郎は黙って次の言葉を待っていた。戦争ともなれば、この場に居る三人の中で騎士であるトゥームが専門であり、正しい判断が出来ると考えたからだ。
だが、三郎がその考えに到達したのも今しがたの事であり、ただただ絶句していたと言う方が正しい。
シャポーも驚きで言葉を失っており、口に手を当てたまま目を瞬かせている。シャポーの頭の上では、様子の変化を察したほのかが三人をじっと見つめていた。
「ソルジは、オルガート卿が魔獣対策として呼び寄せていた修練兵の部隊が居たから、何とか持ちこたえているみたいね」
重い沈黙を最初に破ったのはトゥームだった。トゥームは静かな声で、ソルジの現状を説明する。
ソルジでは、魔獣の襲来を受けて警備隊にも増員がかけられており、セチュバー軍の侵攻を何とか防げているとの事だった。しかし、死傷者も増えて補給路も断たれた状況である為、劣勢である事は事実なようだった。
「堀の無い西門で、かなりの激戦があった様ね。オルガート卿がやエッボス卿やマフューが中心となって守備を固めているらしいわ。教会は、怪我人の手当に奔走してるみたい」
「ん?ソルジって外側を堀が一周してなかったか?」
トゥームの言葉に、三郎が疑問を投げかける。三郎が初めてソルジへ入った南門も、東の牧草地へ通ずる東門も、中央王都へ旅立つ際に出発した北門も、全て堀の上に橋が渡されいた記憶があったからだ。
「ソルジの西側は、人口が増えて町を拡張するために、堀は埋められて壁が移設された事があるのよ。五百年の間、戦争も無い平和な時が続いているから、堀の新設は先延ばしにされていたの。今更ではあるけど、それが裏目に出るなんて・・・」
トゥームは苦々し気に答えた。
「すぐにでもソルジに向かった方がいいんじゃ・・・」
三郎が思わず口にした言葉に、トゥームが黙ったまま三郎へ視線を向ける。三郎の真意を確かめるような真剣な眼差しだ。
「少なくとも、非戦闘員であるサブローやシャポーを連れてはいけないわ」
トゥームは静かに首を横に振ると、感情を押し殺した声で言った。
「いや、騎士とかではないけど、何か役に立つかもしれないだろ。ここへも一緒に来た分けだし・・・」
「でで、ですです。シャポーも幾ばくかの攻撃魔法を知り及んでいるので、お役に立たないとも言い切れないのです・・・けれ・・・ど」
トゥームの真剣な瞳に見据えられ、三郎とシャポーの言葉が尻すぼみに小さくなる。
「騎士として、教会評価理事の秘書官として答えさせてもらいます。フラグタスへ発った時は、戦地へ行くのが目的ではありませんでした。しかし、今回は明らかに危険な戦いの場へ向かうことを意味しています」
姿勢を正したトゥームが、事務的な口調となって二人に答える。三郎とシャポーは、突き放されたような感覚を覚え、咄嗟に反論する事が出来ない。
「貴方がソルジへ向かいたいと言うのなら、私へ守護戦闘の命令を下してください。私が即座にソルジへ向かいます」
凛とした声と表情で、トゥームは言った。その双眸は、迷いのない光を湛え、三郎を見つめていた。
「トゥームに一人で行けだなんて、オレに言えると思って・・・っ!」
非難の言葉を口にしかけた三郎の視界の端に、強く握られたトゥームの左手が映る。
震えてもいないその固い拳が、完全に感情を抑えたトゥームの心底を伝えてくるかのようで、三郎をはっとさせた。
それは、トゥームが三郎の命令を受ければ、戦いの場へ身を投じる覚悟があるのを意味していたからだ。
(たまに忘れるどころか、オレはトゥームが騎士だって事を理解すらしてないんじゃないか。秘書官って言う立場だってある。オレが適当な事を言えば、トゥームが・・・それどころか、シャポーまで危険に巻き込む。実際に殺し合いが起こってるのに、実感が無さすぎるだろ、オレってヤツは)
三郎は、鼻から大きく息を吸い込むと、数秒間呼吸を止めて、ゆっくりと胸にためた物を吐き出した。
元居た世界で企業勤めの際に、感情的な考えになりそうな時、冷静さを取り戻す為によくやっていた深呼吸を思い出したのだ。
「すまない。今回、何とかなったから、次も行けばどうになりそうな気がしていたみたいだ。トゥームは、どうしたらいいと思う?」
「私は、騎士としての意見しか言えないわ」
トゥームは三郎の質問に、少し寂しそうな眼をして答える。
「分かってるよ。すぐにでもソルジへ駆け付けたい気持ちは同じだって事はさ。ただ、オレが正しい考えをする為に、キミの意見が聞きたいんだ」
三郎の言葉に、トゥームの拳が微かに震えた。
そして、トゥームは両目を閉じてゲージから得た情報を整理すると、三郎とシャポーへ視線を戻して考えを話した。
「長達の支度が整いましたので、案内させていただきます」
案内役のエルート族の女性が、三郎達を呼びに来たのは、三人の意見がまとまってすぐの事だった。
案内役の女性は、薄い布を何重にも重ねたエルート族の民族衣装を着ており、歩くだけで風にふわりと浮かび幻想的な印象を与える。
女性に従いしばらく歩いてゆくと、三郎達は大きな回廊となっている場所に出た。
大樹の中心は巨大な樹洞となっており、手入れの行き届いた草木が植えられていて、美しい箱庭の様になっている。
三郎は、案内された客室が三階部に位置していたと記憶しており、この美しい中庭が四階にあるんだなと思いながら目を奪われていた。
「木の中に、さらに木が生えて庭になってる。すごいなぁ」
三郎が庭をのぞくと、向かい側にある回廊が目に入った。
回廊を目で追っていくと、緩やかな螺旋状となっていて上階へ繋がっているのが分かった。
「何階まであるのかしら」
「はわぁ~上の方まで行くのは、大変そうなのです」
「ぱぁ~」
トゥームとシャポー、それにほのかも同じように庭を覗き込み、上を見上げて言う。
洞の上層は、淡い光に溶け込むように見えなくなっており、相当な階数があるように感じた。
「大樹殿の内部は、空気の濃度が外よりも濃いので上層が見えにくいですが、階数で言えば十五階程となっています」
三郎達の驚いている様子に、案内の女性は笑顔で答える。
「上まで行くには、この回廊を十五周もするのか」
「ふふ、長達は最上階にいる分けでは無いですからご安心ください。あちらに見えているテラス部分の向こう側にある部屋にいらっしゃいます」
三郎が感心して呟くと、女性から察したかのような答えが返ってきた。
示されたテラスは、中庭を眺めて楽しむために設置された物で、三郎達の居た位置から一階分高い場所にあった。三郎達が中庭を眺めながら、回廊を一周すると大きな扉の前にたどり着いた。
両開きの扉には、エルート族の伝統的な紋様と精霊語が組み合わされた、美しい装飾が施されている。
案内役の女性が到着を告げると、扉が音も無く開かれて、三郎達は部屋の中へと通された。
大きな窓のある広い部屋で、外には町と森の様子が広がっている。数人の若いエルートの兵士が壁際や窓辺に立っており、三郎に少しばかりの緊張感を与えた。
部屋の中央には、厚地の丸い敷物が敷かれ、質の良さそうな座布団に四名のエルート族が腰を下ろしている。彼らの座っている座布団の他に、同じ物が三つと小さな座布団が一つ準備されていた。
(この人達が、エルート族の長達か。年齢はまちまちみたいだけど、他のエルート達よりも明らかに高齢なのは、オレにも分かるな。長って言うよりも、長老って感じなのかな。って、同じ場所に座っちゃっていいのか?)
三郎達は、空いている座布団を勧められたので、長達と挨拶を交わしながら腰を下ろす。三郎の右側にトゥーム、左側にシャポーが座り、三郎とシャポーの間に置かれた小さい座布団に、ほのかがちょこんとおり立った。
全員が席に落ち着くと、皆の前に飲み物や果物が運ばれて来て並べられた。
「長旅で疲れたでしょう。すぐに来てもらおうと思ってたんだけども、メルソファナが上階に行ってたもんでね、悪かったね」
「あらあら、リボショラだって外に出てたって聞いているわよ。私だけ悪者にしようとしてもダメですからね。ふふふ」
トゥームの横に座っているメルソファナと呼ばれた初老の女性が、リボショラと言う隣の男性の軽口にやんわりとやり返す。
メルソファナは、口元や目じりに深いしわが刻まれているものの、気品ある美しさをたたえた女性だ。床に座っていながらも真っ直ぐに伸びた背に、長い金髪が自然に流されている。
リボショラも、メルソファナに負けないほどに品のある容姿をした銀髪の老人だが、少し変わったイントネーションの喋り方が人好きのする印象を与えていた。
「儂とユスル殿は、朝からのんびりとここで待っておったよなぁ」
一番の年長者であろうエルート族が、シャポーの隣の男性に向かって話しかける。聞く者に安心感を与えるような、低く落ち着きのある声だった。
「そうですね。イーバ様と語らいながら、のんびりと過ごしていました。先に来ていただいていても、良かったかもしれませんね」
ユスルと呼ばれた男性は、深い青色の髪を短く整えており、三郎の目には四人のエルートの中で一番若く映った。
イーバと言う名の最年長のエルートは、白髪の長い髪を後ろに流し、顔には誰よりも深い皺が刻まれている。慈愛に満ちた光を瞳に宿し、その場の全員に優しい笑顔を向けて何度も頷いていた。
「私達も、調度品などを見させていただいていて、それほど長く待ちませんでしたから。お気遣いいただき、ありがとうございます」
三郎は、笑顔で頭を下げて礼を言う。
緊張した面持ちだった三郎達の気持ちを、四人の長達がほぐそうとしてくれているのだと感じたからだ。
だが、三郎の声を聴いた長達は、心配するような気遣うような表情で三郎の顔を覗き込んだ。
「す、すみません。何か変な事言ってしまいましたか?」
三郎は、長達の急変に驚いて、咄嗟に謝ってしまった。トゥームやシャポーも何が起きたのか分からず、不安そうに三郎と長達を交互に見る。
「驚かせてしまったよな」
イーバが静かに口を開いた。その優し気な目には、三郎を憂いている表情がありありと浮かんでいる。
「儂らが待たせている間に、何か心配事があったのではないかな?話せる事であれば、聞かせてはもらえまいか」
長達は、三郎の言った言葉の響きに、深く案じる何かがある事を聞き取っていたのだった。
次回投稿は1月13日(日曜日)の夜に予定しています。
今年もよろしくお願いいたします。




