第6話 赤面悶絶す
子供達が寝静まった教会、スルクロークの執務室で三人の人物が顔を合わせていた。
スルクロークの執務室は、教会の聖堂に近い部屋であり、他の者達の寝室や生活の場となる空間とは少し離れている。
部屋には、スルクロークが教会の執務に使っている大きな机のほかに、応接用の立派なテーブルと椅子が置かれている。
壁には本棚が作り付けられており、専門書の類だろうか、大小様々な背表紙が品良く並べられていた。
スルクロークの柔和で誠実な人柄を表しているかのような、落ち着いた雰囲気の部屋だ。
応接用のソファーに、スルクロークと三郎が対面して座り、スルクロークの後ろにトゥームが控えて立っている。
ソルジの教会に来るまでの事を、三郎から二人に話し終わったところだった。会社や上司といった余計な情報はなるべく省き、分かりやすいように説明できたと、三郎はとりあえず一安心していた。
「サブローさんがソルジまで来た経緯は、おおよそ把握させていただきました」
スルクロークの静かで落ち着いた声が、執務室の空気を揺らす。「おおよそ」とあえて語るのは、スルクロークの誠実な人柄から来る表現だ。
三郎が元居た世界の話も少なからず入っていた為、スルクロークとしては想像することで補わなければならない。完全に理解できた訳ではない事を伝えるために付けた言葉なのだ、と三郎はわかっていた。
「サブローさんには、どこからお話しすれば良いものか。サブローさんが『こちらの世界』に来てしまった原因は、我々クレタス人にあると私は思っています」
我々と言うのは、クレタスの中央王都政府と教会の事であると、スルクロークは補足説明する。そして、トゥームへ振り返り何事か目配せを交わす。
三郎の頭には、スルクロークの言った『原因』と言う言葉がひっかかっていたのだが、二人の無言のやりとりを見て、この二人は『それなり』の関係なのだろうなという場違いな考えも浮かんでしまっていた。
普段から二人の間で、言葉を交わさないやり取りが多いのも理由の一つではあるのだが、また別に、三郎が二人の関係を深いものだと思う場面があった。
三郎が教会に身を寄せてから数日、言葉がまだ全く分からない頃の話である。
皆が寝静まった時間帯のこと、喉が渇いて目が覚めた三郎が台所で水を飲んでいると、スルクロークの執務室の方から扉の開く音と話し声が聞こえてきた。夜もかなり更けた時間なので、執務もないものだろうにと三郎はぼんやり考えていた。
扉の閉まる音のあと、一人の足音が三郎の居る台所の方へ向かって歩いてくる。
トゥーム含め、寝室へ行くには聖堂や執務室から台所の前を通らなければならないので、当然と言えば当然だった。そして、姿を現したトゥームと三郎は目があった。
三郎は、トゥームの表情が昼間と違って硬いなと感じながら、手に持っていたコップを動かして水を飲む仕草を送った。トゥームはそれに対し片手を挙げ、笑顔を作ると早々に立ち去ってしまった。
その後も、何度か夜中に執務室の方へ歩いていくトゥームを見かける事があった。当初、夜中も教会の仕事があって大変だなと三郎は思っていたのだが、スルクロークの寝室が執務室の奥にあるのだと知ったとき、トゥームの見せた普段とは違う硬い表情を思い出して、何となく二人の関係が分かった気がした。
羨ましいと思うよりも『スルクローク司祭やるなぁ』という気持ちの方が先にたってしまい、三郎は自分が思っている以上に、気持ち的に歳を取ってるのだと感じて少し悲しくなってしまった事件である。
三郎は教会の戒律など知らないのだが、もし二人の関係が禁じられた物であるならば密かに応援したいものだと、お節介な気持ちすら抱いていた。
「サブローさん?⋯⋯我々が原因と聞いて不快に思われたのでしたら、私から謝罪させてください」
変な方向へ思考が行ってしまい沈黙していた三郎に対し、その沈黙を勘違いしたスルクロークが頭を下げてくる。
「あ、いや、少し考え事を、していただけで。謝罪だなんて」
三郎は慌てて否定した。思い起こせば、能天気なほどに何も考えず、ただひたすらこちらの世界に馴染もうとしていた。三郎は言われて初めて、原因ありきの結果をもって自分がここにいる事になったのだと気づかされ、自分の浅慮さに恥ずかしさすら覚えた。
「スルクローク司祭とトゥームは、私が来てしまった、原因に心当たりが、あるのですね」
三郎の質問に、スルクロークが深く頷く。話の路線が戻せた様子に、三郎は内心ほっとする。
「我々クレタス人は、クレタスを囲む山脈の外、西方に住む『魔人族』と呼ばれる種族と何百年にも渡り、今もなお対立を続けています」
言葉を選びながら、スルクロークは歴史を読み上げるように話し出す。
「魔人族は、クレタス人である人族よりも大きな魔力を持つ存在です。弱い種族は、強い種族に支配されるものだという考えを持った者達です」
三郎は、黙ったままスルクロークの話に頷く。ソルジがとても平和な町であるため、対立や支配と言う単語がいまいちしっくりとこない。
「五百年前、魔人族の中に強大な魔力を扱う者が現れ、クレタスの人々は劣勢に立たされました。多くの者が殺され、奴隷とされ、クレタスの半分が魔人族の支配するところとなりました」
スルクロークは、教会に伝わる話を朗々と話した。詳細な書物として伝えられている物であり、スルクロークは事細かに諳んじている。だが、三郎が理解できるようにと、スルクロークは大切な部分を選んで言葉にしていく。
「苦境に立たされたクレタスの人々は、後に教会となる組織を創り、魔人族を倒しうる者を異界より呼び出す事にしました。それが、クレタス人をも滅ぼす者であっても構わない、という覚悟であったと伝えられています」
「滅びても、構わない、覚悟?」
三郎は、スルクロークの言った内容を繰り返す。三郎が考えるような異世界召還なら、勇者といった『自分達の味方』を呼び出そうとするのが通例に思える。だがスルクロークの話からは、そんな雰囲気は伝わってこない。
「そうです、異界から強大な魔物を呼び出してしまう恐れもあったようです」
スルクロークのその言葉を聞いた三郎は、自分達の犠牲も厭わず、ただただ敵を滅ぼしたいと願うにまで至るには、どれほどの苦しみを受けたのだろうかと考えてしまった。
「幸いにして呼び出されたのは、一人の少年だったので、クレタスの人々は安心したそうですよ」
スルクロークは、三郎が眉間にしわを寄せているのを見て、安心させるように笑顔を作って言った。その気遣いを受けて三郎も表情を戻すと、話の続きを聞くため姿勢を直す。
「召喚された少年の活躍により、クレタスから魔人族を追い払うのに成功したと言う部分は、絵本などでも描かれているので、目にした事があるのではないでしょうか」
その言葉に、三郎は頷いて返した。確か、子供達に混ざって読み書きの勉強をしていた時に、そんな物語の本があったと三郎は記憶している。五百年前の実話が元だったとは、読んでいた当初、知る由もなかったのだが。
本の中で少年は『最初の勇者』と呼称されていた。三郎は見慣れるまで不思議に思っていたのだが、ここに来てようやく疑問が解消された気がした。初めて呼び出された少年が、勇者として活躍したから『最初の勇者』なのだと。
「三郎さんが我々の世界に『迷い込んだ』原因は、少年を召還した儀式と関わりがあると考えられます」
真面目な顔で話をするスルクロークに、三郎は驚いた表情で疑問を投げかける。
「え?⋯⋯って言っても、五百年も前の話、ですよね」
スルクロークは首を横に振って次の言葉を続けた。
「サブローさんが我々の世界に来た日、中央王都で召還の儀式が行われていたのです」
三郎はスルクロークの言葉に、はっとした表情になる。
「召還の儀式⋯⋯って、まさか、オレが⋯⋯勇者、とか?」
三郎は、恐る恐るスルクロークに問い返す。同時に、頭の中を『最初の勇者』の物語が、ぐるりと一周する。
主人公補正の片鱗も無いまま炊事洗濯風呂掃除を手伝い、勉強に明け暮れて過ごしていた。だのに、突然ここへきて『あなたは勇者ですよ』と告げられてしまうのかと思い、期待と不安の入り混じった表情を浮かべてしまっても仕方ない事だろう。
神妙な面持ちのスルクロークの口が開かれる。
「いえ、残念ですがサブローさんは、勇者ではありません」
自ら『ワタシが勇者ですか?』などと聞いてしまったおじさんが、赤面悶絶したのは言うまでもなかった。
次話投降は10月8日(日曜日)の夜に予定しております。
(改)マークにつきまして、ストーリーに影響の無い部分(誤字・脱字など)で行っています。
世界観などに影響する様な改稿につきましては、随時ご報告させていただきます。