第64話 魔人族セネイア・オスト
朝日が森に差し込み始めた頃、セネイアは、白い魔獣の背に乗って南へ向かっていた。
森にはうっすらと靄がかかっており、光の筋を幾重にも浮かび上がらせている。
セネイアの支配下となっている魔獣は、疲れを知らぬかのように夜も走り続けていた。
「はぁ、人族の作った小手先の魔法なんて当てにならないわねぇ。魔導砂とかいう道具も、期待しない方がいいのかしらぁ」
セネイアは、丸い小さな固形物を口に運びながら、誰に言うでもなく呟く。
固形の食べ物は、戦時の非常用として作られている物で、味は決して良い物ではない。しかし、喉の渇きと空腹を同時に満たせるため、携帯用食料としてはとても優秀だ。
「はぁ~~~、さっさと終わらせて、美味しい物が食べたいわぁ」
さらにため息を長くして、セネイアは独り言を呟く。魔獣が、返事をするかのように小さく喉を鳴らせた。
その背中を、セネイアは優しく撫でながら、現状について整理する。
昨日の夕暮れ、大地にかけられていた大規模な魔法が消失したのを、セネイアは魔力の流れから察知していた。
その後、再び魔法が展開されるでも無く、現在に至っているのもわかっている。
「エルート族に壊されたか、跳ね返されでもしたのかしら。それとも、私の炎を抜けられるほどの力を持った子が来て、大地の魔法も消しちゃったのかしらねぇ」
セネイアには、クレタス内部に住まう人族ごときに、自分の炎の魔法は消されない自信があった。
だが、それほどの実力の者がクレタスにいないと断言してしまうほど、愚かしい自尊心は持ってはいない。自分を過大に評価し、小さな可能性をも無駄に否定する者は、命を縮めるのだと経験から分かっている。
セネイアの祖国メーディット・ロエタにおいて、実力を過信した者が長生きをした試しがない。
「実力があったとして、あんな土地で生き長らえて何が面白いのかしら」
セネイアの瞳が、赤黒い光を放って鋭く細められる。
メーディット・ロエタは、クレタスの西に広がる魔人族たちの支配圏の中でも、極北に位置する国だ。夏は短く、冬は他のどの国よりも長く厳しい。
雪と氷に閉ざされる大地は、お世辞にも肥沃とはいえない。しかし、メーディット・ロエタの民は、先祖より受け継いで来た土地だとの意識から、他の肥沃な国へ侵攻して行かなかった。
長い冬は、忍耐強い国民性を育み、厳しい環境にも耐え忍ぶことができた。同時に、強力な氷魔法の使い手を多く生みだし、他国から恐れられる存在ともなっている。
セネイアは、祖国民の忍耐強さや、土地柄から来る仲間意識の高さが好きだった。他の魔人族の国では、希薄な物だったからだ。
そのセネイアの好んでいる部分は、半面歯がゆくもあった。
自分よりも力の弱い魔人族の国が、自国よりも豊かであるのが気にくわなかった。さらに、魔力の弱い人族が、クレタスと呼ばれる肥沃な大地を占有していると知ってからは、その気持ちは大きくなる一方だった。
「いくら強い力を持っていても、有効に使わなければ無いも同じなのよねぇ」
セネイアの口元が歪に吊り上がる。
――メーディット・ロエタは、もっと強く豊かであるべきなのだ――
魔力の強いセネイアは、国の中枢に関わるようになると、常にそれを言い続けてきた。
しかし、凍てつく大地を聖域と位置付けるメーディット・ロエタは、氷魔法に秀でた者の言葉が尊重される風潮がある。
惜しくも、セネイアが得意とするのは精神支配と幾ばくかの炎の魔法であり、氷の魔法に特化している分けではなかった。氷魔法に特化し、保守的な考えの幹部達は、セネイアの言葉をまともに受け取ろうとしなかった。
保守派の幹部達を他所に、セネイアはクレタスへの内偵を勝手に進める。
そこで掴んだのが、クレタスで守衛国家セチュバーが内乱を企てていて、何者の力でも良いから欲しているという情報だった。
五百年前、勇者なる者を召喚され、クレタスへ攻め入った魔人族が壊滅したのは魔人族の間では語り草となっている。保守派の幹部達から「勇者を召喚されたらどうするのだ」という常套句が出て、話し合いを終了させられるのが常であった。
だが、セネイアの掴んだ情報から、人族同士の争いに便乗できるとの提案をすることで、保守派の重い腰を上げるのに成功した。
セネイアとセチュバーが繋がりを持った後、中央王都政府が勇者召喚をしたとの情報が入り、メーディット・ロエタ内部で少しばかりの混乱はあった。それは、セチュバー側から、勇者の首を差し出すとの条件が加わったことで一応の決着をみる。
保守派に首を縦に振らせたのは、セチュバー側からの「召喚されて間もない勇者は強い力を持っていない」との発言があったためでもある。
魔人族側にも周辺国との情勢があり、大部隊を動かすことがかなわず、セネイアと部下数名という少人数がクレタスへ最初に派遣される運びとなった。
ある意味、精神支配の魔法に優れていたがために、セネイアは適役であったと言えるのかもしれない。
内乱が計画通りに運び、セチュバーがクレタスを掌握した暁には、その半分がメーディット・ロエタの領土となる。
「ふふ、最初は半分こにしてあげるわ♪ 最初だけはね」
セネイアは、笑いに歪めた唇を舐める。
弱者である人族と対等に領土を分け合おうなどと、当然セネイアは思っていなかった。クレタス内に兵力が整えば、人族を押さえつけられると考えているのだ。
だが、セネイアの中で、新たな懸念材料が生まれている。
エルート族を制圧する計画について、小さいながらも齟齬が生じ始めているのが引っかかるのだ。
セチュバーの魔導師が展開した、情報遮断の魔法がすでに大地から消えているし、魔法が消えてから、セネイアは森全体から監視されているような空気を肌で感じ取っていた。
僅かな計画の狂いを見逃すと、後々生死を分けることもある。セネイアは早い段階で、魔法を使って部下へ合流するように指示を出していた。
エルート族を殲滅するよう作戦を与えていた部下からは反応が返ってきていたが、捕縛の作戦を与えていた二人からは、いまだに応答がない。
「思っていたよりも、精霊魔法を使うエルート族っていうのは、面倒な生き物みたいねぇ」
セネイアの乗る魔獣からも、わずかな緊張が伝わって来ている。
その時、前方から十個もの気配が近づいているのに、セネイアは気付いた。しかし、魔獣を制止するでもなく近づくままに任せる。
気配の正体が、自分の支配下となっている犬種の魔獣だとわかったからだ。セネイアは魔力によって察知しており、魔獣達は互いの鋭い嗅覚で見分けていた。
姿を現した白き獣達は、身体のあちらこちらに血の跡や泥をつけている。セネイアの騎乗する魔獣の周りに足音もなく集まった。
「あらぁ、捕縛の命令を与えていた二人のところへ行かせていた子達じゃない。三十体もいたはずなのに十体だけ? 何があったのかしらねぇ」
セネイアは、冷たく凍るような目つきへと変わり、合流した魔獣の一匹に手を伸ばす。
魔獣は、鼻を鳴らせながら近づいてくると、セネイアの手に額を擦りつけた。
魔獣からセネイアへ、戦闘の光景がイメージとして流れ込む。
「そう、二人と他の子達は、エルート族にやられたのね……あら? このエルート族は」
セネイアは、イメージの中に、見覚えのある緑色の髪の男と薄桃色の髪の女がいるのに気付く。
「ふーん、エルート族がどの程度の力なのか、試しに襲わせた二人じゃない。あの高さの崖から落ちて生きているなんてねぇ」
面白い物でも見つけたかのような表情をして、セネイアは言う。
それは、セネイアが魔獣の力試しにと襲わせた、シトスとムリューの姿だった。
シトス達は知らない。最初の会敵の際、魔獣を操っていたのはセネイアであり、セネイアの下にあって初めて、魔獣は本当の実力を発揮することを。
「いいわぁ、エルート族、面白いわぁ♪ 私の部下を殺した罰を与えてあげないとねぇ。ゾクゾクしてくるわぁ」
恍惚とした表情の中に怒りを滲ませ、セネイアは唇に舌を這わせる。
メーディット・ロエタの者の仲間意識が高い気質に、セネイア自身が漏れているはずがなかった。
セネイアは考える。
エルート族全てを相手にするのは、森全体をも相手にするのと同じなのではないか。だとすれば、今の手駒だけでは手に負えないだろう。
合流の指示を出した部下と、それに従わせていた魔獣も近くまで来ている頃だ。
ならばせめて、部下を亡き者にしたエルート族を強制的に支配下にして、少しでも溜飲を下げるべきなのだ、と。
次回投稿は11月25日(日曜日)の夜に予定しています。




