第59話 戦いの開始は静かに動き出す
守衛国家セチュバーの若き王バドキンのもとに、深き大森林の様子が伝えられたのは、三郎とほのかが炎を消してからそれほど時間の経っていない頃だった。
バドキンは、中央王都の王城内に与えられた執務室で机に向かい、今後の動きについて考えを巡らせていた。
中央王都にセチュバーの軍は迎え入れたものの、王城内は王国の盾騎士団が防衛権を主張しており、セチュバーの兵を入城させられずにいる。
そして、ドートの国境付近で待機している王国の剣騎士団を、出来ればドート領内に進軍させておきたいと考えていたのだ。中央王都から遠ざければ、それだけ打つ手が増えてくる。
「炎が消えた?」
知らせの者から報告を受け、退室を命じた後、バドキンは眉をひそませて静かに呟く。
「セネイアと言う魔人族が、エルート族に倒されたのでしょうか。もしくは、何者かの手によって炎の魔法が消された可能性もありますね。魔導砂の補助を受けた魔法が、容易く破られるとは思えませんが・・・しかし、ドートやカルバリの軍の可能性は無いと思って良いでしょう。フラグタス前で待機させられているとの報告が入っています」
宰相メドアズは、幾つか考えられる可能性を上げる。
「術者が殺されたとて、魔導砂の引き継いだ炎が消えることは無いと聞いている。魔導師もしくは精霊魔法の使い手が、炎を消したと考えるのが妥当だろうな」
「魔導師とは考えにくいですね。それほど腕の立つ者は、所在も掴めない魔導幻講師かカルバリの魔導研究院の理事クラス以上でしょうが、魔導幻講師は自身の魔道研究以外に興味が無いと聞きます。魔導研究院の理事以上など、高齢の者ばかりで腕はあっても魔力が追いつかないでしょう。それに、魔人族が居るような場に出向くとは思えません」
バドキンとメドアズは、互いの意見を確認し合う様に話を進める。
「やはり、エルート族の高位精霊使いが炎を消したと考えるのが妥当か」
「恐らくは。情報網遮断の法陣が破られた報告は入っていませんので、精霊使いの可能性は高いでしょう。炎が消えた今、魔導師が送り込まれ法陣の解析が行われるのも時間の問題かと」
バドキンの言葉に、メドアズは同意を示す。
「まぁ、その魔法を組んだのが、犯罪者とは言え魔導研究院の元幹部『様』なのだ、ドートがカルバリの手をかりて魔導師を送り込もうが、解除にはそれなりの時間がかかろう」
バドキンは鼻で笑いながら、皮肉を込めた言い方をする。
古くから、守衛国家セチュバーでは天然のエネルギー結晶の採掘に、クレタス内で犯罪を犯し捕まった囚人を使っていた。
一般市民がセチュバーに持つイメージが『軍事』や『守衛』なのに対し、犯罪者がセチュバーの名を聞けば『監獄』や『流刑地』と言う言葉が先に出てくる。
セチュバーの採掘場に送られた囚人は、死ぬまで採掘場である洞窟に閉じ込められ、二度と日の目を見ることは無いのだ。
そんな犯罪者の中に、カルバリの魔導研究院で上層部に居た男が一人送られてきた事があった。その男は、50も過ぎた壮年の男で、研究院において禁忌とされている軍事魔法の研究に手を出し続けた為、犯罪者として捕まりセチュバーに護送されてきたのだ。
男は、体内魔力の循環を狂わせる法陣を脳に埋め込まれ、魔法の使えない状態であった。バドキンは、ドートやカルバリについて何か情報を聞き出せるのではないかと思い、異例ともいえる面会を秘密裏に設定した。
男から出る情報は、軍の情報部に探らせて知っている物ばかりであり、バドキンを満足させるものでは無かった。
だが、バドキンの興味を引く言葉を男は口にする。
『クレタスや魔人族をも相手にできる、軍事魔法の知識はご入用ではないかね?』
バドキンははっきりと覚えている、その言葉を聞いた時、自分の顔が恐ろしいほどに歪み笑っていた事を。
男は、軍事魔法の研究と並行して、脳に埋め込まれた法陣の解除手段の研究を要求してきた。バドキンは、それを迷う事無く快諾する。
男が禁忌である軍事魔法を極めるのを求めているのに対し、バドキンは禁忌であっても強力な軍事力を欲していたのである。
流刑地となっている採掘場内に男の研究室を作らせ、バドキンは軍事魔法の研究を開始させた。そこから生み出されたのが機巧槍兵の魔装であり、情報網遮断の遠隔転写型パッケージ魔法であり、炎属性が付与された魔導砂であった。
「私は、あの男が信用なりませんが・・・」
メドアズは、再三にわたり例の男は信用ならないとバドキンに忠告している。しかし、男のもたらす軍事技術がバドキンの望みを大きく後押ししているのは否めず、反対意見として最後まで押し切る事が出来ないでいた。
「役に立つのなら、魔人族でも犯罪者でも使ってやるさ。邪魔になるならば切り捨てればよい。足をすくわれたなら、俺がそれだけの男だったと言うだけだ」
バドキンはそう言うと立ち上がり、考えを巡らせるかのように窓の外へ視線を向け言葉を続ける。
「炎が消されたのなら、エルート族へ救援が送られセネイアも長くは持つまい。ドートとの国境に待機させている王国の剣と修道騎士が、中央王都に戻るとしても最短で二日はかかる」
流れを確かめるかのように、バドキンは言葉を区切り一呼吸おいた。メドアズは黙って次の言葉を待つ。
「その間に、王国の盾を殲滅し王城を制圧する。修道騎士には、国王や貴族を人質にして身動きが取れない様にすればよかろう。奴らは、無駄に正義感が強いからな。ソルジ制圧部隊へも時を同じくして攻撃命令を出せ。歯向かう者は、子供でも容赦するなと伝えておけ」
「はっ!」
バドキンの凛とした命令に、メドアズは短く返事を返した。
「テスニスの例の宗教組織はどうなっている?」
「はい、修道騎士のカーリア・アーディと言う者が、若い兵士達の話を聞いて回っている様で、信者の数が伸びてはいないようですが、減ってはおらず計画通りに事は起こせるとの報告を受けています」
バドキンの問いに、メドアズは即座に求める回答をする。
「テスニス国内が混乱すれば良い。セチュバーの本隊にも、テスニス及び中央王都へ向け、進軍を開始するよう伝えろ」
「はっ!」
バドキンは命令を下しながら、アーディ家の名は面倒な場面でばかり出てくるなと鼻で笑い飛ばした。
バドキンの意を受け、メドアズは指示を出すため執務室を後にする。バドキンの足をすくう者があれば、その芽を摘むのは自分の役目なのだと固く決意していた。
***
戦闘の音が、遠くから鳴り響く。
シトスは、身を隠しながらも素早い動きで、戦闘の音に向かって足を進める。
その後ろから、周囲を十分に警戒しつつ四人のグレータエルートが、遅れることなく付いてゆく。
「シトス、戦闘しているのは、グルミュリアの部隊じゃないかしら」
大木を背にして立ち止まったシトスに、桃色の髪の女性が追いつき話しかける。グレータエルートの戦士、ムリューである。
ムリューは、乱れた髪を後ろへ軽く払い、一つ深い息をついて呼吸を整えた。
「音と大気の精霊をこれほど使いこなすのはグルミュリアで間違いないでしょう。戦闘場所、相手の数、劣勢である事まで細かく伝えてきています」
音の精霊を使い、普段なら届かないような距離まで戦闘の音を届かせ、救援の同族に知らせてきている。
ただ音を大きく響かせているのではなく、グレータエルートの聴力に届く音量を広範囲に拡散しているのだ。そして、敵に気付かれぬよう、戦いの中に織り交ぜて現状を伝える努力をしている。
救援を求めていることを察知されなければ、味方が到着した時、敵の不意を突くことが出来るからだ。
だがそれも、音が届く範囲に味方が居ればの話である為、グルミュリアの部隊は一縷の望みをかけて決死で行っているのだ。こちらから聞こえていることを伝える手立てが無い現状、仲間の到着をどれほど待ち望んでいるだろうかと想像できた。
「防戦一方に、なってるみたいだ、急いだほうが、よくないか?」
追いついてきた金髪の青年マートが、身をかがめながらシトスに提案した。だが、マートは肩で呼吸をするほど息が乱れ、これ以上急ぐのは危険だとシトスは考える。
気の強そうな顔に皺を寄せ、追いついてきたリシーセも肩で息をしていた。
戦闘音が聞こえてから、シトス達五人は休むことなく、警戒をしつつも出来る限り最速で移動をして来たのだ。
「戦っているのは四人のようだ、一人やられたか・・・敵の数が多すぎて判断が付かないが、少なくとも獣が二十はいるな」
後方を警戒しつつ、年長のバジェンが音を分析する。バジェンの意見にシトスも小さな声で同意を表した。
(マートとリシーセには、後から来てもらいましょうか・・・しかし、別行動というのは良策とは思えません)
シトスが、マートとリシーセの状態を見て考えを巡らせた。
熟練した戦士であるバジェンと、ムリューはこのまま戦闘できそうだが、マートとリシーセは無理だろうと判断する。
あと一駆けもすれば戦闘に突入するだろう。呼吸を整え全員で向かいたい所だが、それでは戦っているグルミュリアの部隊の被害が大きくなる。
「シトス、私とマートに気を使ってるなら、申し訳ないけど止めてもらえる?仲間の窮地に駆け付けられないなんて、種族の名を名乗れなくなるわ」
リシーセはそう言うと、深呼吸を何度もして無理やり呼吸を整える。
マートは携帯用の水を一気にあおると、膝を曲げ伸ばししながら、大丈夫だと親指を立てた。
「わかりました。音から判断するに、このまま向かえば多くの敵の背後が取れそうです。一気に殲滅し、グルミュリアの部隊と合流します。合流後は離脱を優先しましょう」
シトスは優しく微笑んだ後、表情を真剣な物に戻し指示を出す。
四人のグレータエルート達は、歯の間から息を吐き了解の合図を送ると、行動を開始するのだった。
次回投稿は10月21日(日曜日)の夜に予定しています。




