第49話 魔人族の罠
セネイア・オストは、森の中を白い毛並みの獣に乗って駆けている。セネイアが森に出現させた炎の壁は、すでに遥か後方となっていた。
獣の目は、セネイアと同じように赤黒い不気味な光を放っており、森に住む生き物と呼ぶには異質な様相をしている。
俗に、魔獣と呼ばれる物だ。
元は、食物連鎖の中にあって、穏やかに森の中で過ごす犬種の生物であった。空腹になれば狩りをし、穏やかな木漏れ日の中でする昼寝の心地よさも知っていた。森にそよぐ風は、やさしく体毛を撫でてくれるようだった。
だが、そんな日々の記憶は、頭の片隅にすら残っていない。
白い毛並みの魔獣となってからは、獲物の肉に食い込む牙や爪の感触だけが欲求の全てだった。
魔獣の思考は『主人に従う。獲物を殺す』という単純な物で満たされている。
それは、セネイアによって、体躯が肥大化するほどに魔力を分け与えられ、思考や欲求のほとんどを奪われて支配下となった証だった。
「森を移動するのも、これくらいの大きさがちょうどいいわぁ。ソルジとか言う街に行かせた子達は、目立たせるために大きくしちゃったけど、これくらいのサイズの子が、小回りが利いてイイ感じに戦うのよねぇ」
セチュバー国王の要望を聞いてやり、大き目に作った十匹の魔獣達は『目立つ』という目的を果たしはしたものの、その全てが教会の者によって屠られてしまっていた。
素人の、しかも人族の要望など聞かなければ良かったと、セネイアは思い起こす。
体を大きくしすぎた弊害で、食欲が歪に増長してしまっていた子達ではあったが、それでもクレタスの人族に簡単に負けるとは考えていなかった。セネイアの予想に反して、ソルジに被害を与えるどころか、一人も狩ることができなかったのである。
セネイアは、今回の出来に満足するように獣の背を撫でた。主人を振り落とさないようにしながらも、全力で走る獣は、森を縫うように目的地へ向かっていた。
目指しているのは、エルート族の偵察任務に出ている者を誘い込んでいる場所だ。
セネイアは、エルート族の住む世界の入り口が聖峰ムールスの麓に在るとは聞いていたが、正確な位置を把握できていなかった。恐らく、何らかの方法で巧に隠されているのだろう。
その為、エルート族の偵察任務に出ている者を捕らえ、セネイアの魔法で虜することで、入り口まの案内役に使おうとしていた。
「ふふふふ、誇り高く美しいっていう噂のエルート族、どうやったら私の物にできるかしら。何人か壊しちゃえばいいかしら。それとも、強制的に数人支配下に置いて人質にしちゃおうかしら。はぁぁ、考えただけでゾクゾクしてきちゃう」
妖艶な笑みをたたえながら、吐息を漏らすように言葉を吐いた。
セネイアは、仲間内から『調教師』の二つ名で呼ばれていた。
優秀な精神魔法の使い手であり、動物や虫から人に至るまで、自分の魔力を注ぎ込んで支配する魔法を得意としているからだ。
精神を鍛え上げた修験者でも、セネイアの精神支配の魔法にあらがえる者はそう居ない。
支配できない物があるとすれば、自分よりも各段に魔力の強い魔人族だけだと、セネイアは自負していた。
「無理やり精神を支配される時の、小さな枝が大量に折れ続ける様な感覚が、本当にたまらないのよねぇ」
口の端を歪につり上げて、セネイアは呟く。
精神支配に優れているが故に、他者を(とりわけ優秀であったり美しいとされる者を)支配することに、無上の喜びを感じてしまう。それは、変質的な愛情と言っても良いものであった。
自分の欲求を満たしてくれる目的地まで、まだ少しの時間がかかる。聖峰ムールスを横目に、セネイアを乗せた魔獣は森を駆け抜ける。
深き大森林の南では、数匹の魔獣に動物の乱獲をさせていた。セチュバーの者の話によれば、エルート族は気高き森の番人として、森を荒らす者の存在を放っておく事はしないと言う。
偵察に出ているエルート族の者達は、罠とも知らずに誘われて向かっているはずだ。
セネイアの部下と魔獣達は、誘い込んだ獲物であるエルート族を囲むように森にふせて配置してある。もし、セネイアの到着を待たずに会敵するようであれば、数人生かして捕獲しておくよう指示もしていた。
もし、エルート族が罠にかからないようならば、森を焼き尽くしてグランルート族を人質にするのも面白いなと、セネイアは考えていた。
森の大部分には連絡手段を奪う術式が転写され、優れた種であるエルート族とは言えども、森の外と連絡をとるのは困難だと考えられる。
「入り口の位置さえ分かれば、こちらの世界に出てきた子から順番に、私の所有物にしてあげるわぁ。うふふふふ」
黒い支配欲を滲ませて、セネイアは恍惚とした表情で笑い声を上げるのだった。
***
シトスとムリューは、警戒偵察の任務に就いていた。
以前、魔獣に後れを取った時は、二人一組で哨戒に当たる通常の巡回任務であった。
だが、現在はその他に三名の者が同行しており、戦時の偵察任務として森に出ている。彼らの他に、同じような偵察の部隊がいくつか編成されており、森に散らばっていた。
「シトス、南の海岸近くで動物達の命を無暗に奪っている者が居るみたいだ。木々が混乱していて、詳しい状況が分からないな。どうする?」
近くの大木に手をあてていたグレータエルート族の青年が、この部隊のリーダーであるシトスに問いかける。
茶色に近い金色の髪の青年は、名をマートと言い、草木の精霊との親交が深く、森の木々の精霊に異変が無いか尋ねていたのだ。
「ゲージの操作が利かない状況から考えて、私とムリューが交戦した魔獣が近くに存在しているか、その暴れている物が魔獣なのでしょうね」
シトスは、現状を把握するように、冷静な声で返した。
シトス達は、草のすれる音よりも小さい声で言葉を交わしている。森の異変に気付いた時から、最高度の警戒態勢を維持しているためだ。
異変の始まりは、二日ほど前かにさかのぼる。ゲージの操作が利かなくなり、大地の精霊が眠っているかのように静まり返っていた。
何者かが、深き大森林の広大な地へ向けて、大地への干渉魔法を発動したのが原因だと考えられた。
シトス達五人は、グレーターエルート族にとって、周囲を警戒しやすい木々の生い茂った草足の高い場所に身を潜めて今後の動きを相談していた。
グレーターエルート族は聴力に優れており、視界の悪い場所ならば、どのような相手にも先んじて気配を察する事ができる為だ。
「マート、南で暴れてる奴だけど、少し離れた場所で同じようなのが居るみたいじゃない?この子達が、助けを探しに来たんだって言ってるけど、場所を聞くと三か所もあるらしいよ。どこも白くて大きい化け物が暴れてるって」
しゃがみこんでいた茶色髪の女性が、小柄のリスを手に乗せながら立ち上がると、マートにリスから聞いた内容を伝えた。
それを聞いたシトスは、以前ムリューと共に遭遇した魔獣である確信を強める。
女性は、右側頭部を刈り上げた髪型をした気の強そうな顔立ちの女性で、名をリシーセと言った。リシーセの足元には、数匹のリスが大人しく座り込んで見上げるようにしている。
「本当、お前とかわいい小動物のギャップは、いつ見てもドン引きだよな。って、小動物投げるな!」
マートがリシーセに対して率直な感想を伝えると、リシーセは表情を変えることもなく手に乗ったリスをマートへ投げた。
リスも心得たもので、マートに向かって小さい歯を必死にむき出して、けなげにもリシーセの報復攻撃を果たそうと飛んでくる。
「照れるなよ、誉め言葉で言ってるんだからさ。って、だから投げるな!」
リスを片手で受け止めたマートが、半笑いでさらに言うと、もう一匹のリスが飛んでくる。
マートは、空いている方の手で更にリスをキャッチした。噛みつこうと必死にもがくリスが二匹、じたばたとマートの手の中で暴れる。
「お前ら、緊張感が無さすぎるぞ。五月蝿くて警戒もできないじゃないか」
藍色の髪を短く整えた男が、二人のじゃれあいに注意をした。
顔の中央に、横一線の古い刀傷のある男で、この偵察隊では一番の年長者のバジェンである。
バジェンは、大地の精霊と親交が深く、通常であれば偵察任務に最適の人物と言えるのだが、大地に異変が起きてからは周辺警戒の任を引き受けていた。
「で、本当にどうする?ほかの部隊と連絡も取れない状況だ、一度引いて状況確認をして出直すか、森を荒らしているヤツ達を懲らしめに行くか」
バジェンの言う通り、ゲージが使えない状況で精霊達が異様に混乱していると、状況確認の連絡が取れないのは確かだった。
エルート達は、精霊を介して情報をやり取りできるのだが、気まぐれで自由な精霊達は、時に誤った情報を伝えてきたりする。その上、正確な情報を伝え合うには、互いの距離も短いにこしたことはない。
精霊達は、正確さと迅速さを要求される伝言ゲームが大の苦手なのだ。
その為、人族の使うゲージをエルート族も使用するようになって久しく、常用のアイテムとして定着していた。
シトスがバジェンの言葉を受けて、今後の動きを思案する。エルート族の世界へ一度戻るにしても、警戒しながらの帰還は時間がかかる。今の位置からだと、南の海岸へ行くほうが半分以下の道程だ。
相談している四人の間に、突然、人影が舞い降りた。風のようにふわりと音もなく着地する薄桃色の影、ムリューである。
「遠くで良く見えないんだけど、北の森で煙が上がってるみたい。ムールスよりももっと向こうの方」
ムリューは、マートの触れていた大木の上で周辺に警戒の目を光らせていたのだ。そして、深き大森林の北部に異変を見て取り降りてきたのだ。
大木の上に居たので、足元で騒いでいたマート達の会話がムリューに聞こえなかったか、と言えば答えは『否』である。
ムリューは無言でマートの頭を小突くと、リシーセと拳を合わせた。バジェンは、やれやれと言った表情で肩をすくめる。
「北の煙については、私達が向かって確認するよりも、国に残ってる者達が確認に行ったほうが早いでしょう。南で暴れているのが例の白い魔獣ならば、警戒しながら帰還する我々の後方から、追いついてくる可能性が高いと考えられます」
ムリューの報告に、シトスは考えがまとまった。ムリューの見た煙が敵襲ならば、ムールスの麓へ自分たちが到着する頃に会敵してしまう。
南で暴れているであろう白い魔獣が追いついた場合、挟撃にあってしまう可能性は高い。
「我々はこれより、警戒しつつ南へ向かいます。近くに仲間の部隊があれば連絡を取りたいので、精霊に協力を頼みながら進みましょう」
全員にそう伝えると、シトスは北に向かって目を向ける。
草木に隠れて見えはしないのだが、聖峰ムールスの存在は肌で感じ取れるような気がした。
(聖峰ムールスよ、私の下した判断に祝福を与えたまえ)
シトスは心の中で聖峰ムールスへ祈りの言葉を捧げると、南へ向けて歩き出した。
次回投稿は8月12日(日曜日)の夜に予定しています。




