第44話 『火の手』を待つ者
トゥームは、オルトリスの執務室を出ると、教会を後にしてカスパード家へ向かい一人歩みを進めていた。
執務室を出る際、オルトリスが馬車で家まで送ろうと言ってくれたのだが、少し考えを整理しながら家に帰りたいからと申し出を断っていた。
トゥームが歩いているのは、中央王都の真ん中を走るヴィーヴィアス大道から、何本も外れた教会区にある大通りなのだが、普段から考えて倍以上の人通りがある。
教会区とは、教会関係の住宅や商店が並ぶ界隈であり、ヴィーヴィアス大道を挟んで反対側は王国政府の高官などが住む貴族区と呼ばれる地区となっている。
十日間も続く諸王国会議は半ばも過ぎ、勇者テルキが民衆に挨拶をしてから十日以上経ち、中央王都へ流れ込む商人や旅人の数は最盛期を迎えていた。
しかし、そんな賑わいに浮かれている中央王都の町から、トゥームは取り残されているかのような険しい表情を浮かべていた。
(私が副騎士団長の補佐役ともなれば、教会外部への権威は増すわ。そうなれば、剣を振るう事の出来ない問題にも対処できるようになる。更に、副騎士団長に任命されれば、より多くの所でその肩書きが役に立つかもしれないわ。でも・・・)
そこまで考えて、トゥームは一つため息をついた。
修道騎士のまとめ役の一端を担うという事は、中央王都にその籍を置くことを意味する。
それは、三郎を政治的な争いから遠ざけるため、ソルジへ帰還させるという目的から大きく逸脱していた。
三郎の身をソルジへ送り届け、自分だけが中央王都に戻るのも考えられるが、剣として仕えると誓った今、トゥームは三郎から離れる事はしたくなかった。
(サブローにも中央王都に居てもらう?いえ、勢力争いに巻き込まれ易くなる場所からは、離れてもらうべきだわ)
中央王都に居れば、勇者テルキを召喚した国政側と関わる事も多くなるだろうし、教会と国との分権についての問題も出てくるだろう。なにより、表層に出ている各派閥の争いと、裏で動いている勢力争いは、何処でどのように降りかかってくるか分からないのだ。
それに、迷い人の存在は、諸王国とのしがらみや、最悪の場合、魔人族との戦争の引き金にもなるかもしれない物なのだ。
(勇者テルキの召喚だって、魔人族に動く動機を与えるかもしれないのに、そこに『迷い人』の存在まで明るみに出てしまったら・・・)
魔人族との大きな戦争。それは修道騎士として、教会の者として防がなければいけない優先事項だ。
ならば自分はどうすべきなのか、トゥームには答えが出せないでいた。
剣として仕えると誓った為だと、それが理由なのだと簡単に言えればいいのだが、教会内部ですら勢力争いのある現状、トゥームが誓いを立てるほどの理由を無闇に詮索されるのは避けたいところだった。
最高司祭ですら、その護衛を勤めるのは修練兵であり、修道騎士がその身の安全を護る事態としては、戦争や敵意のある者に標的にされた場合等、有事以外はありえない事だと言える。
教会評価理事という肩書きを持ったとはいえ、三郎を『別大陸からの漂流者』として扱う以上、誓いを立てる相手として大袈裟なのではないかと違和感を感じる修道騎士は居るだろう。
修道騎士は、クレタスの安寧の為に存在しているのであり、一個人や一勢力の為に存在していない。
しかし、その存在が『迷い人』ともなれば、クレタスに大きな影響を与える可能性がある為、修道騎士が動く理由にも十分になるのだが。
(私は駄目ね、落ち着かないと考える事すらできないし、考えているというのに糸口すら掴めないなんて)
ふとトゥームは、警備隊長官の屋敷で、自分の前に出て警備隊の言いがかりを退けた三郎の背中を思い出していた。
何の準備もしていなかった三郎が、言葉尻を取り合うような会話を制していたのが不思議に思えてくる。
今回もそうだが、トゥームは自分が言ってはいけない事ばかりを先に考えてしまい、悩みの渦に飲み込まれてしまうのだと感じていた。
三郎の妙に落ち着いた態度と語り口は、トゥームが安堵感すら覚えてしまうほどだ。
(年齢のせいと言うには、差がある様に感じるわよね。経験の差?サブローって、以前いた世界でどんな生き方をしてたのかしら)
三郎との会話の端々で、環境や考え方の違いを感じ取ってはいたのだが、あえて深く追求はしてこなかった。
それは、三郎が迷い人であることを隠す上で、元居たの世界の事をこちらが知ってさえいなければ、不用意に口に出してしまう事がないだろうという思いがあったからだ。
更には、先のことを考えるのが優先されていて、三郎の生きてきた世界についてあまり知る必要が無かったとも言える。
だが、トゥームはこの時初めて、三郎の過去に対して強い興味を抱いていた。
(寒い日に路上で寝てしまったら、クレタスに来ていたとは聞いたけど、寝てしまった理由も特に詳しく聞いてないわ。それに、家族や大切な人の存在だって知らないのよね。仕事や経歴も聞いていないし・・・)
三郎と交わした会話を思い出しながら、トゥームは自分が三郎の事をほとんど知らないのだと気付かされた。
「よくもまぁ、ほとんど素性も知らない相手に誓いだなんて立てたわよね、私」
トゥームは頬に手を当て、呆れたような苦笑いをもらしながら呟くのだった。
三郎とシャポーは、ダイニングルームでいまだにゲージに向きあていた。
ゲージに身分証が出せるようになったと、トゥームへ知らせる連絡を入れようとしていたのである。
しかし、サプライズ的に思いついたその操作が、またしても上手く行かないのだった。
「うう~シャポーには『魔力でゲージの中を動かす感覚』としか、上手くお伝えできないのですよぉ~」
「動かす、うごぉかすぅ、動かぁ・・・ない!っくはぁ、身分証は出せるようになったんだけどなぁ」
生まれてからずっと、魔力という存在に触れている者にとって、ゲージの操作は呼吸するのと同じくらい簡単な事だ。
だが、ここ数ヶ月で魔力に触れただけの三郎にとって『動かせ』と言われても、そうそう簡単に出来るものではなかった。
新たに発生した問題に、三郎とシャポーとついでにほのかが頭をつき合わせていると、ダイニングルームの扉が開きトゥームが入ってきた。
「まさかとは思うけど、朝からずっとゲージ操作の特訓してたの?休憩くらいは入れたんでしょうね」
呆れたといわんばかりの表情で、トゥームは腰に手を当てながら二人を交互に見た。
三郎とシャポーの様子から、身分証の表示も上手く出来てないのだろうと予想したトゥームは「仕方ないわねぇ」と言いながら自分の椅子へ腰を下ろした。
「トゥームよ、俺が成長しない男だと思ってるだろう。だがな、それは大きな間違いだぞ」
トゥームのやれやれと言った様子に、三郎は不適な笑いを浮かべると、ゲージをトゥームの目の前に突き出す。
シャポーも嬉しそうな笑顔で、トゥームの反応を待った。
「え?・・・ちょっと、二人が真面目な顔してるから、まだ表示できてないんだと思ったじゃない。驚かさないでよね」
突き出されたゲージに三郎の身分証が映し出されているのを見て、トゥームは目を丸くした後、吹きだすように笑って言う。
「身分証はな、この通りなんだけどさ・・・」
「身分証の表示はですね、大丈夫になったのですけれど・・・」
打って変わって、三郎とシャポーがげんなりとしてしまう。
「何か他に問題でもあったの?」
トゥームが心配そうに聞き返すと、二人は朝からの特訓や、ほのかがアミュレットの魔力に気付いた事など、細かに説明しだした。
トゥームは、感心する様な相槌を何度も打ちながら、三郎とシャポーの話を聞くと、頬杖を突くように身を乗り出して言った。
「連絡の操作が上手く行かないのね。でも、身分証の表示でゲージ操作ができてるんだし、あとは練習すればいいだけでしょ?」
まったくこの二人はどれだけ真面目なんだと、トゥームは内心で思いながら、焦る必要は無いのだと伝えた。
「そうだよな、コムリットロアに呼び出された時に必要なのは身分証だもんな、こっちの操作はゆっくり覚えればいいか」
「ですです、まずはこの大勝利をですね、喜ばなければならないのですよ」
「ぱぁ~!」
三郎とシャポーとほのかが、トゥームの言葉に元気を取り戻すと、それをトゥームも笑顔で見ていた。
普段であれば『まったく、子供みたいにはしゃいで』と呆れながら笑っていそうなトゥームなのだが。
「トゥーム、教会で何かあったか?」
トゥームの僅かな様子の違いに気付いた三郎が、唐突に真剣な顔に戻るとそう切り出した。
「え?」
あまりに突然聞かれた為、トゥームも何度か瞬きして聞き返す。
「いや、なんか何時ものトゥームと調子が違うなぁと思ってさ」
三郎の言葉に、シャポーとほのかもトゥームへ視線を向けた。
(私、変な事でも言った?いえ、言ってないわ。いつもと調子が違ったの?そう・・・そんな小さな変化に気付いてくれるのね)
トゥームは右手を口にあて、暫くの間考えにふけると、ゆっくりと口を開いた。
「相談すれば・・・いいのよね。私だけの問題じゃないものね、ありがとう」
自分の言葉を待ってくれた二人に礼を言うと、トゥームは安堵ともとれる笑顔を向けて、三郎とシャポーに教会での出来事を話すのだった。
***
「バドキン様、中央王都も諸王国もセチュバーの現状には、我関せずと言った態度。諸王国会議もまだ日を残していますが、私の我慢の限界は既に超えてしまっています」
本日の諸王国会議も終了し、若き守衛国家セチュバーの王であるバドキンと、側近として連日会議に同席している宰相メドアズが、王城の廊下を並び歩いていた。
中央王都の西に位置する守衛国家セチュバーは、魔人族の侵略からクレタスを防衛する役割を果たす、軍事力に秀でた国である。
しかし、その領土は、西の土地と繋がる『侵略者の洞窟』を防衛する為、岩場の多い大地にあった。
生産できる土地や作物も限られ、防衛費ばかりが嵩む現状、セチュバーはお世辞にも豊かとは言えない国なのだ。
「お前がそうやって怒ってくれるから、俺は冷静でいられるな」
宰相メドアズの様子に、若き王バドキンは目を細めながら言う。メドアズもバドキンと年齢を同じくし、セチュバー国内では優秀な若き宰相と声高く言われる人物である。
眼光も鋭いバドキンとは違い、メドアズは黙っていれば女性と間違われるような整った容姿をした青年だった。
本日行われた諸王国会議の議題は、農業や商業についての報告とそれに関する事案であり、商業王国ドートと技研国カルバリの自慢話ともとれる報告を散々聞かされたあげく、セチュバーの現状報告がぞんざいな扱いを受けたのだ。
「我々が頼みとしていた天然のエネルギー結晶の流通に、価格操作の疑惑をかけられたのは、もう過去の話だと言うのに、いまだその事が尾を引いている様に感じます」
メドアズは、長い前髪を手でよけながら、諸王国会議全般の所感をバドキンに伝える。
セチュバーは、天然のエネルギー結晶を産出する鉱山を持っており、昔はクレタス全土に結晶を流通していた。しかし、価格操作や生産調整を行っているとして、諸国から糾弾された過去を持っている。
それと時を同じくして、中央王都が質の高い人造のエネルギー結晶を開発し市場を独占すると、セチュバーの財政は一気に冷え込んだのである。
「疑惑をかけられ、それを跳ね除ける力が無かったのだ。それはセチュバー政府の、我が父の責任であり、セチュバーの民に負わせる物ではないからな」
バドキンは、感情の読み取れない表情に戻ると、自分の責任である事を明言するように言った。
「『火の手』は、まだ上がらないのでしょうか?我々があの勇者と接見した報告は、既に届いているでしょうに」
メドアズは声を潜めると、隣を歩くバドキンにだけ聞こえるように呟く。
「あの勇者の小僧が、まだ力を付けたと言える程ではないとの報告は、伝わっている頃だろう。我々は『火の手』が上がるまで、のんびりと諸王国や中央王都の情報を集めていればいいさ。エルート族も敵わぬと言う獣がついているんだ、問題はあるまい」
メドアズの質問に、バドキンは堂々とした口調で答えを返す。
周囲に自分たちの会話を聞く者が居ない事を、気配を感じ取ることで理解していたからだ。
「『火の手』が上がらずとも、次の手を振り下ろす準備も進めております。セチュバーの拳は幾度も振り下ろされるでしょう」
メドアズは声を潜めたまま、バドキンに呟く。
バドキンの口元が微かに上がったのを、メドアズは高揚する気持ちで見るのだった。
次回投稿は7月8日(日曜日)の夜に予定しています。




