第40話 地下室の純粋な思い
地下へと続く、お世辞にも広いとはいえない階段を、トゥームを先頭にシャポー、三郎と続いておりている。
シャポーの腕には、魔法に関する厚い本が二冊ほど抱えられていた。後続の三郎も、三冊の魔道書を運ぶのを手伝っている。
ほのかの姿が見当たらないのは、朝食でお腹をいっぱいにすると、窓辺へ座布団を移動させて日向ぼっこをしながら眠りに落ちてしまったからである。
下へ向かう階段の壁は、こちらの世界に来てから見慣れてしまった、漆喰風の滑らかな物で『地下室へ続く階段』と言われて三郎の思い描いた、石造りで無骨なイメージとはかけ離れていた。
だが、三郎は中央王都や宿場町での街並みを散々見ており、この漆喰風の壁がクレタスの一般的な建築様式なのだろうと理解するに至っていたので、地下とは言えどそんな物かと納得するのだった。
(まぁ、普通の家なんだから、ファンタジーな雰囲気を期待しすぎるオレもどうかと思うしな)
天井には、小さいランプが等間隔に吊り下げられており、階段を下るには十分な明るさを提供している。
ランプの間を黒い塗料が太い直線で結んでいて、三郎はそういう意匠なのだろうかと見上げていた。
「天井の黒い線って妙に目立つけど、そういうデザインなの?」
三郎が上を差して聞くと、トゥームとシャポーが足を止めて振り返る。
「ああ、地下は壁材で覆われてないから、エネルギールートがそのまま見えてるだけよ?」
トゥームが、疑問を持つまでも無いだろうにと言った様子で返事を返す。
「エネルギー・・・ルート?」
三郎は、トゥームの言葉に首を傾げる。
その様子を見て、シャポーの瞳が出番とばかりに輝いた。
「エネルギールートは、エネルギー結晶の魔力を各所に伝達するルートなのです。普通は、壁材や天井材で隠されてますので、目にするのは少ないと思うのです」
シャポーが説明を始めると、トゥームはそういうレベルで聞いてきたのかと納得して、再び階段をおりはじめる。
「結晶を設置する場所から、蛇口や明かりやらお風呂などなどへ、魔力を伝える道がエネルギールートなのですよ」
トゥームに続いて歩き始めたシャポーは、補足して言った。
「へぇ・・・『電気配線』みたいなもんかぁ。しかし、線を描くだけで繋がるとか、すごいな」
三郎は素直に感心しながら、天井に引かれている黒いエネルギールートを見上げる。
こういった時々で、三郎はクレタスの文明度が、思いのほか高いのではないだろうかという気分にさせられるのだった。
「デキハィセンですか?サブローさまの世界では、エネルギールートの代わりにそう呼ばれる物があるのですね」
シャポーは、階段を踏み外さないよう足元に注意を払いながら、三郎の発した聞き慣れない日本語の響きを真似して答えた。
そんな雑談をしていると、すぐに地下の訓練場へ到着した。
トゥームが扉を開けて、本で両手のふさがっている二人を室内へ招き入れる。
「はわぁ~広さも十分ですので、これなら積層魔方陣の組み替えもスムーズにできそうなのですよぉ」
シャポーの感嘆の声の通り、広々とした室内は天井も高く、槍を振り回しても問題ないほどの空間を有している。
「へー、こんな広い地下室があるなんて驚きだなぁ」
三郎も、手に持った魔道書を壁に備え付けてある椅子に下ろしながら室内を見渡して言った。
無駄な装飾の施されていない壁や天井からは、この部屋が剣術の訓練に集中できるよう配慮されているのだと伝わってくる。
壁には、使い込まれた様子ではあるが、手入れの行き届いた武器が数種類据え付けてあった。
シャポーと三郎が、室内を見回して感心した声を上げていると、トゥームが三郎の傍に近づいてきた。
「ねぇサブロー、さっき階段で貴方の元居た世界の言葉を口にしなかった?その・・・私やシャポーに気を許してくれてるのは、分かるのだけれど、最近、三人で居る時に良く出ているから気になっていて、もう少し注意を・・・ね?」
トゥームが少しばかり言い難そうに、三郎へ言葉をかける。
実際、三郎はトゥームとシャポー以外の人間が居ない場面で、元居た世界の言葉を呟く事がたまにあった。
三郎が迷い人だとばれない様に、別大陸の漂流者として配慮しているのは、トゥームも十分理解しているつもりだ。
長旅を供に過ごして、トゥームとシャポーを信用してくれての事だとも分かっているが、何時誰が聞いているとも限らない。
三郎の話す日本語を理解する者が居るとは思えないのだが、勇者テルキが召喚されている以上、誰かに言葉を聞きとがめられる可能性はゼロとは言えないのである。
「悪い、身分証作ったり警備隊の件が一段落したと思って、気が緩んでたかもしれないなぁ」
三郎はトゥームに指摘されて、そんなに自分の口から日本語が出ていたかと記憶をたどって反省する。
元居た世界の言葉を口にしないと言うスルクロークとの約束もあるのだ、『ソルジに帰るまでが旅路です』と三郎は心の中で自分に言い聞かせるのだった。
「もっと注意するよ、ありがとう」
心配してくれたトゥームに、三郎は素直に礼を言う。
だが、トゥームが言い出しにくく指摘したのには、別の理由もあった。
それは、三郎の安心できるストレスを感じない居場所を、奪う様な言葉を言ってしまうのではないかと心配をしたのだ。
人は、落ち着ける場所が無ければ、常に緊張状態を迫られて心が疲れてしまう。
トゥームは、三郎がそんな居場所として自分達を考えてくれるのであれば、嬉しいと思う気持ちも無いわけではない。
「サブローさま、積層魔方陣の組み換えから始めようと思うのです。もし良ければ、ご説明さしあげますのですが、どうされますか?」
トゥームが三郎に、気を許すなと言っているわけではないのだと伝えようと口を開きかけた時、部屋の真ん中に陣取ったシャポーが三郎に声をかけてきた。
「おお、何か教えてくれるの?しっかし、積層魔方陣ってカッコイイ響きだなぁ」
シャポーに呼ばれて、三郎は部屋の中央へ向かって歩き出す。
トゥームは、言葉をかけるタイミングを逃して、その背中を見送った。
ちょうどその時、飲み物を準備して地下へおりてきたカスリ老が、訓練場の扉を開けて入ってくる。
カスリ老は、壁際の席に手際よくテーブルを用意すると、流れるような動作で飲み物を配膳するのだった。
「トゥーム様、どうかなさいましたか?」
物思いにふけるトゥームに気付き、カスリ老が手を止めて話しかける。
「いえ、何でもないの。大丈夫よ」
カスリ老に声をかけられ、我に返ったトゥームが首を横に振って言葉を返す。
(何も悪い事を言った分けではないわ。注意しすぎる事なんてないのだから、私が迷ってどうするのよ)
再び三郎へ視線を戻したトゥームが、普段の表情を取り戻しているのを見て、カスリ老は再び手を動かし始める。
この時トゥームは、必要以上の感情を持って三郎の事を考えてしまっている自分に気付いてはいなかった。
次回投稿は6月10日(日曜日)の夜に予定しています。




