第36話 血の気が引く音を聞いた
警備隊本部の長官であるベーク・ルルーガと警備隊の副主幹であるヤートマ・グスタムは、ソルジに魔獣が襲来した事件についてトゥームに失言を誘うかのような質問を投げかけ続ける。
トゥームは、教会をたてるでもなく警備隊を非難するでもないよう、注意を払いながら返事を返していた。
長官主催の宴であるため、出席者は警備隊本部の関係者でその大部分が占められており、下手な事を言えば問責事項として取り上げられてしまうと考えられるのだ。
そして、トゥームが修道騎士となったが為に、その発言には今まで以上の責任が生ずるのも事実であった。
「トゥーム殿は、西門からの知らせが来るまで、ソルジ教会の建物内に居たと聞いているんだが、真実ですかな?」
ベークは顎に手をあてながら、トゥームの様子があたかも悪く聞こえるように言葉を選んで質問をする。
「ええ、西門の様子を聞くまで、ソルジ教会に居ました。教会に警備隊からの―」
「建物内に居たのでは、外の様子をうががい知れないのも当然と思われますね。ソルジの町全体は、昼間から警戒の様子が強くなっていたのでしょうに」
ベークの質問に、トゥームは事実を素直に返し、それについての補足をしようとする。だが、ヤートマがトゥームの話を遮った。
トゥームの表情が曇るのを見て、ベークが手で隠している口元をいやらしく歪める。
「何もこの様な場で責める訳ではないんだがね、当事者から『事実』が聞けるのも我々としては貴重な事なのだよ。しかし、その日はちょうど『教会で』警備についての会議があったと聞いているが?」
ベークは周囲の人々にも聞き取れるよう、抑揚を強くしながらヤートマに質問をした。
後々、この会話は宴の席での雑談だと主張できるよう、『職務』や『務め』という文句を意図的に排除し、あくまで個人の興味からの会話であるように言葉を選んでいた。
(要するに、警備隊のお膝元でトゥームのソルジでの対応を悪い印象にしたいのか。俺に何か言える?いや、言えないよなぁ)
三郎は、トゥームと警備隊幹部とのやり取りを冷や汗混じりに聞きながら、頭の片隅でこの場をどう乗り切ればよいか考えていた。
目だけを動かして周囲を確認すると、警備隊幹部達と似た服装の人々の中に、雰囲気の違う衣装を身にまとった者達が居るのが見える。
(そういえば、諸王国の幹部も来てるんだっけ。他国の偉いさんにも、トゥームの印象を悪くする意図があるっぽいな)
三郎達の様子に気付き何事かと興味を抱いた人々が、遠巻きに輪を作り始めていた。
「ベーク長官、報告書によればトゥーム殿は警備隊に現状確認をされず、複数の魔獣に対して単騎で戦いを挑まれたそうですよ」
三郎が会話に意識を戻すと、別の警備隊幹部らしき男がベークの横に来て話に加わっていた。ベークはその男の言葉に、満足そうに頷くとわざとらしいほどの感嘆の声を上げた。
「報告を受けたときは私も驚きましたが、修道騎士ともなられる方は実力が違うのでしょう。残念な事に、結果としては魔獣が町に侵入してしまったようですが」
ヤートマが言葉の後を継いで、トゥームの行動を悪い方向へ印象づけるのも忘れない。
「あの時点では、すでに魔獣は町に接近していました。時間の無い中、漁師隊の班長に現状報告を受け、対応する他ありませんでした」
少しばかり語気が強くなったトゥームが、警備隊へ説明をするのを聞いて、三郎は嫌な形に持っていかれていると感じていた。
警備隊の者達がソルジの事件について話をしている所に、トゥームが言い訳を加えているような状況を作り出されている。
「漁師の班長から?ソルジの漁師達は治安維持にも貢献してはいるが、あくまで一般の民である事にはかわりない。警備隊に一言あるのが本来であると考えるが・・・はてさて、私が間違っているのか」
ベークがしたり顔でトゥームの言葉尻をとり詰め寄った。
ベークの発言は正論で、教会と政府の間でも戦闘をともなう非常時の主導権について、深く協議され法として定められている。
それは、教会と王国政府が対等とされるが故の決め事なのだ。
「いえ・・・あの場合、先に西門警備の任にあたっていた警備隊に、現状確認をとるのが正しかった事は、理解していますが・・・」
トゥームは警備隊の者と言葉を交わさなかった事に後悔しつつ、ベークにそう答えるしかなかった。
警備隊の不備についてトゥームが聞いていたのは、あくまで漁師達の言葉であり、直接警備隊の者と話をして確認したわけではない。
トゥームがこの場において、警備隊が門を閉鎖出来なかった状況や戦闘に加われる様子では無かった事を述べたとしても、賛同する者も無く『言いがかり』とされてしまう恐れもある。
トゥームは手を強く握りしめ、警備隊の者達が自分の失言を誘う十分な準備をしている事を感じ取り、喉まで出かかっていた言葉をのみ込まざるをえないと理解した。
「そういえば、報告では町に侵入した魔獣に襲われ、大怪我を負って運ばれた者がいたとあったのですが、それは真でしょうか?」
ヤートマがトゥームの表情を見て、最後の一押しとばかりに声を張り上げた。
トゥームの表情が更に硬くなったのを見て取り、その後をベークが続ける。
「うむ、報告によるとトゥーム殿が直々にその者を運び去ったと書かれていたが、その件について隠し立てしている事はないでしょうな。事実とあれば、本部に出向いてもらい説明を求めねばならんなぁ」
ベークの視線が獲物を品定めするように、トゥームの肩口や胸元へ露骨なまでにいやらしく注がれる。
「怪我を負った、者は・・・」
トゥームは肩をわずかに震わせ、何か言おうとするが言葉が詰まってしまう。
当時は、魔獣の爪により怪我を負って多量に失血し、更に高熱を出してしまった三郎を救うため、周囲を気遣う事も忘れて教会まで運んだ。
それに、警備隊の治療班に三郎の傷を診られたら、体内魔力の様子の違いから三郎がこの世界の者で無い事が分かってしまう恐れもあったのだ。
そうなれば、別大陸の者と言い逃れる事も、難しくなっていたであろう。
だが、その結果としてトゥームは、警備隊幹部の尋問とも言える質問に対し答えを窮してしまっている。
自分の横顔に向けられている三郎の視線を、トゥームは強く感じていた。恐らく自分の事を心配してくれているのだろう。
しかし、警備隊の者達に妙な勘ぐりをされないため、トゥームはスカートを握り締めて必死に視線を前に向けた。
三郎とトゥームが意味深げに目線を合わせでもしたら、警備隊幹部の興味は三郎に注がれてしまうかもしれない。
それだけは避けたかった。
その時、トゥームの願いとは裏腹に、左耳へ長く息をはくような音が聞こえてきた。
歯の隙間から空気の抜ける耳障りな音に、自然と周囲の注目が集まる。
十分に視線が集まったのを確認すると、呼吸の主は朗々と言葉を発した。
「話を伺っておりましたが、何やら我ら教会が、このトゥーム・ヤカス・カスパードを修道騎士と任命するに至った、その働きにも言及されており、言葉を挟ませていただきたいのですが」
トゥームは思わず、言葉の主に目を向けてしまった。
何時取り出していたのか、胸元に司祭のアミュレットを下げ、それと重ねるように教会のシンボルを手で作り、頭を下げている三郎の姿がそこにあった。
(サブロー・・・どうして・・・)
トゥームの心に、三郎を制止する言葉がいくつも浮かぶが、三郎を止めた後の最善の対応が考えつかず、苦しい表情へと変わるだけだった。
トゥームの視線に気付いたのか、三郎が優しげな表情を向けてそっと頷き、そのままゆっくりと視線を警備隊幹部へ戻した。
「ふむ、先ほどから横に立っているだけの付き人かなにかかと思っていましたが、教会の司祭殿でありましたか。これは、礼をかきましたなぁ」
ベークが面倒な物でも見たかのような視線を三郎に向けて、一応の挨拶をよこす。その視線は、三郎本人に向けていると言うより、胸にある司祭のアミュレットを見据えていた。
三郎は、ベークと目が合わない事に内心ほっとしつつ、落ち着いた態度を崩さないように気を配りながら言葉を続ける。
「教会評価理事をおおせつかっていますサブローと言う者です。以後、お見知りおきを」
「教会評価理事?そのような役職、警備隊の長官であるこのベーク・ルルーガの耳には今まで入った事も無い。適当な事を申さば、トゥーム殿共々、本部へご同道願う事になりかねんぞ?」
突然声を上げた男に、場違いなほど落ち着いた態度を示された為、ベークは三郎に苛立ちを隠す事無く言い放った。
ベークの言葉には、トゥームを警備隊本部へ連行するのが決定事項である文言がうかがえる。
ベークは中央王都の重鎮として長年勤めており、教会や国政について熟知しているという自負がある。そこへ、自分の知らない役職を、堂々と口にして話の腰を折る者が現れたのだから面白くない。
「長年あるこの役職を、ご存知無いのも無理はありません。それでこそ、教会と国との分権たる証かとも思いますから」
いつに無くゆっくりとした口調で、三郎はベークの言葉にやんわりと答えを返す。ゆっくりと話せば、自分の考えをまとめる時間も作れる上に、敵意が無い事を表しやすいからだ。
三郎のイメージモデルとして、スルクロークやエンガナと言った穏やかながらも侮れないご老人達が頭の中に浮かんでいた。
だが、心の中では(セーフ、役職を知らない場合のフローで行けるな。オーケーオーケー、落ち着いていこう。バッチコーイ)と自分を奮い立たせているのだが。
「長官。今調べましたら、教会評価理事は300年以上前の教会組織図にも役職名が載っているようです。教会本部の高司祭に並ぶ役職のようで・・・」
「っんな!」
ベークの後ろに控えていた部下が、事務処理用の少し大きめなゲージを操作しながらベークに耳打ちする。それを聞いて、ベークの顔から一瞬血の気が引いた。
ベークの部下の言葉を聞いて青ざめたのは、何もベークその人だけではなかった。ベークの隣に居たヤートマともう一人の幹部も同様であった。
そして、もう一人。
(そうなの?高司祭と同じ位ってエンガナさんと並ぶとか?冗談にも程があると思うんですけど)
当の本人である三郎も、部下の話が聞こえてしまい、笑顔の仮面の下で自分の血の気が引く音を聞いていた。
次回投稿は5月13日(日曜日)の夜になります。




