第33話 手続き上の問題で役員の肩書きを
「そう、スルクロークは穏やかに過ごせているのね」
エンガナは、ソルジ教会であずかる三人の子供達の話や日々の様子をきくと口元を緩ませて言った。
手に持ったティーカップに残る紅茶の水面に目を落としたエンガナの表情から、三郎は少し寂しげな印象を受けた。
「スルクローク司祭とご連絡をとられているので、ソルジの様子はご存知なのかと思っていました」
「連絡はとっているのだけれどね、だめね、男の人は事務的な話ばかりで終わってしまって。女の子と話すのは楽しいわね」
エンガナは楽しげにトゥームの問いに答えると、シャポーへ宝石のように果実のあしらわれているお菓子を勧めた。
(これは、あれか。女子会ノリのお茶会ってやつか?おっさんが混じってるの場違い甚だしいんだけど・・・)
三郎は紅茶をすすりながら、白い空間でひらかれた品の良い茶会に迷い込んでしまったような、妙な感覚を覚えるのだった。
「エンガナ高司祭様、そろそろ本題に入りませんとお時間が・・・」
それまでエンガナの後ろで、影のように立っていた司祭が口を開いた。
時間を告げた司祭は、三郎の目には『優秀な女性秘書』という印象に映った。
あながち間違いと言うわけでもなく、位の高い司祭の秘書官には、勉強も兼ねて若く優秀な司祭が任命されるのが通例とされている。
「あらあら、そうね。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうわね」
全く焦る様子も無く、エンガナは秘書官の言葉に返事を返した。
秘書官の手には幾つもの書類の束が抱えられ、その様子からエンガナ高司祭が多忙な身なのだとうかがえる。
三郎は改めて、エンガナ高司祭が急遽この席を設けてくれたという事を思い出した。
「さて、では本題に入りましょうね。まずは、サブローさんの身分証明証についてだったわね」
エンガナがそういうと、秘書官は一番上に抱えていた書類を差し出す。
書類を受け取ったエンガナは、中に挟まっていた半透明で厚みのある板を取り出した。三郎の物となるであろうゲージである。
三郎はエンガナの『まずは』と言う言葉に、何か別の用事もあっただろうかと考えたが思い浮かばず、気にする程でも無いかと聞き流す事にした。
「そういえば確認していなかったのだけれど、シャポーさんはサブローさんの身元について『正確』に把握しているのかしら?」
トゥームに視線を向けて、エンガナは『正確』を強調して言った。
相変わらず柔らかな表情を浮かべているが、エンガナの目は真剣な光を宿している。
「はい、グランルート族の町フラグタスで、グランルートの族長に説明せねばならない事態となり、シャポーにも同席してもらいましたので、既知の事となっています」
背筋を正したトゥームが、エンガナの問いに答えた。
その場の空気を察したシャポーも、お菓子を食べる手を止めて姿勢を正して頷く。
「ならこの場に居るのは、サブローさんが勇者と故郷を同じくする人だと知っているので問題ないわね」
エンガナがそう言うと、その背後で秘書官の女性が恭しく頭を垂れた。
秘書官はエンガナの信頼厚い人物であり、スルクロークから三郎についての連絡が入って以来、それに関する事務手続き等をすべて任されていた。
「サブローさん、このゲージは事務の手続きはほとんど終わっていて、サブローさんの魔力を反応させて私が認証を施せば、貴方の身分証としての機能を開始するようになっているわ」
エンガナは三郎に向き直ると、自分の手の平にゲージを載せて見せる。
魔力を反応させると言われ、三郎の心の中で、本当に自分の中に魔力が蓄積されているのだろうか、という一抹の不安が首をもたげる。
「でもね、その前に承諾してもらいたい事が一つだけあるのよ」
「承諾・・・何でしょうか?」
三郎の不安をよそに、エンガナは先を続けた。エンガナの言葉に、三郎は動揺している気持ちを抑えつつ身を乗り出す。
「身分証という物はね、国で手続きをするのは知っていると思うのだけれど。教会の者となる場合は、国で手続きをした身分証を基にしてね、教会の所属になりましたと言う更新をかけなくてはいけないのよ」
三郎は深く相槌を打って話をきいた。
中央王都への馬車の中で、身分証についてはトゥームやシャポーから聞いており、三郎は自分の理解する『出生届け』に近いなと感じていた。
「教会が身分証の発行を許されるのは、教会内で高位の役職者に専用のゲージを貸与する場合に限られていてね、これは一般の身分証からの更新ではなく、新しく専用のゲージを作って与えて良いとされているの」
エンガナは三郎に、教会は国政を監視し、国は教会権力を監視するという立場から、教会の高位職者には国と関わりの無いゲージが与えられるのだと補足した。
「お話から察するに、そのゲージは言わゆる・・・役員用みたいな物という事ですか?」
三郎はエンガナの手に乗せられているゲージを、恐る恐る指差した。
「あらあら、話の飲み込みが速いのね。そう、言うなれば『役員用』なのよ」
エンガナは「ふふふ」と笑いながら答える。三郎は『役員』と聞いて、会長だの専務だの常務だのと頭の中で企業の役員名が浮かんでは消えていた。そして、自然と自分の瞬きの回数が増えているのも感じてしまう。
「サブローさんには肩書きだけでも『教会評価理事』と言うものになってもらえれば、教会が身分証を用意することができるのよ。でもね、通常の身分証として国の手続きをするともなれば、身元を詳しく調べられてしまうから、困ってしまうわね」
一般の身分証を手に入れる難しさを説明し、エンガナは三郎に教会の高位役職者になる道を勧めて来た。
三郎は言われた役職がどう言う物なのかも分からず、トゥームに助け舟を求めてちらりと視線を向ける。
三郎の横に座っているトゥームも、急な展開について行けておらず、きょとんとした顔でエンガナの手にあるゲージを見ていた。
「えっと・・・その『教会評価理事』って言うのは、そもそもどういった物なのでしょう?」
三郎はトゥームの様子から、とんでもない提案が出されているのではないかと感じ取って、エンガナに質問をする。
三郎の質問に、エンガナの後ろに控えていた秘書官が朗々とした声で説明を始めた。
「教会評価理事について簡単にご説明いたしますと、教会の根幹たる『教え』を十二分に理解し、教会の運営や行動など全てに対し適切な指摘と修正を行い、時には教会に対し苦言を呈するような役まわりとなります」
エンガナは秘書官に礼を言うと、三郎に「どうかしら?」と笑顔で言った。
(どうかしらってほど、軽い感じじゃないんですけど!)
三郎は唐突な話に混乱してしまい「あー」だの「えっと」だのとしか言葉が出ない。三郎の頼みとしているトゥームは、いまだに一言も発する様子が無かった。
「ふふふ、そんなに難く考えなくてもいいのよ。サブローさんは勇者と出所を同じくするのだから『教え』については我々よりも肌身で理解しているのだし、教会の事は『ちょっとそれは違いますよ』って言えればいいのだからね。それに、あくまで肩書きとしてだから、特に何かしないといけない訳でもないのよ」
エンガナは優しげに微笑むと、三郎の混乱を落ち着かせるように言って聞かせた。
「教会評価理事は、名前だけは聞いていましたが、就任した者は居なかったと記憶しています。役目の特性上、教会内部から出してはならない役職となっており、さりとて『教え』を教会の者以上に理解する者が、今までに居なかったからだと聞いた覚えがあります」
突然、三郎の隣から落ち着きのある聞き慣れたトゥームの声が響いた。三郎は、その声の響きに不思議と救われた気持ちになる。
エンガナはトゥームの言葉に「そうね」と笑顔で頷いた。
「この事について、スルクローク司祭も了承を?」
トゥームの問いにエンガナは、笑顔で深く頷き返す。
トゥームは、一連のやり取りから何かを察したかのように、一瞬はっとした表情をすると、思考をまとめるかのように視線を床に落とした。
「スルクローク司祭も了承されているなら、教会評価理事という肩書きを頂いても問題ないと思います……が」
三郎は、スルクロークの名前が出たことで安心感が増したのだが、言葉の最後を濁しつつトゥームに確認するかのような視線を向けた。
トゥームも考えが整理出来た様子で、三郎と視線を交わすと大きく頷く。
「ふふふ、よかったわ。これでスルクロークに頼まれた事が一つ片付くわね」
エンガナは、肩の荷が下りたとばかりに安堵の声で言う。
「一つ?何か他にもあるんですか?」
三郎は最初に引っかかった『まず』と言う言葉を思い出した。
「ええ、次はねトゥームさんに修道騎士になってもらう承諾を貰わないといけないからね」
「なっ!?」
満面の笑顔で言うエンガナの言葉に、トゥームは唖然として言葉を失うのだった。
次回投稿は4月22日(日曜日)の夜に予定しています。




