第310話 エピローグ
三郎は、午前の和やかな光の差し込むリビングダイニングで、ぶ厚い本を広げていた。
八人掛けでも余裕のある机の上には、まだ彼が手を付けきれていない書物が数冊積まれている。
「戻ったら忙しいのかと思っていたけども、案外のんびりとできてるなぁ」
司祭業務について説明されている退屈な内容を目で追いかけているのだが、あくびの一つすら出る気配はない。前日に十分な睡眠がとれている証拠だった。
三郎が居るのは、ソルジ教会の見慣れた部屋だ。
始めてクレタスに来た時、窓辺に置かれているエル字のソファーに寝かされていたのを、三郎は遠い昔のように感じていた。
「持つべきは、親切な先輩か、はたまた優秀な前任者か。スルクロークさんには足を向けて寝られないよなぁ」
三郎が呟いた通り、スルクロークはソルジでの業務について懇切丁寧な引き継ぎをしてくれたのだ。
内容は、理解しやすく書類にまとめられており、後々でも目を通せば間違いがなさそうな程のものであった。
更にスルクロークは、ソルジにおける戦後処理から当面の業務までもを完了されてくれており、これまで慌ただしく走り回っていた三郎に、一時の休息時間を与えてくれたのだった。
「あら、サブロー。執務室じゃなくてここで読んでいたのね」
洗濯物を干し終えたトゥームは、部屋で三郎の姿を見つけると声をかけた。
「何か学ぶには、こっちの部屋の方が集中できる気がしてさ。最初の四ヶ月くらい、この机で勉強してたせいかもしれないな」
「ふふ、慣れってあるかもしれないわね」
と言ったトゥームも、手に事務用のゲージを持っていた。
「本部に提出しないといけない書類とかあった?」
やらねばならない事でも忘れていたかと思い、三郎は問いかける。
「いえ。リケとティエニの親権について、中央政府に伝える事があるだけよ。ラルカの在籍地も、ソルジから中央王都に変更する旨を連絡しておくの」
トゥームは「すぐに終わるわ」と付け加え、三郎の向かい側に腰を下ろした。
「ティエニとリケを魚屋さんが養子にしてくれたのと、ラルカがアーディ家に居候させてもらう件か。中央政府に提出しなきゃいけない物があったのか」
「どちらも相手側がやることなのだけれど、ソルジ教会が認識しているとあらかじめ連絡しておけば、事務手続きがスムーズに進められるのよ」
事務用ゲージに映し出されたフォームに、トゥームは必要事項を入力しつつ三郎に答える。
三郎の言った『魚屋さん』とは、教会の敷地から歩いて目と鼻の先にある常連となっていた魚屋のことだ。
此度の戦争において、魚屋の主は漁師であった一人息子を残念にも亡くしていた。
教会に居る子供達を常に気にかけてくれていた夫婦は、漁師になると常から口にしていたティエニと、歳の近いリケを養子に迎えると申し出てくれたのだ。
そしてラルカは、本格的に修練兵を目指すため、アーディ家に行くことを決意したのだった。
修道騎士マフュの戦いを目の当たりにして、修練兵になるという目標がラルカの中で固まったのが理由だ。しかも、ラルカ自身の剣の才が、ソルジに援軍として来ていた修道騎士三名に、筋が良いと認められたのも大きな部分であったのだろう。
「三人とも元気にしてるかなぁ」
「つい先日、送り出したばかりじゃない。ティエニとリケは、会おうと思えば会える距離なのだし」
三郎のため息交じりの言葉に、トゥームは「まったく」と半笑いで返すのだった。
スルクロークや子供達に加えて、戦争のためにソルジに来ていた修道騎士や修練兵も、三郎と入れ替わるように中央王都へと引き上げてしまっている。
よって現在、ソルジ教会には、三郎とトゥームの二人だけしかいない。
「皆がいないと、案外広く感じるものなんだな」
同時に送り出した手前もあり(寂しさすら感じてしまうなぁ)と三郎は室内を見渡しながら心の中で呟いていた。
「ソルジ教会への増員も決まっていることだし、すぐに賑やかになるのじゃないかしら」
トゥームも物寂しく思っているのか、事務用ゲージをぱたりと置くと、三郎と同じように部屋へと視線を巡らせた。
「ゲージに来た連絡にさ『ソルジは要所であるから』昔と同程度まで人員を増やすってあったけども、要所ってどういう意味だったのかな。かなり意味深な書面だったけど」
思い出したかのように三郎が聞くと、トゥームは打って変わり呆れた表情を浮かべた。
「逆に聞くのだけれど、最初の勇者が召喚されたのは、どこの地だったかしら」
「ソルジですね」
問い返された内容に、三郎は即答する。絵本にも描かれている程のクレタスにおける常識問題だからだ。
「二問目よ。勇者の召喚には魔法陣が必要です。中央王都と『どこ』に召喚の魔法陣はあるのでしょうか」
「ソルジ、ですかね」
歯切れ悪くトゥームの出題に三郎は答える。
心なしか、トゥームの呆れたような瞳の色が濃くなった。
「三問目。教会の前進となる組織が、最初の勇者を召喚しました。さて、魔法陣はどこにあるのでしょう」
「ソルジ教会、なんですかね」
トゥームは「正解よ」と言って、地下の方向を指差した。
「なるほどぉ」
「なるほどじゃないわよ。知っているとばかり思っていたわ。説明しなかった私も悪いけど、疑問とか浮かばなかったのかしら」
床に目を落として頷く三郎と、右手で額を押さえるトゥームなのであった。
「だから、セチュバーはソルジにも軍隊を送ったのか」
「そうよ。今度、地下の入り口を教えるわ」
得心がいった表情の三郎に、トゥームはため息とともに答えるのだった。
スルクロークが、三郎への引き継ぎの際に、召喚魔法陣の件に触れなかったのも、理事となったのだから既知としているはずと考えていたからかもしれない。
「ねぇサブロー。教会が木造であることも、疑問に感じていなかったのかしら」
ふと思い至ったトゥームが、事はついでにと口にする。
「そう言われると、木造の建物ってエルート族の所でしか目にしなかったような」
旅路の記憶をほじくり返して三郎は言う。
「エルート族が、最初の勇者との友好の証にと、寄贈してくれたと伝えられているわ。人族の建築物よりも耐久性に優れているそうよ」
妙な所で無頓着な三郎へ、諦めにも似た感情を抱きつつ、トゥームは席から立ち上がりながら言った。
「五百年建築……まじか」
三郎は天井までをも見回して感嘆の声を上げた。
「ふう。何故かしらね、話していたら喉が渇いちゃったわよ。サブローも飲む?」
「もらおうかな。って、中央政府への連絡って」
「とっくに終わってるわ」
部屋を出て行きながら、トゥームは三郎へひらひらと手を振ってみせた。
「トゥームさん、流石です。ってか、俺もそれくらいの速度でゲージ扱えるようにならないといけないんだろうな」
独り言をごちりつつ、三郎は机の上に積んだ本へ視線をやり「でもまずは、読み物からだな」と、気合を入れ直した。
ソルジ教会への増員が到着するまでの短い間だが、慌ただしい冒険を終えたおっさんは、この様な穏やかな日を過ごすのであった。
初めて書いた長編「おじさんだって勇者したい」にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。スピンオフのような短編も書けたら良いなと考えておりますが、現在は未定です。
読んでいただいた皆様に、感謝申し上げます。
アクセスは勿論のこと、ブックマークや評価まで頂きまして、活動の原動力となりました。重ねてお礼申し上げます。
次回作の投稿は9月10日(日曜日)もしくは9月17日(日曜日)の夜に予定しています。
よろしければ、再びのお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。




