第295話 魔力の奔流
クウィンスは、教会馬車がいきなり出発したことに慌てふためく天啓騎士団を置き去りにして、前線であるドート軍の隊列に向かって猛進する。
「ドート軍は馬車の進路を開けてくださーい。総指揮官命令でーす」
やる気のない状態が平常運転であるはずのグルミュリアが、拡声の精霊魔法を行使してドート軍に呼びかけていた。青ざめた表情のままではあるものの、シャポーの声からただならぬ響きを聴き取ってしまったので仕方がない。
「魔装臼砲の出力最高値に対し、安全率を四割ほど仮定しておかないとだめなのです。反射魔法を主軸に、魔含粒子の逆位相生成によるエネルギー減衰も利用してですね。えとえと、防御魔法全体の剛性を耐久防衛術式三個で保持するとしまして、相殺時の過負荷を熱エネルギーに変換して放熱する術式を補助に設置すれば……計算上問題ない、はずなのですけれども」
シャポーは、目に涙を浮かべつつも、魔装臼砲の砲撃を防ぐための術式を何度も繰り返し演算し直していた。以前読んだことのある数々の資料を記憶の底から引っ張り出し、自走式魔装臼砲の情報を手当たり次第に脳内へ羅列して、防衛シミュレートを行っているのだ。
シャポーの思考実験が、既に三桁に近い回数にまで到達しているなぞ、同じ車内にいる二人ですら知らぬ所であった。
その時、全速力で走っている馬車に三つの人影が飛び込む。
床にへばりついている三郎であったが、目の端に映った者達が誰であるのか容易に想像することができていた。彼の知る限り、普通ならば無理と思える曲芸じみた技を、当然のようにやってのける人物などは、片手で数えられるほどしか思いつかないからだ。
「よく乗れましたね」
「余裕。クウィンスが進路を微調整してくれたし」
呆れた声のグルミュリアに、ムリューが得意気に答えた。
「何が起きたのか説明してもらえる」
しゃがんで三郎の背中に手を置いたトゥームが、真剣な表情で前方を見つめながら聞く。
「自走式魔装臼砲が発射されるかもしれない。シャポーが防御魔法で防いでくれるらしい」
馬車の振動に合わせて声を震わせながら、三郎はトゥームの疑問に返した。
「できるの?」
「ままま、魔装臼砲の出力最大値で計算しまして、問題ないはずですので」
短いトゥームの問いにシャポーが答えた。
「わかったわ。私達はシャポーのフォローをすればいいのね」
トゥームは、シャポーの涙目に対し不安なぞ一片も感じていない様子で頷く。三郎は「頼む」と馬車の揺れに耐えつつ言うのだった。
一緒に飛び乗ったシトスは、グレータエルート達に自軍の元へ戻るように指示を出していた。
「私も戻りたいですけどねぇ」
「飛び降りられるならいいんじゃない」
グルミュリアの呟きにムリューが半笑いで返すも、グルミュリアは「怪我しそうなので止めておきますよ」と恨めしそうな顔をするのだった。
彼女達のやり取りに続き、御者のミケッタの声が車内へと響く。
「踏ん張ってください!」
ミケッタの言葉が合図だったのか、馬車が軽く揺れた後、振り回されるように横滑りをはじめる。
「うわぁぁぁまたかぁぁぁ」
トゥームに床へと押しつけられている三郎が、たまらずに声を上げた。ほのかは三郎の真似をして「ぱわぁぁぁぱぱぱぁぁぁ」とさも楽しそうに真似をする。
馬車の進路を譲ってこそいたが、ドリフトするとは考えてもいなかったドート兵達は、慌てて飛びのいて難を逃れるのだった。
がりがりと地面を削り、馬車は百八十度回転して見事に停車する。
「時間が無いのです」
止まると同時にシャポーが馬車から駆け降りると、トゥームとシトスとムリューの三人が遅れずに続く。
その正面には、数の減った屍兵の一団と洗脳された兵士の群れが歩み来る姿があった。
着地したシャポーの頭上に、思考空間から引っ張り出した防御の魔法陣が次から次へと発生してゆく。素人の三郎から見ても、それが巨大な魔法陣であることが一目で理解できるような代物だった。
シャポーが素早く法陣を並べ一つの術式へと組み上げている最中、敵軍の後方に異変が起きた。
魔力集束の最終段階を知らせる放射線状の光が輝くと、誰もが感じとれるであろう大きな魔力エネルギーの塊が出現したのだ。
「自軍も巻き込むつもり」
トゥームの叫んだ通り、ゾレンの支配下にあるであろう屍兵と洗脳された兵団は、射線から退避するような動きを見せてすらいない。
だが無情にも、異常なまでに高まった魔力の塊は、諸王国軍へ向けて放たれた。
「くっ」
発生した大質量の魔力により生じた熱輻射と、押しのけられた大気が風圧となってトゥーム達を襲う。
シトスとムリューが精霊魔法を使っていたおかげで、トゥームとシャポーも直接的な影響からは逃れられたものの、焦げた嫌な匂いが熱風に混ざり通過して行った。
直後、魔力の奔流がトゥーム達のもとへと到達した。
淡く干渉色の混ざった白色光が、馬車に乗る三郎までをも飲み込む。
(シャポー、間に合わなかったか)
自身を守るように腕をクロスさせ、大気が切り裂かれる轟音の中で三郎の頭をよぎったのが、その考えであった。
だが、時が止まったかのように一瞬の静寂が訪れる。
三郎の思考が疑問を抱く隙も無く、空間を震わせていた音が変化した。
金属の悲鳴にも似た「クワーン」と響く音が鳴った後、魔力エネルギーのぶつかり合う低音と高音の入り乱れたものへと変化していったのだ。
「シャポー!」
三郎が顔を上げると、シャポーの前に出現した巨大魔法陣が、魔装臼砲のエネルギーを受け止め、分解し、放物線状に散らせていたのだった。
次回投稿は5月21日(日曜日)の夜に予定しています。




