第273話 敵に回してはならない
三郎達は、諸王国軍のお偉方に状況の説明するため、停戦交渉の場から一時席を外していた。
「どれくらいの時間がかかるでしょうかねぇ」
天井に張り付いて早数刻。三郎達が諸王国の幹部との話し合いへ向かい、少しばかり時間が経過した頃、グルミュリアがぽつりと呟く。
諸王国軍内での会議は、もめることになるのではないかと危惧しての言葉だった。
彼女の真下では、セチュバーの者達が三郎の帰りを黙して待っている。
停戦交渉は、内乱を企てた者全てを中央王都の法廷にて処罰させるのを条件に一応の成立をみていた。だがセチュバー本国が、現在は別の者の手中にあることを宰相メドアズから聴き出しがたため、交渉はほぼ振り出しに戻ったようになっている。
総指揮官である三郎が、ゾレン討伐という言わば『共闘』へ舵を切るのを示唆した為である。故に、諸王国軍幹部との話し合いが必要と判断されたのだ。
「カルモラ王やオストー王、そしてナディルタ女王のお考え次第でしょう。セチュバーの宰相が提示した停戦の条件は、降伏とかわりありませんからね。内乱の首謀者らを引き渡すのと交換に、これ以上の戦闘を継続しないというものでした。果たして諸国の王が、条件もそのままにセチュバー解放に手をかすかどうか・・・」
「セチュバーのまいた種だものね。自分達で決着をつけるのが当然とか言われるかも。一緒に戦うなら、ここぞとばかりに新たな条件を付け加わえてきそうだし」
シトスの言葉を引き継ぎ、ムリューが肩をすぼめて言った。
「向こうでの話し合いの長さ次第ってところですかぁ。この人たちは、どんな結果も受け入れる覚悟みたいですし、サブローさんが戻ってくれば終わりそうですね」
グルミュリアは、相も変わらずやる気のない口調で、セチュバーの者達を顎で指し示した。彼女の言葉通り、メドアズらの呼吸音には決死の覚悟ともとれる響きが混ざっている。
無理難題を突き付けられない限り、三郎の持ち帰るであろう答えに同意する意志がありありと浮かんでいた。
「どうしたグルミュリア。疲れちまったのか」
視線は下に向けたまま、バジェンが粗野な言葉遣いとは別に心配の響きを乗せた言葉をかける。
バジェンとグルミュリアは、深き大森林で魔人族と戦った際、他の者よりも重度の傷を負わされていた。傷は癒えようとも、体力的にはまだまだ本調子ではないのも事実だ。
バジェンは、グレータエルートの中でも体力に自信のある方なので、今の段階では全くもって問題ない。しかし、グルミュリアが少々無理を押して戦線に復帰しているのは、仲間の誰もが気付いていることであった。
現に、グルミュリアの声には微かに何事かを懸念する響きが含まれている。
バジェンに悟られたと知り、グルミュリアは内心に生じている心配事を口にした。
「長引いた場合、お手洗いに行きたくなったらどうしますか。部屋に居る仲間の兵士もですが、セチュバーの方々についても心配になりませんかねぇ」
その答えに、バジェンは精霊魔法の集中が途切れて、危うく落下しそうになった。
「時間がかかることも想定して、先に済ませておいて当然だろうが。お前、まさか行きたくなったんじゃ」
「いえ、ちょっと気になっただけで、今のところ大丈夫ですよ」
涼しい顔で言うグルミュリアを、バジェンは恨めしい表情で睨みつける。
「そういうこと聞いたら、気になって行きたくなっちまうかもしれねーだろ。普通、思っても口にしねーぞ」
「そんなものですか。こういう場面が初めてなもので、ふと考えてしまったんですよね。ちなみに皆さんは大丈夫なんです」
「だからよ、気にさせんなって言ってるんだがなぁ」
「そうでした、そうでした。すみませんねぇ」
グレータエルート達の会話は、人族の耳には聞こえない程の音量で行われている。
緊張感漂う静まり返った部屋で、時折鎧の擦れる音が微かに聴こえるだけだ。もしかすると、グルミュリアの懸念した通り我慢している者も居るのかもしれない。
浅く緩い会話が、天井付近で交わされているとも知らず、メドアズは真剣な面持ちで三郎の戻りを待っていた。
(カルモラやオストーが、簡単に首を縦に振るとは思えんな。天然エネルギー結晶の利権や、セチュバーの名を改めて属国とするのを条件に加える算段もしているかもしれん。秘書官に送ったリストには、反乱の詳細をお知らせしていなかった王妃や王子の名は含まれていない。バドキン王の血筋を絶やす為、加えるよう圧力をかけて来る可能性も考えられるか。全てをのんだと思わせ、我が軍のみで動くことも視野に入れておかねばならんか。問題は、グレータエルートに言葉の響きで悟られる可能性が高いといった所だな)
腕を組んだメドアズは、前方の空となった席をじっと見つめて、別の部屋で行われている会議について考えを巡らせる。
最悪を想定すれば、メドアズ自身の身柄をこの場で拘束されることもあり得るのだ。自分が戻らなければ、交渉決裂とみなして作戦行動に移るよう指示を与えている。ゾレンの命だけは、セチュバーの手で刈りとらねばならないのだから。
(汚名は全て私が受けよう。なれど、守衛国家セチュバーが一魔導師の手に落ちたなど、歴史に残してはならない)
憎きゾレンの暗い眼を思い出し、睨み返すかのようにメドアズは眉間に皺を寄せていた。
その時、扉の開かれた気配が部屋の中に流れ込む。メドアズは入室してくる者達を迎えるため、席から立ち上がった。
姿を見せたのは、諸王国軍の総指揮官三郎と先だってと同じ顔ぶれの四名であった。彼らは停戦交渉の始まりの時と同様の並びで席に着く。
促がされたメドアズも、三郎達の様子を観察しながら腰を下ろした。
(・・・予想以上に戻るのが早かったな。カルモラなどのおまけが付いて来るかと思ったが、同じ顔ぶれか)
さらにメドアズは、早々に会議が終わったのを受けて、簡単で明瞭な答えが出されたと予想する。八割がた、セチュバーとの共闘などという答えはでなかったのだろうと。
「諸王国軍からの総意として、魔導師ゾレンをクレタスの脅威と断定することになりました」
三郎の言葉を聞き、メドアズは(であろうな・・・ん?)と心の中で首を捻った。
「今、何と?」
「魔導師ゾレンというクレタスの脅威を排除し、後にセチュバーとの停戦を受理することになります。リストに名のある者については、先程決定した通り・・・っと、メドアズ殿、大丈夫ですか」
口を半開きにしてぽかんと見て来るメドアズに、三郎が心配そうな声をかける。
「っ!失礼いたしました。なにぶん、前置きも無かったもので」
魔導の世界において、天才と呼ばれたこともあるメドアズが、混乱の渦に飲み込まれていた。
(どのような手を使った。一筋縄ではゆかぬ者ばかりであろう。王都からは例の勇者までもが来ていると聞いているが、どのように懐柔したのか。己が迷い人であることも公表しておらず、教会の理事と言うだけでは説明がつかない。先ほど思いついたかの提案を、短時間で受け入れさせてきたというのか)
狼狽するメドアズを余所に、三郎は営業スマイルも満面に話を続ける。
「驚かせてしまい申し訳ありません。事は一刻を争うと考え、結論から申してしまいました」
「急がねばならぬのは確か。私の方こそ、総指揮官殿のご配慮に気付けず、失礼を」
椅子から再び立ち、深々と敬礼したメドアズの鼻先から、自然と汗が流れ落ちた。守衛国家で宰相にまでなった男の頭の中で、三郎を敵に回してはならなかったのではないかという恐れと、警鐘が鳴り続けての汗であった。
三郎が着席を促がすと、メドアズも多少の落ち着きを取り戻す。
そうして、詳しい作戦内容については、第十要塞に移動してからの軍議でと約束がされたのだった。
メドアズの冷静沈着な態度が、わやくちゃとなってしまったのは語るまでもない。
「人族同士の話し合いが終わった所で、私から確認させていただきたいことがあります」
交渉が再開されてから、成り行きを見守っていたケータソシアの声が室内に静かに響く。
メドアズは座る姿勢を正し、深く頷いてケータソシアへ向き直った。
「名前を頂いた方々について、魔人族が介入することも知っていた者達であるということで、認識してよいのですか」
ケータソシアは、送られた名簿をさしてメドアズに問う。
「送りました情報に名を連ねる者が、内乱の作戦立案に関係していた全てとお考え下さい」
「・・・偽りは無いようですね」
ため息を吐くように囁いたケータソシアの目が、冷気を纏ったかのように鋭く無感情なものへと変化する。
「人族の法に裁かれ仮に生き長らえたとしても、エルート族はその命が大地の上にあるのを許さぬこと、伝えておきますので」
彼女の言葉は、室内に居る者達を凍り付かせる冷気のごとく、床から広がるように鳴り響いた。
見据えられたセチュバーの四名以外も、身震いする底知れない恐怖を覚える言葉であった。
「心得て、おきます」
胆力を振り絞り答えたメドアズであったが、おっさん以上に敵に回してはいけなかった種族の存在に今更気付かされたのだった。
次回投稿は12月11日(日曜日)の夜に予定しています。




