第261話 巨漢の張り手
「うあ~、今からでも第六要塞の警戒任務に戻りたい。何なら、要塞むこうセチュバー方面の偵察任務でもいいから、私戻っちゃダメでしょうかね。ケータソシア指揮官さま~」
抑揚の少ない、やる気にも欠けた声が訴えている。
濃い紫色の長髪を真っ直ぐおろし、覇気のない表情の女性がケータソシアに言った。
「グルミュリアさん、これは商業王国ドートのカルモラ王と教会評価理事サブロー殿の交わされた、最重要に位置付けられる案件なのです。お願いですから、気持ちを引き締めて臨んでください」
グルミュリアの前を歩くケータソシアは、振り向いて言葉を返した。その顔には、くっきりと『諦めてください』の文字が浮かんでいるようだった。
「我々の守護者殿の顔に泥を塗ることはしませんけど、こんな人手の足りない時じゃなくてもいいと思ったり、思わなかったりするんですが」
大きなため息交じりにグルミュリアが言う。
この問答は、歩き始めてから何度も繰り返されており、グリュミュリアのため息は都度大きくなる一方だった。
「仕方ありませんよ。第六要塞攻略の成った際にと、約束していることです。セチュバーの残存兵が投降したことで、第六要塞は一応の落ち着きを見ています。洞窟内の舗装作業が順調に進んでいる今ですから、約束を果たす時間も捻出できるというものです」
グルミュリアの肩をぽんと叩き、悪びれもしない笑顔のシトスが、フォローになっていないフォローを入れる。グルミュリアの口から、また一つため息が漏れた。
「グルミュリアも承諾しちゃってるんだし、前線が忙しいって、短く切り上げてもらう理由もあるんだからさ、頑張って『女神』さま。それに、せっかく要塞から急いで戻ってきたんだし、面倒な用件なんて先延ばしにしない方がお得じゃない」
状況を楽しんでいるのが分かるにこにこ顔で、ムリューがもう一方の肩を叩く。
「他人事な二人はいいですよね。基本的に人とのコミュニケーションを好まない私には、結構ハードル高めなんですからね。しかもメガミとか」
肩をかくりと落とし、グルミュリアがうな垂れて答えるのだった。
音の精霊と親交が深いグルミュリアは、森の奏でる無作為な自然の音を好む。仲間であるエルート族と話す時とて、声には様々な感情の波が乗ってくるものだ。その相手が人族ともなれば、どんなぐしゃぐしゃな不協和音を響かせてくるものかと、考えるだけで気落ちするのも仕方ないといえた。
「グルミュリアさん、何か本当に申し訳ありません。あまりにも辛いお願いをしてしまったのでしたら、私からカルモラ王へ謝罪させてもらいます。無理なさらずともよいですから」
背後からかけられた声に、グルミュリアは目を丸くして後ろを振り向く。
「サブローさん、本気で言ってますね」
「それは、そうですよ。仲間の方に無理強いしたくありません」
力強い言葉で返した三郎が、真剣な眼でグルミュリアを見ていた。
第六要塞のセチュバー兵が投降してから、シトス達三人が陣営に戻ってくるまでの間に、体を十分な時間休めることの出来た三郎は、血色の戻った顔色をしている。さもすれば、以前よりも肌艶が良くなっている程だった。
「厄介な話しをまとめるのは、サブローって案外上手く乗り切ってくれますから、嫌でしたら気兼ねなく言って下さい。こちらからお願いした事でもありますので」
理事の秘書官という立場から、トゥームが頷きつつ三郎の言葉に続けた。
「シャポーも一緒に謝れるのですよ。今だけですけれども、教会の魔導顧問という立場ですので、無いよリマシ程度の効果があるかもしれないのです」
ふんふんと鼻息を荒くしたシャポーも、とりあえずできそうなことを口にする。
そんな三人『エルートの守護者』を前にして、グルミュリアはふっと表情をやわらげた。
「ちょっと愚痴が言いたかっただけなので、大丈夫ですよ。きちんと役目として請け負わせてもらいますからね」
ひらひらと手を振ると、グルミュリアは前を向いて普通に歩き出す。
『あの人たち、面白いです。人族にも、あんな人達がいるものなんですね』
グルミュリアは、グレータエルート三名にしか聞き取れない声で呟いた。
打算も無しに、断っても良いなどと人族が言ってくるとは思っていなかったからだ。少なくとも「会うだけならいいじゃないか」とか「承諾したのだから文句言わないでほしい」などの気持ちが、言葉の響きに含まれていても人族ならばと諦めもできよう。グルミュリアも、これ幸いだとして素直に引き返していたかもしれない。
だがしかし、後ろを歩いている人族の三人は、本気で気遣っているのが表情からもにじみ出ていたのだった。三郎など、既にどう言い訳したものかと考え始めてすらいる様子が、その声から響いていたのだ。
『信じるに足る響きでしょう』
シトスが僅かに得意気な声色で言うと、グルミュリアはくすりと笑って返した。
『私としては珍しく、ちょっとだけやる気が出てしまいました。ちょっとだけですけどね』
この時の彼女はまだ知らない。数年後のドート国内で、一国の王と見目麗しい種族の娘との恋愛小説がブームとなり、フィクションまみれの物語のモデルにされたと後悔する日が来ることを。
***
カルモラ王がグルミュリアとの再会を果たす場は、エルート族の陣営の端に設けられた天幕で行われた。
天幕の外には、王の護衛であるドート兵が数多くいたが、内ではカルモラ王が満面の笑顔をたたえ一人だけでグルミュリアが来るのを待っていた。
立ち合い付きでとの条件を、カルモラが快く承諾していたこともあり、三郎含む六名もの立会人が同席する中での再会となる。
カルモラ王は、心からの笑顔でグリュミュリアを迎えると、震える手で固く握手を交わして席に着くのだった。
(アイドルと一対一で会える握手会みたいな感じになってたんですけど。警備員のほうが人数多い、みたいな。ってか、カルモラさんの笑顔が無邪気すぎて、ふだんの眼の奥が笑ってない方が安心するのは不思議だなぁ)
付き添いの六名は、壁際に並び立って二人の様子を見守っている。その端っこに立っている三郎は、至ってのんびりとした思考を巡らせていた。
なにせ、仮にカルモラ王が暴れ出したとしても、三郎に止める手立ては無い。太い腕に吹き飛ばされておしまいになるのは、想像に難くないのだから。
しかして、再開の会合はしごく穏やかに時を刻んでいった。
カルモラ王は、ほぼほぼ命を救ってもらった感謝の言葉を並べ、グルミュリアは、女神のような笑顔で受け答えしていた。彼女の後ろに並んでいる者達なぞ存在しないかのごとく、カルモラの瞳はちらとも三郎達に向けられない。
三郎が、記憶に残った話はと後に聞かれて思い出せるとすれば、カルモラの奥さんは濃い紫のストレートロングの人だというもの。次いで、ドート先代の王は、エルート族を支配下にとの目論見を掲げていたが、カルモラが王となってからは、エルート族を良き隣人として共栄共存を目指すとの政策転換をしたという話であった。
先代ドート国王の配下であった者の中には、いまだに心の奥底で悪しき考えを持っている輩がいるとのことで、カルモラ王の口から「我が力不足を晒すようでお恥ずかしいのですが、くれぐれもご注意ください」と国内の事情までもが詳らかにされるのだった。
ちなみに、カルモラが王を目指したのも、先王の対エルート政策を改革するためという動機からだとか。
グルミュリアは女神の如く「お心遣い、感謝いたします」と微笑で返し、後ろに控えているムリューが笑いをこらえるボディーブローを食らい続けていた。
「お話しの最中に失礼いたします。お約束の刻限となりましたので、我々は引き上げさせていただきたいと思います」
ケータソシアが、会話の合間にすっと割り込んで会合の終わりを告げる。聴力に優れたエルート族が故、ぴたりと停止させる隙間を熟知しているんだなと、三郎は感心するのだった。
「なんともなんとも、残念ではありますが、戦場という場所では互いに忙しい身ですからね、仕方のないことと諦めましょう。出来ればお別れに、もう一度ですね、握手なんぞをいただけないかと」
カルモラの遠慮がちな申し出に、グルミュリアは笑って手を差し出す。そして、別れを告げたグルミュリアは、美しく流れるような所作のまま天幕を後にする。
(カルモラさん、いい笑顔だぁ。一生再会できないと思ってた人に会えたんだもんな、そうもなるか)
なぜだか三郎も満足した気持ちになるのだった。
「サブロー、サブロー。少しこちらへ来てもらえますか」
立ち去ろうとした三郎の背中に、カルモラの声がかけられる。振り返れば、カルモラが真面目な顔で、小さな手招きで三郎を呼び止めていた。
トゥームと顔を見合わせ、三郎は何事かとカルモラの方へ近づく。
「うむ、何と言えば良いのか、感謝の言葉もありませんね。想像以上の御方でしたよ。大きな借りであるからして、何時でも困りごとがあれば相談にのらせてもらいましょう。命以外ならば、という条件付きですがね」
大きな体を揺らして笑いつつ、カルモラは満足気な顔で言った。
「先の軍議でお味方していただいたのと、グルミュリアさんのご協力あってのことです。お言葉に甘えさせてもらうならば、今後ともよろしくお願いします」
三郎が教会の印を作って頭を下げると、カルモラは笑い声をあげた。
「本当に欲のない人ですね。グレータエルート族に一目置かれるのも分かるというものです」
そう言ったカルモラは、巨大な手で三郎の背中をばしんと親しみを込めて叩いた。
(おぐぇ。お相撲さんの張り手、凄まじい威力って聞いたことあるけど、カルモラさんのもやっべえ)
せっかく体調の回復したおっさんだったが、巨漢の平手打ちによって、内臓が飛び出る思いをするのだった。
次回投稿は9月18日(日曜日)の夜に予定しています。




