第23話 熟練冒険者風トゥーム
三郎の旅初日は、非常に平和に過ぎていく。
天気は快晴のまま崩れる事も無く、夏の心地よい風が馬車の中にも吹き込んできた。
大空が竜の領域だと知らなかった三郎に、教える喜びを見出したシャポーは、昼の休息の後も色々な事を三郎に教えてくれた。
三郎のもう一つの疑問であった、鉄道の様な高速移動の手段は、クレタスには存在していなかった。エネルギー効率の悪さや、設備の整備に人手がかかり過ぎる為だろうと、シャポーは言う。
三郎はシャポーの話から、木々の成長や自然現象が魔含物質の存在により、自分の元居た世界とは異なり、メンテナンスが大変な程の物なのだと言う事を理解するのだった。
三郎の疑問は、エネルギー効率の話が出た事から、石油や石炭などの化石燃料は使われていないのだろうか、と言う事へ広がった。
シャポーとトゥームが、三郎の疑問に顔を見合わせ『前時代的な事を言い出す』と言って逆に感心してくる。
クレタスでは、化石燃料は言うまでも無く、火を使う事でさえ一般的に数百年前から無くなっている。祭事や特別な職種でもない限り、環境汚染を広げない為に、法令で禁止されているのだ。
三郎は、環境に対する配慮が、元居た世界よりも進んでいる事を感じずには居られなかった。人族以外にも、エルートや土族と呼ばれる種族などが存在しており、自然環境についての種族間会議が開かれると言うのだから、三郎は驚くばかりであった。
更に三郎を驚かせたのは、エネルギー結晶の仕事率がほぼ百パーセントであると言う話だ。化石燃料を使った発電施設でも、その効率は半分程度だったと、三郎は記憶している。
熱力学や流体力学を交えて話をする三郎とシャポーの様子に、トゥームが感心したような表情を浮かべるので、三郎は少しばかり自尊心を満たすのであった。
そしてシャポーの話は、人族の住む世界の他に、エルート族の住んでいる世界や自然現象を司る者達が存在する世界、未だ認識されていない次元の世界の話へ及ぶ。
シャポーは、軟らかいシーツを例えに出し、波を作る様にシーツをはためかせ、その波を正面から見た世界が人の住む世界なのだと三郎に教える。波を起こしているシーツを横から見れば、空間がいくつも存在し、それが別の世界や別の次元と呼ばれる物なのだと言う。
「という事は、いまこの空間にも別の世界が重なったりしてるって事?」
三郎は、ふと沸いた疑問を口にする。話の半分ほども理解できていないのだが、イメージとしては何となく伝わってくる気がしていた。
「ですです、魔素子に共振的アプローチをかけて位相差から割り出す事で、その空間の存在を認識するのですが、それはとても高位の魔導師にしか証明出来ない事なのですよ」
三郎に話が通じていそうなので、シャポーは目を輝かせながらいきいきと話す。トゥームも知らない事が多かったのか、感心しながら聞いてはいるが、理解のほどは三郎と似たような物であった。
三郎は、『よし、ファンタジック物理学と命名しよう』などと適当な事を考えていた。
「さぁさぁ、何やら難しい話をしている様ですが、そろそろ宿場ケルの町に到着しますよ」
御者の男が、話をしている三人に声をかけてくる。夕方前の少し傾いた午後の日差しの街道の先に、ケルと呼ばれる宿場町が姿を現していた。
三郎が御者の言葉を受けて、初めて来るソルジ以外の町に興味を引かれ、幌の窓から顔を出す。
人の丈以上もある壁が町全体を囲んでおり、規模こそ小さいながらもソルジの町と似た雰囲気をしていた。三郎は、宿場町と言う言葉から想像していた物との大きな違いに、一瞬あっけに取られてしまう。
「これが、宿場町?凄く壁に囲まれてるんだけど」
三郎の様子に、トゥームも顔をのぞかせてケルの町を確認した。
「凄い?そう?魔獣や野盗対策に、どこの町だってあんな感じよ」
トゥームは、いたって普通の事であるように三郎へ説明する。
「まぁ、ソルジに来た様な、あんな魔獣が出るんじゃ、こうなるよなぁ」
三郎は、ソルジ西門で遭遇した大きな体躯の魔獣を思い出しながら納得の相槌を打った。それを聞いたトゥームが、複雑な顔をする。
「あー、あの魔獣はね、警備隊の調べによれば、変異体って呼ばれる特殊な魔獣だったのよ。普通の魔獣は、元の動物から一回り大きくなる程度で、あそこまで大きくはならないわ」
トゥームは三郎に、ソルジを襲った魔獣について詳しく話していない事に、ここへ来て気がつくのであった。
馬車は町に入ると、馬車専用の馬宿の前で停まる。
御者が到着を告げ、三郎達一行はケルの町に降り立った。
二階建ての建物が多く、ソルジの区割りよりも乱雑に家々が建ち並んでいる。まだ夕方前の時間帯なので、通りを行きかう人が疎らに見られた。
御者の一人が、ワロワの背中に乗せてある馬車と繋がる装具を慣れた手つきで外すと、馬宿の主人が出てきた。人当たりの良さそうな小柄な男で、御者に軽い挨拶をするとワロワに話しかける。
「おやおや、クウィンスじゃないか、相変わらず綺麗な空色だなぁ」
馬宿の主人の言葉に、クウィンスと呼ばれたワロワは「クー」と声を出す。馬宿の主人は、クウィンスの答えに笑顔で頷くと、御者に話しかけた。
「ソルジから来たんだろう?結構早い時間にケルに着いたんだな。朝一番にでもソルジを発ったのかい?」
「いや、そうでもなかったんだが、クウィンスが軽快に歩いてくれたおかげなんだよ」
御者と馬宿の主人の話に、クウィンスはまた一声鳴くと、三郎の方へ『ノシノシ』と歩き出した。
三郎は、別の御者と明日の出発について話し合っているトゥームとシャポーから少し離れた場所で、御者と馬宿の主人の話を何とはなしに聞いていた。
「お前クウィンスって名前なのか、かっこいい名前してるな」
目の前まで来た空色の友獣ワロワに、三郎は手を伸ばす。それを見た馬宿の主人が「あっ」っと声を出し、御者の方を振り向く。御者は笑うだけで、三郎の行動を止めようとしなかった。
「あのサブローって人は、クウィンスに気に入られたみたいでなぁ」
「はー、クウィンスが撫でさせるなんて、初めて見たな。こりゃぁ」
馬宿の主人のたまげた声を他所に、クウィンスは三郎の髪を毛繕いするように噛み付いていた。
御者との打ち合わせも終わった一行は、宿屋も兼ねている酒場に向かった。
馬宿は、友獣を大切に扱うための施設であり、ワロワと御者しか利用できない。その為、トゥームが三郎に、宿をどこにするか話をふると、三郎が「酒場の上とかにある宿とか、冒険っぽくていいよな!」と少し興奮気味に言ったので即決したのだった。
酒場は、ケルの町の中心に有る大きな建物で、軒先には程よく風化した味のある看板がぶら下がっており、ファンタジー好きの三郎の期待を膨らませた。
まだ時間が早いためか、店の中は空いていた。三郎の想像した、荒くれ者の冒険者が来る様な酒場、と言うよりも小奇麗な印象の店内で、三人の入店に対し元気な女性の声が「いらっしゃいませー」と飛んできた。ソルジに建っている建物と同様の漆喰風の白い壁が、小奇麗さを感じさせている様だった。
トゥームが、壁際の四人掛けの席を指差す。
「あの席で待っててくれる?部屋があるかどうか聞いてくるわね」
そう言い残すと、トゥームは慣れた様子で、店奥のカウンターに居る渋い顔をした酒場の主人に話をしに行った。
「へー、トゥームってこう言う場所、慣れてんだな」
三郎の感心したような口調に、シャポーがはっとした表情を浮かべる。
「シャ、シャポーも慣れたものなのですよ。た、頼ってくだすって、結構ですので!」
明らかに場慣れしていないシャポーが、言い回しのおかしくなった調子で三郎に言う。
「そうだな、俺も酒場に入るのは初めてだからな。困ったら助けてもらおうかな」
そんな様子のシャポーを、席に促しながら三郎は答えるのだった。
シャポーと三郎がテーブルに着くと、トゥームも間を置かずに戻ってきた。
「二部屋取れたわ。シャポーと私で一部屋でいいわよね?もう少し遅かったらソルジ行きの商隊が町に到着して、部屋が埋まってたかもしれないって言われたわ」
トゥームは、そう言いながら腰を落ち着けると、給仕の女性を呼んで食べ物と飲み物をオーダーした。シャポーと三郎のオーダーも、手際よく聞いて店員に伝える様子に、三郎は感服する。
「トゥームって何だか、熟練冒険者って感じだな」
三郎がトゥームに、分けのわからない事を楽しそうに言うと、トゥームは「熟練冒険者って、何よ」と笑って返すのだった。
トゥームが、酒場の主人に聞いた通り、程無くして酒場は活気に満ち溢れた。
商隊を護衛しているであろう、屈強そうな傭兵風の男達が、大声で笑いながら酒を飲む様は、三郎の気分を高揚させるには十分だった。
三郎は、塩酒と言う果実酒が気に入り、ちびちびと口を付けていた。ソルジで作る旨味の利いた天然塩で果実の水分を減らし、その果実を発酵させて酒造すると言う酒だ。塩辛くも無く、かと言って果実の甘ったるさも無い。トゥームの頼んだ肉料理と合性がすこぶるいいなと、三郎は味わっていた。
「しかし、何か起こるのは御免だけどさ、旅の初日は、おかげさまで平和に終わったな」
酒場の雰囲気を眺めていたトゥームと、食べ物をおいしそうに頬張っていたシャポーに、三郎が言った。
「ソルジから中央王都への街道は、中央王都の軍がけっこう巡回しているし、道の整備も十分にされてるから、平和じゃないと逆に困るわよね」
トゥームは、青菜たっぷりのサラダに手を伸ばしながら返事を返す。
三郎は、トゥームの言葉の通り、ソルジからケルまでの街道の長閑さを思い出していた。
「そうか、軍が巡回してるんだな。昔からそうだったのか?」
三郎は心に、僅かな引っ掛かりを覚え、トゥームに質問を返す。
「昔から?そうね、ソルジは要所だから、私が生まれる前からそんな風だったんじゃない?」
クレタス内で唯一天然の海産物を扱い、海の恩恵を市場に供給しているソルジは、中央王都のみならずクレタス内の国々にとっても要所なのだ。
そんなソルジに近い平和な街道で、三年前にラルカとその両親が魔獣に襲われたと言う話が、三郎には俄かに信じ難く感じられたのだった。
次回投降は2月11日(日曜日)に予定しています。




