第22話 王様と青い竜
王子三郎(42)は、車上の人となっていた。ソルジを出発してから暫く経ち、馬車の旅への興奮もおさまると、大きなあくびが一つ出た。
幌に付いている布で出来た窓をめくり上げ、後方へ送られてゆく長閑な草原と雲のない空を眺めている。ソルジは既に、遠く見えなくなっていた。
(動物が引いてるにしては、速いよなぁ)
友獣ワロワの歩みは、肩や股関節が軟らかくストロークが長い為、並足でも移動速度が速い。三郎の知識にある馬車と比べれば、その違いは明らかだった。
馬車は、快適なまでに揺れる事がない。一見、ただ踏み固められているだけに見える道は、十分な舗装が施されており、車輪を跳ね上げる様な物は一切無い。そして、車体を支えるサスペンションが、地面から伝わる少ない揺れを完全に吸収していた。
乗り物酔いをするのではないかと、多少の心配をしていた三郎だったが、なめらかに動き出した馬車の乗り心地にすっかり安心するのであった。
車内の作りは広く、三郎の目には大人が十人ほど乗っても大丈夫な様に見える。柔らかな座り心地の長椅子が両側に設置されており、シャポーが片側を独占して気持ち良さそうに眠りに落ちていた。
馬車の整備用品やワロワの食事等、御者台の下に収納されている為、御者は少し高い位置で馬車を操っている。御者台が高いのには、周囲を警戒すると言う理由もあるのだと、三郎はトゥームに教えられた。
三郎達が乗った馬車は、教会本部が主要都市間を巡回させている物で、主に教会関係の人や物を運ぶのに使われている。教会の書簡等も運ぶ特性から、御者は二人以上で、修練兵とまでは行かないものの兵士として訓練を受けた者が携わる事と決まっており、この馬車にも二名の御者が乗っていた。
御者の話によれば、商人達は魔獣や野盗対策として護衛に傭兵を雇わねばならず、大所帯になる事が多いのだが、教会の馬車は商隊と比べれば少人数で運行出来る為、動きが身軽に取れるのだと言う。
そして何より、友獣ワロワの戦闘能力が非常に高いので、旅の安全はかなり保証されるのだと言う話だった。
三郎は、先ほどまで見聞きしていた話を思い出しながら、幌に開いた窓から顔を少し出し、決して小さいとは言えない馬車を、軽快に引いているワロワの後姿を確認した。
町中で見た時には、建物の影だった為か、三郎達の馬車を引いてくれるワロワを白い毛並みだと思っていたのだが、日の光に照らされ、実は薄淡い空色をしているのだと三郎は気づく。頭の上のフサフサした真っ白の毛は、輝くように光を反射していた。三郎は、ワロワの毛の柔らかい感触を思い出し、また後で撫でさせてもらおうと思うのだった。
(ワロワって色んな色のが居るとは思ってたけど、空色って珍しいんじゃないか?)
三郎は、ソルジの町中で見た事のある他のワロワを思い出しながら、空色のワロワを眺める。そして、自分好みな空色のワロワの馬車に乗れた満足感に、口元をにんまりとさせるのであった。
景色を満喫した三郎が、隣に座るトゥームに目を向ける。
トゥームは、教会では忙しさから読めていなかった本を持ってきており、その本に目を落としていた。
「何の本読んでるんだ?」
三郎は興味を引かれ、トゥームに声をかける。読書をしているトゥームを見るのは初めてだった。
「ん?これは、人気作家の、笑い有り恋愛あり涙有りの大衆小説よ。旅で読むにはちょうどいいかと思って、持って来たの」
本から目を離し、三郎の問いに答える。
「へー、そう言う感じの本、読むんだな」
少しばかり以外に思った三郎は、素直な感想を口にする。
「サブローって、私の事、変に誤解してそうよね・・・どんな本、読むと思ってたのよ」
トゥームは、半眼を更に細くすると、三郎の目を射抜くように見据えて本を閉じた。
「んー、そうだな・・・もっと小難しい感じの本とか?」
そう言われると、あまり思い浮かばないなと思いながら、三郎は適当に考えた事を言う。
「小難しい本って、なによ」
三郎の答えに、トゥームは声を出して笑った。
「ん・・・もう到着したのですか?」
三郎とトゥームの話し声に、寝ていたシャポーが身を起こし、目をこすりながら言う。
「あぁ、悪い起こしちゃったか。到着は夕方って話だから、まだまだだよ」
「ん・・・そうですか、まだまだでしたか」
三郎の答えに、シャポーは外の景色に目を向ける。太陽が、まだ午前中の位置にあるのを確かめると「まだまだですねー」とぼんやりとした口調で呟く。
「まぁ、もう少ししたら昼の休息になると思うから、起きてていいんじゃない?」
トゥームも外の様子を確認すると、シャポーに起きているように勧める。シャポーは寝起きが弱いのか、ぽやぽやとした感じで「そうしますー」と返事を返した。
「しかし、この速度で移動して到着が夕方なんだろ?隣の宿場の町って言っても、かなり遠いんだな。中央王都なんて、どれだけ遠くにあるんだって思うよ」
三郎も外の景色に目をやると、快調に進んでいる馬車を指して言った。ソルジの町を出発してから、三時間ほどが経過しようとしていた。
「これで七日間かかるんだから、中央王都は近いとは言えないわね」
トゥームも肩をすくめるようにして、三郎の言葉に同意を示す。だが、それだけ物理的に距離が離れているので、中央王都の権力争いから逃れられるのだと、トゥームやスルクロークが理解している部分もあった。
シャポーは眠たそうにしながら、二人の会話にこくこくと頷いている。
「でも、魔法文明的には発達してる気がするからさ、もっと速い移動手段って作られなかったの?例えば魔力で空を飛ぶとか、高速で移動する箱とか」
三郎は、飛行機や電車を思い浮かべながら、それに類する何かが無いものかと疑問を口にした。
「空を飛ぶ?」
「飛ぶですか?」
三郎の言葉に、トゥームとシャポーが顔を見合わせる。一瞬の沈黙の後、二人は噴出すように笑い出した。
「サブローさま、本気で言ってるのですか?空はむりですよー」
「サブロー、ティエニとリケと一緒に本を読んでたじゃない。もしかして、忘れちゃったとか言わないわよね」
シャポーとトゥームが笑いながら、三郎の言葉を否定する。三郎は、そんなにおかしな事を言ったつもりは無いのに、と首を傾げてしまった。
三郎の様子を見て、トゥームから笑いが消える。
「え、サブロー本気で言ってた?・・・あ、何か、笑ってごめんなさい」
トゥームが謝っているのを聞いて、シャポーも笑うのを止める。
「えっと、サブローさまは『王様と青い竜』という本を読んだことは無いです?」
シャポーがクレタスで広く知られる、児童文学の題名を口にする。有名な物語で、子供用に絵本にもなっている話だ。
三郎は、言葉の勉強を子供達とした際に、そのような題名の物語を読んだ記憶を思い出す。
「ああ、王様が空飛ぶ城を作って、青くて綺麗な大空を自分の物にしようとする話だよな?」
三郎の言葉に、シャポーが「ですです」と大きく縦に首を振る。
「城が完成して大空に飛び立つと、大きな青い竜が現れて『私の縄張りを侵すのは誰だ!』とか言うんだよな?」
シャポーが、また「ですです」と首を大きく振る。
「王様が、この美しい空は自分の物だって主張したら『愚か者め!』とか言われて、城ごと地面に落とされて終わる話じゃなかったっけ?」
三郎が、物語のさわり部分をかなり要約して言う。
「なんだ、覚えてるんじゃない。それよそれ、空は竜の生息域だから人には手が出せないのよ」
トゥームは、言葉や文字の勉強をする際に教えていた、この世界の常識を、三郎が忘れてしまったのかと不安になったが、覚えていた事に安堵のため息をつきながら言う。
「は?竜の生息域?何、あの話って、実話?」
混乱した三郎が、苦笑交じりに二人の顔を交互に見る。
「あぁ、サブローさまの故郷の大陸には、竜は居なかったのですね・・・本当に、笑ってすみませんです」
申し訳なさそうな顔をするシャポーと、教えたことが伝わっていなかったトゥームの残念そうな顔を見て、冗談を言っているのでは無いのだと三郎は理解する。
「そう・・・実話なのか・・・ははは」
三郎はそう言うと、幌に開いている窓から空を見上げた。そして心の中で呟く『おぉ、ファンタジー』と。
空は高く、そして、青く美しかった。
次回投降は2月4日(日曜日)の夜に予定しています。




