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おじさんだって勇者したい  作者: 直 一
第九章 立ちはだかる要塞群
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第219話 額の跡

 テントの布越しに入り込む淡い光の中、トゥームは目覚めると簡素な寝具を整えて、少しばかり乱れた髪に櫛を入れる。


 気配から察するに、トゥームの起床した音に気づいたグレータエルートの二人は、眠りから覚めているようだった。


 歯ぎしりの多かったシャポーは、仲間が一緒なので安心しているためか、はたまた過度に緊張をしなくなったためなのか、ここ最近はすやすやと静かな寝息を立てるようになっていた。


 こと戦場において、少しでもまともな睡眠がとれるというのは、重要なことの一つと考えられている。寝不足によってパフォーマンスの落ちた思考では、戦況を見誤る可能性が高まり、武器を振るう動作すらも鈍らせてしまうからだ。


 そんな大切な睡眠を妨害する、もう一つの要因となっていた三郎のいびきも、セチュバー領に入ってからなりを潜めていた。


(戦場という緊張感のせいなのかしら。私達にとっては静かで良いのだけれど、サブローの眠りが浅くなっていないか心配ね)


 トゥームは静かに髪をすきながら考える。


 諸王国軍が合流した後、軍議などの場に出るのは三郎の役回りとなるだろう。三郎が本調子でないのであれば、秘書官である自分が補佐役として支えなければならない。


 剣の腕にかけて多少の自身こそあれど、諸国の為政者らを前にして巧妙な駆け引きが出来る自信は無かった。


(私は口の上手いほうではないけれど、サブローに任せきりでは秘書官としての資質に欠けるわね。今後は、いろいろな戦い方を身に着けて行かなければいけないわ)


 それこそ『戦い方』と断言している時点で脳筋な発想なのだと欠片ほども思っていないトゥームの背後で、三郎がもぞりと寝返りをうった。


「・・・んお、時々しか見れないけどさ、トゥームの髪って艶があってきれいだよなぁ」


 腕に頬を乗せた三郎が、眠気眼ねむけまなこでむにゃむにゃと呟いた。


「っ!ね、寝ぼけて何いってるの」


 振り向いたトゥームの手はとまり、声に動揺の色がありありと浮かぶ。


(おはようの挨拶もなしに、きれいだとか突然言う?しかも、常に見ていたいみたいに・・・たまに不意打ちでこういうこと言ってくるわよね。どういうつもりなのよ)


 警備隊長官の屋敷へ向かう車中の出来事や、深き大森林でパリィとふざけながら言ってきた時の記憶がよみがえる。


 顔が赤くなるのを必死にこらえたトゥームに、三郎は夢うつつの状態で更にぶつぶつと続けた。


「ん~?いや、本当きれいだよねぇ・・・うん」


 と言い残し、三郎は心地よい頬と腕の位置をもぞもりと探ると、再び目を閉じた。


「っ!!」


 幸か不幸か、おっさんは赤面したトゥームの顔を見逃すのだった。


「トゥームが思ってるほど深い意味で言ってるわけじゃないみたい。サブローってば見たまんまの『感想』を声に出しちゃってるんだよね~」


 にやにやした笑いを張り付かせたムリューが、肘をついて顔を上げる。


「感想って、ぽろっと口から出ただけ・・・」


「ってこと」


 聞き返すトゥームに、ムリューは肩をすくめて答えた。


 トゥームは三郎に視線を戻す。


 平和そうに寝こけている三郎を見るトゥームの目は、戦いの時と同様の冷静さを取り戻していた。


「これほどまでに鈍感なのは、もはや尊敬に値しますね」


 上体を起こしたシトスが、ため息交じりに耳を撫でて言う。


 もしも三郎に、真実の耳が備わってさえいれば、無用なすれ違いを避ける術も見つけられただろうにと内心で思うのだった。


 トゥームは殺意を押し殺すと、手に持った櫛を構えた。音も無く三郎へ接近すると、その額へ向けてゆっくりと櫛のとげとげを向かわせる。


「いだ!いだだだだあああ!なに、なになになに、トゥームさん朝からどうしたの!って、いたいです。後頭部まで押さえて、刺さる、櫛刺さる」


 本気のトゥームに三郎が抗えるわけもなく、額にくっきりと跡が残るまでやられるのだった。


「んぁ、朝なのれすか。おはようなのれすよ~」


 おっさんの叫びを目覚ましがわりに、シャポーが大きなあくびを一つした。


***


「サブローさん、おでこ、どうされたのですか」


 軍議は、ケータソシアのそれを第一声として始まった。


 偵察部隊からの連絡が入ったとのことで、三郎達は指揮官用の天幕に招集されたのだ。三郎達の他には、ドワーフの指揮官ゴボリュゲンと、修道騎士の代表者であるカーリアが席を並べている。


「いや、寝ぼけて変なことを言ってしまった結果らしいです。内容までは覚えてないんですけどね」


 はははと苦笑いを浮かべつつ、三郎はおでこをさすった。


 穴が開いているわけではないのだが、でこぼことした感触が振れた指に伝わってくる。


(トゥームさん、櫛だけで攻撃力半端ないです。朝ごはん中も不機嫌だったし、後できちんと理由を聞いて謝っておこう)


 朝食の際に、シトスとムリューから曖昧な笑いと答えをもらいはしたが、結局トゥームが遮って最後まで聴けていない。


 常に冷静なトゥームが、朝一で訳の分からない攻撃をしかけてきたのだから、自分に非があるのだろうという考えに三郎は至っているのだった。


 しかし、朝食を挟んだほどには時間が経っているにもかかわらず、櫛の跡はくっきりと残っていた。


「よう分らんが、口は災いの元だと言うぞ。寝ぼけていたとしても、気を付けるに越したことはないわい」


 面白い模様だと、ゴボリュゲンが笑い飛ばす。


 皮肉屋のドワーフ族に指摘されたらおしまいだな、と三郎は内心で思うのだった。


「そのようなことよりも、偵察部隊から送られてきた情報の共有と、もう一つの議題についての話を始めましょう」


 三郎のおでこをちらりと見たカーリアが、平静な声色で場を引き締めた。


(美人にチラ見されて、そんなこと呼ばわりされた。どちゃくそ恥ずかしいぞ、これは)


 おっさんの恥ずかしさを余所に、軍議はまともな路線へともどされる。


 偵察部隊からの報告は、至極単純な内容であった。


 第六要塞を内包する洞窟の入口まで、敵兵の姿はないというものだ。そして、洞窟内の偵察を開始するとの連絡だったと言う。


「第四要塞への撤退を始めてもよいかもしれんが」


 真剣な表情に戻ったゴボリュゲンは、顎髭に手をあてて唸るような声を上げた。


 三郎の耳には、ゴボリュゲンがさも迷っているかのようにきこえた。


「撤退行動に移りたいところなのですが、それについてカーリア殿よりお話が有ると伺っています」


「ええ、負傷者の処置を行っている修道騎士達からの報告です。撤退にも影響がでますので、早急に伝えておかねばと」


 ケータソシアに促されたカーリアが、軽く会釈をしてから口を開く。


「もう一つの議題、と言われていた事案ですね」


 三郎は眉間に皺を寄せ、真剣な面持ちで聞き返した。


 力の入った額には、規則正しく並ぶ櫛の跡が赤々と浮かび上がる。


「・・・サブロー理事殿。申し上げにくいのですが、その、フードをかぶってはいただけないでしょうか。気が散ると言いますか。大変恐縮ではあるのですけれど」


 咳ばらいをしたカーリアが、三郎から目線を逸らしつつ進言した。シトスの耳には、カーリアの『気になってしょうがない』という心根が聴こえてくるのだった。


 三郎は謝りつつ、いそいそと襟元のフードを目深にかぶる。


「それで、修道騎士団からの報告というのは」


 恥ずかしさを紛らわせるように、三郎は話の先を促がした。


「はい、端的に申し上げますと、エルート族の傷の回復が遅いとの報告が複数の騎士から上がってきている、というものです」


 気を取り直したカーリアは、皆の表情を確認しつつ内容を伝える。


 聞いたケータソシアとゴボリュゲンは、互いに視線を交わすと驚く風でもなく頷いて返した。


 三郎とトゥームは、疑問の浮かんだ表情をし、シャポーは首を傾げてしまっている。


「細かに言えば、ドワーフ族もエルート族程ではありませんが、治癒の教会魔法によって補助すべき自然の回復力が低下している懸念があるとの報告も入っています」


 カーリアは付け加えると、ドワーフとエルートの指揮官である二人に、答えを求めるように視線を向けた。


 教会魔法による治療は、対象となる人物がもつ免疫力や自然治癒力を手助けし、回復を早めるという術式だ。負傷者自身の持つ治癒力が低下してしまえば、教会魔法の効果を十分に発揮するのは難しい。


「精霊力が乱れとるせいだわい」


 せっかちな性格のドワーフ族らしく、ゴボリュゲンが結論だけを短く答える。


 当然、カーリアや三郎が理解できるわけもなく、視線はケータソシアに向けられた。


「エルート族は、体内エネルギーが精霊力に傾いています。ドワーフ族も、我々に近しい質の体内エネルギーをしているのです」


 短いため息を吐いて、ケータソシアは続ける。


「精霊力が皆無といっても良い状況の大峡谷を抜け、厳しい戦闘へと突入しました。軽傷で済んだ者への影響は大きくなかったようですが、深手を負った者は、消耗し乱れてしまった体内エネルギーがなかなかに整わず、傷の回復が遅れている様子なのです」


 精霊魔法の中にも、回復魔法は存在している。教会の治療と同様に、自然治癒力を高めるためのものだ。


 だがしかし、精霊達の嫌う環境である第五要塞では、エルート族のあつかう回復魔法は教会魔法以上に効果が発揮されにくくなっていた。


「修道騎士殿の回復魔法ならば、あるいはと考えていたのですが」


「魔力薄き谷に、このような落とし穴があるとは思ってもおらんかったわい」


 クレタスにおける回復魔法は、奇跡のように傷がみる間に塞がるような代物ではない。半日から一日が経過したことで、ようやく浮き彫りになってきた問題と言えた。


 傷の回復が遅れるのは、深手を負った者の止血が進まず、命を落とす率が高くなることを暗に示している。撤退を始めれば、深い傷を受けた兵士への負担は更に増加すると考えられた。


 ケータソシアは眉間に親指を当て、ゴボリュゲンは大きな手で顔を何度も撫でている。


「上位の司祭であれば、あるいは・・・我々の力不足によるところも大きいかと。申し訳ない」


 重々しい空気となる中、軍議は停滞の様相を呈するのだった。

次回投稿は11月21日(日曜日)の夜に予定しています。

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