第205話 残された音
門が打ち破られると、前衛はドワーフ族からグレータエルート族へと速やかに切り替えられた。
グレータエルートの行使した風と大気の精霊達が、開かれた門から一気に流れ込み要塞内に広がって行く。
教会の軍は、防衛機構から放たれ激しい勢いで降り注ぐ攻撃を、グレータエルートらの盾となって防ぎ続けていた。
精霊魔法や修道騎士達の体力も、永続的に維持できるものではない。精霊による要塞内の偵察は、正確性と迅速さが求められる作業だった。
激しい攻撃にさらされる最中にあって、意識を精霊と同調させることは自ら無防備になるに等しい。時間も限られる中で、他者に身の安全をゆだねて精密な精霊魔法を使うのは、技術的にも精神的にも難しいものだと言えた。
「容積からみて建物の半分程を把握。複雑な構造をしています。丸蟻の巣のような造りにも見えますよ」
情報の集約に当たっている副官が、軍の作戦時に使用される大きく厚みのあるゲージを、ケータソシアへと示しながら言った。
丸蟻とは深き大森林に生息する蟻の一種で、地中に丈夫な階層状の巣を作ることで知られ、指先ほどもある大型の蟻だ。巣の特徴として、階を越えて繋げられた道が幾つも存在するという点だろう。
外敵が巣へと侵入してきた際、逃げながらも背後へ回り込むことで、安全に巣から追い出すことを目的としていると考えられている。更には、巣の奥へと敵を誘い込み、自分達を餌とする哺乳動物を捕食しているのが確認されている蟻だ。
ゲージ上に内部構造をあらわにされてゆく第四要塞は、まさに丸蟻の巣と言っても過言ではなく、足を踏み入れた者達を分断し挟撃し背後から常に攻められるよう設計された要塞であった。
「セチュバー兵の潜む場所の情報を優先。また、崩壊の魔法など、大規模な魔法陣の設置された部屋を見つけ出すのも忘れないよう。シャポーさんに解析と解除をお願いせねばなりませんから」
ケータソシアの言葉に、副官は短く答えると情報の集約に意識を戻すのだった。
(土族が門を破壊したすぐ後から、屋上よりセチュバー兵が放っていたと思われる金属製のボルトが無くなりましたか。要塞内部へ移動し、迎撃の布陣へと移行したと考えるのが妥当ですが・・・)
視線を巨壁の上部へ向けたケータソシアは、敵の動きを推測しつつメーシュッタスの剣を一振りした。
剣より発生した蔦が、精霊魔法の防御をすり抜けて高速で飛来した魔法の矢を絡め取って消滅させた。
要塞の防衛機構は、いまだに多量の矢を打ち出して来ている。だが、ケータソシアの耳は、空気を切り裂いて降り注いでいる攻撃音から、魔力弾以外のものが消えているのを聴き分けていた。
副官も含め、グレータエルートのなかでも優秀な聴力を持つ者であれば、その変化に気付いていることだろう。
(遮音の魔法が壁に仕掛けられているせいで、内部の音まで正確につかむことができないですね)
精霊の守りをかいくぐって来る攻撃と、要塞からの音に意識を集中していたケータソシアであったが、彼女の背後から迫り来る別の音があることに気が付き振り向いた。
視線の先に映ったのは、エルート軍の合間を縫うように駆けて来る一台の幌馬車の姿だった。
「サブローさん達も、次段階に向けて前に出て来て下さったのですね」
微笑みを口元に浮かべたケータソシアは、要塞へと視線を戻して呟いた。
グレータエルートの情報収集能力を信頼し、早々に三郎達が行動してくれたのだと思ったからだ。
「急ぎ情報収集を!今ある地下構造のデータをトゥーム殿らへ転送。新たな情報は都度送るよう」
表情を指揮官のそれに直し、ケータソシアは声を張る。
部下の返す了解の合図ほどに、馬車の音ははっきりと大きくなっており、近づきつつある気配が感じ取れた。
ケータソシアは、作戦を踏まえて前線に来てくれた馬車を護るのは、自分の務めなのだと内心で意気込む。防衛に専念している修練兵にも負傷者が増えており、グレータエルートにも少なからぬ被害が出始めているのだから。
だが、馬車はケータソシアの横を颯爽と通り過ぎて、要塞へ向かって突き進む。
「へ?」
巻き起こった風に髪をなぶられ、ケータソシアは目を丸く見開くばかりだった。
グレータエルート軍の者達も、何が起こったのか咄嗟に判断つきかねる様子で見ていた。
「ちょっと、どういうことですか。新たな作戦なのですか、聞いていませんよ。えっと、シトスかムリューに詳しく・・・」
遠ざかる馬車を見送ると、慌てた様子でケータソシアはゲージを手に取る。
馬車の駆け抜けた音に混ざり、三郎が「うお!あ、いてっ」と声を上げて頭をぶつけた音が残されていた。
それは突然に走り出したのだ。
原因となったのは、三郎の呟いた一言に始まる。
「グレータエルートの偵察が終わるまで、俺らは後方待機か」
「ですですね。精霊さんは魔法のトラップなどを回避して偵察できますけど、シャポーがこの離れた距離から魔法を使ってしまうと、要塞に仕掛けられた法陣の何を反応させてしまうか解らないのです。開いた門の前くらいまで行ければ、その心配も無く調査の魔法を使えると思うのですけれど」
シャポーは残念そうに頷いて返す。
二人の見つめる先には、雨のごとく魔法の矢を振らせている巨大な壁と奮闘している味方の軍の背中があった。
馬車の停車している周りでは、負傷したドワーフ族やエルート族そして修練兵などが軍の後方へと運ばれて行く。その中には、命を落とすような傷を負った者も、少なからずいるのが確認できた。
「門まで行けばシャポーの魔法使えるの?精霊が魔法の仕掛けられてる場所調べてくれて、それを避けて魔法使うんじゃなかったっけ」
「壁や屋上に仕掛ける遠視魔法を察知したり阻害したりする法陣については、そうしないと引っかかる可能性があるのです。でもですね、門が開いているなら話は別なのですよ。遠視魔法の対策を要塞の内部でしても意味がないですので」
シャポー曰く、遠視阻害系統の魔法というものは、その特性上から隠匿性に優れており避けることが難しいとのことだ。精霊の存在は、自然に近い状態であるためか、感知されにくく魔法を伸ばす時のガイドとするには持ってこいなのだと言う。
「内部には遠視を防ぐ魔法って使われないのか」
「窓や門扉、屋上の端などなどに仕掛けるのは定石ですね。もし仮に室内で遠視を感知できたとしても、既に侵入を許している事実しか判明しませんですので。そのリソースを定石とされる位置に置く方が、良いというだけのことですね」
「なら門の近くまで行けば、偵察情報を待ちながらに調べ始めることが可能・・・って、敵兵が出てきたら危ないか」
「危ないというよりもアウトだと思うのです」
三郎にシャポーが的確な突っ込みを入れると、二人の会話を聞いていた友獣のクウィンスが割って入るように鳴いた。
「クェェ、クワクワクォォ」
「ぱぁぁ、ぱぁぱぁぱぁぁ」
三郎の頭の上で腹ばいになっていたほのかが、クウィンスの言葉を繰り返すように声を上げる。
「え、俺に任せろ?門の傍まで送ってくれる、とか言ってるみたいなんだけど」
翻訳する三郎の言葉を合図に、馬車は動きはじめた。
クウィンスは馬車に乗る全員の動揺を余所に、ご機嫌な加速を始める。
「サブロー、クウィンスに何を言ったのよ」
「うへ、俺ぇ?シャポーと話してただけなんだけど。いてぇ、腰打った」
味方の軍勢にぶつかってしまわないよう、クウィンスは巧みに馬車をくねらせて駆け抜ける。
(さすが修道騎士さま。トゥームさんってばこの蛇行運転のなか、立ったままとかすげぇや。って、いってぇ)
と思ったが先か、三郎は揺れに耐えきれずに横倒しになり肩をぶつけるのだった。
「二人の会話は聞いてたわよ。で、何でこうなったのよ」
転がっているシャポーの襟首をつかみ、トゥームは三郎につめよる。
「いや、俺に言われましても」
「クェェェ」
「ぱぁぁぁ」
答えるようにクウィンスが鳴くと、同時通訳のほのかも声を上げた。
「なんて!?」
答えだと理解したトゥームが、怒気を孕んだ声で三郎にさらに詰め寄る。
「建物の中に人はいないって。言ってらっしゃいます」
トゥームがあまりにも顔を近づけてきたため、おっさんは思わず声を上ずらせてしまった。揺れたはずみに、どこがとは言わないが、くっついてしまったらどうするのかと頭の片隅に素早くよぎったが為だった。
セクハラに対し、過剰なほど敏感だった中間管理職のサガが出たのだ。
「あはは、サブロー笑える」
「ケータソシアさんには、伝えておかなければいけないでしょうね」
ムリューは揺れを楽しむかの様子で三郎を笑っており、シトスは変わらず冷静にゲージを取り出す。
御者の二人は、魔法の矢の雨の中に突っ込むのだと察して、急いで幌に備えてある日よけを前に引っ張り出すのだった。
「一人でも敵兵が見えたら、すぐに撤退しなさいよ」
「クェ!」
「ぱぁ!」
頭を抱えたいといった表情のトゥームに、クウィンスは元気よく答えを返した。
(もう君たちの間に、俺の通訳は必要じゃありませんね)
間抜けな考えを浮かべ、椅子にしがみついていた三郎へ大きな横の動きが襲い掛かる。
「うお!あ、いてっ」
ごんと後頭部をしたたかに打ち付けた三郎のこの声が、前線で指揮をとっていたケータソシアに残されたものだった。
次回投稿は8月15日(日曜日)の夜に予定しています。




