第198話 日常なる異常
通称『山の砦』と言われる第三要塞へ向けて三郎達が進軍を開始する頃、セチュバー本国の玄関とも言える十一番目の要塞から、大規模な軍が出発していた。
セチュバー第二兵団を中核とする、宰相メドアズの命令によって再編成された軍勢だ。隊列を乱すこともなく、無言のままに前進を続けている。
彼らは、造りの見た目から『城塞』と呼ばれる第十一要塞を背に、何かに焦らされているかのような速度で本国へ向けて進んでいた。
挟撃要塞から、敵襲ありとの一報を受けたのは二日ほど前の午後にさかのぼる。次に送られてきたのは、第二要塞陥落を告げる内容の短い報告だけであった。
メドアズは馬を走らせながら、頭の中で幾度目ともなる情報の整理を繰り返し行っていた。
第一要塞に残していた兵からは、敵襲の報告すら上げられていなかった。第二要塞が落ちたともなれば、門要塞は一瞬のうちに制圧されたと考えるのが妥当だ。撤退すら不可能だったと考えられる。
敵兵として確認されたのは、土族にグレータエルートそして修道騎士の一団だったと言う。
中央王都や諸国の軍が、セチュバー領内に到達したとの報告は入っていないが、先発部隊のような人族の部隊が動いていることも大いに考えられると、メドアズは自身の先見の甘さを感じていた。
下手をすれば、諸国の軍勢が合流するまで動きはない可能性すら考えていたからだ。
その上、メドアズの仕込んでおいた要塞を破壊する魔法などが看破されたことも意味していた。
(信じられないが、二つの要塞に仕掛けていた崩壊の魔法は、両方とも不発に終わったと考えるべきだろう。カルバリからの、特殊な魔導師の部隊でも加わっているのか。ともなれば、敵軍侵攻の速度は緩まないとみて、我々に許されている時間は最短で四日しか無いことになる)
常に冷静沈着なメドアズであっても、本国に潜むゾレン・ラーニュゼーブという脅威を前にし、背後から迫る敵軍の存在を感じて焦りを覚えぬわけがない。
魔導師ゾレンからセチュバー本国を取り戻し、返すように第十要塞にまで駒を進めて、驚くべき速度で要塞を攻略してくる敵を迎え撃たねばならないのだ。
(時が惜しいな・・・)
メドアズは、鋭い眼光で前方を睨みつけた。そこには、前を行く味方の背中ごしにセチュバー本国の姿が見え始めていた。
「隊列変更。横陣、敵の出撃に備えよ」
指揮官であるメドアズが指示を飛ばすと、各隊から復唱の声が上がる。第二兵団は翼を広げるように陣形を変え、速度もそのままに本国との距離をつめていった。
(敵とは言え、立ちはだかるのはセチュバーの国民だろう。軍の士気がどこまで保てるか)
懸念される材料を、メドアズは確認するように思考空間内に並べて整理して行く。
ゾレンの魔力影響下にあるであろう国民と兵士の数を考慮すれば、手持ちの兵力の数十倍に匹敵する。死してなお攻撃してくるともなれば、平民だろうとなかろうと、脅威であることに変わりはないのだ。
少数の兵を率いて王城まで行った時の光景、首の折れた兵士が再び立ち上がる姿が思い出され、メドアズは眉間に小さくしわを寄せた。
全軍に、事の詳細は伝えてあるにしろ、目の前で見せられれば剣先も鈍ろうと言うものだ。
魔法の行使者であるゾレンは、恐らく王城内から高みの見物を決め込んでいるだろう。
再編した第二兵団と魔導師団が崩れるより先に、王城へたどり着きゾレンの身柄を拘束しなければならない。捕らえるのが難しければ、その命を奪うのも考慮に入れておく必要があるのだ。その後には、施行されている魔術の解析と解除が控えている。
ゾレンの口から術式の仔細を吐かせられればよいが、命を絶ってしまった場合は解除に時間がかかるのは明白だ。
更に危惧するのは、精神魔法防御として兵士に飲み込ませているアーティファクトの効果時間だった。
魔導師団の者達は、各々が精神魔法に対する防御を行使している。危ういと判断した場合には自ら離脱するよう言い渡してあるため、ゾレンの精神魔法に支配される危険は少ないと考えられる。だが、魔導師ではない兵士たちが、体内に取り入れたアーティファクトの状態を把握できるものではない。
進軍も撤退も、判断を下すのは全てメドアズの裁量で行わなければならないのだ。
時間的猶予など何処にも見出すことが出来ないとは、まさに今の状態だなとメドアズは口元を歪めるのだった。
まさにその時である、セチュバー本国を目の前にして軍が展開を終えたと同時に、メドアズは肌に触れる空気が変化した嫌な感覚を覚えた。
他者の行使する魔術の範囲内へ踏み込んだ際に生じる僅かな変化だ。
(まだ、本国の門まで十分な距離があるぞ。これほどまでに、ゾレンは魔法の影響範囲を拡大していると言うのか)
傍で馬を駆る魔導師団の数人も感じ取ったのか、目配せを交わし合って表情を引き締めるのだった。
速度を緩めずに進むメドアズの軍は、防壁の迎撃範囲にまで迫ろうとしていた。
待ち受ける敵の姿もなく、本国の門がぽっかりと口を開けて待っているだけであった。
「メドアズ様、どうなさいますか」
馬を寄せてきたメノーツがメドアズに指示をあおぐ。待ち伏せる敵に対応するため横に展開している今の陣形は、本国をまもる防壁の自動防衛機構から格好の的にされてしまう。
「突入陣形。王城までの道を確保せよ」
迷うことなく、メドアズは全軍に命令を出した。
第二兵団を先頭に、大きな門へと向かって軍勢が形を変化させて雪崩れ込む。
上空から見下ろせたなら、巨大な鳥が翼をすぼめて急降下するかの光景に見えたに違いない。
「突入!」
恐怖心を吐き捨てるように、先頭をつとめる部隊が雄叫びとともに門へと突き進む。
アーチ状の天井と壁の中を通り過ぎ、懐かしいセチュバー本国の町並みが目に飛び込んできた。
「突撃中止!減速せよ!減速せよ!」
突撃部隊の隊長が、町の光景を目にした途端に構えた武器を上に立てて、大声で指示を飛ばした。
後続の部隊が詰まってしまわないよう、大通りの先へと馬を進めつつゲージを操作してメドアズに現状を報告する。
「どういうことでしょうか。皆、普通に生活している様にしか見えないのですが」
若い突撃兵が、隊長に声をかけた。その二人の横を、食料品を抱えた女性が子供を連れて通り過ぎて行く。
若者の言葉が示す通り、町には人々が行き交い、路地には干された洗濯物が風に揺れていた。
剣を向けるべき敵の姿は影もなく、平和な日常がとつとつと過ぎているようにしか映らなかった。
「俺にもそう見えるけどな。気付かないか、町から声が全く聞こえない」
突撃部隊長は、ゲージでの報告を済ませると武器を構えなおして王城へ向けて馬を歩かせる。これまで以上の警戒心が、その顔には浮かんでいた。
城までの道の確保は最優先とされる命令だが、突撃の勢いもそのままに駆けて行けば、道行く国民を跳ね飛ばして進まねばならなくなる。兵士としてそれは出来かねると判断し、メドアズに報告を上げたのだ。
だが、大通りに駆け込んできた第二兵団を気にする民は誰もおらず、セチュバーの国民は黙したまま日常生活の中に存在しているのだった。
次回投稿は6月27日(日曜日)の夜に予定しています。




