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おじさんだって勇者したい  作者: 直 一
第一章 異世界の教会で
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第1話 イモをもぐもぐする修道女

 王子三郎(42)は、ファンタジーや中世の世界観の冒険物が大好物だった。


 若い頃はそういった種類の映画もよく観たし、小説や漫画も少なからず持っていた。社会に出て三十代中頃から、仕事や生活に追われるようになって次第に縁遠くなってしまっていた。だが、通勤の電車に揺られながらネットの小説や漫画を多少チェックするのは、趣味と言えるくらいには続けていた。しかし、家族や会社の同僚などはそんな趣味があることすら知らないだろう。


 ライトな趣味に成り下がりはしたものの、ファンタジー好きな三郎は現在、ひしひしと感じていることがある。


「ここ、絶対、日本じゃない」


 半日近く歩いてようやく町が見えてきたとき、そんな独り言が口をついて出た。町の周辺は整備され、まばらに生えていた木々も見当たらなくなり、穏やかな田園風景に変わっている。腰より低いくらいの高さの作物が整然と風にそよぐ。草花に詳しくない三郎にだって、稲や麦が植わっていれば何となく分かりそうなものだが、育てられている作物の名前が全く浮かんでこなかった。


 そんな田園風景の奥にある町は、日本ではお目にかかったことも無い雰囲気をしていた。


 要因となっているのは、町の周囲にそびえ立つ壁の存在だ。城壁と呼ぶには心もとないが、成人男性の倍くらいの高さを有し、厚みもある頑丈そうな白い壁が町全体を大きく取り囲んでいるのだ。表面は漆喰の様にも見えるが、近づくとより滑らかで丈夫な質感をしているのが分かる。壁には等間隔で見張り台の様な物が設置されているが、人影は見当たらなかった。


 町の周囲には堀があり、中は半分ほどが水で満たされている。水の澄み具合から、近くの川から引き込んでいるのだろう。


 三郎の脳裏には『異世界』という単語が浮かんではいるが、年齢を重ねすぎたせいかその単語を簡単に口に出すには少しためらいが出る。趣味趣向から言えば喜ばしい単語なのだが、それよりも先に「参ったなぁ」と言う気持ちが先立ってしまっていた。


 頭の中では、言葉の問題やら、頼りにしていた財布の存在が空しくなった不安や、不審人物としてトラブルに巻き込まれる心配等、リスクアセスメントの様な考えばかりが浮かんでしまう。『異世界召還ヒャッハー』と短絡的に喜ぶには、四十二歳ともなると擦れすぎてしまったようだ。


 堀に架かる橋は、しっかりとした石造りの物が渡されている。門となる場所を挟むように見張り台が並び立ち、その間は大きく開かれているだけで、扉らしきものは見受けられなかった。


 門の両脇には、屈強そうな衛兵が立っている⋯⋯のかと思いきや、特に警備があるわけでもなく素通りして問題なかった。


「壁のわりに、警備ザルだな」


 扉の無い門を通り過ぎると、道の両側に建つ数棟の大きな倉庫が三郎を出迎えた。町を囲む壁と同じ質感の外壁をしていて、その上に丈夫そうな三角屋根がのっている。


 道に面した部分は開放されており、中には巨大な船底が見えていた。船蔵である。


 町まで歩いて半日程かかったことを考えると、南に見えた海までかなりの距離があるはずだ。そんな海から離れた場所に船蔵があるとは想像し難いのだが、町には風に乗ってかすかに港町特有の香りが漂っていた。


「ここは港町なのか?けっこう海遠いよな?」


 町の入り口を振り返ってみるが、海を目視することは出来なかった。


 船が出せるくらいの大きな川でも近くにあるのだろうか、などと考えているうちに、商店や家々が立ち並ぶ界隈にさしかかっていた。


 建物は一見ハーフティンバー様式に見えなくも無いが、木材は使われておらず例の漆喰壁を落ち着きのある色で組み合わせた物が主流の様だ。店並みは三郎の感じたとおり、港町で間違いない様子で、魚関係の店が多く見受けられる。店先には、おおよそ見慣れない魚ばかり並んでいた。


 買い物客など、人々の服装をそれとなく観察していると、季節がらもあるのだろうか、少し厚地の布で作られたゆったりとしたチュニックが主流のようだ。


 三時を少し回ったくらいの時間のはずだが、街の規模から考えて人の数が極端に少ない。毛の長い不思議な四足動物の引いている『馬車のような物』と数度すれ違ったが、それもさほど多いとは感じなかった。


 三郎の姿を見て不思議そうな顔をする人もいるが、三郎が引きつりながらも笑顔で会釈をすると、片手をあげて気持ちのいい笑顔を返してくれる。人当たりのいい港町、と言った雰囲気にすこし安心感を覚えた。海は無いのだが。


 だが、そんな人々の間で交わされる言葉は、耳慣れないものだ。三郎は仕事の関係で、意思疎通が出来る程度には英語に触れていたし、海外事業部に出向していた時には、同僚が話す他国の言葉も耳にしていた。しかし、三郎の記憶にある言葉と符合する物はない。


(まいったね⋯⋯とりあえず完全に異世界だな)


 三郎に諦めにも似た感情を抱かせたのは、何も言葉の問題だけではなかった。


 とある店の照明が目を引いたのだ。それは、天井から吊るされたランプだった。燃料となるアルコールを入れる部分が透明なガラスの容器になっていて、淡く光る宝石の様な大きな結晶がひとつ入っていた。


 シャボン玉のような、光が干渉した色で淡く発光している。そして、本来なら火が灯される場所には球状の発光体が浮かび、照明器具としての役割をはたしていた。


 初めてそれに気が付いたとき、三郎は思わず店先に近づいて凝視してしまった。店の人に話しかけられ焦ってその場を去ったのだが、他の店の照明もデザイン的な違いはあれど、同じような仕組みのものが使われており、一般的に普及している生活用品なのは明らかだった。


 『自分の居た世界とは違う』とはっきり認識した途端、視界が遠くなるような孤独感が三郎を襲った。


 三郎は、昨日まで散々逃避してしまいたいと悩まされていた物事が、いかに自分の想定しうる範囲内の出来事だったのかを実感した。身一つで知らない世界に放り込まれる事が、これほどの不安を伴うものだとは思いもしなかったのだ。


「⋯⋯っはぁ、小説では読んだことあったけど、いざ自分の身に起こると、不安感半端ないぞ」


 三郎は不安を誤魔化すため、無理やり他人事ぶった独り言をつぶやく。兎にも角にも、町をぶらぶらしているだけでは何も解決しないと考えをめぐらせる。


「普通こういうのって、最初に美しい女神が出てくるとか、頼りになる相棒が現れるとか⋯⋯そういうのは無いんかい!」


 普通って何だろうね、と三郎は自分にゆるい突っこみを入れつつ愚痴を漏らす。


 三郎の知る本や映画のストーリーならば、何らかのイベントが起こっていても良いようなものだ。例えば、半日も歩いていたのだから、道の途中で親切な人に出会うとか、美少女に出会うとか、盗賊に襲われてる人を助けるとか、美少女を助けるとか、美少女が空から降ってくるとか⋯⋯びしょ⋯⋯。


「半日以上も経って美少女イベ⋯⋯もとい、イベントの一つも無いのは、どう考えてもオレは主人公じゃない系だな」


 今の所、短くまとめるなら『異世界の街道を歩く』である。そして、三郎のファンタジック知識から、ゲームのステータス画面の様な物が出てきたりするのではないかと試みてみたが、当然のごとく何も出てこなかった。


 歩きながら空中で手をフラフラさせ、ぶつぶつと「ステータス画面」などと独り言を呟くスーツ姿の中年。はたから見れば、怪しい人物として通報されるレベルであったろう。ふと我に返り、赤面したのは言うまでも無い。


「こういう場合、どうするべきか。目立つのはまずいよな⋯⋯って、独り言多くなってきてないか、やばいやばい」


 十分怪しく目立っていた気もするが、人通りが少ないのを幸いと思うことにして、今後の方針を立てなければと思い立つ。


「最悪の事態を想定しながら行かないとなぁ」


 いまいち実感がわいて来ず、他人事のような間延びした独り言がもれてしまうが、気を取り直して頭を巡らせる。


 三郎は、言葉の通じない現状を考慮して、軍隊や警察の様な『お固い』場所に関わると、不審者扱いを受け拘束される可能性があると判断した。冒険者ギルド的な場所や酒場は、あったとしても言葉が通じなければ意味が無く、ガラの悪い奴に絡まれて終わりそうだという考えにたどりついた。


 そもそも、この世界は三郎の考えるような『異世界』なのだろうか。


「主人公補正の片鱗でも感じられたら、がんばっちゃうんだけどな」


 苦笑まじりにぼやきながら歩いているうち、開けた場所に出ていて周りの風景が変わっていることに気が付いた。そこは、町の中心に位置する円状の広場だ。広場の周囲を取り囲む道が、町と広場を別空間の様に切り離していた。


 芝生のような軟らかい下草が一面に生え、まばらに植えられた木々が程よい木陰を作っている。そのさらに中央に幅の広い建物が、ぽつりと建っているのが見えた。


 三郎は、その建物に引き寄せられるように道を横切り、広場に入っていった。なぜなら、見たことのあるシンボルが建物の屋根に付いていたからだ。


「⋯⋯まじか、十字架⋯⋯そうか、教会か」


 世界が違っていようとも教会というものは、困っている人に手を差し伸べてくれるのではないだろうか、と縋るような気持ちが芽生える。三郎は、その他大勢の日本人と同様で、とくに熱心に信仰する宗教はない。無かったのだが、次の言葉が口をついてでた。


「おーまいごっと」


 近づくと建物の全貌が見えてくる。町の家々は漆喰風の壁が主流であったが、この建物は美しい木造だった。正面には五段ほどの階段がついた、広めの玄関ポーチがあり、両開きの大きな扉がすえられている。町の建物との違いを強く感じるのは、控えめながらも見事なステンドグラスが要所に使われているためだろう。


 若草色の三角屋根が、公園と建物を爽やかに調和させている。三角屋根の先に白い十字架が取り付けられており、建物の奥には尖った屋根の小さい塔があって、その先端にも十字架が控えめに据えられていた。


 ただ、三郎が元の世界との違いを感じる部分があるといえば、白塗りの見慣れないシンボルが入り口の上に描かれていることだ。それは、アルファベットの大文字『A』に似ているが、中央の横棒部分が小さい丸に置き換わっている。


(頼むから、妙な宗教団体じゃありませんように)


 三郎は、そう心の中で祈りながら扉に近づいた。いざ立派な扉の前に立つと、開けてよいものかと逡巡してしまったが、恐る恐る扉に手をかけ隙間から中をうかがった。


「⋯⋯集会とかか?」


 僅かに開いた隙間から覗くと、木造建築独特の温かみのある広いホールに整然と長椅子が並べられ、町の人々が祭壇の方を向いて座っている後姿が三郎の目に入った。


 そんな中、ひときわ目立つ体格の男が立ち上がり、祭壇の前にすえられた教壇に立っている人物に、何事か言いはじめた。言い争いという雰囲気はなく、いたって和やかな集会がとり行われている様子だ。時折聞こえる人々の雑談も、険のある空気は漂ってこない。


 教壇に立っている人物は、黒いロングチュニックをゆったりと着た初老の男で、穏やかな表情で話に頷き返している。


 この教会の神父かそれに順ずる人物であろう事は、三郎の目にも明らかだった。遠目だが、ロマンスグレーの髪を清潔そうにまとめ、眼鏡をかけている様子がとても紳士然としているように映った。


 三郎は、この集会が終わるのを待ち、あの神父に会ってみようと心に決め、扉をそっと閉じた。




 ぐぅぅぅ⋯⋯。


「はぁ、お腹すいたな」


 目下のやる事が決まった安心感からか、三郎は自分がこの世界で目覚めてから飲み食いしていないことを思い出した。玄関ポーチの端に腰を下ろすと、腹の虫が大きな音で鳴いたのだ。


「あの雲うまそうだな⋯⋯とか言うのが定番か」


 青空を見上げて冗談をつぶやく。そよぐ風が草木をなで、芝の上を遊ぶ木漏れ日が、穏やかな午後を彩っている。完全に思考停止してしまった三郎の前髪を風が揺らした。どんな状況に陥っても、健康な人間はお腹がすくもので、二度目の腹の虫は更に大きく鳴いてくれた。


「はぁぁぁぁぁ」


 三郎は大きなため息とともに、がくりと肩を落としうなだれた。役立たずとなった胸ポケットの財布を手で押さえると、尚更胸に虚しさを押し付けてくるような気分になる。その時、突然蒸かした芋の香りが鼻をついた。


 力なく顔を上げた三郎の目の前に、半分に折られた芋を差し出す手があった。手の主に目をやると、もう半分の芋をもぐもぐしている修道服姿の女性が立っていた。


 少し眠たげにも見える半目が印象的な整った顔立ちの女性で、ベールから出ている前髪が金色に光を反射している。三郎より頭半分低いくらいの身長で、女性にしては高いほうだ。


 三郎はこの時、この女性を二十代後半くらいの年齢だろうと思っていたのだが、後々、実は十九歳だと知る事になる。その時、あまりにも驚いた表情をしてしまい、めっぽう怒られるのはまた別の話である。


『んっ』


 芋を更に押し出し、三郎に受け取るよう促してくる。


「あ、ありがとう」


 三郎が芋を受け取ると、修道女は教会の壁にもたれてもぐもぐと芋を食べ続ける。


 見慣れない服装をした耳慣れない言葉を使う男を前にして、芋を食べ続けられるとは、大したものだなと三郎は感心してしまう。


 修道女に倣うように三郎も芋を口へと運んだ。そしてしばらくの間、芋を食べるだけの不思議な時間が流れた。


『さて、あなたは誰かしら?教会に何か御用?』


 芋を食べ終わった修道女が、不意に話しかけてくる。が、三郎には言葉が理解できない。


「あー、えっと。お芋ご馳走様です」


 礼儀正しく芋のお礼を言う三郎だが、もちろん修道女には理解できない。


 一瞬、修道女が鋭く刺すような視線を三郎に向けたのだが、三郎の様な一般人には気づく事すら出来ないほどの間だった。そして、修道女は口元に手を当て何か考えるようにした後、三郎に向かって身振り手振りを加えて自身の名を伝えようとした。


『わたしの名はトゥーム、トゥームよ。あなたの名前は?』


 三郎は修道女の何度目かの手振りで、自己紹介だと理解し、真似して答える。


「あぁ、名前か。三郎、俺の名前は、サブロー」


『サブロー⋯⋯ね』


 トゥームと名乗った修道女は、三郎の名前を口にしてまた少し考え込む。三郎は、恐らく自分の名が聞きなれない響きだったので、不思議に思っているのだろうと察し少し様子を窺った。


 すると突然、三郎の背後が騒がしくなり、教会のぶ厚い扉が勢い良く開け放たれた。


 ッゴン!!


「っがはぁ!!」


 外開きの扉がポーチに座っていた三郎の背中と後頭部を鈍器よろしく強打し、そのまま三郎を突き飛ばした。


(扉の前に座るもんじゃ⋯⋯ない⋯⋯な)


 そんな事を考えながら、柔らかく抱きとめられる感触と、心地よい香りにつつまれる記憶を最後に、おっさんは意識を失うのだった。

次回更新は9月3日(日曜日)の夜です。

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