第196話 保護者の目線
挟撃要塞の制圧と安全の確保がされる頃、空は朱色から徐々に暗くなりはじめ、戦いに染まった一日が終わりを告げようとしていた。
グレータエルート族は、挟撃要塞の広い屋上に天幕などを設営し、守衛国家セチュバー側の警戒をしつつ戦いの傷を癒すようだ。
一方でドワーフ達は奪い取た要塞内に陣をかまえている。人族の建物を嫌うエルート族と違い、建築魔法で造られた物のなかでも問題なく過ごせるとのことだった。
戦闘に終止符が打たれると、負傷者は早急に要塞へと運び込まれ治療が開始された。修道騎士団が助力を申し出ると、ドワーフ軍は遠慮なくそれを受け入れて、現在も協力して負傷した者の治療に当たっている。
突撃の際に先陣を切ったドワーフの中でも、破開鎚部隊の受けた被害は大きく、死傷した者の数は実に部隊の半分以上にのぼっていた。
グレータエルート軍とて無事とはいえない状況であったが、夜間に敵襲が無いとも限らないため、捕虜の監視も含めてギリギリの人員配置を行っていた。
「野営地と門要塞に残していた部隊が、今夜中に合流することになっています。明日か明後日には、次の要塞への進軍が可能となるでしょう。しかし、土族軍の回復状況も十分に考慮せねばなりませんね」
ケータソシアは水の入れられたカップを手にして、いつもの穏やかな口調で言った。
「ふむ、修道騎士の手助けも受けている。明後日には突撃部隊の七割方まで動けるようになるだろうよ」
「治癒の教会魔法を使っていますから、我々が戦闘パフォーマンスを取り戻すことを考えるなら、進軍を明後日としていただけると助かります」
挟撃要塞の屋上に張られた指揮官用の天幕には、ドワーフ軍の長であるゴボリュゲンと修道騎士の代表であるカーリアが顔をそろえていた。
ゴボリュゲンが握っているカップには、五杯目ともなる酒がなみなみと注がれており、一度呷っただけで空にされる。ドワーフは酒に強い種族と言われるだけあって、ゴボリュゲンは顔色一つ変えていなかった。
隣では、カーリアが上品に出された食事を口に運んでいた。
天幕では、ささやかではあったが戦勝の祝いと今後の作戦会議とを兼ねた一席が設けられていたのだった。
その場には、他に五名の人物が同じテーブルを囲んでいる。
(さすが、名門アーディ家の人って感じだわ。ゴボリュゲンさんと並んでる絵面なんてレアなんだろうな。エルート族まで居るから、激レア?)
種族の違う三人の様子を眺めつつ、ぼんやりと関係のないことを考えているおっさんがいた。
守衛国家セチュバーとの戦争において、いまだ総指揮官に位置付けられている三郎は、当然とばかりに呼ばれて出席していた。
教会評価理事の秘書官で修道騎士でもあるトゥームは勿論のこと、軍勢で唯一の魔導師としてシャポーも席に着いている。
何時もの顔ぶれと言ってしまえばそれまでだが、シトスとムリューも同席していた。今の二人は『エルートの守護者』たる三郎達の護衛という重責を担うかたちとなっているのだ。
シトスとムリューの立場が、グレータエルート軍の中でケータソシアに次ぐ重要なものと認識されているなど、おっさんが知るところではないのだった。
「破開鎚部隊が七割ほどの戦力になってしまいますか。前線を次の要塞まで押し上げるにしても、戦略を変えるか、人族の軍の合流を待つか・・・」
冷たい水を一口飲んで、ケータソシアは考えを巡らせる。
ほんのりとつけられた柑橘の香りが、思考する頭をすっきりとさせてくれるようだった。
「必要あるまい。二つの砦を落としておいて、消耗が少なかったと思えるわい。次の要塞は、妙な形状をしていないのだろう」
豪快に言い放ったゴボリュゲンが、七杯目の酒を一気に飲み干すと、肉料理へかぶりついた。
「第三の要塞は『山の砦』と呼ばれています。崖に面している道を見下ろすかたちで、山の斜面に建設された要塞です。その道には、行く手を遮る門がいくつも設置されていますので、突破には時間がかかってしまうかと思います」
カーリアが食事の手を止めて説明する。修道騎士であるカーリアは、クレタス諸国から開示されている軍備については熟知しているのだ。
「む、また側面を狙われるということか」
ゴボリュゲンは苦々し気な表情で言った。ドワーフ族の兵士は突撃にかけて無類の強さを誇るが、その反面、横から攻撃を受けるのを苦手としている。頭部の硬さに特化した二足歩行の友獣シュターヘッドが、側面を弱点としているのも大きな理由の一つだった。
「そこで提案なのですが、我々修道騎士団が要塞との間に入る、というのはどうでしょうか。修練兵も合流できれば、土族軍の被害を最小限に――」
「土族ではない『ドワーフ』だ!」
唐突に声を荒げたゴボリュゲンに対し、カーリアが目を丸くして「えっと・・・?」と周囲に助けを求めて視線を送る。
「ドワーフ族の皆さんは、人族には『ドワーフ』と呼んでもらいたいみたいなんですよ」
「うむ」
三郎の出した助け舟に、当のゴボリュゲンが機嫌のよい相槌を打って返す。カーリアは心の動揺を隠し、平静を装って言葉を続けた。
「そ、そうでしたか、失礼しました。では改めて、修練兵も合流できれば、どわーふ軍の被害を最小限に抑えることをお約束します」
「発音が悪いのう。なぁ、サブロー殿」
一転して愉快だと言わんばかりに笑い、ゴボリュゲンがカーリアの肩をバシバシと叩いた。
(うわ、あれめちゃくちゃ威力のあるやつだ。カーリアさん大丈夫か)
やられて痛い思いをした経験のある三郎は、痛々しく目を細めてカーリアの様子をうかがった。
「慣れないもので失礼しました。機会をつくり、理事殿にご教授ねがっておきます」
普通に笑顔で返すカーリアを見て、三郎は(痛くないのかよ!修道騎士すげーな)と心中で驚きの声を上げるのだった。
「修練兵・・・教会兵力の合流ですか」
人族とドワーフ族のやり取りを気にすることもなく、ケータソシアが神妙な表情で呟く。
「難しいのでしたら、我々修道騎士だけでも十分ですが」
「いえ、二つの要塞を落としたことで、セチュバー側が警戒を強めるのは明らかでしょう。ならば、被害の少ない作戦を取るのが最善かと思います。修練兵にもご助力願えますか」
にこりと笑ってケータソシアは答えた。カーリアが言った『修道騎士だけでも十分』との言葉から、覚悟の響きを聞き取っていたのだ。
ケータソシアは、修道騎士団という信頼のおける味方の命を、無暗に消耗させるような作戦を選ぶ指揮官ではない。
代わりに、グレータエルート族が修練兵全員と言葉を交わすことを、ケータソシアは条件として付ける。一日の猶予があれば、真実の耳で裏切る者が存在するかどうか確認することも可能だと判断したためだ。
「さて、料理が冷めてしまいますからね。ささやかではありますが、今日の勝利と命あることを喜びましょう」
大まかな方針が決定したところで、ケータソシアが皆に食事を促がす。
「やっと落ち着いて酒が飲めるわい」
ゴボリュゲンが嬉しそうに髭を揺らせると、カップの酒を一気に喉の奥へ流し込んだ。三郎は(十一杯目じゃなかったっけ)と胸中でつっこむ。
「ほぁぁ。ほのかちゃん、シャポーの頭の上で食べ物をまき散らすのは、だめなのですよぉ」
突然シャポーが大きな声を上げたので、皆の視線が集まった。ドワーフのゴボリュゲンだけは、十二杯目の酒をマイペースに空にしている。
シャポーを見れば、ほのかが頭の上で豆を食べていて、破片がパラパラと零れ落ちているところだった。
「あーあー、ほのか。人の頭の上で物を食べたらだめだって、覚えたんじゃなかったっけ。食べるなら下りないと」
三郎が手を出すと、ほのかは食べかけの豆を手渡して、シャポーの頭に全身でしがみついた。
「ぱ」
手に乗った豆とほのかを見比べて、三郎はふむふむと口元に笑顔を浮かべる。
「どうかしたのですか、サブローさま」
不思議に思ったシャポーが疑問の表情で三郎に聞いた。
「ほのかは、偵察部隊にシャポーを一人で行かせたら、寂しかったみたいだね。離れないってさ」
「ふぇぇ、ほのかちゃーん、ふへへー」
三郎の通訳に、シャポーは嬉し恥ずかしといった表情で左右に身体を揺らす。
「ぱ」
ほのかは食べ物よりもシャポーが大事と言わんばかりに、頭にしっかりとくっついているのだった。
会議も兼ねた祝勝会は、短い時間で切り上げられた。
勝利したとはいえ、最前線であることに変わりなく、死傷者も出ているので諸手を上げて飲み食いできる方が不自然だとも言える。
ゴボリュゲンとカーリアが天幕を後にすると、三郎達もあてがわれたテントに引き上げるため席を立つ。
三郎一行と入れ違うかたちで、グレータエルートの副官や隊長らが指揮官用の天幕へと入って行った。
「ケータソシアさんは引き続きで軍議か」
彼らの背中を見送りつつ、三郎は大変だなと思い呟く。
「仕方ありませんよ。敵の夜襲がある可能性もありますし、複数の種族が合同で動くなど、五百年前の戦争以来ですからね。グレータエルートの連携が乱れぬよう密に連絡をとっておかねばならないのでしょう」
「何か手伝えればとは思うけど、役に立てることとか・・・考えつかないな」
シトスの言葉に、三郎は唸りながら返した。
「我々は体を休めておくのが肝要でしょう。気を張り詰めている場面では、自分が感じている以上に身体が疲れているものですからね」
微笑みながらシトスは言う。三郎の声に、グレータエルート族全体を気遣う響きが込められていたためだ。
「言わば『要と不要の見極め』ってことよ」
トゥームは言うと、三郎の肩を軽く叩いた。三郎は、どういう意味かと尋ね返す。
「必要のない時に動いて力を出せなくなるなって意味と、頼られた時に力を発揮できるようにしておけという意味があるわね」
修道騎士に必要とされる能力だと、トゥームは付け加えて答えた。
「今必要だと思うことをしておけってことか」
「簡単に言えばね。もう少し深い言葉ではあるけれど」
トゥームは悪戯っぽく笑い、三郎へ肩をすくめて見せる。
「休むのも自己管理のうちって言うもんな」
自分を納得させるように三郎は言うと、大きく両腕を上げて伸びをする。夜のとばりが下りた空に、数えきれないほどの星が輝いてるのが目に入るのだった。
その時、シトスが物陰からこちらをうかがっている人物がいることに気が付いた。
「おや、偵察部隊の――」
「ジャンとヴァナなのです。何かあったのですか」
シトスの言葉に、シャポーが続けた。
「皆で食事しながら、命あったことを喜びあってたんだけどさ、シャポも呼ばないかって話になってね」
ヴァナが、三郎達に丁寧な挨拶をした後に言った。
「もしシャポちゃんが疲れてなければなんすけど、一緒にどうかなと。偵察部隊の仲間が揃わないと、しっくりこないというか・・・」
ジャンは三郎の表情をちら見しつつ、言葉を選ぶように言う。
「ほわぁ、仲間だなんて嬉しいのです。あ、でも体を休めるのも大事なのでした」
シャポーは三郎を振り向いて言葉を濁す。
顎に手を当てて、三郎はふむと一つ唸ると口を開いた。
「仲間とのコミュニケーションも大切だから、顔を出すのも良いんじゃないかな」
「死線を共に越えた仲間は大切にすべきよ。でも、遅くならないように帰ってきなさいね」
三郎はシャポーに新しい友達が出来た心境になって言い、トゥームは保護者のような心持で言っていた。
「ではでは、皆さんの所にちょこっとだけ行ってくるのです」
シャポーが嬉しそうに言うと、三郎がその肩に優しく手を置いた。
「気を付けて行っておいで」
「えっと、ん?・・・はいです!」
一瞬不思議そうな顔をしたシャポーだったが、すぐに笑顔に戻ると元気よい返事をした。
そして、何度か手を振りつつ、ヴァナとジャンと一緒に歩いて行くのだった。
(・・・お父さんとお母さんがいたらですが、あんな感じなんでしょうか。って、シャポーはサブローさまとトゥームさんに何てことを考えて!)
妙なことを考えてしまったと、シャポーが頭をゆすると、頭頂部にしがみつかれている感触に気付いた。
「ほのかちゃん、一緒に連れて来ちゃったのです」
「ぱ」
しっかと張り付いたほのかが、真面目な顔をして短く答える。
「シャポ、さっきから思ってたんだけどさ、頭の上の子ってもしかして始原精霊の?」
ヴァナが方眉を上げながらシャポーに聞く。
「はい、ほのかちゃんなのです。大切な仲間なのですよ」
「ぱ」
魔導師少女は頭の上に始原精霊を張り付かせたまま、偵察部隊の面々に合流するのだった。
次回投稿は6月13日(日曜日)の夜に予定しています。




