第187話 模様替え
ケータソシアが使役する上位精霊メーシュッタスは、彼女の願いを聞きとどけ、部屋の天井までをも覆いつくさんとしていた。
(精神の集中を。ここからが、大切なのですから)
右腕から吸い取られてゆく精霊力の勢いに、意識を手放すまいとしてケータソシアは自分に言い聞かせた。精霊魔法を次の段階へと進める準備が整ったのだ。
天井を支えるほどに成長したメーシュッタスは、種であった部分から徐々に硬化を始めた。
網目状に張り巡らされた根は、三郎達のいる部屋だけではなく、上部の要塞からのしかかってくる重みでさえ支えられるほどの強度と弾力性を併せ持ったものへと性質を変化させて行く。
メーシュッタスで形作られた網目状の構造物に振動が吸収され、空間を満たしていた揺れが少しづつ和らいでゆくのだった。
「おお、振動がちょっとおさまってきたか」
両腕で頭をガードした体勢で床にうずくまっていた三郎が、室内の変化に気付いて顔を上げた。
「ぱぁぁ」
三郎の体の下に隠れて、同じ姿勢をとっていたほのかも顔を上げる。
結局、三郎は膝を打ちつけた痛みで逃げることもできずに、トゥームの払い落した結晶を何個も食らってしまっていた。
「もう少し壁から離れてくれれば、当たらずに済んだと思うのだけど」
エネルギー結晶を全て外し終えたトゥームは、呆れた表情を浮かべて三郎のもとへと歩み寄る。
そして、起き上がるのを助けるように手を差し出した。
「申し訳ない。思いっきり膝を打ったみたいで」
三郎は苦笑い混じりにトゥームの手を取って立ち上がる。膝の具合を確かめてくるトゥームに、三郎は何度か曲げ伸ばしをして「大丈夫みたいだ」と答えるのだった。
「ケータソシアさんの精霊魔法、上手くいってるみたいだな」
服についた埃を払いながら、三郎は部屋の中を見回して呟いた。
先ほどまで植物の根であった物は琥珀色を纏い、壁や天井を支えている。
魔法陣の引き起こす空間の揺れは続いていた。しかし、ケータソシアの精霊魔法によって破壊の魔法の効果は相殺され、建物に大きな振動は伝わっていないようだった。
「安心できる状況とは、言えないのかもしれないわ」
険しい表情をしたトゥームの視線の先を追うと、懸命に精霊魔法を行使しているシトスとムリューがいた。
「三人で、何とか持ちこたえてくれてるんだな」
「いえ、ケータソシアさん・・・意識を失っているんじゃ」
トゥームは三郎に答えると同時に、ケータソシアの方へと走りだした。
向かう先には、片膝を着いた状態で右手を差し出しているケータソシアの姿があった。胸元で強く握られていた左手はぶらりと下がり、首は力なくうなだれている。
「魔力の、いや精霊力の枯渇ってやつか」
三郎も慌てたように叫んでトゥームの後を追う。だが、トゥームの焦りは三郎のそれよりも深刻なものだった。
(枯渇を起こしている様子なのに、精霊魔法が継続されている。まさか・・・)
トゥームは最悪の場面を頭から振り払うようにぐんと加速する。ケータソシアの命にかかわるならば、彼女の右手へと繋がっている根を断ち切るべきなのか、判断はついていないのだった。
ケータソシアが意識を失っていたのは、ほんの僅かな時間であった。
体がふわりと浮かび上がる感覚に襲われると、暖かな樹木の香りに全身を包まれていた。
(力に見合わぬ精霊力の行使は、自らが精霊と同化してしまうと聞いていましたが、これがそうなのですね)
目を瞑っているはずだが、視界一杯に淡く白い光が広がっている。エルート族の故郷ピアラタに帰ったような安心感を覚える光景だった。
『上位精霊との同化は、個の意識を保てないと教えられましたが』
ケータソシアはぽつりと呟いた。
己がケータソシアというグレータエルート族であった記憶もあれば、先程まで置かれていた状況も鮮明に覚えている。
メーシュッタスの根を張り巡らせ、部屋の崩壊を抑えるべく状態変化を願ったのだ。メーシュッタスの根は硬化を始め、精霊魔法は完成されたはずだ。
『自身の精霊魔法を確認もできずに終わるなど、まだまだ未熟でしたね』
心配な気持ちが大きくなり、ため息と共に言った。三郎達はあの場を乗り越えられたのだろうか。
『・・・心配無い』
答える者など存在しないと思っていたケータソシアへ、不意に言葉が返された。
森の木漏れ日を連想させるような、優しい音を響かせる声だった。
『巨樹御霊』
ケータソシアは驚くことなく音の方向へと意識を向ける。上位精霊と同化したのならば、声の主はメーシュッタスで間違いないだろう。
目の前に存在する者は、人のようであり、巨大な樹のようでもある存在だった。
『願いを聞き届け、力は行使された』
『ありがとう、メーシュッタス。彼らは無事なのですね』
ケータソシアの問いかけに頷き返されたのを感じ取り、ほっと胸をなでおろした。
『我と言葉交せし者よ、其方を呼ぶ声がある』
『私を・・・』
メーシュッタスの言葉を受けて、ケータソシアは耳を澄ませた。
遠く意識の向こうから、ケータソシアの名を呼ぶ声が微かに聴こえてきた。
『其方の無事を知らせよ』
『しかし、私は上位精霊と同化したのでは』
『言葉交わす者が居なくなるは、我も寂しい』
メーシュッタスの気配が、ケータソシアへ笑ったように変化するのを最後に、光の空間は闇に閉ざされるのだった。
両肩を力強く抱かれる感覚が、覚醒する意識の中へじわりと伝わって来る。
「ケータソシアさん」
呼びかけにうすく目を開けると、見知った修道騎士が心配そうにのぞき込んでいるのが分かった。
「・・・トゥーム、さん」
ほっとした表情になるトゥームの他に、三郎とほのかもいるのが目に入る。
次第に思考がはっきりしてくると、空間の振動がいまだ続いているのに気が付いた。
「精霊魔法は、私としたことが、途中で意識を失ってしまい」
トゥームの肩を右手で弱々しく掴み、ケータソシアは言うと一つ咳き込む。高度な精霊魔法を使ったため、口の中が乾いてしまっていた。
「問題ありませんよ。部屋はメーシュッタスの根で包まれ、放出される魔法も弱めてくれていますから」
答えを返したのはシトスだった。ムリューと背中合わせに座り込み、疲労の浮かんだ顔で笑って見せた。
ムリューは、肩で息をしつつ「あー、もうだめ」と言って額の汗を拭っていた。
ケータソシアは部屋の中を見渡し、自身の精霊力だけでは成し得ない状況になっていると感じた。メーシュッタスの根は天井までをも覆い、それら全てが均等な状態で硬化していた。
更に、右腕に入り込んでいたメーシュッタスの根が抜けているのにも気付く。
トゥームに助けられながら、ケータソシアは上体を起こして座りなおした。すると、自分が精霊力の枯渇を起こしていない理由がすぐさま理解できた。
トゥームの叩き落としたエネルギー結晶が、メーシュッタスの根にからめとられ、特有の虹色をした干渉色を失っているのが目に映ったのだ。
「・・・メーシュッタス」
巨樹御霊メーシュッタスが、精霊力の源を天然のエネルギー結晶に変更するよう、自ら判断してくれたのだろうか。
精霊魔法というものは、術者が精霊に願いを伝え、精霊がそれに答えるだけだと教えられる。ケータソシアも今の今までそう考えていた。
ケータソシアの視線が、ふと三郎とほのかの方へと向いた。
(言葉交わせし者、ですか。精霊との向き合い方を、自然と学ばせてもらっていたのかもしれませんね)
精霊魔法も含め魔法と言うものは、行使する者の精神状態などにも大きく左右され効果を発揮する。特に精霊魔法ともなれば、僅かな認識の違いが大きな影響を与えるのかもしれないと、ケータソシアは思うのだった。
「っはー、終わったのですよぉ。あ痛ぁ!」
ばたんと倒れる音とともに、シャポーの大きな声が部屋の中へと響き渡った。
その場の全員が、大声を上げたシャポーへ顔を向けた。
頭をぶつけてしまったのか、後頭部をさすっているシャポーが「打ったのですぅ」と涙目でうったえて来るのだった。
「終わったってのは、魔法の解除がってことだよな」
まさか『お手上げ宣言』では無いだろうとは思いながらも、三郎が不安にかられた声できいた。
部屋の振動は緩やかになっているが、まだ体感できる程度の揺れがあるからだ。
「はい、完全に解除できたのです。徐々に空間振動も収束してゆくと思います。法陣の構築時点のミスが二個もあってですね、修正を加えながら正しい演算式に出力しなおしたり苦労しまして、無駄に魔力深度が深くなってしまっていたのですよ。これはですね、一つは法陣の設計段階で見つけるべき―――」
解除に熱中していたためか、興奮気味のシャポーの口は止まりそうになかった。ので、三郎はなだめるように声をかける。
「うんうん、頑張ってくれたんだな。まぁあれだ、詳しい説明は無事に外に出てからゆっくりと」
「ひょわぁぁぁぁぁ!」
「ど、ど、ど、どうした」
両手を前にして三郎が近づくと、シャポーが奇声を上げた。当然、三郎は心臓が飛び出るほどに驚く。
「お部屋が・・・変わっているのです」
ぽかんと口を開けて、シャポーはぐりぐりと首を回して部屋を見回した。
魔導師少女は、周囲の大きな変化にも気付かぬほど解除魔法に集中していたのだった。
次回投稿は4月11日(日曜日)の夜に予定しています。




