第186話 降り注ぐ結晶
『その力強き姿の顕現を願うは、巨樹御霊メーシュッタス。精霊の種が一粒を依代に、我が声を聞き届けたまえ』
ケータソシアは、精霊の種に右手をかざして上位精霊に呼びかけを行っていた。
左手は胸元に強く握りしめられており、瞑目して意識を集中している。
ケータソシアの呼びかけているメーシュッタスとは、エルートの住まう次元ピアラタに自生する木の名前であり、同時に上位精霊の名でもある。
その滑らかな樹液は、加工すれば鋼にも匹敵する強度を持ち、折られた枝から再び根を伸ばすほどの生命力を有する樹木だ。
(魔法を唱えてる中に『メーシュッタス』って言葉入ってたよな。確か、シトス達が使ってる剣って、その樹液から作られてるんじゃなかったっけか)
唯一聞き取れた単語から、三郎はケータソシアが木の精霊に語りかけているのだということだけは理解できた。
部屋内の空間の揺れが激しさを増す中、精霊の種が淡い光を放ちはじめる。そして、種から細い根がケータソシアの右手に向かってゆっくりと伸び始めた。
根が指先に触れると、ケータソシアはさらに意識を集中して語りかけを行う。
『ありがとう、メーシュッタス。崩れ始めたこの部屋を、この空間を支えて貰いたいのです』
『・・・承知した』
指先から伝わってきた上位精霊メーシュッタスの短い返事を聞き、ケータソシアは口元に柔らかな笑みを浮かべる。
『我が精霊力を糧とし、強固なる根の支配領域を崩れ行く空間へと拡げたまえ。命を支える柱とならん』
一瞬浮かべた表情を険しいものに戻し、ケータソシアは凛と張った声で精霊魔法の行使を願った。
精霊の種から出た細い根は、ケータソシアの右手に巻きつくと、その先端を皮膚の中へと伸ばしてゆく。
ケータソシアは、体内に根を張られてゆく感覚に顔を歪めながらも、集中を切らさぬままに右手を差し出していた。
(うわ、根がケータソシアさんの腕に入っていった。痛いよな、注射針よりも確実に太いもんな)
驚きの光景であったため、三郎は痛々し気に目を細めてしまう。トゥームも同じ心境だったのだろう、眉根に深い皺を寄せて口を引き結んでいた。
次の瞬間、ケータソシアから精霊力を吸収した精霊の種は、その大きさからは想像もできない量の根を発生させると、床から壁へと向かい天井にも駆け上がる勢いで急速に成長を始めるのだった。
「シトス、風の流れが遮られて、精霊の力がどんどん薄れてく」
「私もです、部屋内と外部の気圧差を大きくしすぎると、入り口付近から一気に崩壊してしまう可能性が」
ケータソシアの精霊魔法が発動したにもかかわらず、シトスとムリューが悲壮感を滲ませた声でやりとりを交わす。
同じ精霊使いである二人には、『この場』へ樹木の上位精霊を顕現させているケータソシアの負った負担が、想像以上に大きいのが理解できていた。
人族が建築魔法を駆使して造り上げた要塞の地下室は、精霊魔法を使うには決してよい条件ではない。その上、森や樹木の精霊力が弱いという地理的条件も不利に働いている。
ケータソシアは、精霊の種を依代にしてはいるが、本人の精霊力だけで上位精霊を行使しているようなものなのだ。
「少しでもいいから、ケータソシアさんの助けにならないと」
「分かっていますよ。上位精霊を制御下におくのは、容易なことではありませんからね」
ムリューに答えながら、シトスは歯痒い思いを抱いていた。シトスとて、上位精霊を扱う訓練を受けている。だが、まだ未熟が故に、ケータソシアのように繊細な制御が行えるにまでに至っていないのだ。
シャポーが魔法陣の解除という緻密な魔術を扱っている横で、邪魔をしないように上位の精霊魔法を発動するなど、出来る者のほうが少ない。
(ケータソシアさんが命を削っているのです。彼女の消耗が少しでも軽くなるよう、私も努めねばなりません)
シトスは、大気の精霊へと更に精神を研ぎ澄ませて向き合うのだった。
「トゥームさん。壁に置かれてる天然エネルギー結晶を、全部どかせちゃってください。自己保持となっている法陣を一時的に停止しましたので」
魔法の制御を続けながら、シャポーが大きな声で叫ぶ。
「叩き落とせばいいのね」
既に動き出したトゥームが、シャポーに確認する。
シャポーは魔法陣の解除を続行したまま、首だけで頷いて返した。
「了・解」
シャポーから見て右側の壁に駆け寄ったトゥームは、右足を大きく踏み込むと、修道の槍を横一線に振り抜いた。
踏み込んだ足をばねに突きへと転じて、薙いだ天然エネルギー結晶の並ぶ一つの段を一息に突き崩す。
結晶が音を立てて床に落ちる頃には、身を翻したトゥームが別の段へと狙いを定めているのだった。
「エネルギー結晶を外すんだな・・・よし」
一拍反応が遅れはしたものの、三郎も手伝わねばと思い立ち、トゥームとは反対の壁に向かって走り出した。
木の根が覆い始めている床は、でこぼことした感触で走りにくくはあったが、三郎が足を取られて転ぶほどでもない。
壁まで近寄った三郎は、手近にあるエネルギー結晶へと手を伸ばした。
「ふんっ・・・んん。重いっていうより、固定されてるんじゃ、ねえの。ふんん」
三郎は、気を取り直すと再び腰を入れて引っ張ってみた。が、エネルギー結晶は吸い付いたように台座から動かなかった。
「ぱぁぁぁぁぁぁ」
その時、三郎へ向かって飛来してくる小さな影があった。
シャポーのフードの中で寝こけていたほのかが、目を覚ました途端に全員がピンチに陥っていたため、びっくりして三郎の頭に飛びついてきたのだ。
門要塞に到達するまでの馬の背で、はしゃぎすぎたがために疲れてしまい、今の今まで熟睡していたのだった。
「ぱぁ。ぱぱぱぁ。ぱぁぁ」
「ふぬっ・・・そう、危機的状況。シャポーが、魔法解除頑張ってて、シトス達が部屋を支えてくれてる。トゥームは結晶を外してる、っんだよぉ」
ほのかの質問に、三郎は何度も力を入れなおしながら答える。
「ぱぁ?」
「俺?俺も結晶外そうと、してるんだよぉぉ。けどぉ、はずれないのぉぉ」
必死に結晶を引っ張っている三郎に、ほのかは何をしているのか尋ねたようだ。
「ぱぁ。ぱぁぁぱぁ」
「応援、してくれるの?それは、ありがたいな・・・とぉぉ」
事態を把握したほのかは、三郎の頭の上に仁王立ちで立ち上がった。そして、両手に髪を掴むと、三郎の真似をして引っ張りはじめた。
「ぱぁぁ、ぱぁぁ」
「ふおお、痛い。ぬおお、本当に動かないな、この結晶がぁ。ってか、髪痛いってばぁぁ」
痛みに耐えながらも、三郎は必死に力を入れる。部屋の反対側からは、順調にトゥームが結晶を叩き落としている音が響いてきていた。
「ひとつぐらいぃぃ」
「ぱぁぁぁぁぁ」
ぶちっと三郎の頭の上から骨伝導よろしく嫌な音が伝わってきた。
「いってぇぇぇぇ」
三郎の悲痛な叫びとともに、掴んでいた結晶がぐらりと動く。
すぽんと結晶が抜けた勢いを抑えられずに、三郎は体ごと真横に飛んでしまっていた。
「うわ」
「ぱ」
数個のエネルギー結晶を巻き込みながら、三郎とほのかは横っ飛びに倒れ込む。
「いってぇ」
「ぱっぱぁ」
三郎は、しこたま肩やひざをぶつけながら倒れたため、尻をついたまま痛む部位を押えてうずくまる。ほのかも三郎の上で真似をするのだった。
「ちょっと、この緊急事態に何してんのよ。魔法で固定されてて、素手で外すのは難しいでしょ。あとは私がやるからどいてくれるかしら」
反対側の天然エネルギー結晶を全て外し終えたトゥームが、三郎へと駆け寄って声をかけた。
「うう、やっぱりそうだったのか。あとはおねがいします」
「ぱぁぁ~」
「落ちて来る結晶には、気をつけて頂戴よ」
トゥームは言い残すと、修道の槍を構え直して結晶外しにとりかかるのだった。
当然、外された天然エネルギー結晶が、おっさんへと降り注いだのは言うまでもない。
次回投稿は4月4日(日曜日)の夜に予定しています。
章分けを行いました。八章、八.五章、九章の区分けをしました。




