第184話 二人の魔導師
二つの人影を見たという場所まで行くと、地下へ向かう階段があった。他へ繋がる廊下や階段よりも幅が狭く、大人二人が並んで通るには窮屈であるように見える。
三郎以外の仲間の目には、この階段が『戦いを前提に作られていない』という事が理解できていた。
その狭さゆえ、鎧を身に着けた兵士達を素早く運用するのには適していないからだ。
「先ほど扉を閉めた音が聞こえましたね。音の響きから、階段はそれほど長くないようです」
シトスは廊下の壁に背をはりつけて、地下の様子へと意識を集中させながら囁いた。
「近づいて来る兵士はいないね。門で戦ってる皆が、引き付け役にもなってくれてるみたい」
「ですね。しかし何度か交戦もしましたから、私達の動きが敵に知れている可能性も頭に入れておきましょう」
廊下の前後や周辺へと耳を澄ませていたムリューとケータソシアが、接近する敵の居ないことを確認するように頷き合って言った。
「私とシトスが前衛を、ムリューとトゥームさんに後方の警戒をお任せします」
「スィッ」
ケータソシアが下へと向かう隊列の指示を出すと、全員から小さな音で了解の合図が返される。
シトスとケータソシアに続き、三郎が慎重ながらも足早に階段をおりて行く。
時折、シトスが足を止めて向かう先の音を確認する程度で敵兵が潜んでいることも無く、一行は無事に底までたどり着くことができるのだった。
目の前に出現した金属製の扉に、シトスはそっと近づいて耳を当てた。
少し離れて立っている三郎には、頑丈そうな扉から漏れ聞こえてくる音など一切感じられない。
その時、三郎の横にいたシャポーが、囁くような声で皆に言った。
「扉には魔法の施錠と強度増加が見受けられるのです。物体への強度増加は、振動の伝わりを阻害する効果も有るので、厚みによっては内部の音が聞こえないかもなのです」
シャポーは両目から青白い光を放ち、シトスが聞き耳を立てている扉を隅々まで観察していた。
(シャポーさんのお目目は、何だかとんでもない進化を遂げているのでは。シトスとムリューが精霊魔法について教えてるから、その辺を上手く取り入れてるのかねぇ。魔力も精霊力も、元は同じエネルギーだとかって話だもんな)
三郎が、珍しく真面目で鋭い考察をしながらシトスへと視線を戻す。
彼は目を閉じると、三郎には聞き取れないほどの小さな声で何事かを呟いていた。
シャポーのアドバイスを受けたシトスは、僅かな振動でも聞き取れるよう音圧を高める精霊魔法を使ったのだ。
気付いたムリューが、全員に音を立てないようにとハンドサインを送る。
三郎は、まだ整っていない呼吸の音を小さくするため、再び両手で口をおさえるのだった。
「見張りからは」
苛立たし気な口調で壮年の魔導師が、ゲージを見つめている相棒の若い魔導師に問いかけた。
二人の魔導師のいる部屋の中央に、巨大な魔法陣が設置されて静かな光を放っている。
部屋の壁には、いくつもの天然エネルギー結晶が設置され、エネルギールートによって法陣へと接続されていた。
「まだ全ての敵兵が、要塞内に入っていないとのことです。要塞長からの発動命令も来ていないので・・・待機でしょうか」
若い魔導師が見張りからの連絡を読み上げ、壮年の男に指示を仰いだ。
「待機だ。要塞長が指示を出せる状態じゃないかもしれないからな。敵兵の侵入確認と同時に、法陣を発動するぞ」
壮年の魔導師は、唇をかみしめるように言葉を返した。
「な、仲間の撤退は、上手くできる、でしょうか」
血の気の引いた顔をして、若い魔導師がたずねる。
「あの状況じゃ無理だろうな。要塞の防衛範囲ぎりぎりに突然敵が姿を現したんだ。見張りの『眼』でも認識できなかったんだ、相当高位の魔法か精霊魔法で、軍隊の姿を全て隠していたんだろう」
見張りの任務につく兵士は、魔法による姿隠しに騙されないよう、視力への強化訓練を受けている者が多い。完全に魔法を見破れなくとも、景色の中にある『違和感』として視認することができるはずだった。
だが敵軍は、要塞に接近するまでその存在を隠し通して見せたのだ。
「と言うことは、そんな高位の術者が、敵の中にいるってことですよね」
壮年の魔導師が苦々しく「そうなるな」と答えるのを聞くと、若い魔導師は更に青ざめた顔になる。
「私達だけ、魔法を発動した後、逃れても許されるのでしょうか」
若い魔導師が、背後にある扉へと視線を向けて言った。
部屋には二つの扉が存在していた。一つはこの部屋と要塞内を繋ぐ金属製の扉で、今は魔法によって固く閉ざされている。
彼が視線を向けた扉は、それよりも一回り小さなもので、魔法発動と同時に自分たちが要塞から脱出するためのものだった。
「メドアズ様へ、事の仔細を報告する義務がある。それに、要塞崩落の混乱に乗じて、脱出できる兵もいるやもしれない。今は一兵卒でも多く、第二要塞に合流することが肝要だ。我々とて、その一兵卒なのだということを忘れるんじゃないぞ」
壮年の男が、若い魔導師の肩を力強く叩いて言った。
「そ、そうですよね。セチュバー魔導師団の者として、任務を全うすることだけを考えます」
わずかに血の気の戻った表情をすると、若い魔導師は手に持ったゲージへと集中するのだった。
(脱出できる者などいないだろう。我々とて、すぐさま見つかる可能性の方が大きい。それまでに、門要塞での戦況報告をせねばならんだろうな)
壮年の魔導師が眉間にしわを寄せ、既に第一門要塞からの撤退に失敗していることを悟り、後の行動に考えを巡らせていた。
「よ、要塞長から連絡『破壊軍事魔法を行使せよ』とのこと。敵軍の勢いがそがれ、戦い方に違和感を感じる、と入っていますが・・・」
「・・・っ時間稼ぎか。軍事魔法を起動する」
「はい。要塞長へ発動の旨を―――」
「そんな暇も無い」
壮年の魔導師が、巨大な魔法陣へ向けて起動の言葉を紡ぎ始める。
若い魔導師も慌てたようにしてゲージをしまうと、壁に設置された天然エネルギー結晶からのルートを開くための魔法を唱えた。
部屋の中央にある魔法陣は輝きを増し、魔力を注ぐエネルギールートも順に解放されてゆく。
突然部屋の中に、金属の扉を切りつける斬撃の音が幾重にも鳴り響いた。
若い魔導師は、音の鳴った扉へと目を向ける。それは、脱出用の扉ではなく要塞内と繋がっている扉だった。
しかし、セチュバー魔導師団の魔導師である彼は、動揺しながらも魔法の詠唱を止めることはない。
「集中しろ。急ぐぞ」
壮年魔導師の言葉で若い魔導師は集中力を取り戻すと、エネルギールートの解放に再び集中した。
門が破られてから、この地下室まで到達するには早すぎる。だが、扉の向こうに敵が迫っているのは、確認せずとも若い魔導師にも理解できていた。
接続されたルートの半分を解放したところで、再び扉を切りつける斬撃音が響き渡る。
冴えわたる音とともに、扉には何本もの剣筋が火花を散らせて浮かび上がっていた。
「間に合わない。この魔力量で発動する」
壮年魔導師の声に反応し、若い魔導師はルート開放の魔法を停止すると、背後にある扉へと身をひるがえす。
次の瞬間、激しい音を立てて斬撃を受けた扉が部屋のなかへと崩れ落ちた。
『魔力量の積算を固定。合算値nカムを軍事法式八十四に代入、発動代行者権限により起動。遠施法陣への魔力供給を許可す』
壮年の魔導師が、口早に唱えたと同時に、部屋の中へ四人の人影が突入してきた。
シトスとケータソシアが壮年の男へと、トゥームとムリューが若い魔導師へと向かい、魔法陣を飛び越えて襲い掛かったのだ。
『我発するは束縛の徒。認識空間へ障害とならん』
壮年魔導師は後方へ跳躍しながら、敵の動きを鈍化させる魔法を広範囲に放つ。
だが、向かってきたシトスとケータソシアの動きに影響を与えることはなかった。
「なっ」
魔導師は一瞬驚愕したが、次の攻撃魔法を繰り出す為、思考空間内の魔法陣を出現させる。
しかし大気の足場を蹴って、変則的な動きで迫る二人に、魔法の照準を絞る時間もなく接近を許した。
狙いも構わずに攻撃をしようとした壮年の魔導師は、出現させた魔法陣とともに両断されるのだった。
若い魔導師は、侵入者と交戦の意思を見せた壮年魔導師とともに戦うことを選んでいた。
大気中の水蒸気を集め、氷の礫へと変換すると、駆けて来るトゥームに向けて解き放つ。
氷の礫は、相手に近づくほどに大きさを増し、短剣ほどにまで成長していた。何本もの氷の短刀がトゥームへと飛んで行く。
直線的に向かってくる修道騎士に、若い魔導師は致命傷を与えたと考えていた。
氷のすべてが急所へと放ったものであったからだ。
「え」
若い魔導師は、最後に疑問の声だけを残し、その場に倒れることとなった。
トゥームが修道の槍を前方へ一振りし、乱雑な軌道をとっていた氷の刃を一瞬で叩き落として見せたのだ。
その映像を目に焼き付けて、若い魔導師はこと切れる。ムリューの突き出したメーシュッタスの剣に、その胸を深々と貫かれていた。
魔導師二人の血を吸ったかのように、巨大な魔法陣は真紅の光を放ちはじめる。地下室は微小な振動に包まれ、門要塞全体へと伝わってゆくのだった。
次回投稿は3月21日(日曜日)の夜に予定しています。




