第174話 地下室はよく響く
「教会理事の襲撃は失敗、エルート族の軍が森の外に陣営を移動した・・・か」
セチュバー本国にほど近い第十要塞で、宰相メドアズは内容を確認するように呟いた。
調度品や書籍類の一切ない手狭な司令官室は、必要最低限と思われる執務用の机と簡素な会議机が置かれているだけの部屋だ。
執務用の机に両肘をついていたメドアズは、深く考えるように目を瞑った。
机をはさみ正面に立ってメドアズへと報告しているのは、柔和な顔をした女性だ。その胸元には、魔導師団の師団長の紋が刺繍されている。
「はい、第一門要塞に残した兵によれば、エルート族は森との境界に陣を移し、その後の動きは見られないとのことです」
セチュバー魔導師団の長であるメノーツは、報告を補足しながら頷いた。宰相補佐官を兼任しているメノーツは、メドアズの片腕として、魔導師団のみならず第二兵団やその他の部隊を取りまとめる役割をも担っている。
セチュバー本国に戻れば、各行政府に宰相補佐官が配置されているのだが、有事の今はメノーツが全てを取り仕切る以外に選択肢がない。
魔導師ゾレン・ラーニュゼーブによって本国が支配されているという、異常な事態に対応せねばならないからだ。
「エルート族か、面倒な相手が前線にいるものだな。おそらく、第一門要塞の内情は探られたと考えてよいだろう。奴らは姿を隠す術にも長けていたようだからな」
メドアズは、中央王都での戦を思い出しながら言った。
エルート族と剣を交えた兵から、戦闘中にも関わらず目の前で姿を消したとも聞いている。門要塞へと接近し、精霊魔法を行使すれば内部の様子を知ることも可能であろうと考えられた。
「我が軍の動きを知る為、即座に門要塞の制圧に動くと思っていましたが。我々に追いつくまでの時間が、少しはかせげたと考えれば良いのでしょうか」
「いや、指揮官が慎重な人物なのだろう。我々が本国を取り戻したと同時に、ほぼ無傷といえるクレタス諸国の連合軍を相手せねばならないかもしれないな」
メノーツの言葉に、メドアズは冷めた笑いを口元に浮かべて答えた。
「九つの要塞全てに罠を張ったのですから、全く消耗しないとは思いたくないですね」
被害を与えられないことも想定できなくはないので、メノーツはため息交じりに返した。
「罠か。術式こそ個々に変えてはいるが、どれも急遽しかけた単純な魔法だからな。そう心構えをしておけ、という意味だ」
自分の補佐官の心労を増やしても良いことはないと考え、メドアズは『この話は終わりだ』と表すように手を広げて言うのだった。
「はい、心しておきますね」
メドアズの心中を察したのか、メノーツは笑顔で相槌をうった。
メドアズはゆっくりと上体を起こすと、椅子の背もたれに体重を預け「それで」と切り出す。
「カカンとクスカの方はどうなっている」
魔導師団の副団長である双子の名を口にし、メドアズは真面目な表情で聞いた。
「地下施設において、順調に対抗魔法の構築を行っています。しかし、師団員の魔力消費が思いのほかはやく、苛立ってしまってるみたいですね。主にクスカの方ですけど」
メノーツは軽く肩をすぼめて見せた。
「あの二人は、攻撃術式が得意だからな。だが今は、好き嫌いを言われても困る」
「でしたら、のちほどメドアズ様が激励をしに行かれれば良いかもしれませんよ。二人とも、もっと頑張ってくれるかと思います」
首を振って言うメドアズに、メノーツは笑顔で答えた。
「分かった、第二兵団と第三兵団の再編状況を確認したら、そちらにも顔を出すことにしよう」
「そうしてあげてください」
立ち上がり扉へと向かうメドアズに続き、メノーツも歩き出しながらにこやかに言うのだった。
***
「だぁぁぁ!魔力枯渇しそうなら早く言えっていったじゃない。ほら、邪魔、どいて」
苛立ちを隠そうともしない少女の声が、地下室に木霊する。
声の主に突き飛ばされた魔導師は、倒れて肩をしたたかに打ち付けながらも「ありがとうございます」と言って引き下がった。
地下室の床には巨大な円形の法陣がえがかれており、不気味な鈍い光を発している。要所要所に置かれた天然のエネルギー結晶から、魔法陣へと魔力が供給されており、魔導師達がぐるりと取り囲んで術式の乱れが生じないよう調整を行っていた。
「クスカってば、師団員のみんなも頑張ろうってしてくれてるんだから、暴力的なのはよくないんだよ。メノーツに『めっ』って叱られちゃうよ」
うり二つな顔をしたもう一人の少女カカンが、クスカをたしなめるように言う。こちらの少女は、法陣の周囲をゆっくりと歩きながら、乱れの見落としが無いか目を光らせていた。
「だって、倒れられても困るじゃない。それに、メドアズさまが基礎術式の立ち上げまでしてくれたんだから、失敗なんてできないでしょ」
クスカは、魔導師の抜けた穴を片手で埋めながらカカンにつっけんどんに言って返した。
二人が言い合っている中、別の魔導師がクスカのもとへ急いで走ってゆく。
「師団員を心配してあげたんなら、もう少し優しくしてあげればいいのに」
肩を押さえながら部屋の隅へと移動する先の魔導師に向けて「ねー」と、カカンは笑顔で言った。
同意を求められた魔導師は愛想笑いで誤魔化すと、壁際の椅子にどさりと腰を下ろす。額には大粒の汗が流れており、クスカの見立て通り疲労困憊といった様子だった。
「だ、誰が他人の心配なんか。ほら、あんた、ここの算術式は深度が上がったら再計算するの忘れないでよ。はい、交代交代」
乱暴な口ぶりではあるが、注意すべき点をきちんと伝えて、クスカは次に来た魔導師と入れ替わった。
「クスカはなんだかんだで優しいのに、照れ屋さんで損してるんだよねー」
「せっかくの魔術が失敗したらやなだけなんだったら。ほら、そこ、結晶の出力が弱くなってるってば。もう」
カカンの言葉に顔を赤くしながら、クスカはどかどかと別の魔導師のところへと歩いていくのだった。
「でもでも、エネルギー結晶もギリギリの量だし、クスカの言う通り失敗できないもんねぇ」
カカンは、魔法陣の歪みを修正しながら独り言を口にした。
メドアズが構築した魔法の術式は、精神魔法への耐性を大幅に上昇させる『石』を生成するためのものだ。
生成される物は、小指の先ほどの大きさをした丸い石であるが、内部に立体的な耐性魔法の法陣が内包される。
メドアズがセチュバー本国へと向かった際に、魔導深度二十七相当の精神耐性魔法で身を護っていたのだが、敵である魔導師ゾレンはそれを簡単に言い当ててみせたのだ。
魔導師団の幹部が集まって話し合った結果、ゾレンが本国にかけた魔法を解除するのは困難であり、支配された国民のリスクも大きいとの判断が出た。
そのため、兵士が飲み込める大きさの精神耐性魔法を内包したアーティファクトを生成し、相手の支配魔法に対抗する案を採用したのだ。
ゾレンにメドアズの使った耐性魔法を知られているため、深度二十七以上の魔術深度を持たせねばならない。そして、兵士の数だけ作り出さねばならないため、非常に大がかりな魔法となっているのだった。
魔導深度を上げるには立体物の内部を利用するのが効率的に良く、体内に飲み込んだアーティファクトならば解除するのも困難になる。故に、メドアズが導き出した答えが、術式をインクルージョン化した小石だったのだ。
しかし、あまりにも複雑な魔術のため、魔導師団総出で取り掛かる羽目になっている。
「攻撃魔法ばっかり興味あったけど、戦争になると色々考えたりやったりしなきゃいけないんだねー」
カカンはぽつりと呟くと、エネルギーの切れかけている結晶を見つけて、法陣の中へと入って新しい結晶と交換した。
ちょうど、魔法陣の中央部分では魔導深度が一段階引き上がり、別の法陣が形成されるところだった。
「ちょっとぉぉぉぉ、深度が上がったら再計算って言ったでしょー。ほら、そこ、計算遅い!はやく。もぉぉぉぉぉ」
クスカのいらいらとした注意の声が飛ぶ。
新たな段階に入った魔法は光を強め、室内を怪し気に照らし出す。
メドアズが激励に訪れるまで、クスカの苛立たし気な声が、第十要塞の地下室に響き続けるのだった。
次回投稿は1月10日(日曜日)の夜に予定しています。




