第164話 風と大気の響き
「どぅーどぅっどぅでぅどぅどぅ。どどどぅーどぅぅ」
唇を尖らせたままの顔で、シャポーは三郎に話しかけてきた。
眉は八の字に寄せられており、何とも言えない情けない表情が三郎へと向けられていた。
「えっと、シャポーさん。終わったなら口を元に戻してもいいんじゃないかな」
「どぅ?」
「とぅっとぅっとぅ~♪」
首を傾げるシャポーの頭の上で、顔の真似をしたほのかが楽しそうに歌っている。
シャポーは一瞬考えてから、やっと気付いたように慌てて顔をもとに戻した。
「そうでした。上手く口笛が吹けた時に形を崩さないよう練習をしていたので、癖になっていたのですよ。習慣とは恐ろしいものなのです」
「で、さっきは何て言おうとしてたの」
胸元に握り拳をつくって何度も頷きながら言うシャポーに、三郎は改めて質問する。
「先ほどはですね『どうだったでしょうか。サブローさま』と、成果をお聞きしようと思ったのですよ」
「成果ねぇ。あまりにも一瞬のことすぎて、岩が消えたくらいにしか認識できてないんだけど」
瞳を輝かせて聞いてくるシャポーに、三郎は後頭部に手を当てながら答えた。
言葉の通り、シャポーの口笛と同時に『岩が消えた』という事実しか三郎には理解できていなかった。
「ふっふっふっ。何が起きたかと言うとですね、シャポーの『瞳アナライザー』で対象魔法の深度を確認した上で、使用魔力量と法陣規模を外観検知から逆算してですね、魔法強度を割り出したのですよ。仮に算出した魔法強度を全体の六割、安全に破壊する帯域幅を四割として加算しまして、古代魔法『魔力の吹き矢』のエネルギー量を同値に等しく設定することで、対象の魔法を破壊することに成功したのです」
「要するに、対象の魔法を確実に壊すために、四割増しで魔法をぶつけた、でいいのかな」
「ですですね」
シャポーは嬉しそうに何度も頷いて相槌を返した。
「ちなみにですが、かの消えた岩は竜の咆哮に飲み込まれて、上空五百テーリの位置で湯に洗われていますよ」
目を細めたシトスが、湯の柱の先端に視線をむけて言った。
三郎とシャポーも、シトスと同じように竜の咆哮を見上げる。
発生する蒸気と、まき散らされる大量の水のせいで、三郎の眼には竜の咆哮の先端すら確認できなくなっていた。
(六百メートル上空に、あんな岩が押し上げられてるのか。竜の咆哮の水圧、ぱねぇな)
空へと逆流する湯の滝は、いまだに勢いが弱まる気配もなかった。
「それはそうと、残った二つの岩はどうなったんだ。目をそらしたら場所が分かんなくなっちゃったんだけど」
地表に視線を戻した三郎が、残った魔法の岩を探しながら呟く。
「法陣としての魔力循環を断ちましたので、シンボルとしての機能を失ってただの岩になっているのですよ。内在されてた法陣も、魔力エネルギーの過負荷でショートしてしまっているみたいですね。ちょっとシャポーは力みすぎたかもなのです」
「魔法を無事に破壊して、再利用も不可能な状態にしたってことなら、上出来なんじゃないか」
苦笑い混じりに言うシャポーに、三郎は親指を立てて返した。
「上出来なのですね。えへへ~、また褒められちゃったのです」
ぱっと咲いたような笑顔になると、シャポーは照れながら言うのだった。
「ん、でもさ、深き大森林の魔法を解除しに行った時、強制的に魔法を破壊すると魔導汚染が発生するとかって話してなかったっけか」
三郎が、ふと気づいて質問した。
深き大森林の地中に仕掛けられたパッケージ魔法を解除する際、破壊を選択しなかったのは魔力溜まりの発生を懸念してのことだったと記憶していたからだ。
故にあの時は、解析魔法を使って分析してから解除へと移るという、正攻法と呼べる手順を踏んだのではなかっただろうか。
シャポーは「そうですねぇ」と思い出すように考えてから口を開いた。
「深き大森林のパッケージ魔法は、非常に大規模な物でしたし内包魔力量も多かったのです。森林であり地中という条件もありましたので、魔力溜まりの発生しやすい環境でもあったのですよ。それと比較してですね、今回の魔法は、シャポーの『瞳アナライザー』で解析できる程度の魔法でしたし、内包魔力も少なかったのです。何よりも、地表にあった上に環境が開けていますし、間欠泉の勢いが魔力ごと吹き上げてくれちゃいますので」
「ああ、魔力も物質には変わりないってことか。淀みができにくい場所なら魔力溜まりも発生しにくいのね」
三郎は、今更ながらに「なる程な」と言って手を打ち鳴らした。
「溜まりにくいのです。ちなみにですね・・・」
「お二人とも、そろそろ竜の咆哮がおさまりそうです。話の続きは、帰りの馬車でとしたほうが良さそうですよ」
更に説明を付け加えようとするシャポーを、シトスの穏やかな声が遮った。三郎とシャポーは、竜の咆哮が終わりそうだと言われたので、二人そろって上を見上げた。
僅かに勢いを失った湯の柱が、落下する水圧と拮抗し始め、薄い水の傘を大空に広げたところだった。弾ける水滴が、太陽をきらきらと反射して散ってゆく。
「はわわ~きれいなのです」
「ほぉ~」
目を輝かせるシャポーの隣で、三郎は感嘆のため息を出すことしか出来なかった。
そして、竜の咆哮から吹き上がっていた湯が、唐突に停止した。
「止まった?」
三郎の呟きが合図だったかのように、上空に一瞬留まっていた湯の塊が一気に落下する。
お椀状の大地に、大質量の水がぶつかった。
大量の蒸気と水飛沫が、かなり離れた場所であるはずの展望台に立つ三郎へ、白い波となって襲いかかってきた。
「んぶほぉ」
真っ白な風の通り過ぎた後には、髪から雫をたらすおっさんが残されていた。
落下した多量の水は、ずごごごごっと激しい音をたてて穴の中へと吸い込まれるのだった。
「ははは、サブロー。ずぶ濡れですね」
声の方を見ると、さっぱりと濡れていないシトスが爽やかな笑顔を浮かべていた。
「ありゃりゃー、咄嗟のことだったのでサブローさまにまで防御壁を張れなかったのです」
申し訳なさそうなシャポーの声へと三郎が顔を向けると、こちらも水の一滴もかかっていないシャポーが立っていた。
二人が魔法で防いだのは、言わずとも明らかだ。
「・・・ずるい」
呟きながら、三郎は後方を確認する。
身をかがめて直撃をまぬがれたムリューとトゥームが、立ち上がって服に着いた水滴を払っているところだった。
離れた場所に居たカムライエや天啓十二騎士のリーダーは、全く濡れていない。テスニス出身者ならば、竜の咆哮が最後にこうなると知っていても何ら不思議ではないとも言える。
「あー驚いた。って、やだ、サブロー全部浴びちゃったの。大きなタオルなんて持ってきてないわよ」
トゥームが携帯していたハンドタオルを手に、三郎へと駆け寄って来た。
「頭を腕でガードするとか、フードを咄嗟にかぶるとか、ちょっとは動けなかったの。せっかく服に防水効果もあるんだから、ここまで濡れる必要はなかったのに」
トゥームが少しばかり半笑いで、三郎の髪に手を伸ばしながら言う。
確かにトゥームが言うように、三郎の着ている司祭服は、表面に防水加工でもされているかのような水弾きをしていた。
(超人的な反射神経の人に言われても・・・ねぇ)
髪を拭かれながら、三郎はため息交じりに思うのだった。
その隣では、魔導師の少女が「シャポーも、拭いてあげるのです」とタオルを手にぴょんぴょんと跳ねていた。
***
「あれは、お約束と言いますか、竜の咆哮の洗礼のようなものと言いますか。しかし、サブローさん以外、全員が回避したのには驚かされましたね。私も幼少の頃には、頭から濡れてしまったものです」
帰りの車中で、カムライエが楽し気に語る。
馬車は既に森まで歩みを進めており、竜の咆哮での三郎達の作戦は、怪しまれることもなく無事に終了していた。
互いの情報を共有し合い、今は雑談に花を咲かせている所だった。
「振り向いた時のサブローの哀し気な顔ったら、思い出しただけでも可笑しいわ」
トゥームがくすくすと笑う。
「このおっさんに、君達みたいな反射神経があるわけないからなぁ。初見だったら、この状態が普通なんじゃないか。君らこそおかしいと思うけどね」
大き目のタオルで、まだ湿っている髪をかきあげながら三郎は答えた。
「しかし、あそこまで恨めしそうな表情は、なかなかできるものではありませんよ。声を聞かずとも内心がにじみ出てましたからね」
悪びれもしないシトスが笑顔で言った。
「まぁ、あれか。魔法を壊した後の水蒸気で良かったってところか。さすがに、変な魔法のかけられた水だったら気分悪いもんなぁ」
三郎は、窓外の森の景色に目を向けて言う。
「師匠の符に護られているとはいっても、確かに気持ち良くはなかったと思うのです」
「いや、気持ちよかったわけじゃないんだけどね」
「でもですね、温泉成分なので、お風呂上りみたいな感じかとは思うのですよ」
「言われてみれば、肌が心なしかしっとりしてる気はするけど。でも、やっぱ違うかなぁ」
シャポーが真面目に言うのに対し、三郎は半笑いで答えた。
「しっとりするなら、私も浴びれば良かったわ」
「さいでか」
からかい半分で言うトゥームに、三郎は肩をすくめてかえした。そして、はたと気づく。
「温泉成分って言えば、大気の中に漂ってる例の魔法の成分ってのは、すぐにでも消えるんかな」
「クレタ山脈からの風に乗って運ばれているので、数十日もあれば師匠のフィルター魔法にぶつかって浄化されると思うのです。フィルター魔法が無ければ、月単位の時間を要すると思うのですよ」
三郎の疑問に、シャポーが人差し指を立てて説明する。
「数十日か、けっこうかかるんだな。ラーネさんの言い方だと、魔法を壊せば効果が無くなりそうな感じだったけど」
「変性してしまった成分なので、既に風に乗っている物は、法陣の影響下にはないのですよ」
シャポーが残念そうな口ぶりで答えた。
「ふーん、そしたら風に運んでもらって、シャポーのお師匠さんのフィルター魔法に処理してもらえばいい話しじゃない。ね、シトス」
話を聞いていたムリューが、悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「強風を広範囲に起こし続けることはできませんが、風と大気の精霊にお願いして、自然の流れの中で協力してもらうのは効果がありそうですね」
シトスも名案だという表情を浮かべる。
グレータエルートの二人は、合唱するように精霊魔法を口にした。
『優しき風の精霊、大気の精霊と共に清浄なる風の恩恵を我らに与えて』
『大気に満ちる友人達よ、風の精霊と共に清らかなる力強き流れを我々に与えたまえ』
紡ぐような二つの精霊語は、共鳴して空気の中へと溶け込むように消えて行く。
「綺麗な響き」
トゥームがぽつりと呟いたのが、三郎の耳に届いた。
二人の詠唱が終わると同時に、揺らめく大気の壁が馬車の中を優しく撫でて通り過ぎ、森の葉がさわさわと静かな音をたてるのだった。
次回投稿は11月1日(日曜日)の夜に予定しています。




