第14話 シャポー再び
現在、三郎は、正直なところ困っていた。
「うぅ・・・ひっく・・・」
三郎の腕の中で、すすり泣いているラルカの声が、静かに部屋に響いていた。先ほどまで、大声を上げて泣いていたのだが、大分落ち着きを取り戻し、今に至っている。
三郎と言えば、子供に泣きつかれるのは十何年も無かった事なので、ラルカにかける言葉が上手く出てこずに、困惑するばかりだった。
数刻前、トゥームが作ってくれた胃にとても優しい『たっぷり野菜のスープ』を、三郎は、ゆっくりと美味しく頂いた。トゥームが気を利かせて、大き目のお盆で持ってきてくれたので、ベッドの上で上体を起こすだけで楽に食べる事ができた。
三日も眠っていたのに、普通に胃が固形物を受けつけたのは、スルクロークの薬水とトゥームの料理のおかげだった。
食べ終わる頃に、ティエニやリケ、そしてスルクロークが、三郎の様子を見に来てくれた。ラルカは、しぶしぶ学校に行っているのだと、トゥームが三郎に話す。
魔獣の襲撃から二日間、高熱の引かない三郎を心配して、ラルカは傍を離れなかった。だが、今朝になって、三郎の熱が下がり容態が落ち着いていたので、スルクロークとトゥームが、学校へ行くようラルカを説得したのだった。
三郎の傷の心配から始まり、寝ている間にあった事など、とりとめも無い話で談笑していると、三郎の部屋の扉が勢い良く開け放たれた。
今にも泣き出しそうな、切迫した表情のラルカが、そこに立っていた。ラルカは、三郎の様子が気になって、学校が終わると、急いで教会に帰って来たのだ。呼吸するたび、肩が上下するほど息があがっていた。
「おかえり、ラルカ」
三郎が笑顔で、ラルカに声をかけた。
「・・・サブ・・・ロー・・・さん」
笑顔で名前を呼ばれた事で、堪えていた物が崩れてしまったのか、ラルカの目から大粒の涙がぽろぽろと流れ落ちる。
そして、ラルカは、ベッドで上体を起こして座っている三郎へ、思いっきり飛びつくと、大声で泣き出してしまったのだった。
「あー・・・その、なんだ・・・ラルカ、看病してくれてたんだって?ありがとう」
すすり泣くラルカに、三郎は何とか言葉をかける。ラルカの気持ちが、少しでも落ち着くようにと、背中をゆっくりとたたいてあげる。
三郎は、ドラマや映画で良く見かけるシーンだが、飛びつかれて上手く受け止めるのは、けっこう難しいものなんだなと実感していた。受け止めた後も、十二歳の子供とは言え女の子なのだから、手のやり場やら力加減やらと、変に気を回してしまう。
魔獣から庇った時は、何も考えずラルカに体当たりをしていたので、どれだけ自分が必死だったのだろうかと、三郎は改めて考えてしまった。
三郎の言葉に、ラルカは小さく首を横に振ると、泣くのを抑えたような声で言葉を返す。
「わたし、なにも、できなくて・・・」
そう言って、再び三郎の胸に顔を押し付けてしまった。三郎は、仕方が無いので、ラルカの髪をそっと撫でる。
「心配かけちゃったみたいで、ごめんな」
三郎は、他の皆にも言った言葉をラルカにも言う。実際、三日間も目を覚まさなかったのだから、相当心配をかけていただろうと思っての言葉だった。だが、ラルカは、険しい表情をして顔を上げた。
「サブローさんが、謝る事ないんだよ。私を庇って、怪我して・・・熱でちゃって・・・目・・・覚まさなくて・・・」
言っているうちに、ラルカの目から新たな涙がこぼれる。
「まぁ、全員無事だったんだから、良かったんじゃないかな」
三郎は、ラルカがまた号泣してしまうのではないかと、ハラハラしながら言った。
「よくないよ!だって、私のせいで怪我したんだよ!わたし・・・」
三郎が怪我を負った事で、ラルカはずっと自分の事を責めていたのかもしれないと、三郎は思い至った。
下唇を噛み締め、再び泣き出さないようにしているラルカを見て、三郎も胸が痛くなる。
「オレはね、ラルカ。ラルカが無事で、何より良かったなって、思ってるよ」
ラルカは、三郎の言葉に大きく首を横に振った。そして、搾り出すような声で三郎に訴える。
「違うの、わたし、勝手に飛び出して、だから、わたし」
言いたいことが言葉になって出てこない様子に、三郎は黙ってラルカを見つめ、次の言葉を待つ事にした。昔、子育てか何かの本を読んだとき『言葉が出るまで、子供の思考を待ってあげましょう』と言う類の一節があったのを、ふいに思い出したからだ。
こちらの世界に来る前は、子育てに関する事など考えようとすらしていなかったので、三郎は自分自身に少しだけ驚いてしまった。
「わたし・・・だって、まだ・・・」
三郎が眠っている間、傍にいてずっと考えていたであろう事が、言葉になってラルカの口から出てきた。
「わたし、サブローさんに、あやまってないよぉ」
そう言うと、ラルカは大きな声で泣き出してしまった。何度もごめんなさいと言って泣くラルカを、三郎は困惑する事無く、しっかりと抱きとめてあげた。
三郎が、スルクロークとトゥームに目を向けると、二人もそんなラルカを優しく見守っていた。ティエニは、良く理解できていない様子でスルクロークの袖を掴んでいたが、リケは、もらい泣きしてしまっているのか、トゥームに抱きついて服に顔をうずめていた。
三郎はトゥームと目が合い、互いに微笑を交わす。後は、ラルカが泣き止むまで受け止めるのが、三郎の役目だった。
ひとしきり泣くと、ラルカは気恥ずかしそうに三郎から離れた。表情に迫った気配が無くなり、泣きじゃくってしまった照れくささだけが、残っているようだった。
ラルカが離れるのを見て、ティエニが、次は自分の番だと言わんばかりに、三郎の布団へダイブしてきた。
「おっれもー!」
「うおっ」
三郎は、ティエニを慌てて受け止める。ティエニは嬉しそうに笑いながら、三郎の布団でごろごろと転がった。
「あ、ずるい・・・わたしも」
リケがティエニに続けといわんばかりに、布団に転がり込んできた。
「ちょっと、だめだよ。サブローさんは、今日起きたばっかりなんだから」
自分の事を棚に上げ、ラルカがティエニとリケを止めに入った。三郎の広いとは言えない部屋に、笑い声が戻ってくる。
「さぁ、ラルカの言うとおり、サブローが疲れてしまうから、少し休ませてあげましょう」
トゥームが手をたたいて、子供達に声をかけた。午後もだいぶ時間が過ぎており、夕食の買出しに行くなら、そろそろ出ないといけないくらいの時間となっていた。
トゥームに促されながら、子供たちが部屋を出る時、ラルカが振り返って三郎に聞いてくる。
「ねぇ、サブローさん、夕ごはん何か食べたいものある?」
ラルカに聞かれて、三郎の頭には、とあるシチューが思い浮かぶ。こちらの世界に初めて来た日、夕食で出されたビーフシチューの様なスープだ。
「あー、あのシチューがいいな、教会に初めて来た日に食べたアレが」
「ウェルッカ肉のシチューね!まかせて」
三郎の言葉に、ラルカは予想以上に嬉しそうな返事をすると、部屋から出て行った。ウェルッカとは、クレタスで多く飼育されている、偶蹄目の家畜であり、三郎が始めて食べたときに『ビーフシチューだ』と思ったのは、あながち間違いではなかった。
三郎の横には、皆の背中を三郎と共に見送るスルクロークが立っていた。そして、おもむろに口を開く。
「サブローさん、あのシチューをこの場面でチョイスしたのは、流石と言わざるを得ません」
「あ、そうなんですか?」
三郎は、そう言われてみても、いまいちピンとこない風で相槌を返した。
「ウェルッカ肉のシチューは、ラルカの得意料理ですから」
スルクロークが親指を軽く立てて言うと、三郎は『ああ、なるほど』と思いながら、親指を立て返すのであった。
***
ドタバタと廊下を駆けてくる音に、三郎はまどろみから覚醒させられた。何やら、騒がしくする声も聞こえてくる。
夕食の支度が出来るまで体を休めておくようにと、スルクロークが部屋を出てから、それ程時が経っていなかった。時間にして、夕食の買出しをして、帰ってこれる程度の時間だ。
三郎の部屋の扉が、またもや勢い良く開け放たれた。三郎は、反射的に飛び起きて、何事かと注視する。
「ざぶろーざばぁ~!!!」
開け放たれた扉から飛び込んできたのは、見覚えのある若草色のローブを身にまとった、見習い少女魔道師だった。情けない表情をしており、大きく丸い目から大粒の涙を流している。
ラルカのように、三郎にしがみついてくる事は無かったが、ベッド横に膝を突き、祈るような視線で三郎を見つめてきた。
「ざぶろーざばぁ、じゃぽーは、ぞれはぞれは、じんばいじでだんでずよー」
涙を流して何事か訴えてくるシャポーに、三郎は半ば唖然とするしかなかった。シャポーに続いて、追いかけてきたラルカとトゥームが、三郎の部屋に入ってくる。
三郎は二人に、視線で『何事?』と投げかけるが、トゥームは呆れた表情をして、ラルカは苦笑いを返してくるだけだった。
「ほら、シャポー、少し落ち着けって、これで、鼻かんで」
三郎は、サイドテーブルに置かれていた布をシャポーに渡す。
「ありがどーございまず。サブローさまは、やはりお優じいでず、ずびび」
遠慮なく鼻をかみながら、シャポーは笑顔になって礼を言ってくる。
澄ましていれば美少女で通りそうなのに、非常に残念な子だなと、三郎は思わずにはいられなかった。
次回投降は、12月3日(日曜日)の夜に予定しております。
寒くなってまいりましたので、お体お気をつけください。




