第145話 長い合言葉
三郎は、避暑地として名高いキャスールの町にある、テスニス政府が所有する一軒の邸宅のリビングにいた。
カムライエの話によれば、政府が迎賓用に使用していた建物だという。しかし、キャスール地方が正しき教えの勢力下となると、従わぬ政府の者達は町を追われ、それ以降、この迎賓用の邸宅にも管理の手が入っていない様子だった。
手入れをされ美しかったであろう庭の草木は、その面影を残しながらも、自由に枝を伸ばし始めている。室内は、全ての家具が布でおおわれており、再びの来訪者を静かに待っていたかのようであった。
正しき教え側には、キャスール滞在期間にこの邸宅を利用する旨をカムライエが伝えており、了承をとりつけていた。護衛の天啓騎士達も連絡を受けていた様子で、キャスールの町に到着すると、邸宅前まで三郎達を送りとどけてくれた。
高教位ギレイルとの対談は、明日の午前中から始まり、午後には捕らえられている修道騎士達の安否確認が予定されている。
三名の天啓騎士達は、滞在期間中の警護まで申し出てくれたのだが、三郎がやんわりと角が立たぬようにお断りしたのだった。
「・・・はぁ」
「どうしたのよ、大きなため息なんかついて」
リビングルームの家具は、既に埃避けの白布が取り払われており、三郎はゆったりとしたソファに腰を下ろしていた。
大きなため息を吐いている三郎に、厨房から戻ってきたトゥームが、カップを両手に近づきながら声をかける。
「天啓騎士がず~っと一緒だったから気を張ってたんだな。なんだか、やっと一息つけた感じがしてさ」
「そう。明日からまた慌ただしくなるから、休める時にきちんと休んでおかないとね」
両腕を上げて伸びをしながら言う三郎に、持っていたカップの片方を差し出して、トゥームは言葉を返した。
三郎が「ありがとう」と礼を言って受け取ったカップから、香しい紅茶のかおりが広がる。程よい温かさの紅茶は、三郎の喉から胃までを優しくリラックスさせてくれるようだった。
ここ数日、堅苦しい表情を崩せなかった三郎を気づかってくれたのだろう。
トゥームはと見れば、室内にも関わらずその腰に剣を帯びており、その言葉とは違いくつろぐといった雰囲気ではなく、ソファに腰を下ろす様子もない。
トゥームがいれてくれた紅茶も、自分たちの乗ってきた馬車から持ち込んだものだ。邸宅の保存庫には、まだまだ使える食料品が残されていたのだが、万全を期するために手を付けるのは止めておこうという事になっていた。
現在、シトスとムリューにシャポーを加えた三名が、上階や地下の部屋を見てまわっているところだった。シャポーの頭の上に乗っているほのかも数えれば、四名とも言えなくはない。
彼らは、カムライエから手渡された邸宅の間取り図を頼りに、潜んでいる者の有無はもちろんのこと、間取りに変化は無いか、魔法等が仕掛けられていないか等を確認しているのだ。
当のカムライエは、食料の調達と潜入させている部下との連絡をとるため、一人キャスールの町へと出ていた。
シトスが同行を申し出たのだが、一人の方が目立たなくて良いのだとカムライエは苦笑交じりに言うのだった。
確かに、エルート族の二人は街に繰り出すには珍しい種族であったし、シャポーのような魔導師の人口もクレタス内では多いとは言えず、軍や研究院との関りが薄い者にとって縁遠い存在と呼べる。トゥームに至っては、クレタス全土で百人にも満たない修道騎士であり、今まさに十八名の修道騎士が『正しき教え』に捕えられているのだから、キャスールの町では尚更に目立つだろう。
かと言って、御者のミケッタやホルニに、危険を冒させるわけにはいかない。それに、町の馬宿へ行くのを頑なに拒んだクウィンスのため、邸宅の敷地内にある馬屋を整えるのに忙しくしていた。
残るは三郎だが、図らずとも今回の最重要人物に指定されているので、おいそれとカムライエについて行けるわけもない。ついて行ったとて、足手まといになるだけなのは、三郎本人が一番よく理解していた。
『目立たないというのは、このような場面で非常に役立つんです。恐らく、案内してくれた三人の天啓騎士も、私が服装と髪型を変えてしまえば気付かないでしょうから』
そう言って、カムライエは身支度を手早く整えると、邸宅内を三郎達に任せて早々に出て行ったのだった。
「カムライエは、何か新しい情報を掴んできてくれるかな」
「少なくとも、正しき教えの現状やキャスールの町での噂なんかは聞いてきてくれると思うけれど」
紅茶を口へと運びつつ、三郎とトゥームは静かに言葉を交わす。
「高教位ギレイルが、キャスールの町から姿を消してからの足取りくらいは、知っておきたい気もするんだよな」
「確か、二十年以上キャスールに居なかったみたいだってカムライエさんが言っていたわね」
「ああ、いくらキャスールが正しき教えの勢力下になってて調査するのが難しくても、二十年は長いってカムライエが言ってたからな」
「キャスールの孤児院で幼少期を過ごした後、里親に引き取られて学校に通いながら、キャスール教会に『教え』を熱心に学びに来ていたとか」
トゥームがこれまでの旅路で、カムライエに入って来ていた情報を、順を追うように整理して言う。
テスニス首都にある諜報機関が、古い保管文書などを全てひっくり返して調べたギレイルの経歴だ。身分証としてのゲージ登録情報から、各施設の名簿まで、紙媒体で残されていたものから大地の情報網の保管データをも精査し、総力をあげて調べたものだった。
「教会に姿を見せなくなるまでの情報は、かなり出て来てると思うんだよなぁ。変に不安を感じるのは、ぷっつりと経歴が切れちゃってるからなんだけどさ。ギレイルがキャスールから姿を消してすぐ里親も亡くなってたみたいだし、本当にギレイル本人なのかってのも疑わしいっちゃ、疑わしいんだよな」
「ゲージの登録は、個人の持つ魔力で行われるから、当人であるのは間違いないんじゃないかしら。シャポーも言っていたけれど、指紋や虹彩、声紋や固有脳波以上に、大地に登録されるゲージの偽装工作は不可能なものよ。連絡を取り合ったカムライエさんの所属機関が、本人だと確認したのなら、ギレイル本人で間違いないと思うわ」
「そういうもんなのか。じゃぁ、明日会うのは、ご本人様だっていう心構えはだけはしとくかなぁ」
トゥームに返事をすると、三郎はもう一口紅茶をすすった。
三郎達の目的は、修道騎士の安否確認とその身柄の解放を、第一と定めていた。可能ならば、武力解除を求めた上で、テスニス政府との話し合いの場を設けるのを、第二目標にしている。
教会として、教えの誤った解釈を改めさせ、勢力の解散を求めて行くのは、話し合いが始まってからじっくりと進めるべき事であり、三郎は『入口』を作る役目を負っているのだと自分の立場を認識していた。
突然、教会の幹部が現れて『解釈が間違っているから解散しろ』と言った所で、相手は更にヒートアップしてしまうことだろう。
この様なケースでの話し合いとは、互いの妥協点や誤りを気付いて行きながら、信頼を築き上げることで問題を解決する手段だ、と三郎は考えている。
(クレームの出た客先への対応に似てるよな。国やら政府がらみだから規模が違うか。何だか実感が薄すぎて、自分の物差しの小ささを痛感するなぁ)
紅茶の残りをずずっと吸い、三郎は「はぁ」と、今度は深呼吸をするのだった。
「少しは落ち着いたかしら」
カップを受け取りながら、トゥームが探るような流し目で三郎を見た。その口の端は少しばかり上にあがっている。
「ご心配おかけしております。おかげさまで、緊張がほぐれました」
律儀に頭を下げて言う三郎に、トゥームは笑いながら「そう」と返すのだった。
「はわー、とってもお部屋の数が多かったのです。流石、避暑地として有名なキャスールの迎賓邸なだけあるのです」
そう言い、図面を片手に三郎のいるリビングへと、シャポー達が戻ってきた。三郎は立ち上がり、お疲れさまとねぎらいの言葉をかけて三人と一精霊を迎えた。
「建物内部には、問題はないですね」
シトスはソファに腰を下ろすと、ローテーブルの上に広げられた邸宅の図面を、実際の建物と方角が一致するように回転させる。
「内部には?」
トゥームは、二つのカップをテーブルに置くと、三郎の隣へ座りシトスに聞き返した。
「ええ、こちらの邸宅の入口方面にある家と、裏手に建っている建物ですが、様子をうかがっている者がいるようです。裏手の方は、木々が遮っているので、相手側からの視界が完全に通っているわけではないですけどね」
シトスが図面の正面と裏手を指し示し、対象となる建物との距離感を伝えて言う。
「両サイドの家は?」
トゥームが短く質問する。
「どっちも普通に人が住んでるだけみたい。相手に失礼かとは思ったんだけど、精霊にお願いしてみてきてもらったから」
小さく舌を出し、ムリューがトゥームに答えた。
「カムライエさんは、立地の良い邸宅を滞在先に指定したと思います。敷地が広いので、侵入者があるとわかれば建物に入られる前に迎撃態勢がとれるでしょう」
シトスは言うと、自分の耳をひと撫でして見せる。グレータエルート二人の聴力ならば、敷地内への侵入者の有無を十分に聞き取れると伝えているのだ。
「それとですね、家の鍵も複製されているといけませんので、夜になったらシャポーが、全ての外に通じる扉に施錠の魔法をかけさせてもらおうと思うのです。内部からの合言葉にだけ反応するように構築しておきますので、忍び込むのは不可能になるのです」
ふんふんと鼻息も荒く、シャポーが出番とばかりに魔法をかける扉の位置を、図面上で順に指さしてゆく。
「合言葉で開くのか、忘れたら出られなくなったりしてな」
三郎が、咄嗟の時に一番忘れてそうなのは自分だなと思いながら、笑って言った。
「大丈夫なのです。簡単に短く『キャラマイナ・シャポー・アルケアン』にしておきますので、覚えておいてください。後でカムライエさんと御者さん達にも伝えておきますので」
「いや、ごめん。覚えられなかったです。キャマ・・・ん?」
三郎は心の中で(長いわ!)と、突っ込みを入れつつも、繰り返そうと試みて失敗する。
「キャラマイナ・シャポー・アルケアンね。でも、これだと緊急の脱出時に唱えるには、長すぎるんじゃないかしら。もう少し短くならない」
トゥームがスラスラと繰り返しながらも、実用性を考えてシャポーに提案する。
聴力の優れた種族であるシトスとムリューは、当然のように一発で聴き取って覚えた様子であった。
「むむぅ、そうですかぁ。この合言葉であれば、扉はどんな鉱物よりも固くなって、魔法の攻撃も跳ね返し、巨大な岩よりも重く動かないようにできるのです。シャポーの名を基軸としてですね、二つの魔法を並列に繋いでおくと、とっても強くなるのですけれど」
シャポーが非常に残念そうな表情で腕を組み答える。
「少し強度が増してくれて、施錠さえしっかりとできればいいのよ」
シャポーの言葉に、トゥームは額に指を当ててため息を吐きながら言った。
「でしたら『シャキマ』でどうでしょうか。大きな男の人の体当たりくらいでは壊れず、剣も槍も通さない程度になってしまいますが、簡単で良いのではないでしょうか」
「いいね。それ、採用!」
三郎が手を打ち鳴らして即答し、シャポーに親指を立てて見せる。
トゥームも何度か繰り返して言ってみると「言いやすいから、いいんじゃないかしら。シャキマ、ね」と頷いた。
「えへへー、サブローさまに『いいね』って言ってもらえたのです。魔法かけるの頑張るのです」
嬉しそうに笑うシャポーの頭の上で「ぱぁ、ぱぱぁ!」と騒ぎながら、シャポーのおでこをぺちぺちと叩いて抗議の声を上げる始原精霊がいた。
三郎の意訳によれば、ほのかは『唱えれないから、却下だ!』と文句を言って騒いでおり、三郎が「出る時は一緒にでようね」となだめるまで機嫌が直らなかったという。
次回投稿は6月21日(日曜日)の夜に予定しています。




